2017年02月19日

一人、ふりだしにもどる

 1993年末から96年3月まで、期間にして約2年の私の演劇体験を軸に、90年代関西サブカルチャー界隈の風景を覚書にしてきた。
 祭をさがして-1
 祭をさがして-2
 祭の影-1
 祭の影-2

 完全燃焼できる祭のようなものを求めて始めた演劇を、残念ながら私は途中下車してしまった。
 もちろん内的な理由あってのことだったが、当時はまだうまく言葉にできていなくて、傍から見れば「唐突な退団」という印象があったと思う。
 所属していた劇団の皆さんには申し訳なさとともに、とても楽しい時間を過ごせたことへの感謝でいっぱいである。

 この2年間には、プラスの面では劇団活動や月の祭、マイナス面では震災やカルト事件など、個人的に強い衝撃を受けた出来事が重なっていた。
 私のこれまでの人生の中でも最も濃密な2年間で、なかなか当時の体験や感情を消化しきれずにいたのだけれども、今回覚書にできたことで少し肩の荷がおりた気がする。
 長い年月を経て今回覚書にできたのは、当時のメモやスケッチがあってのこと。
 色々大変だった中、粘り強く描き続けてきた過去の自分を、ひとまずは褒めてやりたい。

 当時、一つ分かったのは、私は本質的にチームには向いていないということだった。
 その場その場のセッションとしてなら協調性をもって合わせられるのだが、固定したチーム、固定した役割で長期間の活動を行うことには、不適応の反応が出易い。
 こうした傾向は、性分なので変えようがない。
 そんな自分の性分を前提に、仕事や表現を組み立てる他ないことが身に染みた二年間で、それが分かっただけでも大きな収穫だったのだ。
 
 祭
 震災
 カルト
 終末論
 サブカルチャー

 当時消化しきれなかった上記のようなテーマは、宿題としてずっと抱えていた。
 そろそろ何か描き出せる時期がきているかもしれない。
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2017年02月20日

旧キット 三種の神器

 80年代ロボットアニメの当時のプラモデルを「旧キット」と呼ぶ。
 その中でも別格と言える三つのプラモがある。
 旧キット中の旧キット、三種の神器とも言うべきは、以下のもの。


●1/144 RX-78-2 ガンダム
●1/144 MS-06S シャア専用ザク
●1/144 MS-06 量産型ザク

 1/144ガンダムは、言わずと知れた「世界で一番売れたプラモ」である。
 アマゾンのリンクではタイミングによっては高い値付けになっていることもあるが、基本的には昔の定価の300円で購入可能だ。
 時期によって品薄のことがあっても、今のところは高いプレミアで買うようなプラモではない。
 ガンダム、シャアザク、量産型ザクの三種は、ガンプラの中でも特に人気が高く「売れる」アイテムであるようだ。
 旧キットでも1/100、1/60で、それぞれかなり初期段階でキット化されている。


●1/100 RX-78-2 ガンダム
●1/100 MS-06S シャア専用ザク
●1/100 MS-06 量産型ザク

 1/100スケールでは、成型色を変え、デカールを付けた仕様のものもある。

●1/100 リアルタイプ RX-78 ガンダム
●1/100 リアルタイプ MS-06 ザク


●1/60 ガンダム
●1/60 MS-06S シャア専用ザク
●1/60 MS-06 量産型ザク

 1/144ほどではないが、これらの大型プラモも時期さえよければそれぞれ昔の定価の700円と2000円で購入可能だ。

 子供の頃の私はお小遣いの関係でなかなか大きなサイズには手が出せなかった。
 1/144以外で作ったことがあるのは1/100ガンダムくらいだったのだが、これが有名な「困ったプラモ」だった。
 発売されたのが最初期で、まだバンダイがガンプラの方向性を決めかねていたらしく、「組み立て式の超合金」というような、オモチャっぽい構成だったのだ。
 今見るとそれも「味」なのだが、当時は他の「リアル」を志向するガンプラからは一段落ちるモデルと認識されていた。
 1/100ガンダムの悪い印象が強烈だったこともあり、子供の頃は手が出なかった大きなサイズも、今の感覚では「すごく安い」と感じる。
 
