私は所属劇団の久々の公演準備に追われていた。
震災で重症を負った作演出のリーダーは数ヶ月で現場復帰し、さっそく大きなプランを持ち込んできた。
ハコは地元神戸の名門劇場。
当時の私達の劇団にとってはかなり背伸びした会場だったと思うが、演劇祭に参加する形で、一公演のみ打てることになったのだ。
まだ体調も万全ではないだろうに、早々と手を打ち始めたリーダーの姿には、素直に「凄い奴だ」と感心させられた。
彼の意気に感じ、また「名門劇場で一回限りの公演のために舞台を作る」という、その行為自体に開き直った面白さを感じて、また私は舞台美術を担当することになった。
ただ、勢いで引き受けはしたものの、正直かなり無理をしている状態だった。
震災とカルト教団によるテロ事件の影響で、精神的にかなりまいっていたのだ。
表面上は強がってどちらも楽しんでいるふりをしていたが(実際、楽しんでいる部分もあったのだが)、心と体が芯の部分で腐食してくるような疲労を感じていた。
何かものをつくろうとする人間が、あまりにも強烈な現実の出来事に直面してしまった場合、反応は様々だ。
描き手のタイプ、描こうとしている作品のタイプによっても違う。
作演出の彼の場合は、被災をむしろエネルギーとして書くことができた。
しかし私の場合は、震災もカルトも描きたいモチーフにかなり近接する出来事だったこともあり、創作の意識がブレてしまっていた。
元々抱えていた孤独癖が、かなり強く出ていた時期でもあった。
絵も文章も、まとまったものは手につかなくなっていたのだが、作演出の要望を具体化する舞台美術ならなんとかなりそうな気がして、自分の膠着状態を脱するためにも頑張ってみようと思ったのだ。
8月公演の舞台案には、もちろん作演出の意向を汲んだ上でのことだが、当時の私の心象も濃厚に反映された。
舞台を誰かの机の上に見立て、大きなパソコン画面とキーボードを中心に据える。
その他、各種文房具をイメージさせるオブジェなどを配置し、素材は全て無地のダンボールで作る。
ラストの「大爆発」のシーンでは、ダンボール製のオブジェは全て一気に「崩壊」させる。
当時のラフスケッチを紹介してみよう。
完成した舞台とはまた少し違っているが、あの頃の心象スケッチの一つになっていると思う。
劇団員でありながら、かなり人嫌いが進行していた当時の私は、材料集めから制作まで全て一人でやろうと試みた。
最後は結局助けを借りたのだが、それも劇団員ではなく、個人的な友人にお願いした。
限られた予算で、仕込みとバラシにほとんど時間のとれないタイトな一回公演のスケジュールの中では、まずまずのものが出来たのではないかと思う。
しかし私は、どうにかこうにかその公演に漕ぎつけた時には、もう集団で何かをするということに疲れきってしまっていた。
劇団には何の文句も問題も無かったが、私の内面がもう限界だったのだ。
これ以上続けると、必ず劇団のみんなに迷惑をかける。
いや、既にかけている。
中途半端な心のまま、これ以上チームプレイを続けることは、もうできそうにない……
舞台を撤収し、苦労して作ったダンボールのオブジェをダストシュートに引き裂いて放り込みながら、私はそっと引き際を探り始めていた。
(続く)