月の輝く懐かしい海辺から帰ってきて、劇団活動に区切りをつける決心がついた。
年が明けた2月の大阪公演、そして同じ演目による3月の劇団初の東京公演。
その二つには全力を尽くそうと決めた。
あらかじめゴールが決まると、ストレスは劇的に軽減され、あらためて芝居への熱がよみがえってきた。
なんだかんだ言っても、演劇が好きなことは確かだったのだ。
蛇足ながら、あの夜私が信じた「占い」について。
私はこの「神仏与太話」と銘打ったブログで、度々「オカルト趣味」があると書き、同時にスピリチュアル嫌いを公言してきた。
ずいぶんわけの分からない立場に見えるかもしれないが、私の中では矛盾しない。
私は普段の生活ではまず「常識の範囲内であること」を強く心がけるが、同時に絵描きでもあるので、創作にまつわる不思議な縁や偶然の符合は日常的に経験している。
世に不思議が存在することは否定しないが、何でもかんでも不思議で片づけるのは、私の審美に反する。
宗教や、それに近接する分野の書籍は良く手に取るが、書店で「宗教」の本棚のすぐ隣に並べられがちな「スピリチュアル」の棚にはあまり手を伸ばさない。
90年代は「スピリチュアル」という言葉はあまり一般的ではなく、「精神世界」というようなカテゴリになっていたはずだが、当時からあまり好きではなかった。
だから基本的にはこのブログで「スピリチュアル」の本や、書き手を紹介したりすることは無いし、占いやスピリチュアルカウンセリングを勧めることもない。
私を「ワタリガラスですね」と言った女性とは、ずっと後になってから何度か再会している。
非常にパワフルな人だが、別に占い師でも呪術師でもない。
例のインディアンの占いも、有態に言えば、その時手元にあった本を読みながらの、世間話のようなものだった。
ただ、それを聞いた当時の私の精神状態や出会いのタイミングにより、色々思うところがあったということだ。
ネイティブアメリカンの文化には子供の頃から関心があった。
90年代、映画など先住民の文化をテーマにしたヒット作がいくつかあり、関連書籍が多く出ていたと記憶している。
その分野の本は、便宜上「精神世界」の棚に並ぶことも多かった。
あの海辺の夜に開いた本もそんな中の一冊で、当時わりと読まれていたのではないだろうか。
●「メディスンホイール シャーマンの処方箋」
ネイティブアメリカンをはじめとする、世界各地の先住民の文化に関する本がよく出る時期というものがあり、70年代と90年代はそのような時期にあたっていたのではないかと思う。
特に90年代頃からは、書籍だけでなく雑貨や食べ物としても様々なエスニックが日本で紹介され始めていた時期だった。
そんな機運に乗って、私も多少読みかじっていた。
中でも、70年代から90年代にわたって書き続けられた、カルロス・カスタネダの「呪術師ドン・ファン」のシリーズは面白かった。
メキシコ先住民の知られざる文化に対する関心と共に、内容がどこまで「事実」なのかということについても色々議論のあるシリーズだ。
私が最も関心を持つ「現実とフィクションの狭間」というテーマも絡んでいて、とても興味深く読んだ。
一冊挙げるとするなら以下の本。
●「未知の次元」カルロス・カスタネダ(講談社学術文庫)
そして、あの海辺の夜の体験から、ワタリガラスというトーテムに興味を持って、資料を渉猟し始めた。
一冊挙げるとするなら以下の本。
●「森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて」星野道夫
94年の『月の祭』で素晴らしいパフォーマンスを見せてもらい、少しだけお話もさせてもらったどんとが、バンドを解散して95年から沖縄に移住し、ソロ活動を始めたらしいということは、雑誌記事などで何となく知っていた。
ネットが普及する前なので、いくら関心のあるアーティストでもメジャーシーンから一歩降りると、とたんに情報が乏しくなる。
私が沖縄移住以降のどんとの作品に触れることができたのは、2000年のどんとの訃報後、再評価の機運が盛り上がってからのことになった。
当時はただ、「あのどんとも一人になったのか」と、勝手に共感していただけだった。
(続く)