スポーツの世界、とくに一対一で勝敗が決まる格闘技では、よく「勝ち癖、負け癖」という言葉が使われる。
周囲の誰もが認める実力者で、道場では無敵のような選手が、なぜか試合では結果を出せない。
いいところまでは行くのだがどうしても勝ちきれないという状態を指して「あの人はどうも負け癖がついているようだ」と表現したりする。
ボクシング等では、才能のある新人のマッチメイクには「負け癖」が付かないよう、細心の注意を払うこともあるという。
逆に「勝ち癖」というのもある。
試合になると普段以上の力を発揮する、いわゆる「本番に強いタイプ」というのがそれにあたるのではないかと思う。
絵を描いたり物を作ったりという創作の分野でも、似たようなことはありそうだ。
格闘技のようにはっきりした勝敗が付くわけではないので「負け癖」という表現には当てはまらないかもしれないが、作品がなかなか完成しない「未完成癖」というような傾向はある。
作品を作り上げる過程では、予想されたもの、予想外のもの含めて、様々なハードルを越えていかなければならない。
自分の能力の「少し上」くらいなら何とか克服することができるが、能力を大きく上回ると無理だ。
そこであきらめずに、他の方法を探ったりしながら完成を目指さなければならない。
そして、作品が完成し切る前あたりが、最も精神力を要する。
時間と労力をかけた作品であればあるほど、結果が出てしまうことが怖くなり、ついつい「休止」に逃げてしまいたくなる。
少し時間をおいてから改めてチャレンジというのも一つの手ではあるのだが、あまり度重なると未完成の作品ばかりたくさん増えてしまい、ますます手が出せなくなってくる。
できればその時その時の実力に応じて、結果はどうあれ、とにかく完成させ、前に進んでいくことが望ましい。
私にも確実に「未完成癖」はある。
それがいつごろから始まったのと言えば、中学生の頃のプラモ制作あたりからではないかと思う。
小学生の頃は、買ってきたガンプラをガシガシ組み上げて、一気に色を塗るのが楽しくて仕方がなかった。
しかし中学生ぐらいになると、単に組み上げるだけでは満足できなくなってくる。
模型誌などで様々な情報は入ってくるし、空間認識の能力も上がってくるので、「買ったまま」では納得できなくなるのだ。
結果、やたらに切り刻んでしまって完成しないプラモの箱が積みあがることになる。
当時そんなプラモ少年、青年はたくさんいた。
手持ちのスキルと審美眼にアンバランスがあるとそのような状態になりやすく、物を作ろうとする人間が、中高生くらいで誰もが一度は通る道とも言える。
そこから持ち直すには、それぞれの時点での実力に応じて、ともかく作品を完成させていく「完成体験」を重ねていくほかない。
私は高校生以降、模型制作からは離れていたので、プラモの未完成癖は矯正されないままだった。
その積み残しが、今でも他の物作りに微妙に影響しているのかもしれない。
この一年ほど、空き時間に少しずつ旧キットを作りながら、自分の中の未成熟な部分を、自ら育て直しているような感覚を持った。
箱庭療法にも通じるものがあるかもしれない。
●「トポスの知 箱庭療法の世界」河合隼雄 中村雄二郎 著
なるべく形状には手を加えず、旧キット自体を愛でながら、今のスキルで存分に塗り上げ、一つ一つ地道に完成させる。
あまり好きな言葉ではないけれども、そこには得も言われぬ「癒し」があったりするのだ(笑)