誰からだと思いながら茶封筒を裏返すと、見覚えのある汚い字。
名前を見てドキッとした。
あの友人の名だった。
私はその封書を片手に、例のやたらに急な階段を一気に駆け上った。
急いで自室に入り、封を切ると、中には一枚のチラシが入っていた。
茶封筒と同じクラフト紙、手書き原稿黒一色刷りの、なんとも「変」なチラシだった。
――「月の祭」
それがチラシの告知するイベントの名だった。
場所はとある小さなビーチ、時は十月十九日から二十二日まで、四日間オールナイト。
参加協力金二千円。
他にも「フリーマーケット」とか、「出張ドロマッサージ」とか、「寝袋持参なら宿泊無料」とか、「徹夜のライブ」とか、「気功シンポジューム」とか、頭がくらくらするようなキーワードが並んでいた。
さらに、それぞれの日の夕方から夜にかけてはライブステージが予定されていて、最終夜の二十一日にはボ・ガンボスのボーカル、どんとがソロで出演するとある。
一瞬「ホンマかいな?」と思った。
94年当時のボ・ガンボスと言えば、押しも押されもせぬ人気バンドだった。
私も学生時代の先輩にファンの人がいて、CDをカセットテープに落としてもらったものをもらい、自分でも気に入ってよく聴いていたのだ。
そんなバンドのフロントマンが、こう言ってはなんだけど地方のちっちゃなビーチで歌ったりするものなのだろうかと、わが目を疑ったのだった。
そして、チラシの余白部分には、何年も前にはよく見慣れていたミミズの這ったような汚い字が書き込まれていた。
「H、芝居のチラシありがとう。受け取った時にはもう終わっていた。スマン。今度こっちでおもろいイベントがある。よかったら来いよ」
実になんとも、想像力を刺激される便りだった。
どうしたものかと二日間ほど考えたあと、メモしてあった電話番号を試してみることにした。
当時はまだ個人的な連絡先も固定電話だけだったので、私は例によって自室のダイヤル電話の口に指を突っ込んでかき回す。
ちょっと緊張していた。
もともと電話が苦手だし、彼とは八年前の夜の公園以来だった。
呼び出し音が二回ぐらい鳴ったあと、遠い回線の向こうで受話器がとられた。
最初、お互いの声が分からなかったのは仕方がない。
ぽつりぽつりと、話した。
彼は地元の高校を出たあと、ずっと旅を続けていたのだそうだ。
スタッフとして参加している「月の祭」が終わったら、また長い旅に出るという。
高校時代に私が強く感化された彼は、相変わらずの彼だった。
私はすっかり嬉しくなって、「月の祭」にはぜひ参加したいと伝えた。
「そやけど、俺ら何年ぶりやろ。顔わかるかな?」
私はふと疑問を口にした。
高一と二十代ではかなり見た目が変わっていて不思議はない。
私たちの高校は校則が厳しくて、高校生でも全員丸刈りだったのでなおさらだ。
彼は受話器の向こうで笑いながら答えた。
「大丈夫や。俺今モヒカンやから!」
それで、久々の電話を終えた。
受話器を置いた後、私はふと我に返って、モヒカンの話が本当なのかどうか考えた。
昔、彼や私の仲間内では、そういうくだらない冗談交じりの騙し合いのようなやりとりが、日常的に行われていたことを思い出した。
(先手を打たれたか?)
などと勘繰りながらも、私は半月後の「月の祭」が身悶えするほど楽しみになった。
この不思議なお祭りについては、以前カテゴリ:どんとで記事にしたことがある。
私が参加したのはたった一夜のことだったけれども、その印象は強烈だった。
実を言えば、今でも後をひいている。
(続く)