もう年末なので、書こう書こうと思いながらまだ書けていなかった記事を。
今更であるけど、「真田丸」が、面白いのだ。
私は2012年の「平清盛」からNHK大河ドラマを視聴することに復帰したのだが、それ以降では個人的に飛び抜けて面白いと感じる。
今まで面白さの特徴をなかなか言語化できずにいたが、ふと「等身大の凄み」という表現が浮かんできた。
何しろ、登場人物がみんな「等身大」っぽいのだ。
主人公・真田信繁をはじめ、歴史上の有名人物がみんな「普通」に見える。
本田忠勝など、演じている藤岡弘、にかなり身長があるはずなのに、そんなに大きく見えない。
通常の演出なら、もっと偉丈夫に見えていておかしくないはずだ。
天下人たる秀吉も家康も、普通人の小ささや愚かさや老いを、普通に抱えている。
大河ドラマのような舞台では、戦国武将はもっと「大人物」として描かれるのが通例だと思うのだが、そうしたセオリーとは全く別のアプローチの珍しい作品になっていると思う。
ただ、そうした普通人たる武将たちが、戦国時代という過酷な舞台を必死で生き抜く姿に、独特の「凄み」が醸し出されている。
戦国がテーマのドラマなら、もっと合戦シーンが描かれても良いと思うのだが、ついに最終局面である大坂の陣まで、「大戦」の描写は徹底的にスカされてきた。
主人公の信繁/幸村は、四十代半ばまで戦場ではろくに活躍の場が与えられていない。
主人公が溢れる才気を持ちながら、ただ虚しく生きながらえる姿を丹念に描く、物凄く変わった大河ドラマだったのではないかと思う。
死の直前まで才を活かせなかった信繁の、最後の祭が大坂の陣だったのだ。
そして忍耐の果てにようやく与えられたチャンスでも、様々なしがらみの中、十分に力を発揮することは許されない。
世の中とはこういうものだ、英雄といえども等身大はこういうものなのだという、乾いたユーモアすら立ち上ってくる。
終盤に向けて、役者の演技はますます凄みを増している。
中でも淀君が凄い。
一瞬ごとの表情、仕草の一つ一つ、裾のさばき方の隅々までが、たっぷり感情のこもった演技になっている。
完全に「淀君」が降りてきているように見える。
淀君は秀頼の母であるけれども、信長の妹であるお市の方の娘である。
これまでの生涯の中で二度、落城を経験し、城攻めにあたっていたのは二度とも秀吉であった。
母親と、二人の父の「敵」である秀吉との間に生まれたのが秀頼なのだ。
そして今、三度籠城し、落城の危機は迫っている。
ちょっと想像するのも恐ろしいほどの「闇」を抱えていて不思議はなく、そんな「闇」の部分を含めて今放映中のドラマの中に「降りてきている」と強く感じる。
12月に入り、ドラマはいよいよ佳境に入る。
残り数回、見逃せないのである。