ライフラインがひとまず復旧し、交通機関も徐々に原状復帰しつつある中、震災一色だった報道を新たに覆いつくす事件が起こった。
カルト教団による、毒ガステロ事件である。
私は件の教団とはなんら関りを持っておらず、個別の人物や教義について、あれこれ直接的に論じるつもりはない。
正面からのカルト論というよりは、90年代の心象スケッチの一環として個人的な覚書にしておきたいと思うので、検索よけに固有名詞は表記せずに進めたいと思う。
私は世代としては、事件当時の教団信者の年齢層の、下限あたりに引っかかっていたはずだ。
TV画面を賑わせた幹部信者連中の大半は、当時の私の年齢+10歳くらいまでの範囲であることが多かった。
かの教祖のことはテロ事件のかなり前から知っていた。
これまでにも何度か書いてきたが、私は中高生の頃からオカルト趣味があって、月刊誌「ムー」をよく読んでいたので、かの教祖が教祖になるよりずっと前、一介のヨガ行者・指導者として雑誌に売り込んでいた頃から記事で見知っていた。
ただ「知っている」というだけなら「古参」と言えるかもしれない。
後に教祖になる男の修行の成果として、例の「空中浮揚」の写真がムー誌上に掲載されていたことを覚えていたが、その時にはさほど強い印象は受けなかった。
おそらくその頃には同じ誌上で、成瀬雅春氏あたりの、よりハイレベルなヨガの成果を見ていたはずなので、印象度は低かったのだろう。
何年か後のムー誌上の広告でかの人を再見した時には、もう完全に教祖になってしまっていた。
髪と髭はずいぶん伸びており、衣装も宗教色の強いものになっていたが、特徴的な顔立ちから一目で「あの時のヨガ行者だ」とわかった。
その時私が感じたのは、軽い「興ざめ」だったと記憶している。
「レベルはともかくそれなりに真摯な姿勢で修行を積んでいただろうに、終末論を煽る教祖なんかになってしまっては台無しだ」
言葉にすると、そんな感想を持ったのだ。
当時の私は既に自分なりの「絵の修行」を続けていたので、何らかのテーマを孤独に探求する「求道者タイプ」には関心があったけれども、宗教団体や教祖には興味がなかった。
絵解きのモチーフとして神仏の物語には興味があるけれども、「団体」には関心を持てないという傾向は、今も基本的には変わらず続いている。
神仏の物語への関心の一環としてオカルト趣味を持っていて、こちらも今でも続いているけれども、それはプロレスと同じく虚実の狭間をあれこれ想像して楽しむためのものだ。
雑誌記事ではなく、広告ページで終末を煽るかの教団・教祖は、完全に「プロレス」の範囲を越えていると感じた。
SF作家・平井和正の、カルト集団の中で人の心がどれほど腐れ果てるかを鋭く抉り出した小説もすでに読み込んでいたので、感覚的に「あ、これはアカンやつや!」とすぐにピンと来るところもあった。
その後も教団挙げて選挙に出て学園祭まがいのパフォーマンスをしたり、度々終末を煽る広告を出したりするのを眺めながら、「まあ、本人たちが楽しいならええんとちゃうの?」というくらいの感想しか持っていなかった。
ただ、なんとなく不穏なものは感じつつも、本当にテロ事件を起こすほどの外部に対して攻撃的な集団だとは思っていなかった。
終末論カルトではあるけれども、「サークル活動」の範囲内であろうと思っていた。
学校を出た後も学園祭ノリのサークル活動を続けたいという気分が生まれるのは、都市化で民俗から切り離され、村祭りを喪失した世代にとっては自然なことだと思うし、それ自体に害はない。
祭をさがして舞台などを作っている自分も、そこは同じだ。
しかし、どこか違和感がある。
感性として共有していると思われる部分と、拒絶反応を感じる部分と両方ある。
それが何か今は言葉にできないが、とにかく自分が関わるのは「フィクション」であり、「遊び」でいい。
大層なものではなく、「たかがサブカル」で十分だ。
そんな感覚で遠巻きに見ていたところに、テロ事件が起こったのだ。
(続く)