2016年12月23日

政治劇としてのガンダム

(カテゴリサブカルチャーにおいて、ガンダムについて語り続けている)

 1979年放映のTVアニメ「機動戦士ガンダム」は、あくまで「子供向け」という建前を持つ作品だった。
 TVアニメは当時すでに歴史を重ねており、子供時代を過ぎても視聴を続けるファン層は存在していたが、まだまだマニアックな部類だった。
 なにせ「おたく」というカテゴリーがまだ生まれていなかった時代のことである。
 ロボットアニメは玩具メーカーの提供番組であり、「おもちゃを売るための30分コマーシャル」という側面を、子供番組の宿命として持っていた。
 そうした制約の中でも、作り手は商業と「ドラマ作り」を両立させようと奮闘し、数々の名作が生まれてきたのだ。
 ガンダムが画期的であった点は様々にあるが、子供向けのロボットアニメの中で、局地戦である「battle」にとどまらない、政治・統治を含めた「war」が描かれた点は特筆されてよいと思う。
 Battleとwarの違いについては、以前にもいくつかの記事で述べてきた。

 battleとwar
 漫画「センゴク」シリーズ 

 ガンダムのストーリーの骨格部分を私なりに要約すると、以下のようになる。

「宇宙移民の一部と地球連邦の間に勃発した独立戦争に巻き込まれた民間人の少年少女達が、緊急避難した連邦側の戦艦で、戦争終結まで従軍を余儀なくされたサバイバル・ストーリー」
 
 作品内の尺は、視聴者である「子供」にも理解されやすいよう、局地戦であるbattle、それもモビルスーツによる白兵戦に多くを割かれている。
 しかしそうした局地戦がどのような政治・軍事情勢の中で行われているかという点も、作品の端々で匂わされており、年長の視聴者がそうしたwarの領域を、想像であれこれ埋めるための材料が、各所にちりばめられていた。
 宇宙移民の独立運動、カリスマ的なリーダーであるジオン・ズム・ダイクン、カリスマから権力を簒奪した政治家一族のザビ家、ジオンの遺児であるダークヒーロー・シャアの存在など、とくに「敵側」であるジオン公国には「政治劇」の要素がこれでもかとばかりに用意されていて、作品の表面にあまり表れなくても、実はストーリーの流れを裏から決定付けていたのだ。
 だからこそ、放映からそろそろ四十年の節目が見えてきた今でも、いい年こいたかつてのガンプラ少年達が、「大人になってわかったこと」を語り続けられる作品になっているのだ。

 TVアニメの中では表面上あまり描かれなかった「政治劇としてのガンダム」は、放送終了後発表されたいくつかの作品に、わりと濃密に描かれている。
 まず挙げられるのは、放送終了直後に刊行された、富野監督自身の筆による「小説版」だ。



 この小説については、いずれ機会をあらためて詳しく紹介したい。

 そして近年の作品では、富野、大河原とともにガンダムの立役者である安彦良和によるマンガ作品「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」がある。



 2011年に完結した作品だが、この作品のアニメ版(ちょっとややこしい……)が公開されたので、それに合わせて今年コンビニ版でも全編刊行された。
 このマンガ版の特色は、原典になったTVアニメ版の空白部分、ジオンの家系とザビ家、ラル家の因縁が、「前日譚」としてがっちりページ数を割いて描かれている点だ。(今現在、順次アニメ化が進行しているのも、この部分である)
 単行本では第9巻から6冊分くらいがそれにあたり、きわめて整合性をもちながら読み応えもある政治劇になっている。
 この辺りはマンガ家として数々の歴史モノ、政治モノを手掛け、「大枠の決まったストーリーに血を通わせる」ことに熟達した安彦良和の持ち味が、いかんなく発揮されている。
 この前日譚が素晴らしいのは、アニメ版と重複する他の部分のストーリー全てを、シャアの視点からもう一度、新鮮な感覚で読み直すことができるという点だ。
 この構図は、映画スターウオーズ・シリーズを思い出させる。
 新三部作(エピソード1〜3)が描かれることによって、旧三部作(エピソード4〜6)が、ダースベイダーであるアナキンの視点からもう一度新鮮味を持って味わえるという、巧妙にして贅沢なドラマの作り方があった。
 おそらく安彦良和は意識的にそのような狙いをもって「前日譚」を挿入したのだろう。
 単なる「コミカライズ」に留まらない面白さがこのマンガ版にはあるので、まだ読んでいないかつてのガンダム少年・少女は、今からでも遅くないから是非とも手に取ってみるべきだと思う。
(あれこれ空白部分を想像するのが楽しかった大人のガンダムファンにとっては、かなり強力な「正解」を叩きつけられたようなものになるので賛否があることは、一応付記しておく)

 この年末年始のまとめ読みにもお勧めである。
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2016年12月24日

旧キット 1/144 シャア専用ズゴック

 世間はクリスマスイブか。
 まあクリスマスカラーの「赤」つながりということで、強引にこの記事(笑)

 80年代初頭に少年期を過ごした者の心に刻印されたキーワード。
 それは、「シャア専用」!
 何らかのアイテムを購入しようとしたとき、いつもよぎるのは「赤いバージョンは無いのか?」という甘美な誘惑。
 しかし、実際買うとなるとやはり成人男性の日用品に「赤」の敷居は高く、無難にブラックやシルバー等を選んでしまい、揺れ動く心(笑)

 それでもおっさんになってからガンプラ復帰すると、やっぱり作りたくなるのはシャア専用機からだ。
 おっさんが日常生活で使うアイテムに「赤」は馴染まなくとも、一人密かに作って楽しむプラモなら、安心してシャア専用に手を伸ばせる。
 さっそく基本中の基本、300円のシャアザクは作ってみた。
 次にシャア専用機を作るなら、順番から言えばズゴック。
 これも昔のプラモが、かわらぬ定価300円で今でも買える。(タイミング次第ではアマゾンのリンクで高値がついている場合もあるが、真に受けないように!)



 成型色はシャア専用機の薄い方の色、ピンク一色である。
 どうせ全塗装にするなら、造形的には同一で、成型色が暗めのグレーの量産型ズゴックの方が、何かと工作しやすいという考え方もある。
 実は私も今回は、量産型を塗り替えてシャア専用にした。



 前回制作したシャアザクは、アニメの配色をリスペクトして「薄ピンクと小豆色」を基本に、彩度を落として塗装した。
 今回はちょっと趣向を変え、メカニックデザイン担当の大河原邦男が、映画版用に描いたポスターの配色、塗り方を参考にしてみる方針を立てる。
 大河原ポスターの中のシャア専用機は、「赤い彗星」の異名通りの「真っ赤」に塗られていたのだ。
 アニメの中のシャア専用機がなぜ「赤」ではなく「薄ピンクと小豆色」であるかということは、前回のシャアザクの記事中で少し考察している。
 大河原邦男がポスターイラストで「ピンク」を避けた理由も、絵描き目線で見るとなんとなくわかる気がする。
 ピンクとか肌色等の薄い褐色は、混色して作ったときの発色や、印刷した時の再現性が、けっこう難しいのだ。
 動きの無いポスターでリアルなカッコ良さを出すなら、赤みを強くした方がベターだというのは、順当な判断だと感じる。

 で、今回はズゴックを映画版三部作のパートU「哀・戦士編」のポスター風に、筆跡活かしで真っ赤に塗ってみた。
 かつてのガンプラ少年ならこの説明で「ああ、あの爪が四本あるズゴックね」と分かってもらえると思うが、よくわからない場合は「ガンダム 哀戦士 ポスター」で画像検索。
 例によって旧キット素組み、黒立ち上げのアクリルガッシュ筆塗りである。

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 こういう冒険、実験ができるのも、300円の旧キットならでは。
 爪は三本のままで失礼。
 いい感じで茹で上がり、爪あたりが美味そうな感じ。

 旧キットは「仰ぎ見るアングル」で大方の造形的な欠点は消えてくれる。

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 とは言え、このズゴックは当時から出来が良いので有名だった。

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 可動は時代なりだが、バランスが良いのでこんなポーズも取れた。

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 何年か前に気の迷いで買ってしまった新キット、HGUCシャア専用ズゴックと並べると、こんな感じ。

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 はいはい、カッコいい、カッコいい。
 新キットがカッコ良くて、よく動いて、素組みで塗装なしでも色分けOKなのは知ってますって!
 GMのどてっぱらをぶち抜いたあのポーズもできるし、初期のHGUCだったらさほど値段も高くないし、堅気の衆はまあこっちを買いましょうね。



 ちなみに1/144ズゴックは、さらに上位バージョンのRG(リアルグレード)も発売済み。



 でもね、私が欲しいのは「素組でカッコいい可動フィギュア」じゃないのです。
 遠い遠いあの頃、ズゴックの立体がこの世に存在しない状態から、子供でも買える300円、子供でも作れるシンプルなパーツ割りという制約の中、これだけの造形物が世に送り出されたことに改めて感動したいのです。
 だから年若いガンプラファンが、様々に技術が発達し、価格の制約も外れた状態で発売された新キットと比較して、旧キットの欠点を色々あげつらうのを見かけると、本当に腹立ちます。
 残念ながらそういうワカゾーには、「物作り」の何たるかがわかる日は来ないでしょう。
 

 ひとつ、またひとつと、おっさんの心のリハビリは続く……

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 この他のプラモ・フィギュア作例については、以下のまとめ記事を参照!

 プラモ・フィギュア作例まとめ
posted by 九郎 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2016年12月25日

外法曼陀羅覚書1

 このカテゴリでは、最終的に夢枕獏「キマイラ」作中に登場する架空の「外法曼陀羅」を、実際に私が描いてしまうことを目標に、資料整理もかねて作品紹介などを書き綴っている。

 夢枕獏の代表作にして生涯小説、「キマイラ・シリーズ」は、現在ソノラマノベルズで新刊が刊行される体制になっており、角川文庫でも後を追う形で刊行が進んでいる。
 ソノラマノベルズ版の1巻から8巻までは旧ソノラマ文庫版二巻分を一冊に編集してあり、9巻以降は一巻分が溜まるごとに順次新刊が出ている。
 今回はソノラマノベルズ版を軸に、関連書も含めて「外法曼陀羅」を描くための記述などを覚書にしておきたいと思う。


●「キマイラ1」
【幻獣少年】
【朧変】
●「キマイラ2」
【餓狼変】・輪(チャクラ)についての描写。
【魔王変】
●「キマイラ3」
【菩薩変】
【如来変】・ソーマについての描写。


●「キマイラ4」
【涅槃変】
【鳳凰変】・ソーマについての描写。
●「キマイラ5」
【狂仏変】・ソーマについての解説。
【独覚変】
●「キマイラ6」最重要巻!
【胎蔵変】
・不死の霊水アムリタ創世神話。
・ラマ教のマンダラについての描写。
・カルサナク寺院、外法曼陀羅についての核心描写。
【金剛変】
・久鬼玄造と宇奈月典善の会話。(鬼骨の秘密に近い場所)
・久鬼玄造の手による外法絵写本(軸)の描写。


●「キマイラ7」
【梵天変】
【縁生変】・外法絵巻物に関する描写。
●「キマイラ8」
【群狼変】
【昇月変】


●「キマイラ9 玄象変」
・外法絵巻物についての描写。
・能海寛の日記、「黄金の天使」の描写。
●「キマイラ10 鬼骨変」
・キマイラ化した久鬼麗一の描写。多面多臂の明王に似た姿。
・チャクラ、とくに九番目のソーマチャクラまとめ。
・黄金の獣と化す巫炎。
●「キマイラ11 明王変」重要巻!
・中国古代遺跡の描写。
・火竜尊師マータヴァの説法。第十のアイヤッパンチャクラの描写。


●「キマイラ12 曼陀羅変」
 年明け刊行予定の最新刊。

 本編の刊行状況は、以上である。
 以下は関連書。


●「闇狩り師 崑崙の王《新装版》」(トクマ・ノベルズ)
●「キマイラ青龍変〈別巻〉」 (ソノラマノベルス)
 キマイラシリーズの登場人物が活躍する、外伝的作品。


●「半獣神」
 夢枕獏の初期作品集だが、冒頭に「キマイラ神話変」という短編が収録されている。
 30年以上書き続けられている「キマイラ」なので、それぞれの巻の執筆時の時代背景も反映され、描き方、アプローチはじわじわ変化してきている。
 もし「キマイラ」が書きはじめられた80年代当時の作風のまま進んでいたとしたら、この「神話変」に近い雰囲気のラストに至ったのではないかと思う。
 世界が丸ごとキマイラ化してしまったようなダークな風景は、「外法曼陀羅」を描くにあたって、繰り返し読む価値があると感じる。
●「蒼黒いけもの―岩村賢治詩集」
 「キマイラ」作中に登場する「自由人の岩さん」の詩集。
 本編のハードな伝奇描写と共に、こうした詩の世界があってこそのキマイラだ。
 
(記事中のメモは順次加筆していく)
posted by 九郎 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢枕獏 | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

ある夏の記憶:出口和明「大地の母」のこと

 砂時計の砂が落ちきる前のように、年の瀬の時間はあっという間にこぼれ落ちていく。
 今年の内に書きたいと思っていた記事はなるべく年内にともがくのだが、なかなか全部はアップできそうにない(苦笑)
 それでも一つ、また一つとねばる。

 今年、久々に読み返した小説作品がある。
 半年前の緊急入院の折、身動きの取れないベッドの中でいくつかの作品を再読した。
 そんな時、電子ブック端末は便利だ。
 長い長い大河小説も、かさ張らず手のひらサイズに収まってくれる。

 入院期間中から再読をはじめ、退院後もしばらく読みふけっていたのが、ある宗教小説だ。
 あまり有名ではないが、知る人ぞ知る伝説的なその作品、タイトルは「大地の母」という。
 近代日本の新宗教の中で最大級の影響を及ぼした教団「大本」の歴史、そしてそれを率いた「大化物」出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)の前半生を描いた実録小説である。

 大本の事、出口王仁三郎のことについては、当ブログでもカテゴリ節分で、断片的に触れたことがある。

 小説「大地の母」の著者は、王仁三郎の実孫、出口和明(やすあき)さん。
 もう二十年近く前のある夏の日、実は私は出口和明さんご本人と、けっこう長い時間、ご自宅でお話をさせていただいたことがある。

 90年代後半、私はぼちぼち自分なりに宗教関係の本を読み始めていた。
 そんな中、書店で手に取った「大地の母」をきっかけに、王仁三郎関連の資料を渉猟し、史跡各地を独自に巡ったりしていた。
 大本や王仁三郎という素材が興味深かったことも大きいが、何よりも「大地の母」の小説としての面白さにハマりきっていた。
 その思いが高じて、作者である和明さんにどうしてもお伝えしておきたくなって、長文のファンレターを書きおくった。(90年代くらいまではけっこうあったことだが、和明さんはそれぞれの著書にご自宅の住所を掲載なさっていた)
 作家や作品への思いは、大きければ大きいほど気軽にファンレターなど書けなくなるものだ。
 私はそれまで、いくら作品を愛していても作家に手紙など書いたことは一度もなかったのだが、その時は心のハードルを飛び越えるだけの「熱」が、私の中にあったということだろう。
 すると思いがけず、和明さんご自身からの「一度亀岡に遊びに来てみないか?」と連絡をいただく幸運に恵まれた。
 私はすっかり感激し、手土産にしようと王仁三郎の肖像を描いて、一路京都に出発した。

 京都、亀岡の和明さん宅は、出口王仁三郎の晩年の居宅でもあり、通称を「熊野館」と呼ばれていた。
 快く迎えてくださった和明さんは、二時間ほど私のかなりつっこんだ質問にも厭な顔一つせず気さくに答えてくださり、その当時の最新研究の内容なども、惜しまず紹介してくださった。
 惚れ込んだ作家と直接言葉を交わせるという稀有な機会に恵まれた私には、もうそれだけで物凄い達成感があった。
 ああ、こんな幸運は自分の人生でもなかなか無いだろう。
 もうこれで十分だ。
 好意に甘えてこれ以上を求め、作家の貴重な時間を奪ってはいけない…… 
 そんな風に感じた私は、以後の数年間、直接熊野館を訪れることは遠慮した。
 当時の私はまだ若かったけれども、良い思い出を摩りきれさせずに心の中にしまいこむ程度の賢明さはもっていたのだ。

 出口王仁三郎に対する興味はその後も持続していて、あれこれ情報収集に努めてはいた。
 しかし、亀岡の熊野館に行くつもりはもうなかった。
 一つには、いくら王仁三郎に惹かれ、和明さんを敬愛するとは言え、大本や出口王仁三郎の教えを「信仰」する意思がまったく無かったことがある。 
 私は浄土真宗の僧侶の家に生まれ、結局自分では僧にならなかったけれども、子供の頃からの生活習慣としての真宗に、やはり馴染んでいた。
 大本の祝詞は好きでよく唱えるけれども、どこか付け焼き刃な感は否めない。
 子供の頃から繰り返してきた念仏和讃ほどのリアリティをもっては唱えられない。
 私には家の宗派を捨ててまで、王仁三郎の教えを「信仰」するほどの動機は無かったのだ。

 そして、もう一つ。
 私は正直、ちょっとビビっていたのだ。
 「大地の母」を始め、和明さんの一連の著作には、これでもかこれでもかというほど、大本や王仁三郎の強力な磁場、巨大な物語に、人生まるごと巻き込まれる人々の様が描かれていた。
 そしてその物語は、和明さんの存命時にはリアルタイムで和明さんを中心に轟々と渦を巻いていたのだ。
 私は自分の人生をそこに投ずるほどの動機がなかった。

 宗教学者の島田裕巳さんの著作に「日本の10大新宗教」という本がある。
 よく売れた本なので手に取った人も多いと思うが、その中に大本を扱った一章がある。
 それによると島田さんは「大地の母」を読み、そのあまりの面白さに驚愕しながら、「大本のことだけは研究すまい」と思ったのだそうだ。
 大本や王仁三郎を深く理解し、研究しようとするなら、外部からでは不可能。
 そう結論せざるを得なかったという島田さんの判断に、私も全く同意する。
 大本は怖いところ、生半可な覚悟で接近してはいけないという思いは、今も変わっていない。
 出口王仁三郎という人物はとんでもなく魅力的であるし、その教えも素晴らしい。
 縁ある人、魂がそれを求める人は、それを学ぶ価値がある。
 しかし、その磁場はあまりに強力で、ときに人の生き方まで大きく左右する。
 自分にその気がなくても奇妙な縁に導かれ、気がついてみると知らぬ間にその真っ只中にいたりするところが、また怖いのだ(苦笑)
 私はもっぱら、一人で関連書籍を調べる程度に留めることにしていた。

 それから数年後の2002年、私はふと思い立って再び亀岡に足を伸ばした。
 もしかしたら何か心に知らせてくるものがあったのかもしれない。
 私はその時、和明さんが大病と向き合っておられることを知った。
 近々、和明さんが講師を務める最後になるかもしれない研修会が開かれる聞き、とるものもとりあえず参加した。
 私は微力ながら和明さんを元気づけ、喜ぶ顔が見たい一心で、王仁三郎の「霊界物語」の冒頭部分を絵に描き、紙芝居仕立ての作品にしようと制作を開始した。
 しかしその作品が一応完成する直前に、和明さんは帰らぬ人となってしまった。
 私はその後も引き続き、大本や出口王仁三郎について調べ、描くことを断続的に続けることになった。
 その成果の一端は、別ブログで公開している。
 もしもあのとき間にあっていたとしたら、私はそれに満足して、「出口王仁三郎の世界の視覚化」の筆を置いていたかもしれない。
 間にあわなかったことが、その後も私に筆を取らせる原動力になっていると感じる。

 現地調査等で大本の地元である亀岡や綾部に足を運ぶうち、年の近い当時の「青年」の皆さんとはいくらか付き合いができた。
 和明さんの思い出を共有する仲間として友情を感じていたが、それでも私は信仰は持たない「部外者」の分はわきまえて、あまり深入りしないように遊ばせてもらう月日を過ごした。

 そして2010年、ちょっと衝撃的な一報があった。
 熊野館の焼失である。
 出口王仁三郎晩年の住まいにして、その孫で作家の出口和明さん宅でもあり、2002年に和明さんが昇天なさったあとは、ご家族が霊界物語研鑽の活動を続けてこられ、貴重な史料が蓄積される拠点であった熊野館。
 原因は漏電による失火で、多くの物品が失われはしたけれども、人的被害はなかったとのこと。
 焼失後、一週間ほど経った熊野館を、私は一目だけ見てきた。
 少し不謹慎な物言いになるかもしれないが、火事の現場を見た印象は、正直に言うと凄惨さよりもなにか森の木立の中の風景を見るような、爽やかな印象を受けた。
 その時は不思議に思ったが、よく考えてみれば、王仁三郎の人生自体が、「火」によって度々焼かれ、そこから不死鳥のように甦ることの繰り返しだったのだ。
 それは、鉄が火に焼かれ、打たれることによって、鋭利な刃物として完成する様にも似ている。
 現場を見て、私は自分のやるべきことを、そのまま続けるだけだと強く感じた。
 和明さんと長くお話したのと同じ、暑い夏の日のことだった。

 私は今でも、亀岡や綾部で知り合った皆さんとたまには連絡を取りながら、基本的には一人で研究や「絵解き」の制作を続けている。
 そして今年、何年かぶりで「大地の母」の世界を堪能した。
 やはり、とんでもなく面白い。
 私がこれまで楽しんだエンターテインメント作品の中でオールタイムベストを作るなら、必ず上位に食い込む作品である。

 実は出口和明さんの著作、現在かなりネット公開が進んでいる。
 興味のある人は、ご子息の出口恒さんのサイトを参照すると良いだろう。
 私が愛してやまない「大地の母」も、pdfファイルで無料配布されている。
 スマホ等のサイズの小さな液晶画面むけの編集で、ルビが入っていない点が難といえば難だが、日常的に本を読む習慣のある人は問題なく読めるだろう。
 個人で作成されているようなので一部編集の乱れも見受けられるが、ともかく読みはじめてみるには使い勝手が良いと思う。
 ただ、全十二巻の大長編なので、本来ならばあまり電子書籍むけの作品ではない。
 まずは無料のpdfでお試しの後、気に入ったら紙の本でじっくり読むのが良いと思う。



 とにかく、小説として無類に面白い名作中の名作。
 神仏与太話ブログ「縁日草子」が、最大級にお勧めする大河小説である。
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2016年12月28日

年末年始にまとめ読み、縁日草子的ブックガイド

 年末年始に何かまとまった読書をと考える人も多いことと思います。
 この一年、当ブログで紹介してきた本の中から、エンタメ作品を中心にレビューのまとめ記事にしていきたいと思います。

 今年は「邦画の当たり年」と言われるほど、実写やアニメを問わず、多くのヒット作が出ました。
 当ブログでも「シン・ゴジラ」については色々語ってきました。「この世界の片隅に」は、ぜひ観たいのですがまだ果たせていません。
 以下は今年映画化されたタイミングで、原作になった小説やマンガを紹介した作品。

●小説「神々の山嶺」夢枕獏

 映画タイトルは「エヴェレスト」になっていました。
 同作家の作品は専用カテゴリ夢枕獏で色々紹介していますが、中でもこの作品は伝奇モノ等が苦手な人でも読めます。
 読者のタイプを選ばず誰でも楽しめる、本格山岳小説になっていると思います。
 レビューはこちら。
 それぞれの未踏峰:夢枕獏「神々の山嶺」のこと

●マンガ「GANTZ」奥浩哉

 このマンガは数年前にも実写映画化されましたが、今年3DCGで再度映画化され、こちらも良い出来でした。
 当ブログでのレビューは以下に。
 広げた風呂敷の畳み方1 漫画「GANTZ」のこと
 映画「GANTZ:O」
 広げた風呂敷の畳み方2 再び漫画「GANTZ」のこと
 派手なSF的バトル描写が「売り」の作品ですが、骨格部分は「少年達の友情物語」だと解釈しています。

●マンガ「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」安彦良和

 TVアニメ「機動戦士ガンダム」のストーリーを、前日譚を詳しく補完することで「シャアの視点」から改めて鑑賞し直すことができる力作です。
 映画化がシリーズで現在進行中で、コンビニ版も刊行されています。
 レビューはこちら。
 政治劇としてのガンダム



 今年はマンガ家ちばてつや先生の画業60年記念ということで、代表作「おれは鉄兵」のコンビニ版も刊行が継続中です。
●マンガ「おれは鉄兵」ちばてつや

 個人的に、最高の児童文学作品だと思っています。
 レビューはこちら。
 ちばてつや「おれは鉄兵」
 「ジョー」と「鉄兵」
 人物描写の織り上げるリアリティ



 今年は国の在り方について、戦争と平和について、あらためて考えるニュースが多くありました。
 関連する書籍を紹介した記事は以下に。
 マンガ「はだしのゲン」関連記事集成
 旧日本軍の大半は飢えと病で死んだ
 言論の不自由と透徹した知性
 本当の「日本の伝統」は「戦前回帰」にあらず
 沖浦和光関連記事



 そしていよいよ年末、ブログ開設当初からいつか紹介したいと思っていた本に、ようやくたどりつきました。
●小説「大地の母」出口和明

 紹介記事は以下に。
 ある夏の記憶:出口和明「大地の母」のこと
 記事中に全編が無料で読めるpdfファイル配布サイトも紹介してあります。
 極上のエンタメにして、神仏、思想、民俗など、当ブログで扱うモチーフが目いっぱい詰まった超大河小説です。


 よろしければご参照ください。
posted by 九郎 at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

ブログ開設11年!!

 信じられないことに(笑)本日からブログ開設十一年に突入します!
 今年2016年は十周年を過ぎたということで、ずっとやりたいと思いながらまだできていなかったことに、なるべく手を付けスタートだけでも切っておこうというテーマで記事更新してきました。
 昨年2015年からそのような気分は持っていたのですが、今年はさらに加速。

 まずは年明けから「夢」のテーマをひとまず完結させました。

 カテゴリ

 そして春には地元で敬愛するイラスト魔神・生頼範義の展示があるということで、独立したカテゴリとして語り続けてきました。

 カテゴリ生頼範義

 現在九州のみやざきアートセンターで、「生ョ範義展V THE LAST ODYSSEY」開催中です。

 そして5月末、まさかの緊急入院、緊急手術騒ぎ。
 死ぬかと思いました!

 鼠径部ヘルニア(脱腸)まとめ

 もうおっさんなので、あちこちガタはくるし、ちょっと老眼も入ってくるのは仕方がありません。
 まだまだ死を想うには早いとは言え、残り時間は考えて生きなければなりません。

 風と共に夏は過行く
 遊ぶ子供の声聞けば

 様々な訃報に触れたり、繰り返す地震のニュースを見たりしても、本当にそう思います。

 この一ヶ月ほどの間にも……
 中央構造線に注視

 大いに描くためには大いに学ばなければなりません。
 今年もたくさんの良い作品に出会い、また再読ました。

 2016年レビューまとめ
 NHK大河「真田丸」

 年のせいかこれまでの成育歴をふり返ることも多々あります。
 子供の頃ハマったサブカルチャーについて語りたくて、新カテゴリを設けました。

 カテゴリサブカルチャー

 さすがにプラモは「神仏与太話」とは関係ないんじゃないかと思われるかもしれませんが、語り続けるうちにいずれちゃんと合流する予定です(笑)
 ガンプラばっかり作ってるわけではなくて、今年は20年以上「描きたい」と思い続けてきたあるマンダラに、ついに手を付けてしまいました。
 そのマンダラを描き切るために、資料整理、頭の整理、絵描きとしての覚悟を決めるカテゴリを新設しました。

 カテゴリ夢枕獏
 カテゴリ妄想絵画論

 一年かけて時間を見つけては描き続けてきましたが、まだ未完成。
 やっと構図が決まった感じです。

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 色々まだまだ道半ばですが、これからもよろしくお付き合いください!

 年内の記事更新はこれが最後。
 皆様よいお年を!
posted by 九郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする