旗上げ公演から相当無茶な舞台装置をくみ上げていたし、生演奏や映像もかなり早い段階から取り入れていた。
各パートの出来は満点でなくとも、それが全て合体したときに立ち上る、わけの分らないパワーが感動を生むタイプの劇団だった。
私の中には、なんとなく自分もその片隅に生息していた「90年代的な関西小劇場の芝居」のイメージがある。
もちろん芝居の在り方は各劇団それぞれで、ひとくくりにできるものではない。
それでもあえて「ある傾向」を挙げるとすれば、そこにはやはりマンガやアニメなどのサブカルチャーからの影響が、強くあったのではないかと思う。
それも90年代同時代のマンガやアニメというよりは、芝居をやっている当人が子供のころから浴びるように消費してきた時代の作品の影響が強いと感じる。
もう少し具体的に数字を挙げると、芝居の作り手や主な客層で言えば「昭和40年代生まれ」ということになり、影響を受けたのは原体験として接してきた70年代作品、思春期に接してきた80年代作品ということになるだろう。
芝居を作る方も観る方も、70年代から80年代のマンガやアニメのスポ根やロボット、ヒーロー、ファミリーアニメ等々を基礎的な「教養」として共有していて、それを下地に、共に笑って泣ける物語を創り出そうとしていたのではないだろうか。
もう少し上の世代だと、マンガやアニメの影響を口にすることや、元ネタのある表現をすることに、けっこうコンプレックスを持っていたりする場合がある。
しかし90年代以降に表現する方に回った世代は、わりと無邪気にマンガやアニメっぽい手法をとり、元ネタありにも抵抗感は少ない。
だから90年代の小劇場芝居はあまり「難しい」ということは無く、とくに作り手と同世代が観に行ってみれば、とにかく楽しめるものが多かったのではないかと思う。
そしてあの頃から小劇場を続けている皆さんは、今もどこかでそうした傾向を持ち続けていると感じる。
私の演劇経験は学生時代から舞台や宣伝の美術専門で、役者経験はほとんどない。
学生演劇の場合はわりと採算度外視で装置を組むこともできた。
大道具や衣装の制作・保管は学内のスペースで出来たし、役者の稽古場も同じ学内なので、人手を調達しやすく、制作途中の装置を使っての練習も可能だった。
ところが学内から「外」へ活動の場を移そうとすると、色々問題が出てくる。
当時はアマチュア学生演劇から旗揚げした小劇場の場合、舞台美術にはあまり力を割かない所が多かったと記憶している。
何も置かない素舞台で、演出と役者、照明と音効で見せていく芝居作りが主流だったのではないだろうか。
いくつか理由が考えられる。
旗揚げ前後くらいだと、使える予算が限られており、さほど大きな会場は使えず、役者の練度を上げながらの公演になる。
そもそも小さな舞台だとあまり物を置くスペースは無いし、舞台美術にそれなりの機能や見栄えを求めると予算も人員も必要になってくる。
あまり大道具や資材を抱えてしまうと、保管に困るということもある。
舞台の構造が複雑化すると、それだけ役者の対応力や技量が求められることにもなる。
カネも人も足りない中で、中途半端に舞台美術に手をつけて「学芸会の背景」みたいなものを出すよりは、まず自分たちの芝居の確立に集中しようということになり易いし、それはそれで一つの正解ではあるのだ。
私が自分の演劇活動を学生演劇の範囲内で「一段落」と考えていたのは、上記のような理由による。
旗揚げした「そこから先」には、舞台美術専門の自分にはあまりできることがないような気がしていた。
そんな思いもあって二年ほど演劇から離れていたのだが、身近なところから舞台美術も積極的に組んでいこうという、ある意味珍しいチームが立ち上がってきたことに、嬉しさを感じた。
もう一回、祭をやれるかもしれない……
そう思ったのだ。
(続く)