この一年、時間を見つけてはある絵を描き続けてきた。
当ブログでも何度か記事にして生きた、一種のマンダラ図である。
マンダラといっても実在の密教図像ではなく、夢枕獏「キマイラ・シリーズ」に登場する「外法曼陀羅」とか「外法絵」と呼ばれる架空のマンダラ絵図で、「人が獣になるための外法」が図示されているとされている。
その絵図はとあるチベットの密教寺院の隠し部屋に存在し、描いたのはその「外法」を自身で試みた天才絵師であり、他に何枚かその写しが存在するらしいことが、これまでの物語の中で判明していた。
その架空の曼陀羅に関する描写が、キマイラという物語の前半のクライマックスになっており、年若い頃の私は、はじめて読んだその凄まじい描写に衝撃を受け、「いつの日かこの曼陀羅を自分で描いてみたい」と夢想したものだ。
それからはるかに時は流れ、私も「若気の至り」という言葉を正しく理解できる年齢になった(笑)
インド、日本、チベット等の密教図像や、その教義について、あの頃より多少は理解できるようになった今となっては、キマイラ作中の「外法曼陀羅」を、文字に書かれた描写そのままに図像で再現することは、ほぼ不可能であることはわかった。
詳しくは書かないけれども、いくつかの点で「これをチベット密教図像風に描くのは無理」と、判断せざるを得なくなったのだ。
そもそも、作中の文章表現そのものが、明確な図像を想定したものというよりは、「外法曼陀羅」というモチーフの持つ「力」とか「勢い」を描くことを主目的としていると思われ、実際に「描く」ための解説にはなっていないのだ。
チベット寺院の隠し部屋にこもり、自らの狂気を吐きだすように曼陀羅を描くということを、そのまま実行することは、今生の私にはもう不可能なことはよく理解している。しかし、まだ「自分なりの表現で外法曼陀羅に挑む」ということ自体は諦めていなかった。
私はけっこう執念深いのだ(笑)
密教図像としてではなく、そのイメージを自分なりの「絵画」とか「イラスト」としてなら描けるのではないかと考えたのが、今からもう7〜8年前になるだろうか。
それから折に触れ、いくつかのスケッチを重ねてきた。
これまでアップしてきたのは以下のようなもの。
そして今年の初めから、思い切って100号キャンバスにアクリル絵の具で、自分なりの「外法曼荼羅」描き始めてしまった。
年齢的なものを考えると、こういう「厨二病の極」みたいな作品を描くには、そろそろリミットを迎えつつある。
これ以上年くってしまうと、技術は向上できても描けなくなるであろうタイプの作品というのが、確実にあるのだ。
それから約一年、断続的に描き続けたのだが、まだまだ未完成。
ただ、ネットに上げる小サイズの画像で見る限り、今後ここから大きく印象は変わらないであろうという程度までは進捗した。
部分的にアップしてみよう。
100号以上の大きな画面になると、表現の本番はここからだ。
大きな構図はこれで良しとして、細部に「魂」を込めるための描写が、いよいよ始まることになる。
やっぱり三年ぐらいはかかるかもしれない(笑)
私の中に「若気の至り」が残存しているうちに、なんとか……
このカテゴリ夢枕獏は、実はこのマンダラを描くための資料整理の必要から設けた。
ぼちぼちお付き合いください。