 プラモの中では「よく売れている」というイメージの強いガンプラだが、全てのモデルが等しく売れているわけではない。
 企業活動を長期にわたって維持できるほどに売れているのは初代ガンダムRX-78だけであり、その主役機と並べるためのシャア専用ザク、量産型ザクの、合計三種なのだ。
 ガンプラの新しいグレードが創設されるたび、とにかく最初に発売されるのがその三種で、結局それだけで終わるシリーズもあった。
 コアなガンプラファンでなくとも手に取ってしまうのは、極論するとこの三種だけなのだ。
 その他のモデルはマニアが一人で何種も買うことで、市場が維持されているということだろう。

 90年代後半以降に発売されたキットでも、旧キット的な楽しみ方が可能なものはいくつかある。
 シンプルなパーツ分けながら、スタイルや細部だけはアップデートされたモデルは以下の大小二つのシリーズ。
 80年代のノスタルジー抜きで普通に「プラモデル」が楽しみたいならば、こちらの方がお勧めになる。


●FG 1/144 RX-78-2 ガンダム
●FG 1/144 MS-06S シャア・アズナブル専用ザク
●FG 1/144 MS-06F ザク


●メガサイズモデル 1/48 RX-78-2 ガンダム
●メガサイズモデル 1/48 MS-06S シャア・アズナブル専用ザク
●メガサイズモデル 1/48 MS-06F 量産型ザク
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2017年02月21日

旧キット 1/144 量産型ザク

 前回記事で紹介した「ガンプラ三種の神器」のうち、1/144シャアザクについては既に作例を記事にしている。
 今回は量産型ザクを作ってみよう。



 ガンプラ旧キットをこれから作ってみようとしたり、久々にプラモ復帰しようとする時は、まず手慣らしに、この量産型ザクから作ってみるのがお勧めだ。
 一番人気のガンダムは、かつてのプラモ少年なら周知のことだが、組むだけならともかくちゃんと塗ろうとするとかなり難しいのだ。
 その点、量産型ザクなら色分けがシンプルで、ミリタリーっぽい配色は塗料のノリも良い。(その点シャアザクは、例の「シャアピンク」の問題があって、少し難易度が上がる)
 
 今回は肩のハの字切りもせず、ザク本体は全くの素組み。
 その代わり別売りの「武器セット」の中から、ザク用の武装をてんこ盛りにしてみた。


●1/144 モビルスーツ用武器セット

 主要なロボットだけでなく、こんなカスタマイズパーツまで発売されていたところにも、80年代初頭のガンプラブームの熱が思い出される。
 この「武器セット」の武器を実際にプラモに持たせるためには、武器や本体の方を多少改造しなければならなかった。
 昔の小学生はこれをきっかけに、ヤスリ掛けやカッターナイフの使い方を、手にちょっとした切り傷を作りながらも習得していったのだ。
 今回は改造というほどのレベルの工作ではなく、単に接着剤でベタベタ貼り付けただけだ。
 そう言えば、小学生の時にも同じようなことをやった気がする。
 土偶ザクでもフル装備にするとなんとなくカッコよく見えてくるから不思議だ。

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 例によって全体につや消しブラックの缶スプレーを吹き付け、黒立ち上げ風にアクリルガッシュを筆塗りしてみる。

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 最初期の旧キットも、塗ればけっこう良くなるじゃないですか!
 以前紹介した同スケールのFG量産型ザクと並べてみても、これはこれで「年式の違い」くらいにも見えてくる気がする。

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 シャアザクと並べると、機動性重視のカスタム機とその支援機という風景に見えてくる。

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 作って楽しい、並べると更に楽しい旧キット!
 年甲斐もなく……

 この他のプラモ・フィギュア作例については、以下のまとめ記事を参照!

 プラモ・フィギュア作例まとめ
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2017年02月22日

旧キット 1/144 ガンダム

 前々回記事で紹介した、私の考える「ガンプラ旧キット三種の神器」の内、シャアザクと量産型ザクの作例は既にアップした。
 今回はいよいよ「世界で一番売れたプラモ」である、1/144ガンダムを作ってみよう。



 スーパーロボットから一段進化したリアルロボット時代の幕開けを告げるプラモの記念すべき第一弾にして、80年代初頭のガンプラブームの折、全国のプラモ少年が血眼で探し回った伝説のプラモである。
 当時は過熱するブームに生産が追い付かず、韓国で生産された箱絵が別バージョン(偽物というわけではなく、単に海外生産のバンダイ公式プラモ)まで登場した。
 ガンプラの歴史もそろそろアラフォーだが、「あのガンダム」が、今でも昔と同じ300円で買える幸せを噛みしめながら、まずは素組みしてみる。

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 かすかに緑がかった白の成型色は、まさに昔作った記憶通りだ。
 あらためて形状の良さに感嘆する。
 決して今風のカッコ良さではないが、アニメ作中のファーストガンダム、大河原邦男や安彦良和の絵の中のガンダムの雰囲気を、非常によく再現している。
 このプラモ以前のアニメロボットの玩具は、超合金にしてもプラモにしても、もっとオモチャっぽいスタイルだった。
 強度的にもギミック的にも、手に取って遊ぶためのアレンジが入っているのが普通だったのだ。
 ここまでテレビ画面のイメージ通りに再現され、しかも模型として合理性のある1/144というスケール設定のモデルが、小学生のお小遣いでも無理なく買える300円で実現されたことは本当に凄いことだったのだなということが、大人の眼で見るとよく理解できる。
 一発目でこの奇跡的な水準のモデルを発売できたからこそ、今に続くリアルロボットの文化が生まれた。
 このガンダムの原型師は、間違いなく現代日本の文化の一つを創出したのだ。
 この形状はもう、あれこれいじるべきではない。
 じっくり味わいながら素組みし、存分に塗ってみよう。
 ただ一点、腰に「武器セット」のバズーカを装着する小改造だけは施した。



 これは、私が当時一番好きだったソノラマ文庫小説版ガンダムの、大河原邦男による表紙イラストを再現するためである。



 塗り方も大河原邦男のラフなポスターカラーのタッチを参考にしてみた。
 例によってなんとかの一つ覚え、つや消しブラックの下地からのアクリルガッシュ筆塗りである。

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 子供の頃は、白い成型色の上に原色の赤青黄を塗るのがとても難しかった。
 すぐムラになるし、顔の細かな塗り分けがまた難しかった。
 しかし、いまならできる!
 一応絵描きなので(笑)、「ムラ」を「筆タッチ」だと強弁できるのだ!

 永遠のライバルのシャアザクと並べてみる。

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 もうおっさんなので、これをつまみに酒が飲めるのである。

 この他のプラモ・フィギュア作例については、以下のまとめ記事を参照!

 プラモ・フィギュア作例まとめ
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2017年02月23日

旧キット 1/144 旧型ザク

 80年代初頭のガンプラ旧キット作例紹介、つづいてのネタは「旧ザク」である。
 ファーストガンダムのアニメ放映初期に登場し、敵方ジオンの主力MSザクの一世代前の旧型で、兵器として現役ではなく、補給艦での作業用という設定になっていた。
 補給艦の艦長である老兵が搭乗し、連邦の新型MSガンダムに果敢に挑む姿は、子供心にも渋い味わいが感じられたものだ。
 デザインの順番で言えば、設定とは逆に通常の「量産型ザク」が先にあり、後から「旧型」のデザインを起こしたはずで、これは難易度の高い仕事だったのではないかと思う。
 ロボットを「強化」する場合、デザイン作業は「足し算」になるので、既存のデザインにプラス要素を盛っていけば良い。
 ところが「弱く、旧式に」する場合は、既に完成し、バランスがとれているデザインから「引き算」していかなければならないのだ。
 そんなハードルをクリアーしながら、求めに応じてきっちり「量産型より弱そうに見える」旧型ザクのデザインを出す。
 しかも、ザクのデザイン上の大きな特徴である「動力パイプ」という要素を引き算し、それでもなおザクに見える渋いデザインにまとめたところに、メカニックデザイナー大河原邦男の凄みを感じるのである。


●1/144 MS-05B 旧型ザク

 キットの1/144旧型ザクは、ファーストガンダム登場MSの中では、最後発の部類に入るプラモである。
 そもそも作中でほんの数シーンしか登場していない、脇役の中の脇役みたいなメカが、プラモとして発売されること自体が異常なのだ。
 こんなところからも、当時のガンプラブームの過熱ぶりがうかがわれる。
 アニメに登場するメカがほぼ全て模型化され、ネタが尽きた後、ガンプラのラインナップは「アニメに登場しないMS」が模型化されるという異次元に突入するのだが、これはまた稿をあらためて語りたい。
 まずは素組み。

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 組んでみて「手が覚えていない」と感じたので、私はおそらくこのキットは今回が初めてだと思う。
 最後発だけあって、最初期発売のザクのプラモと比較すると、かなり技術的に進化している。
 首の上下、肩の前後スイング、股関節の開脚、足首の前後などの可動があらたに加わり、左肩の丸いアーマーは別パーツ化し、手首は平手と握り手が差し替え可能である。
 全体的な構造は、後発プラモのMSVシリーズとほぼ同等になっている。
 もちろん現在のガンプラとは比較にならないが、これでも昔は「驚異の可動」に見えたものだ。
 ガンプラブーム当時は、この旧ザクのプラモをベースに、量産型やシャア専用ザクとニコイチで「理想のザク」に改造する作例があったと記憶している。

 今回も例の方法(つや消しブラック+アクリルガッシュ)で、じっくり塗ってみる。
 色分けは胸と靴の部分をダークグレーにするリアルタイプカラーを基本にしている。

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 武装はヒートホークが付属しているが、前線からは退いて補給作業用として運用されているMSなので、無理に武器を持たせなくとも無手のままで十分だと感じる。
 先行発売の量産型ザク、シャア専用ザクと並べてみよう。

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 プラモ自体の水準が上がると、後発の方が「強そう」に見えてしまいがちなものだが、この旧ザク、並べてみてもちゃんと設定どおり「弱そう」に見える。
 元のデザインが「枷」としてきっちり機能しているせいだろう。
 そんなデザインの機微を味わいながら一杯やるのも、大人の旧キット趣味というものだ(笑)
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2017年02月24日

旧キット 1/144 改良強化新型グフ

 80年代初頭のガンプラ旧キット作例紹介、つづいてのネタは「グフ」である。
 失策で更迭されたシャア少佐に代わり、ガンダム擁する連邦の戦艦ホワイトベースの前に立ちふさがったのが、ジオンの歴戦の猛者ランバ・ラル大尉率いる部隊だった。
 ザクをはじめとするモビルスーツは、基本的には無重力の宇宙空間での運用が想定された人型兵器であり、当初は大気圏内の重力下では十分な性能を発揮できなかった。
 緒戦で優勢だったジオンが、地球圏内に本拠を置く連邦を攻めあぐねた原因もそこにあった。
 地上での白兵戦用にザクを改良強化した新型モビルスーツがグフだったのだ。
 搭乗するランバ・ラル大尉は、若き天才タイプのシャアとはまた違った、叩き上げの武人の趣のあるキャラクターで、ホワイトベースの面々を苦しめた。
 モビルスーツの操縦技術というよりは、戦線全体を俯瞰した戦略・戦術に長けたタイプで、グフを撃破された後の方がかえってホワイトベースを追い込んだりしている。
 実はジオンの名門ラル家の御曹司なのだが、ザビ家の支配体制が確立した後は冷や飯を食わされていることがうかがわれる苦労人でもある。
 敵に回すと手強く、味方にするとこれほど頼もしい者はないであろう軍人の鑑のような人物で、さばけた親分肌は部下によく慕われていた。
 ガンダムの登場人物の中で「上司にしたいキャラ」の人気投票をしたら、かなり上位に食い込むのではないだろうか。
 アニメを観ていた当時、子供心に「ランバ・ラルの部隊は楽しそうやな」と思ったことを覚えている。

