まあ、そもそも当時の当てもんで今も残っているものはほとんど無いし、当り付き商品の形態もかなり変化しているので、秘密も糞もないのだけれども(笑)
バンブーの教えを受け、私が開発した手法もある。
今でいう「ガシャポン」のことを、私の住む地方では当時「ガチャガチャ」と呼んでいて、そのガチャガチャにも当り付きがあった。
昔のガチャガチャは一回20円〜50円くらいで、今の物よりカプセルがずっと小さく、中身もショボかったのだが、中にはわりと豪華な景品が当たるものもあった。
小さなカプセルに景品は入らないので、カプセルと同じ大きさの「当り」と表記されたプラスティックボールがガチャガチャの機械に混入してあって、それ目当てになけなしの小遣いを投入するのだ。
しかし、景品が豪華であるほど当りボールは少なく、それと反比例して他のカプセルに入っているオモチャは誰も欲しがらないような屑が多くなっていて、そうした屑をつかまされた多くの子供たちが涙を飲んでいた。
私もバンブーと出会うまでは運まかせで闇雲に小遣いを投入し、泣かされてきたのだが、バンブーの教えを受けてからは、まず「観察」することを覚えた。
当りボールはガチャガチャの機械の透明な容器の外周の、よく見える位置に詰められていて、さもゲットできそうに見える。
しかし、ハズレの屑カプセルが外から見えにくい中の方にぎっしり詰められていて、順番としてはそちらから排出されていくので、見た目ほどには当りは出ないのだ。
だから新しい当り付きガチャガチャが出たときは、あわてず騒がず、まずはゆっくり待つ。
無邪気な他の「被害者」に、先に屑を引いてもらうのだ。
そして、半分くらいまでカプセルが排出されたあたりからが勝負になる。
この時期になるとかなり当りボールも出やすくなっているのだが、さらに万全を期すためにガチャガチャの機械を激しくシェイクする。
すると、当りボールは中身の入った屑カプセルより軽いので、上の方に浮かび上がってくるのだ。
下の方に残った屑カプセルを他の無邪気な「被害者」に引いてもらい、さらに当りの確率を高める。
何度か繰り返して様子を見て、機会の底の方の排出口周辺に当りボールがたくさん残っている段階になって初めて、集中して小遣いを投入するのだ。
この手法の欠点は、何度か機会を激しくシェイクしなければならないので、そこをお店の人に見つかるとイタズラだと思われてかなり怒られることだ。
昔の大人はけっこう怖かった。
今では考えられないことだが、ゲンコツで頭をゴツンとやられるくらいのことは、しょっちゅうあったのだ。
あまりスマートなやり方とは言えなかったが、バンブーの教えがあってこそ開発できた必勝法だった。
バンブーはまた、「楽しみ方」の達人でもあった。
当時の当てもんの中の一つに、スロットカードがあった。
3×3=9の銀はがしがあるカードで、縦横斜めのどれかが三つそろうと景品がもらえるやつだ。
これは攻略法が見つかっておらず、運まかせしかなかったのだが、バンブーは銀はがしの手順にもこだわりを見せた。
私が二個そろった時点で喜んで三つ目を削ろうとすると、「そこは保留して、他を削った方がいい」とアドバイスされた。
あせって三つ目を削ると、それで結果が当りでもハズレでも、ドキドキ感はそれまでになってしまう。
三つそろう可能性のある列の結論を出すのは後にとっておいて、他の可能性も探しながら削った方が、同じ一枚のカードでも楽しめるというのだ。
言われたように保留しながら削っていくと、確かに結果が当りでもハズレでも、ドキドキ感が全然違った。
一枚のカードから汲み出せる「楽しみ」の量が、段違いに増えるのだ。
そして、一人でやるより二人や三人でやる方が、ずっと長く盛り上がれることもわかった。
その後バンブーとは中学が分かれたこともあり、付き合いがなくなっていったが、今でもたまに彼のことは思い出す。
バンブーには「当てもん」を通して「ものの見方」とか「世の中の楽しみ方」を教えてもらった気がするのだ。
そしてそれもこれも、駄菓子屋的な店先の空間あってのことで、こっぴどく怒られながらも、さんざん楽しませてもらったお店の人には、今は感謝の気持ちしかない。
前田のおばはん、ありがとう。
(「当てもん」の達人 完)