2017年02月08日

祭の影3

 震災の被災地では、まだ瓦礫や塵芥の撤去すらままならず、公園や校庭が仮設住宅で埋め尽くされているにも関わらず、全国ネットのTV放送はほとんど全てカルト教団のテロ事件一色に染め上げられた。
 阪神淡路大震災は都市部を襲った巨大地震としては異例の被害を出したが、その被災の範囲はかなり狭い地域に限られた。
 神戸沿岸部を中心とする一地域より、首都圏で起こったテロ事件の報道が優先されるのは仕方のないことかもしれない。
 しかし、気の滅入る日常を送る被災者にとってみれば、おどろおどろしく演出されたカルト教団の情報ばかり見せられる状況は、たまったものではなかった。
 なにしろスマホもネットも存在せず、TVが情報インフラの主役だった時代のことである。
 いやでもニュースで目にせざるを得ない。

 事件後の報道の奔流の中、私と世代的に近い教団幹部や信者達が、連日TV画面に登場していた。
 私自身はかの教団と直接の関係は一切無いけれども、色々情報収集してみると、信者の中には「知り合いの知り合い」くらいの距離感の者が何人かいるらしいことがわかってきた。
 もっとも、これはさほど珍しいことではなく、交友関係の中で「あいつらと意外に近いらしい」という話は身の回りでもよく聞いた。
 同世代である程度の学歴があったり、サブカル界隈で生息していたりすると、同様に感じた人間はたくさんいたのではないかと思う。

 人のつながりで言えば、確かにけっこう近い。
 加えて私には、オカルト趣味とか、神仏や身体的な修行への関心など、興味の対象が重なっている部分もあった。
 さらに間の悪いことに、事件当時の私は髪をかなり短く刈って、坊主頭にしていた。
 別に出家していたわけではなく、被災して中々風呂に入れないという理由で坊主にしていただけなのだが、元々身なりに無頓着なせいもあって、年齢層・ルックスともに極めてかの教団信者に近い状態になってしまった。
 より正確に表現するなら教団信者そのものというよりは、一般にイメージされる信者のステレオタイプに近かったというべきだろうけれども、電車に乗ってバイトに出勤している時、気のせいか周囲の視線が自分の頭に注がれているのを感じることもあった。
 実際、梅田あたりで職務質問を受けたことも何度かあり、その度に「いや〜神戸から来てるんですけど、被災して中々風呂に入れなくて……」などと一々説明しなければならないのが、非常にめんどくさかった。
 今ではこうして完全にネタ扱いで書けるのだが、事件当時は冗談ごとではなかった。
 某プロレスラーが地方のスナックで飲んでいたら、「風貌が教祖に似ている」という理由で通報され、警察に囲まれたという噂もあったりして(後にほぼ事実と判明)、かの教団関連ではシャレでは済まない騒然とした雰囲気があったのだ。
 職務質問というものは、担当する警官のキャラとかその時の気分によって、わりといかようにも転ぶ。
 報道によると、事件後のかの教団信者はカッターナイフ所持程度の微罪でも引っ張られていたようなので、バイトの仕事柄カッターナイフや切り出しナイフを常時携帯していた私は、職質で対応を誤ると更に面倒な事態に陥る可能性もないではなかったのだ。

 自分は単なるビンボーな劇団員に過ぎず、なんらやましいところがなかったにもかかわらず、不愉快を被らなければならないことにムカついていた。
「アホどもがしょーもない事件起こしやがって、迷惑なんじゃ!」
 というような、気分もありながら、
「まあ、他人が俺を見たら怪しいと思うやろな」
 という、ちょっと醒めた自己認識もあった。
 共通している部分があることは認めざるを得ないのだが、はっきり違うという意識もある。
 基本的に徒党を組むのが嫌いであるということ、現実とフィクションの狭間の捉え方に何らかの差があるらしいということはなんとなくわかったけれども、その違いを明確に表現できないことに非常な居心地の悪さを感じていた。
 おりしも演劇活動は休止中、バイトも少ないので、金は無いが時間だけはあった。
 当時はまだ古書店などで普通に入手可能だった教団刊行物を何冊か手に入れ、暇にあかせて読み耽り、彼我の差異を確認しようと試みたこともあった。
「こんなしょーもない本溜め込んで、万一ガサ入れでもされたら一巻の終わりやな……」
 などと自嘲しながらも、被災生活は過ぎていった。
(続く)
posted by 九郎 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする