海辺のステージでどんとの歌を聴いたことがきっかけで、むかし人に貰ったボ・ガンボスのカセットテープに再びハマり、浸りきっていた。
中でも「夢の中」という曲は、当時の私の心境にぴったりだった。
歌いだしの「流されて流されて、どこへ行くやら」という詞からもう歌に引っ張り込まれ、間奏あたりの「明日もどこか祭をさがして、この世の向こうへ連れて行っておくれ」という箇所を聴きたいために、擦り切れかけたカセットテープを何度も何度も再生した。
当時はまだネット配信は存在せず、様々な音源を聴くならCDかカセットテープだった。
無料で比較的音質の高い試聴ができるのはFM放送くらいで、後はCDを買うかレンタルするしかなかった。
レンタルしたCD音源を個人的に保存する場合はカセットテープになり、アナログ録音なのではっきり音質は落ちた。
80年代半ばにレコードがCDに置き換わって以来、音楽鑑賞はかなり手軽にはなっていたけれども、高音質なデジタル音源、機器が当り前になった現在とは全く比較にならない。
CD選びは今よりずっと真剣勝負で、ハズレを掴まないために一枚買うにもかなり気合が必要だったし、CDであれテープであれ、せっかく手に入れた音源は繰り返し繰り返し聴きこむのが普通だったのだ。
2010年代の今になってみれば、「月の祭」タイプの野外イベントは珍しくない。
アコースティック楽器や民俗音楽を取り上げたライブや、フリーマーケット、エスニックな服飾や食べ物、環境、健康などのテーマを盛り込んだフェスは、各地で頻繁に開催されるようになっている。
しかし当時、とくに地方ではそうした催しはまだまだ目新しかったし、「月の祭」の場合は「かつて栄え、今は打ち捨てられた観光地」という、廃墟の魅力を持つロケーションも良かかった。
90年代的な世紀末感覚もあって、「この世が終わった後の祝祭」みたいなイメージが連想された。
正直「思い出補正」もあると思うが、今考えても本当に内容が濃いイベントで、雰囲気としては70年代サブカルチャーに通ずるものがあったのではないかと思う。
よく言われることだが、90年代のサブカルチャーは、70年代リバイバルという一面を持っていた。
90年代の若者が70年代の文化に傾倒した理由は、なんとなく理解できる。
子供の頃に原風景として体験したカルチャーを、成人してから「あれはなんだったのだろう?」と追体験してみて、あらためてハマるというパターンが一つ。
もう一つは、思春期にあたる80年代に好きだったアーティスト達が、直接影響を受けた70年代の文化を紹介するのを目にして、ルーツをさかのぼるというパターンだ。
自分のこととしてふり返ってみると、音楽で言えば90年代前半の私が一番聴き込んでいたのはLed Zeppelinだった。
子供の頃に、周囲に流れる音の風景の一つとして、「胸いっぱいの愛を」「移民の歌」などの面白邦題のついた曲で、印象的なリフパターンとサビが記憶に刻み込まれた。
そして中高生の頃に聴いていた複数のアーティストが「Led Zeppelinを聴け!」と発言しているのを見て手を伸ばし、実際に聴いてみて「ああ、あれがそうだったのか」と子供の頃受けた強い印象がよみがえってきた。
Led Zeppelinは1968年から1980年まで活動したバンドで、90年代初頭にはアルバムCD化が一巡し、未発表音源を含んだBOXセット等が発売され、他にも輸入盤のブート音源なんかも豊富に出回っていた頃だった。
それに加えて93年にはギターのJimmy Pageが「Coverdale Page」で解散後初めてLed Zeppelin的な音を全面復活させ、それに対抗するようにボーカルのRobert Plantがソロで一部復活させた。
ギターとボーカルの二人がお互い対抗意識丸出しで競っているように見えたかと思えば、94年には突然合流し、Led Zeppelinの楽曲をアコースティックアレンジでリメイクしたりした。
95年にプロモーションで来日した二人は在りし日の「ニュースステーション」にも登場していて、大御所二人がちょっと照れながら「天国への階段」を演奏するシーンにひっくり返ったファンも多かったのではないかと思う。
こうした一連の流れをロッキング・オン誌の渋谷陽一が独自の妄想交じりにあちこちで煽ってまわるのがまた面白くて、解散はしていたけれども90年代前半はLed Zeppelinの話題に事欠かず、リアルタイムの盛り上がりがあったのだ。
往年の曲に民族楽器を大幅に取り入れた90年代版のアレンジは、昔からのガチガチのファンには不評だったかもしれない。
しかしLed Zeppelinは元々アコースティックや民族音楽を取り入れていて、私はそこが好きで聴いていた。
だからその傾向を一段と推し進めた90年代のスタイルは、当時の私の好みにぴったりだった。
そのあたりから私の民族音楽、民俗楽器趣味も始まっていて、今に続いている。
同時に「自分にとっての民族音楽は何なのか?」という問いも、ずっと心に残ったまま今に続いているのである。
(続く)