(あ、でもたぶん今の俺はランバ・ラルより年くってしもとるな……)


●1/144改良強化新型グフ

 キットはガンプラでも初期発売の部類に入り、定価300円。
 箱に表記してある名称通り、先行するザクのプラモからかなり改良強化されている。
 足首が可動するようになり、肩アーマーは大型化、左手にはマシンガン、右手には電磁鞭ヒートロッドが仕込まれ、地上での格闘戦に特化した姿がよく再現されている。

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 ランバ・ラルの名セリフ「ザクとはちがうのだよ、ザクとは!」をそのまま形にしたような、初期ガンプラの名作の一つだと思う。
 別売「ドダイ」付属の股関節パーツを使うと、開脚も可能になる。


●1/144 ドダイ

 形状はあまりいじらず、丁寧に作り、丁寧に塗ることが旧キット趣味の醍醐味だと考えているけれども、今回はほんの少しだけ改造した。

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 まず動力パイプ類が少し細いと感じたので、スプリングに通して一回り太くしてある。
 これはガンプラブーム当時ザク系のプラモで流行った改造法なのだが、やりたいやりたいと思いながら、子供なのでできなかった。
 長い時を経てようやくできた!
 次に、素組みでちょっとなで肩だと感じたので、肩の取り付け位置を「やや上、やや後ろ」にずらした。
 頭部動力パイプを太くし、やや怒り肩にすることで、グフの特徴である「首が胴体に埋まった印象」を付加する効果もある。
 あとは、肩アーマーの湾曲した棘の先っちょを尖らせ、背部ランドセルをやや上に移動させ、シールド内に「武器セット」からとったヒートサーベルを収納させ、左手指先のマシンガンの銃口をピンバイスで開けてある。
 このあたりはまあ、「改造」というよりは「基本工作」の延長という感じだ。
 右手に装着したヒートロッドは、スプリング内にアルミ線を通してあるので曲げ伸ばしもできる。
 これは懐かしマンガ「プラモ狂四郎」で、ライバル山根が1/100グフに施した改造を少し参考にしている。

 塗りはいつものごとく、つや消しブラックからのアクリルガッシュ筆塗り。
 作中での活躍が砂漠地帯だったので、足元を中心にサンド系の色で汚しを入れている。

 ザクとの比較。
「ザクとはちがうのだよ、ザクとは!」

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 アニメに登場したザク系MSのそろい踏み。
 これぞ、ジオン驚異のメカニズム!

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 ちなみに、以前紹介した安彦良和のマンガ「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」では、若き日のランバ・ラルが主役級で活躍する「前日譚」が描かれている。
 ザビ家とラル家の因縁、セイラ(アルテイシア)とランバ・ラルの関り、妻(愛人?)ハモンとのなれそめ、ドズルが主導し、ランバ・ラル、黒い三連星も協力したジオンのモビルスーツ開発史など、見どころは極めて多い。
 こちらもファン必見である!

 今月のガンプラ作例週間はここまで。
 続きはまた来月!
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2017年02月26日

子供と大人、物語と現実、リアリティとリアル

 子供時代に感じる、特有のリアリティというものがある。
 たとえば体重測定の場面。
 体重計にそっと乗れば軽くなりそうな気がするし、一度測定結果が出た後でも体重計に乗ったまま「フンッ!」と気合いを入れれば少し体重が重くなりそうな気がする。
 もちろん、物理的には間違っている。
 体重計にそっと乗ろうが気合いを入れようが、その動作によって多少計測針やデジタル数値が揺らぐだけで、結局体重の数値は変わらない。
 教育により、頭では物理法則に則った「リアル」を納得できるようになってくるのだが、「気合いによる体重の増減」というような原始的、感覚的な「リアリティ」は、大人になっても心の奥底では残り続ける。
 体重計にそっと乗りたくなる気分は、永久不滅だ(笑)

 マンガなどのサブカルチャーの世界では、このような「感覚的なリアリティ」は、表現手法として多用される。
 原始的であるがゆえに、受け手の感情を激しく揺さぶる効果があるのだ。
 わかりやすい例では、マンガ「ドラゴンボール」の世界における「気」の描写がある。
 精神エネルギーである「気」によって、登場人物の強さは増減し、時には肉体の体積まで変化する。
 登場人物の感情によっても「気」は増減するので、作劇上のアイテムとしては非常に有効だ。
 マンガ「ドラゴンボール」作中で最も盛り上がったのは、やはり「フリーザ編」で主人公・悟空がはじめて「超サイヤ人」に変身した瞬間だったのではないだろうか。
 作中では「スカウター」という装置により、各登場人物の「戦闘力」は数値化されていて、基本的にはその数値に準じた勝敗がつく。
 最強の敵フーリザに対して、悟空は様々な試練や修行を克服することで戦闘力の数値を上げ、対抗していくのだが、その戦闘力の突然変異ともいうべきフリーザにはどうしても及ばない。
 どのような試練、どのような修行でも勝てなかった悟空が「伝説の戦士、超サイヤ人」に変貌したのは、目の前で親友を殺されたことが引き金となった「感情の爆発」だった。
 主人公が戦士として覚醒する瞬間を感情の爆発と同期させ、戦闘力という冷厳な「数値」を瞬間的に無効化することで、凄まじいカタルシスが生まれたのだ。
 
 あらゆる苦難に堪えてきた主人公が、最後の最後に素の感情を開放するパターンは、古来、通俗的な物語の定番である。
 そこに「気」という、感情に同期し、物理法則にまで干渉する精神エネルギーの設定を盛ったことで、「ドラゴンボール」は少年漫画の新しい古典として不朽の作品になったのだと思う。
 登場人物の捨て身の覚悟や精神力が、瞬間的に「常識」を突き破るパターンは、「ドラゴンボール」以前から繰り返し少年マンガで試行されてきた。
 古典中の古典たる「あしたのジョー」からして、技術に優るライバルに精神力で立ち向かうパターンの連続で、結局最後はそれが原因で「真っ白に燃え尽きる」ことになった。

 私の年代だと、子供時代にリアルタイムの雑誌連載で「感動に打ち震えた」経験は、たとえば「キン肉マン」のワンシーンになる。
 マンガ「キン肉マン」の世界では、それぞれの超人の強さは「超人強度」という単位で数値化されている。(「強さの数値化」という手法は、もしかしたらこの「キン肉マン」が最初だったかもしれない)
 それまで超人強度では最高の「100万パワー」を誇っていたウオーズマンが、「1000万パワー」というあり得ない数値の強敵バッファローマンと対戦したエピソードが、強く記憶に残っているのだ。
 通常の戦い方では到底かなわないと覚悟したウオーズマンは、決死の覚悟で最後の技を繰り出すことになる。
 主武器であるベアークローを両手使いの2倍とし、通常の2倍、3倍のジャンプや回転により、100万×2×2×3=1200万パワーの「光の矢」と化して、捨て身の攻撃を仕掛けたのだ。
 その技は残念ながら寸前でかわされてしまうのだが、瞬間的に超人強度で凌駕することで、バッファローマンの主武器の角は、一本だけ砕かれることになった。
 連載当時私は理科好きだったので、「これはちょっとおかしいんとちゃうか?」という疑問が頭をよぎらないでもなかった。
 しかしそんな「賢しさ」を突き抜けて、やっぱり感動せざるを得ない「物語の力」があったのだ。

 こうした「物理法則を凌駕する精神力」の描写は、もちろん物語の中だけで通用するものだ。
 あくまで物語内での「リアリティ」であって、現実世界に通用する「リアル」ではあり得ない。
 どのように計っても体重は変わらないし、精神論で圧倒的な物量差は克服できないし、ましてや「神風」など吹くはずもない。
 様々な学習や経験により、物語と現実、リアリティとリアルの峻別はしなければならない。
 しかし、その上で、それでも一周回って物語を心から楽しめる。
 それが大人の嗜みであろうと、今は考えている。
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2017年02月27日

戦争ごっこと反戦平和

 子供、とくに男の子は「戦争ごっこ」が大好きだ。
 この記事の中では「戦争ごっこ」をかなり広い意味でとらえ、「闘争」の要素が含まれる遊び全般というほどの意味にしておこう。
 その分類で行くと、男の子の遊びは九割がた以上「戦争ごっこ」であるということになるだろう。
 サブカルチャーの分野でも、男の子向けはほとんどが「バトルもの」で占められているが、子供の素朴な欲求に合わせきることが求められる分野である以上、これは仕方のないことだろう。
 テレビ番組やマンガ、ゲームなどのサブカルチャーは、「心の駄菓子」だ。
 駄菓子ばかりではいけないが、子供がこの娑婆世界を強く生き抜くためには、大人の推奨しがちな「清潔なもの、優良なもの」ばかりでもいけない。
 多少の「俗悪」は必要なのだ。
 わがニッポンの子供向けサブカルチャーの作り手は、玩具メーカーの先兵という一面を持ちながらも、同時に子供たちの心に夢と希望の種を植える理想主義も、決して捨てはしない。
 これは戦後の子供向けサブカルの始祖である手塚治虫から、脈々と受け継がれる作り手の良心であり、その一点において保護者は信頼しても良いと思う。

 男の子は動物的本能として、どうしようもなく闘争心を持っている。
 表面上どんなに大人しく見えようと、心の奥底には攻撃性が標準装備されているものだ。
 それは「あってはならないもの」として封印できるものではない。
 自分の中の闘争心や攻撃性を、どうしようもなく在るものとしてまずは認め、それを飼いならさなければならない。
 暴発させるのではなく、友人関係が破綻しない範囲での闘争心の制御は、主に遊び、「戦争ごっこ」の中で培われる。
 遊びの際のモラルの在り方を示すのが、男の子向けサブカルチャーの役割なのだ。

 戦いは、なるべく避けるべきである。
 戦いは、誰かを守るためのものである。
 戦いにおいても、恥ずべき振る舞いはある。
 そして戦いは、最終的には平和を守るためのものである。

 以上のような基本パターンを身につけるには、物語の中で繰り返し味わい、遊びの中で体験するのが一番だ。
 昨今の私から見ればやや潔癖に過ぎる風潮の中では、公教育で「喧嘩をするな」と教えることはできても、「喧嘩のやり方」を教えるのは不可能だ。
 清く正しい建前から外れた領域は、保護者がサブカルチャーもうまく活用しながら教えていく他ない。

 とは言え、バトルもののサブカルチャーが、子供の心のモラル育成において万能であるというわけではもちろんない。
 テレビを見ていればOK、マンガを読んでいればOK、ゲームをやっていればOKなどという、単純な話ではない。
 バトルのパターンを浴びるほど体験することで攻撃性が助長されることもある。
 とくにゲームなどで「人の姿に見えるキャラクター」を、反射神経で殴打したり銃撃しまくるような表現をとるものには注意が必要だ。
 人は攻撃性を本能として持っているが、同時に人の姿を持つものにたいして攻撃を抑制する本能も持っている。
 上記のような表現をとるゲームは、その抑制側の本能を解除してしまうケースがあるのだ。
 戦いをシミュレートしたいなら、武道や格闘技などで、生身の人間を相手に、自分でも実際に痛みを味わいながら体験する方が、まだましだ。

 戦争ごっこも、バトルもののサブカルチャーも、武道や格闘技も、男の子の攻撃性を馴致するのに、決して万能ではないが、有効なツールではある。
 世のお母さん方は男の子の「戦い好き」にほとほと呆れ、眉をひそめているだろうけれども、日本のサブカルチャーのビッグネームの中には、筋金入りのミリタリーマニアがけっこう多く存在する。
 アニメの世界では、たとえばジブリの宮崎駿やガンダムの富野由悠季がそうであるが、彼らはかなり古典的な反戦主義者でもある。
 戦争ごっこと反戦平和は、男の子の中で共存し得るのだ。
 単純に禁止するのではなく、放置するのでもなく、注意深く見守ってあげてほしい。
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2017年02月28日

演歌師

 ちょっと興味があって「演歌師」について調べている。
 手持ちの資料から関連事項を覚書にしておきたい。

 調べているのは「演歌歌手」ではなく「演歌師」である。
 現代歌謡の一ジャンルとしての演歌の源流であり、明治から昭和にかけて流行した大道芸人の中に、演歌師という人々がいたのだ。
 以前にも簡単に紹介したことのある、カセットテープ版及び書籍版の「大道芸口上集」に、バイオリン片手に露天で唄い続けて60年という演歌師・桜井敏雄の、歌と口上が収録されている。


●カセットテープ版「大道芸口上集」(上)(下)


●書籍版「大道芸口上集」久保田尚(正・続・新版)
 
 カセットテープ版に実演の歌として収録されているのは以下の曲。
●「スカラーソング」(バイオリン伴奏)
 往年の演歌師が大道で客寄せに歌っていたという曲。
●「ダイナマイト・ドン」「オッペケペ節」(伴奏無し)
 明治初期から中頃、発祥期の演歌。
 当時自由民権運動を展開していた「壮士」が、当局の弾圧により演説による政治活動が制限されたため、大道で歌による主義主張を始めた。
 演説風の歌なので「演歌」と呼ばれ、音楽性というよりも熱血、情感をこめて歌い上げる要素は今でも継承されているという。
●「金色夜叉」「(曲名不明)」(バイオリン伴奏)
 時移り政情が安定期に入ると、政治的な主義主張から時事風俗中心、今でいう週刊誌ネタを扱う歌が多くなっていったという。
 その後、大正昭和と時代が下る中で、ラジオ放送の開始、レコードの発売等により、次第に演歌師は大道に居場所を失い、花街の流しへと姿を変えていく。
 そんな中でも時事小唄として断続的にヒットは生まれたという。
●「復興節」(バイオリン伴奏)
●「のんき節」(バイオリン伴奏)

 書籍版はテープと多少の異同があるが、ほぼ同内容の解説、歌詞が収録されている。

 久々に聴きかえしてみると、発祥期の「演説風の歌」が物凄く良い。
 反骨精神、批判精神にあふれていて、とくに「オッペケペ節」にはリズム感もあり、まるでラップのように聴こえる。
 ちょっと吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」にも雰囲気が似ている。
 かの曲が今聴くとラップに聴こえるということは、多くの人が指摘していた。
 吉幾三自身は洋楽も聴きこんでいただろうから、あのリズム感は洋もの由来かもしれないが、こうして演歌師の歌声を聴いてみると、むしろ演歌の先祖返りだったのではないかという気もしてくる。

 手持ちのカセットテープ音源に収録されているのは、それぞれの曲のほんのさわりだけなので、ちょっと他の音源も渉猟してみたい誘惑にかられる。
 明治初期の「壮士演歌」以前にも、放浪芸の内に「世直し歌」の系譜は連綿とあり、一揆の原動力となった例もある。


●『「世直し歌」の力―武左衛門一揆と「ちょんがり」』五藤孝人(現代書館)

 反骨精神をリズムやメロディーに乗せる歌い手は、時代を超えて不滅だ。
 今は亡き忌野清志郎もそんな歌い手だったし、昨年少しだけお話させていただいたことのある川口真由美さんも、間違いなくその系譜に連なる人だろう。



 演歌師。
 かなり「縁日草子」好みのテーマである。
posted by 九郎 at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする