2017年02月18日

祭の影9

 95年12月。
 8月公演で客演した役者さんが、年末に一人一座でオールナイトショーを行うと言う。
 ついては芝居に使う「人体模型っぽく見えるもの」を作ってくれないかという電話連絡があった。
 等身大で、できれば操作一つで内臓がドバッと飛び出すようなギミックが必要とのこと。
 加えて、会場のスペースを埋められそうな、何かサイズの大きな絵はないかという注文だった。

 ぜひやらせてください。自分一人で出来ることなら、なんでも。
 穴埋め作品の方は、パフォーマンスで描いていたスプレー画がたくさんあるんですけど、一回見てもらえますか?
 かなりアクが強いですけど……
 人体模型の方はこれからすぐ取り掛かります。時間が少ないのでぎりぎりになるでしょうけど、必ず本番には間に合わせますので……
 それにしても一人一座ですか?
 それは凄く面白そうですねー。本番を楽しみにしてます!

 こんな感じで話が決まって、少し手伝わせてもらうことになった。
 人体模型の方は竹ひご細工でトルソの概形を作り、スポンジ素材、ゴム素材などで臓物が飛び出す仕組みを作った。
 竹の組み合わせで骨格を作る手法は、中高生の頃からよく使っていた工作法だった。
 私が立体物を手がける時、よく使う手法がいくつかある。
 竹細工、ペーパークラフトや折紙の手法、そしてペットボトルやプラ鉢等の既成プラ素材の切り貼り。
 どれも子供の頃から工作で使ってきた手法で、それは今も変わらない。

 当日のショーは座長の役者さんが中心の小人数の芝居や、音楽などの各種パフォーマンスが集められた、盛りだくさんな一夜だった。
 深夜まで演目が続いた後は、客も演者もそれぞれに飲んだり語ったりして、とても楽しかった。
 役割分担の固定した「劇団」という形ではなく、各個人が得意なことをそれぞれ持ち寄って一夜のショーを創り上げるのが新鮮だったのだ。
 こうして激動の95年も暮れていく。

 年明けて96年。
 2月3月と、たて続けに所属劇団の公演がある。
 同一演目なので準備は一回で済むのだが、3月は劇団初の東京公演。
 これが最後だと思い定めた私は、その時点で出来ることは全部やろうと努めた。
 作演出との話し合いで、チェス盤のような舞台の上に、それぞれ色やイメージの違う「六つの扉」を配置するプランを立てる。
 手法はペーパークラフトを中心にする。
 私は元々、舞台美術でペンキを使用するのは好きではなく、素材自体の色を活かすことが多かったのだが、今回は「紙の質感、色」を使う方向で考える。
 チェス盤の色分けは壁紙の貼り合わせにし、六つの扉は角材の骨組みの上に紙を貼って作った。
 2月の大阪公演は勝手知ったるOMSなのでまず問題ないとして、初の東京公演のことも考えなければならない。
 搬入搬出する荷物はなるべく軽量コンパクトに、仕込みバラシはなるべくスピーディーに。
 屏風のように畳める襖サイズ×5の可変枠を二機作り、それを設置・固定して各扉を付ければ、ほぼ舞台の仕込みは完了できるようにする。
 搬入搬出の時は可変枠を畳み、中のスペースに小道具を放り込み、六枚の扉を重ねて蓋をすれば、ほぼハイエース一台分くらいで済むようにした。
 舞台の機能、デザインだけでなく、予算、労力、仕込みとバラシの段取りもスムーズに進むように、知恵を絞ったのだ。
 多少の不具合はあったものの、全般に見れば90点はつけられる出来だったと思う。
 私のペーパークラフト系の造形の、その時点での集大成には出来たと感じた。

 そして3月、東京公演。
 下北沢の劇場、舞台ソデでオペレーションをしながら、ああこの空気もこれで最後になるんだな、と思った。

 俺は舞台作るの大好きだったな。
 でももう、止めるんだよ。
 これからは一人で祭を探すんだよ……

 そんなことを考えながら、最後の舞台を終えた。
(「祭の影」の章、了)
posted by 九郎 at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする