もう12月?
時の経つのが速すぎる……
長い付き合いであるぎっくり腰や胃腸炎を起こしやすい、要注意月間の11月はなんとか無事に過ごした。
ここで調子に乗らないように、ほどほどに頑張り、ほどほどにサボりつつ年末年始に備える。
立派な柚子をたくさん分けてもらったので、今夜はゆっくり柚子湯に入った。
腰の調子はまずまずだが、肩甲骨周りがかなり凝ってきているので入浴に時間をとろう。
また風呂屋にも行きたい。
しばらく体重計に乗らなかったら、ちょっと太ってしまった。
さほど羽目は外していないはずだが、やっぱり秋は太りやすい。
糖質制限をやや強化。
鼠径ヘルニアの術後は、とくに問題なくここまで来た。
立ち時間が長く続くと「ああ今、塞いだ所が内側から圧されとるな」と感じる瞬間がたまにある。
そういう時は迷わず座って一休み。
身体のアラームには素直に従うのが一番だ。
2016年12月01日
2016年12月02日
大河「真田丸」
もう年末なので、書こう書こうと思いながらまだ書けていなかった記事を。
今更であるけど、「真田丸」が、面白いのだ。
私は2012年の「平清盛」からNHK大河ドラマを視聴することに復帰したのだが、それ以降では個人的に飛び抜けて面白いと感じる。
今まで面白さの特徴をなかなか言語化できずにいたが、ふと「等身大の凄み」という表現が浮かんできた。
何しろ、登場人物がみんな「等身大」っぽいのだ。
主人公・真田信繁をはじめ、歴史上の有名人物がみんな「普通」に見える。
本田忠勝など、演じている藤岡弘、にかなり身長があるはずなのに、そんなに大きく見えない。
通常の演出なら、もっと偉丈夫に見えていておかしくないはずだ。
天下人たる秀吉も家康も、普通人の小ささや愚かさや老いを、普通に抱えている。
大河ドラマのような舞台では、戦国武将はもっと「大人物」として描かれるのが通例だと思うのだが、そうしたセオリーとは全く別のアプローチの珍しい作品になっていると思う。
ただ、そうした普通人たる武将たちが、戦国時代という過酷な舞台を必死で生き抜く姿に、独特の「凄み」が醸し出されている。
戦国がテーマのドラマなら、もっと合戦シーンが描かれても良いと思うのだが、ついに最終局面である大坂の陣まで、「大戦」の描写は徹底的にスカされてきた。
主人公の信繁/幸村は、四十代半ばまで戦場ではろくに活躍の場が与えられていない。
主人公が溢れる才気を持ちながら、ただ虚しく生きながらえる姿を丹念に描く、物凄く変わった大河ドラマだったのではないかと思う。
死の直前まで才を活かせなかった信繁の、最後の祭が大坂の陣だったのだ。
そして忍耐の果てにようやく与えられたチャンスでも、様々なしがらみの中、十分に力を発揮することは許されない。
世の中とはこういうものだ、英雄といえども等身大はこういうものなのだという、乾いたユーモアすら立ち上ってくる。
終盤に向けて、役者の演技はますます凄みを増している。
中でも淀君が凄い。
一瞬ごとの表情、仕草の一つ一つ、裾のさばき方の隅々までが、たっぷり感情のこもった演技になっている。
完全に「淀君」が降りてきているように見える。
淀君は秀頼の母であるけれども、信長の妹であるお市の方の娘である。
これまでの生涯の中で二度、落城を経験し、城攻めにあたっていたのは二度とも秀吉であった。
母親と、二人の父の「敵」である秀吉との間に生まれたのが秀頼なのだ。
そして今、三度籠城し、落城の危機は迫っている。
ちょっと想像するのも恐ろしいほどの「闇」を抱えていて不思議はなく、そんな「闇」の部分を含めて今放映中のドラマの中に「降りてきている」と強く感じる。
12月に入り、ドラマはいよいよ佳境に入る。
残り数回、見逃せないのである。
今更であるけど、「真田丸」が、面白いのだ。
私は2012年の「平清盛」からNHK大河ドラマを視聴することに復帰したのだが、それ以降では個人的に飛び抜けて面白いと感じる。
今まで面白さの特徴をなかなか言語化できずにいたが、ふと「等身大の凄み」という表現が浮かんできた。
何しろ、登場人物がみんな「等身大」っぽいのだ。
主人公・真田信繁をはじめ、歴史上の有名人物がみんな「普通」に見える。
本田忠勝など、演じている藤岡弘、にかなり身長があるはずなのに、そんなに大きく見えない。
通常の演出なら、もっと偉丈夫に見えていておかしくないはずだ。
天下人たる秀吉も家康も、普通人の小ささや愚かさや老いを、普通に抱えている。
大河ドラマのような舞台では、戦国武将はもっと「大人物」として描かれるのが通例だと思うのだが、そうしたセオリーとは全く別のアプローチの珍しい作品になっていると思う。
ただ、そうした普通人たる武将たちが、戦国時代という過酷な舞台を必死で生き抜く姿に、独特の「凄み」が醸し出されている。
戦国がテーマのドラマなら、もっと合戦シーンが描かれても良いと思うのだが、ついに最終局面である大坂の陣まで、「大戦」の描写は徹底的にスカされてきた。
主人公の信繁/幸村は、四十代半ばまで戦場ではろくに活躍の場が与えられていない。
主人公が溢れる才気を持ちながら、ただ虚しく生きながらえる姿を丹念に描く、物凄く変わった大河ドラマだったのではないかと思う。
死の直前まで才を活かせなかった信繁の、最後の祭が大坂の陣だったのだ。
そして忍耐の果てにようやく与えられたチャンスでも、様々なしがらみの中、十分に力を発揮することは許されない。
世の中とはこういうものだ、英雄といえども等身大はこういうものなのだという、乾いたユーモアすら立ち上ってくる。
終盤に向けて、役者の演技はますます凄みを増している。
中でも淀君が凄い。
一瞬ごとの表情、仕草の一つ一つ、裾のさばき方の隅々までが、たっぷり感情のこもった演技になっている。
完全に「淀君」が降りてきているように見える。
淀君は秀頼の母であるけれども、信長の妹であるお市の方の娘である。
これまでの生涯の中で二度、落城を経験し、城攻めにあたっていたのは二度とも秀吉であった。
母親と、二人の父の「敵」である秀吉との間に生まれたのが秀頼なのだ。
そして今、三度籠城し、落城の危機は迫っている。
ちょっと想像するのも恐ろしいほどの「闇」を抱えていて不思議はなく、そんな「闇」の部分を含めて今放映中のドラマの中に「降りてきている」と強く感じる。
12月に入り、ドラマはいよいよ佳境に入る。
残り数回、見逃せないのである。
2016年12月03日
生ョ範義展V THE LAST ODYSSEY
九州のみやざきアートセンターで、本日から「生ョ範義展V THE LAST ODYSSEY」開催とのこと。
私は高校生の頃からの生ョファンで、このブログ「縁日草子」でもカテゴリ生頼範義を設けてかなり語ってきた。
今年春には近場で展示があったので入り浸った。
当時の感想は上掲のカテゴリでしつこく書き続けたので、ご一読を。
甲斐性がなくて今回の展示には行けそうもないのだが、図録だけは何とか手に入れたいと思っている。
遠く離れた地で、敬愛するイラスト魔神の大規模な展示が行われていると思うだけでソワソワしてしまうのだけれども……
私は高校生の頃からの生ョファンで、このブログ「縁日草子」でもカテゴリ生頼範義を設けてかなり語ってきた。
今年春には近場で展示があったので入り浸った。
当時の感想は上掲のカテゴリでしつこく書き続けたので、ご一読を。
甲斐性がなくて今回の展示には行けそうもないのだが、図録だけは何とか手に入れたいと思っている。
遠く離れた地で、敬愛するイラスト魔神の大規模な展示が行われていると思うだけでソワソワしてしまうのだけれども……
2016年12月04日
滅びゆく「街のプラモ屋」
この二十年ほどの間に、どんどん街中から個人経営のお店が姿を消しつつある。
他にも色々あると思うが、私の思い入れの範囲で言えば、以下の三種だ。
本屋
プラモ屋
駄菓子屋
本屋は都市部の大型店舗とネット通販へ。
プラモ屋が扱っていた商品は、量販店の一コーナーと、スーパーやコンビニなどの食玩コーナーへ。
駄菓子屋もスーパーやコンビニの一画へ。
根本的には「少子化」なので、子供をメインターゲットにした商売が縮小するのは仕方がないことだ。
私が昔足しげく通った地元のプラモ屋も、今はもうない。
今私が住んでいるのは都市部なのでまだ「街のプラモ屋」は残っているが、ここ数年でもいくつか閉店した。
それでも辛うじて経営しているお店もある。
確か一年ぐらい前だろうか、ちょっと用足しに自転車に乗っていて、いつもと違った道筋を走っている時に、その小さなプラモ屋を見つけた。
おばあちゃんが店番をしているお店で、あまり客はいないようだがその分商品の回転がゆるやかで、ゆっくり品定めできる。
大型店舗では早々にはけてしまったプラモが長期間残っていたりするので、月に二、三回は、なんとなく足を運んでしまう。
私がプラモ、とくにガンプラ制作に復帰した顛末は、以前記事に書いた。
プラモ再起動
最近の「色を塗らずに組むだけでカッコよく、よく動く」プラモには虚しさを感じていたのだが、昔売っていたガンプラが、今でも当時の値段のままで入手できることを知り、ぼちぼちプラモに復帰した。
そんなタイミングで見つけたのが、件のプラモ屋だったのだ。
そのプラモ屋で手に取ったのが、以下の古いガンプラ。
●1/100 リアルタイプ RX-77 ガンキャノン
製品自体は近年の再販の物なので、プレミアのつくようなものではない。
昔のままの定価700円。
今の感覚だと「安い」と感じるのだが、子供の頃は1/144の300円シリーズ以外は「高い」と感じて、なかなか手が出せなかった。
今なら、買える。
今なら、やりたかった作り方、塗り方が、全部できる。
そう思うと、買わずにおれなくなってしまった。
他にも色々あると思うが、私の思い入れの範囲で言えば、以下の三種だ。
本屋
プラモ屋
駄菓子屋
本屋は都市部の大型店舗とネット通販へ。
プラモ屋が扱っていた商品は、量販店の一コーナーと、スーパーやコンビニなどの食玩コーナーへ。
駄菓子屋もスーパーやコンビニの一画へ。
根本的には「少子化」なので、子供をメインターゲットにした商売が縮小するのは仕方がないことだ。
私が昔足しげく通った地元のプラモ屋も、今はもうない。
今私が住んでいるのは都市部なのでまだ「街のプラモ屋」は残っているが、ここ数年でもいくつか閉店した。
それでも辛うじて経営しているお店もある。
確か一年ぐらい前だろうか、ちょっと用足しに自転車に乗っていて、いつもと違った道筋を走っている時に、その小さなプラモ屋を見つけた。
おばあちゃんが店番をしているお店で、あまり客はいないようだがその分商品の回転がゆるやかで、ゆっくり品定めできる。
大型店舗では早々にはけてしまったプラモが長期間残っていたりするので、月に二、三回は、なんとなく足を運んでしまう。
私がプラモ、とくにガンプラ制作に復帰した顛末は、以前記事に書いた。
プラモ再起動
最近の「色を塗らずに組むだけでカッコよく、よく動く」プラモには虚しさを感じていたのだが、昔売っていたガンプラが、今でも当時の値段のままで入手できることを知り、ぼちぼちプラモに復帰した。
そんなタイミングで見つけたのが、件のプラモ屋だったのだ。
そのプラモ屋で手に取ったのが、以下の古いガンプラ。
●1/100 リアルタイプ RX-77 ガンキャノン
製品自体は近年の再販の物なので、プレミアのつくようなものではない。
昔のままの定価700円。
今の感覚だと「安い」と感じるのだが、子供の頃は1/144の300円シリーズ以外は「高い」と感じて、なかなか手が出せなかった。
今なら、買える。
今なら、やりたかった作り方、塗り方が、全部できる。
そう思うと、買わずにおれなくなってしまった。
(つづく)
2016年12月06日
「旧キット」の悦楽
80年初頭、私が子供の頃作っていたガンプラが、35年以上経った今でも昔と同じ値段で(量販店などではむしろ安くなって)買えることを知った時は、ちょっと驚いた。
何よりも、バンダイが昔のガンプラを生産し続けていることに感心した。
ガンダムに登場するモビルスーツのプラモデルは、90年代以降、あらゆるものが新しい技術でリメイクされていて、「リメイクのリメイク」すら着々と進んでいる。
そうした新しいプラモは接着剤もいらず、表面処理もいらず、無塗装でもほぼ色が再現されていて、しかも可動範囲が広いので自在にポーズがとれる。
スタイルも良く、見栄えがする。
買って組み立てるだけで、誰でも水準以上の「可動フィギュア」が手に入るのだ。
それに比べて昔のガンプラはというと……
接着剤を使って注意深く溶着しなければならない。
接着面は丁寧に磨き上げて目立たないようにしなければならない。
かなり細かく自分で塗り分けなくてはならない。
可動範囲は極めて狭い。
スタイルも今風とはかけ離れて、もっさりしている。
こうしたリメイク前のガンプラは、近年「旧キット」と呼ばれているようだ。
モナカの皮のように、外形だけを前後または左右の唐竹割りで造形してあることから「モナカキット」とも呼ばれる。(今のガンプラは広い可動範囲を確保するために、外形だけでなく内部にも可動軸の構造がけっこう詰まっている)
今のプラモよりかなり割安だが、ちゃんと作ろうとすると道具をそろえなければならないし、時間も手間もかかる。
普通に考えるとこのような古いプラモは、とっくの昔にお払い箱、絶版になっていて不思議はない。
にもかかわらず、今でも再販が続いている。
企業活動は遊びではないので、生産が続いているということは、それだけの需要があるということだ。
いったい誰が買っているのか?
かつてのガンプラ少年たちのノスタルジーだけで、そんなに需要があるのか?
買っている当人が疑問を抱きつつも、まずはざっくり仮組みしてみる。
●1/100 リアルタイプ RX-77 ガンキャノン
無塗装で組み立てただけだと、こうなった。
ちょっとびっくりした。
全然悪くない。
最初期のガンプラなのでもっとオモチャっぽいかと思っていたのだが、今回は「リアルタイプ」ということもあり、成型色が落ち着いていてすごく良い。
今の流行りの「小顔で細身」のスタイルではないが、ファーストガンダムのアニメの雰囲気が良く再現されている。
かつてのガンプラ少年が熱狂した安彦良和の原画や、大河原邦男の設定画、ポスターなどの雰囲気に極めて近い。
可動はどうしようもないけれども、形に関して言えば、これはこれで正解だ。
ネットで調べてみると、同じような感想を持つ人が一定数存在することを知った。
スタイルや可動や色分けを求めるなら、新しいガンプラを買えばいい。
旧キットの雰囲気を活かしながら、なるべくいじらずに、80年代的な塗りの風合いを楽しむ。
塗装が基本なので、好みによって百人百様の作品が出来上がる。
そんなジャンルがあると知って、なんだか嬉しくなってしまった。
自分だったらどう塗るか?
素組みしたガンキャノンを目の前にして、絵描きの眼が自然に起動してくる。
何よりも、バンダイが昔のガンプラを生産し続けていることに感心した。
ガンダムに登場するモビルスーツのプラモデルは、90年代以降、あらゆるものが新しい技術でリメイクされていて、「リメイクのリメイク」すら着々と進んでいる。
そうした新しいプラモは接着剤もいらず、表面処理もいらず、無塗装でもほぼ色が再現されていて、しかも可動範囲が広いので自在にポーズがとれる。
スタイルも良く、見栄えがする。
買って組み立てるだけで、誰でも水準以上の「可動フィギュア」が手に入るのだ。
それに比べて昔のガンプラはというと……
接着剤を使って注意深く溶着しなければならない。
接着面は丁寧に磨き上げて目立たないようにしなければならない。
かなり細かく自分で塗り分けなくてはならない。
可動範囲は極めて狭い。
スタイルも今風とはかけ離れて、もっさりしている。
こうしたリメイク前のガンプラは、近年「旧キット」と呼ばれているようだ。
モナカの皮のように、外形だけを前後または左右の唐竹割りで造形してあることから「モナカキット」とも呼ばれる。(今のガンプラは広い可動範囲を確保するために、外形だけでなく内部にも可動軸の構造がけっこう詰まっている)
今のプラモよりかなり割安だが、ちゃんと作ろうとすると道具をそろえなければならないし、時間も手間もかかる。
普通に考えるとこのような古いプラモは、とっくの昔にお払い箱、絶版になっていて不思議はない。
にもかかわらず、今でも再販が続いている。
企業活動は遊びではないので、生産が続いているということは、それだけの需要があるということだ。
いったい誰が買っているのか?
かつてのガンプラ少年たちのノスタルジーだけで、そんなに需要があるのか?
買っている当人が疑問を抱きつつも、まずはざっくり仮組みしてみる。
●1/100 リアルタイプ RX-77 ガンキャノン
無塗装で組み立てただけだと、こうなった。
ちょっとびっくりした。
全然悪くない。
最初期のガンプラなのでもっとオモチャっぽいかと思っていたのだが、今回は「リアルタイプ」ということもあり、成型色が落ち着いていてすごく良い。
今の流行りの「小顔で細身」のスタイルではないが、ファーストガンダムのアニメの雰囲気が良く再現されている。
かつてのガンプラ少年が熱狂した安彦良和の原画や、大河原邦男の設定画、ポスターなどの雰囲気に極めて近い。
可動はどうしようもないけれども、形に関して言えば、これはこれで正解だ。
ネットで調べてみると、同じような感想を持つ人が一定数存在することを知った。
スタイルや可動や色分けを求めるなら、新しいガンプラを買えばいい。
旧キットの雰囲気を活かしながら、なるべくいじらずに、80年代的な塗りの風合いを楽しむ。
塗装が基本なので、好みによって百人百様の作品が出来上がる。
そんなジャンルがあると知って、なんだか嬉しくなってしまった。
自分だったらどう塗るか?
素組みしたガンキャノンを目の前にして、絵描きの眼が自然に起動してくる。
(つづく)
2016年12月07日
旧キット 1/100 リアルタイプ ガンキャノン
ということで、塗ってみた。
水性アクリル塗料、筆塗り。
通常版と「リアルタイプ」の違いは、基本的には成型色のみ。
定価も据え置きだが、リアルタイプ版にはてんこ盛りのデカールが付属しているので、その点はお得感がある。
水転写デカールはあまり得意ではないので、うるさくない程度に貼ってみる。
旧キットの通弊として、流行りの小顔でスマートなスタイルではなく、かなり上半身にボリュームがある。
しかし「仰ぎ見る」角度から撮ると、その欠点の大半は消えてくれる。
筆跡を活かしてかなり「汚す」のが私の好みだ。
背面はいくらなんでもちょっと汚しすぎた……
リアルタイプは箱絵が素晴らしい。
今回は成型色の雰囲気が良かったので彩度を落とした通常版配色だが、箱絵の配色も捨てがたい。
定価700円、量販店だと2割引きくらいまである。
それで存分に楽しめるのだから、旧キットのコスパは極めて高い。
●1/100 リアルタイプ RX-77 ガンキャノン
旧キット、素組、筆塗り。
ハマってしまった!
この他のプラモ・フィギュア作例については、以下のまとめ記事を参照!
プラモ・フィギュア作例まとめ
水性アクリル塗料、筆塗り。
通常版と「リアルタイプ」の違いは、基本的には成型色のみ。
定価も据え置きだが、リアルタイプ版にはてんこ盛りのデカールが付属しているので、その点はお得感がある。
水転写デカールはあまり得意ではないので、うるさくない程度に貼ってみる。
旧キットの通弊として、流行りの小顔でスマートなスタイルではなく、かなり上半身にボリュームがある。
しかし「仰ぎ見る」角度から撮ると、その欠点の大半は消えてくれる。
筆跡を活かしてかなり「汚す」のが私の好みだ。
背面はいくらなんでもちょっと汚しすぎた……
リアルタイプは箱絵が素晴らしい。
今回は成型色の雰囲気が良かったので彩度を落とした通常版配色だが、箱絵の配色も捨てがたい。
定価700円、量販店だと2割引きくらいまである。
それで存分に楽しめるのだから、旧キットのコスパは極めて高い。
●1/100 リアルタイプ RX-77 ガンキャノン
旧キット、素組、筆塗り。
ハマってしまった!
この他のプラモ・フィギュア作例については、以下のまとめ記事を参照!
プラモ・フィギュア作例まとめ
2016年12月08日
子供の頃に憧れたのは「筆塗り」
多少地方差があると思うが、私が子供の頃、とくにガンプラブームがあった80年代初頭は、ビデオが各家庭に「一家に一台」と言えるほどには普及していなかった。
TV番組は放送時、再放送時に直接見るもので、録画して後から見返す文化はまだ一般化していなかった。
(主題歌や流行歌は、TVにラジカセを接近させ、息をひそめて録音したりしていたっけ……)
だからガンプラを塗る時、参考にする資料は「映像」ではなく全て「紙」の情報だった。
プラモの箱絵や完成見本写真、当時の駄菓子屋で売っていたガンダムのシールブックなどが、組み立てや彩色の大切な情報源になった。
中でも良質でカッコいい資料として重要視されたのが、メカニックデザイナー・大河原邦男や、キャラクターデザイン・原画の安彦良和の手による、ポスターや設定画だった。
当時のポスターや設定画を見られる本は、たとえば以下のようなものがある。
●大河原邦男画集―Gundam art works
そしてガンプラブーム当時の模型雑誌の作例も、大河原邦男や安彦良和の絵の影響が強かった。
●HOW TO BUILD GUNDAM &2復刻版
エアブラシやエアコンプレッサーが一般に求めやすくなったのは確か90年代に入ってからで、当時の小学生にはとうてい手が届かなかった。
雑誌の作例もまだ「筆塗り」の物が多く、今日の眼から見るとかなり「荒い」という印象になるかもしれない。
しかし、そもそも当時のモデラーや子供たちが憧れた大河原邦男や安彦良和のカラーイラスト自体が、ポスターカラーを使用し、筆跡を活かした絵柄だったので、当時の作例は「憧れの絵」が実体化したように感じられて、たまらないほどカッコよく見えた。
今でも私は、エアブラシで美麗に仕上げられた作品より、筆で塗りあげ、かなり汚した作品の方が好きだ。
だからガンプラ復帰して最初の作品にあたるリアルタイプガンキャノンも、流行りには背を向けて筆塗りし、とても楽しかった。
ただ、ブランクが長かったのでとにかく完成することを重視して、私としてはちょっと「大人しめ」の感が残る仕上がりになった。
もっと思い切ってボコボコグチャグチャに塗ってみたいという、絵描きとしての欲が芽生えてきた。
ガンプラの歴史も三十五年を超え、様々なタイプの模型が出ている。
安価で形状がしっかりしていて、好みの「塗り」に専念するのにちょうど良いのが、「ファーストグレード」と言うシリーズだ。
私が愛してやまない最初のガンダム(今では「一年戦争」と呼ばれる)登場のモビルスーツからは、以下の三種が発売されている。
●FG 1/144 RX-78-2 ガンダム
●FG 1/144 MS-06S シャア・アズナブル専用 ザク
●FG 1/144 MS-06F ザク
定価は1/144旧キットと同じ300円、成型色は一色、パーツはモナカ割り。
しかし形状は先行して発売された1/60パーフェクトグレードを踏襲しているので、旧キットに特殊なノスタルジーを感じられない世代でも十分納得できるだろう。
ただ、表面処理や全塗装が必須なので、作り方は旧キット的で手間がかかる。
ガンプラの基本中の基本と言えばザク。
1/144FG量産型ザクを、今の私の「めいっぱい」で塗ったらどうなるか?
試してみる気になった。
TV番組は放送時、再放送時に直接見るもので、録画して後から見返す文化はまだ一般化していなかった。
(主題歌や流行歌は、TVにラジカセを接近させ、息をひそめて録音したりしていたっけ……)
だからガンプラを塗る時、参考にする資料は「映像」ではなく全て「紙」の情報だった。
プラモの箱絵や完成見本写真、当時の駄菓子屋で売っていたガンダムのシールブックなどが、組み立てや彩色の大切な情報源になった。
中でも良質でカッコいい資料として重要視されたのが、メカニックデザイナー・大河原邦男や、キャラクターデザイン・原画の安彦良和の手による、ポスターや設定画だった。
当時のポスターや設定画を見られる本は、たとえば以下のようなものがある。
●大河原邦男画集―Gundam art works
そしてガンプラブーム当時の模型雑誌の作例も、大河原邦男や安彦良和の絵の影響が強かった。
●HOW TO BUILD GUNDAM &2復刻版
エアブラシやエアコンプレッサーが一般に求めやすくなったのは確か90年代に入ってからで、当時の小学生にはとうてい手が届かなかった。
雑誌の作例もまだ「筆塗り」の物が多く、今日の眼から見るとかなり「荒い」という印象になるかもしれない。
しかし、そもそも当時のモデラーや子供たちが憧れた大河原邦男や安彦良和のカラーイラスト自体が、ポスターカラーを使用し、筆跡を活かした絵柄だったので、当時の作例は「憧れの絵」が実体化したように感じられて、たまらないほどカッコよく見えた。
今でも私は、エアブラシで美麗に仕上げられた作品より、筆で塗りあげ、かなり汚した作品の方が好きだ。
だからガンプラ復帰して最初の作品にあたるリアルタイプガンキャノンも、流行りには背を向けて筆塗りし、とても楽しかった。
ただ、ブランクが長かったのでとにかく完成することを重視して、私としてはちょっと「大人しめ」の感が残る仕上がりになった。
もっと思い切ってボコボコグチャグチャに塗ってみたいという、絵描きとしての欲が芽生えてきた。
ガンプラの歴史も三十五年を超え、様々なタイプの模型が出ている。
安価で形状がしっかりしていて、好みの「塗り」に専念するのにちょうど良いのが、「ファーストグレード」と言うシリーズだ。
私が愛してやまない最初のガンダム(今では「一年戦争」と呼ばれる)登場のモビルスーツからは、以下の三種が発売されている。
●FG 1/144 RX-78-2 ガンダム
●FG 1/144 MS-06S シャア・アズナブル専用 ザク
●FG 1/144 MS-06F ザク
定価は1/144旧キットと同じ300円、成型色は一色、パーツはモナカ割り。
しかし形状は先行して発売された1/60パーフェクトグレードを踏襲しているので、旧キットに特殊なノスタルジーを感じられない世代でも十分納得できるだろう。
ただ、表面処理や全塗装が必須なので、作り方は旧キット的で手間がかかる。
ガンプラの基本中の基本と言えばザク。
1/144FG量産型ザクを、今の私の「めいっぱい」で塗ったらどうなるか?
試してみる気になった。
(つづく)
2016年12月09日
1/144 FG 量産型ザク
形状は新しいが、旧キット的な組み方が楽しめるFG(ファーストグレード)を、存分に塗ってみる。
●FG 1/144 MS-06F ザクII F型
ガンプラブームがあった80年代初頭からブランクがある人にとっては、この「MS-06F ザクII」という名称は馴染みがないかもしれないが、「量産型ザク」のことである。
このFGザク、可動は旧キット並みだが、形状に関しては何一ついじるところがないので、今回は完全に無改造、素組み。
成型色は一色で、「量産型ザクの薄い方の緑」っぽい色だ。
最初に全体をつや消しブラックの缶スプレーで吹いた後、「黒立ち上げ」風に筆塗りしてみる。
画材はアクリルガッシュ。
●アクリルガッシュ 15色プレンティセット(ターナー色彩)
ポスターカラー的なつや消しの仕上がりで、乾くと耐水性。
割と材料を選ばず着色できる。
たとえるなら「ザク型のキャンバスにザクの絵を描く」つもりで、濃淡をつけながら、かなり汚して仕上げていく。
イメージとしては、砂漠地帯で何か月か実戦配備された感じ。
墨入れもシンプルに「マッキー極細」で(笑)
小学生の頃、初めて墨入れに挑戦したのもこの油性ペンだった。
塗りが荒いので、墨入れすると締まる。
例によってあおり気味で撮ると、それなりに巨大感が出てくれて、いつまでも眺めてしまう。
究極の自己満足である。
黒立ち上げからのアクリルガッシュ筆塗り、なにかちょっと掴めた気がした。
この他のプラモ・フィギュア作例については、以下のまとめ記事を参照!
プラモ・フィギュア作例まとめ
●FG 1/144 MS-06F ザクII F型
ガンプラブームがあった80年代初頭からブランクがある人にとっては、この「MS-06F ザクII」という名称は馴染みがないかもしれないが、「量産型ザク」のことである。
このFGザク、可動は旧キット並みだが、形状に関しては何一ついじるところがないので、今回は完全に無改造、素組み。
成型色は一色で、「量産型ザクの薄い方の緑」っぽい色だ。
最初に全体をつや消しブラックの缶スプレーで吹いた後、「黒立ち上げ」風に筆塗りしてみる。
画材はアクリルガッシュ。
●アクリルガッシュ 15色プレンティセット(ターナー色彩)
ポスターカラー的なつや消しの仕上がりで、乾くと耐水性。
割と材料を選ばず着色できる。
たとえるなら「ザク型のキャンバスにザクの絵を描く」つもりで、濃淡をつけながら、かなり汚して仕上げていく。
イメージとしては、砂漠地帯で何か月か実戦配備された感じ。
墨入れもシンプルに「マッキー極細」で(笑)
小学生の頃、初めて墨入れに挑戦したのもこの油性ペンだった。
塗りが荒いので、墨入れすると締まる。
例によってあおり気味で撮ると、それなりに巨大感が出てくれて、いつまでも眺めてしまう。
究極の自己満足である。
黒立ち上げからのアクリルガッシュ筆塗り、なにかちょっと掴めた気がした。
この他のプラモ・フィギュア作例については、以下のまとめ記事を参照!
プラモ・フィギュア作例まとめ
2016年12月10日
未完成癖
スポーツの世界、とくに一対一で勝敗が決まる格闘技では、よく「勝ち癖、負け癖」という言葉が使われる。
周囲の誰もが認める実力者で、道場では無敵のような選手が、なぜか試合では結果を出せない。
いいところまでは行くのだがどうしても勝ちきれないという状態を指して「あの人はどうも負け癖がついているようだ」と表現したりする。
ボクシング等では、才能のある新人のマッチメイクには「負け癖」が付かないよう、細心の注意を払うこともあるという。
逆に「勝ち癖」というのもある。
試合になると普段以上の力を発揮する、いわゆる「本番に強いタイプ」というのがそれにあたるのではないかと思う。
絵を描いたり物を作ったりという創作の分野でも、似たようなことはありそうだ。
格闘技のようにはっきりした勝敗が付くわけではないので「負け癖」という表現には当てはまらないかもしれないが、作品がなかなか完成しない「未完成癖」というような傾向はある。
作品を作り上げる過程では、予想されたもの、予想外のもの含めて、様々なハードルを越えていかなければならない。
自分の能力の「少し上」くらいなら何とか克服することができるが、能力を大きく上回ると無理だ。
そこであきらめずに、他の方法を探ったりしながら完成を目指さなければならない。
そして、作品が完成し切る前あたりが、最も精神力を要する。
時間と労力をかけた作品であればあるほど、結果が出てしまうことが怖くなり、ついつい「休止」に逃げてしまいたくなる。
少し時間をおいてから改めてチャレンジというのも一つの手ではあるのだが、あまり度重なると未完成の作品ばかりたくさん増えてしまい、ますます手が出せなくなってくる。
できればその時その時の実力に応じて、結果はどうあれ、とにかく完成させ、前に進んでいくことが望ましい。
私にも確実に「未完成癖」はある。
それがいつごろから始まったのと言えば、中学生の頃のプラモ制作あたりからではないかと思う。
小学生の頃は、買ってきたガンプラをガシガシ組み上げて、一気に色を塗るのが楽しくて仕方がなかった。
しかし中学生ぐらいになると、単に組み上げるだけでは満足できなくなってくる。
模型誌などで様々な情報は入ってくるし、空間認識の能力も上がってくるので、「買ったまま」では納得できなくなるのだ。
結果、やたらに切り刻んでしまって完成しないプラモの箱が積みあがることになる。
当時そんなプラモ少年、青年はたくさんいた。
手持ちのスキルと審美眼にアンバランスがあるとそのような状態になりやすく、物を作ろうとする人間が、中高生くらいで誰もが一度は通る道とも言える。
そこから持ち直すには、それぞれの時点での実力に応じて、ともかく作品を完成させていく「完成体験」を重ねていくほかない。
私は高校生以降、模型制作からは離れていたので、プラモの未完成癖は矯正されないままだった。
その積み残しが、今でも他の物作りに微妙に影響しているのかもしれない。
この一年ほど、空き時間に少しずつ旧キットを作りながら、自分の中の未成熟な部分を、自ら育て直しているような感覚を持った。
箱庭療法にも通じるものがあるかもしれない。
●「トポスの知 箱庭療法の世界」河合隼雄 中村雄二郎 著
なるべく形状には手を加えず、旧キット自体を愛でながら、今のスキルで存分に塗り上げ、一つ一つ地道に完成させる。
あまり好きな言葉ではないけれども、そこには得も言われぬ「癒し」があったりするのだ(笑)
周囲の誰もが認める実力者で、道場では無敵のような選手が、なぜか試合では結果を出せない。
いいところまでは行くのだがどうしても勝ちきれないという状態を指して「あの人はどうも負け癖がついているようだ」と表現したりする。
ボクシング等では、才能のある新人のマッチメイクには「負け癖」が付かないよう、細心の注意を払うこともあるという。
逆に「勝ち癖」というのもある。
試合になると普段以上の力を発揮する、いわゆる「本番に強いタイプ」というのがそれにあたるのではないかと思う。
絵を描いたり物を作ったりという創作の分野でも、似たようなことはありそうだ。
格闘技のようにはっきりした勝敗が付くわけではないので「負け癖」という表現には当てはまらないかもしれないが、作品がなかなか完成しない「未完成癖」というような傾向はある。
作品を作り上げる過程では、予想されたもの、予想外のもの含めて、様々なハードルを越えていかなければならない。
自分の能力の「少し上」くらいなら何とか克服することができるが、能力を大きく上回ると無理だ。
そこであきらめずに、他の方法を探ったりしながら完成を目指さなければならない。
そして、作品が完成し切る前あたりが、最も精神力を要する。
時間と労力をかけた作品であればあるほど、結果が出てしまうことが怖くなり、ついつい「休止」に逃げてしまいたくなる。
少し時間をおいてから改めてチャレンジというのも一つの手ではあるのだが、あまり度重なると未完成の作品ばかりたくさん増えてしまい、ますます手が出せなくなってくる。
できればその時その時の実力に応じて、結果はどうあれ、とにかく完成させ、前に進んでいくことが望ましい。
私にも確実に「未完成癖」はある。
それがいつごろから始まったのと言えば、中学生の頃のプラモ制作あたりからではないかと思う。
小学生の頃は、買ってきたガンプラをガシガシ組み上げて、一気に色を塗るのが楽しくて仕方がなかった。
しかし中学生ぐらいになると、単に組み上げるだけでは満足できなくなってくる。
模型誌などで様々な情報は入ってくるし、空間認識の能力も上がってくるので、「買ったまま」では納得できなくなるのだ。
結果、やたらに切り刻んでしまって完成しないプラモの箱が積みあがることになる。
当時そんなプラモ少年、青年はたくさんいた。
手持ちのスキルと審美眼にアンバランスがあるとそのような状態になりやすく、物を作ろうとする人間が、中高生くらいで誰もが一度は通る道とも言える。
そこから持ち直すには、それぞれの時点での実力に応じて、ともかく作品を完成させていく「完成体験」を重ねていくほかない。
私は高校生以降、模型制作からは離れていたので、プラモの未完成癖は矯正されないままだった。
その積み残しが、今でも他の物作りに微妙に影響しているのかもしれない。
この一年ほど、空き時間に少しずつ旧キットを作りながら、自分の中の未成熟な部分を、自ら育て直しているような感覚を持った。
箱庭療法にも通じるものがあるかもしれない。
●「トポスの知 箱庭療法の世界」河合隼雄 中村雄二郎 著
なるべく形状には手を加えず、旧キット自体を愛でながら、今のスキルで存分に塗り上げ、一つ一つ地道に完成させる。
あまり好きな言葉ではないけれども、そこには得も言われぬ「癒し」があったりするのだ(笑)
2016年12月11日
ガンプラブームの遺産
この一年ほど、旧キットと呼ばれる昔のキャラクターモデルを作っている。
モナカの皮のように、外形だけを前後または左右の唐竹割りで造形してあることから「モナカキット」とも呼ばれる。
今のガンプラは広い可動範囲を確保するために、外形だけでなく内部にも可動軸の構造がけっこう詰まっている。
旧キットは今のプラモに比べるとかなり割安だが、ちゃんと作ろうとすると道具をそろえなければならないし、時間も手間もかかる。
今のプラモのようにスナップフィットで合せ目も目立たないというわけにはいかない。
接着剤を使って注意深く溶着しなければならず、接着面は丁寧に磨き上げて目立たないようにしなければならない。
今のプラモのように組むだけでほぼ色分けされているというわけにはいかず、かなり細かく自分で塗り分けなくてはならない。
可動範囲は極めて狭く、今風の「小顔で細身」なスタイルとはかけ離れて、がっちりもっさりしている。
それでも根強い人気があって、今でも生産され続け、売れ続けている。
旧キットには旧キットなりの楽しみがあって、私も最近目覚めてしまったところだ。
子供の頃大好きだったガンプラの旧キットが今でも再販され、昔と同じ定価で入手できるのは、考えてみればずいぶん贅沢で幸せなことだ。
子供の頃ハマった玩具が、数十年たっても現役で販売されているというケースは、他にはなかなかないだろう。
たとえば絵本なら、昔読んだ有名作品を再読するのに不自由はないだろうけれども、時代と共に消費されて終わるサブカルチャーの玩具の類ではそうはいかない。
大人になってからノスタルジーで子供時代の玩具を求めようとすると、普通は法外なプレミアが付いたりするものだ。
80年代初頭のガンプラブームがビッグバンとなって、キャラクターモデルという市場が形成され、少しずつ形を変えながら今に続いていることが、旧キット趣味を下支えしてくれていることに感謝しなければならない。
仮面ライダーやウルトラマン、スーパー戦隊も、今でも新作が作られているからこそ、旧作の関連商品や書籍がさほどの困難なく入手できるのだ。
しかし、ガンダムから始まったリアルロボット・アニメ全てが、こうした「恵まれた」状況にあるわけではない。
第一作から継続して新作が作られ続けているのはガンダム以外では「超時空要塞マクロス」くらいで、シリーズが続いていない作品の旧キットは、やはり入手困難だ。
それでも「ガンダム」を擁するバンダイが扱っていた他番組の旧キットなら、まだ待っていれば再販の機会が見込める。
ところが「ガンダム以外、バンダイ以外」の作品になると、基本的には発売されていた当時のプラモの現物を探すしかない。
80年代旧キットは「ガンダム以外、バンダイ以外」のものでも大量に生産されていたので、まだ「法外」というほどのプレミアはついていないが、いずれ払底していくだろう。
ガンプラにしても、金型は徐々に消耗していくので、未来永劫旧キットの供給が続くわけではない。
この娑婆世界では、なんでも諸行無常、一期一会だ。
プラモ屋の店先での出会いを大切に、買ったプラモはじっくり丁寧に完成させていきたい。
モナカの皮のように、外形だけを前後または左右の唐竹割りで造形してあることから「モナカキット」とも呼ばれる。
今のガンプラは広い可動範囲を確保するために、外形だけでなく内部にも可動軸の構造がけっこう詰まっている。
旧キットは今のプラモに比べるとかなり割安だが、ちゃんと作ろうとすると道具をそろえなければならないし、時間も手間もかかる。
今のプラモのようにスナップフィットで合せ目も目立たないというわけにはいかない。
接着剤を使って注意深く溶着しなければならず、接着面は丁寧に磨き上げて目立たないようにしなければならない。
今のプラモのように組むだけでほぼ色分けされているというわけにはいかず、かなり細かく自分で塗り分けなくてはならない。
可動範囲は極めて狭く、今風の「小顔で細身」なスタイルとはかけ離れて、がっちりもっさりしている。
それでも根強い人気があって、今でも生産され続け、売れ続けている。
旧キットには旧キットなりの楽しみがあって、私も最近目覚めてしまったところだ。
子供の頃大好きだったガンプラの旧キットが今でも再販され、昔と同じ定価で入手できるのは、考えてみればずいぶん贅沢で幸せなことだ。
子供の頃ハマった玩具が、数十年たっても現役で販売されているというケースは、他にはなかなかないだろう。
たとえば絵本なら、昔読んだ有名作品を再読するのに不自由はないだろうけれども、時代と共に消費されて終わるサブカルチャーの玩具の類ではそうはいかない。
大人になってからノスタルジーで子供時代の玩具を求めようとすると、普通は法外なプレミアが付いたりするものだ。
80年代初頭のガンプラブームがビッグバンとなって、キャラクターモデルという市場が形成され、少しずつ形を変えながら今に続いていることが、旧キット趣味を下支えしてくれていることに感謝しなければならない。
仮面ライダーやウルトラマン、スーパー戦隊も、今でも新作が作られているからこそ、旧作の関連商品や書籍がさほどの困難なく入手できるのだ。
しかし、ガンダムから始まったリアルロボット・アニメ全てが、こうした「恵まれた」状況にあるわけではない。
第一作から継続して新作が作られ続けているのはガンダム以外では「超時空要塞マクロス」くらいで、シリーズが続いていない作品の旧キットは、やはり入手困難だ。
それでも「ガンダム」を擁するバンダイが扱っていた他番組の旧キットなら、まだ待っていれば再販の機会が見込める。
ところが「ガンダム以外、バンダイ以外」の作品になると、基本的には発売されていた当時のプラモの現物を探すしかない。
80年代旧キットは「ガンダム以外、バンダイ以外」のものでも大量に生産されていたので、まだ「法外」というほどのプレミアはついていないが、いずれ払底していくだろう。
ガンプラにしても、金型は徐々に消耗していくので、未来永劫旧キットの供給が続くわけではない。
この娑婆世界では、なんでも諸行無常、一期一会だ。
プラモ屋の店先での出会いを大切に、買ったプラモはじっくり丁寧に完成させていきたい。