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2017年03月01日

2017年3月の体調管理

 犬が逃げてあっと言う間に猿が来た。。。

 3月か。
 花粉症が酷かった時は、3月に入った時点で「がつん」と来ることが多かった。
 今のところはまだ酷い症状は出ていないが、花粉が飛んでいること自体は感受している。
 緩めの糖質制限で減量に成功した2014年頃から、二十年来つき合ってきた重度の花粉症が劇的に軽くなっていた。
 去年は少し症状が出たが、さて今年はどうなるか。

 年度の変わり目でストレスがかかりやすい時期である。
 一年のうちで何度かある胃腸炎にかかりやすい期間に入りつつあるので、適度に手を抜き、息を抜きながら、多忙をやり過ごさなくてはならない。
 少しは飲む。
 ちゃんと寝る。
 この二つができるペースが、ちょうどほど良いところのはずだ。

 数年来抱えてきた鼠径ヘルニアは、一応完治の状態を保っている。
 今思うと、胃腸炎とヘルニアには相関関係、相乗効果があったような気がするので、リスクはかなり軽減されている可能性がある。

 でもまあ、養生養生。
 あと、腰痛も忘れずに。
 一か月前にごく軽めの一撃を食らったので、あまり連続すると癖になりそうで怖いのである。
posted by 九郎 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2017年03月03日

おりがみ(origami)雛人形2017 箪笥と火鉢

 毎年じわじわ作り続けているおりがみ雛人形シリーズ。
 今年も小道具を一つ作ってみました。
 これまでのまとめはこちら

 箪笥と火鉢です。
 大きさ比較のためにカッターナイフを置いてあります。

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 箪笥は一応、引き出しも可動です。

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 箪笥の折り方はネットで公開されているものを参照しました。
 とくに雛人形に限定した箪笥ではなく、一般的な家具としての折り方ですが、色合いを考えれば雛祭っぽくなりますね。
 火鉢の方は、伝承おりがみ「つのこうばこ」の、飾り部分を畳んで見立てています。
 火鉢そのものの立体的な伝承おりがみもあるのですが、形が安定しにくいようなので今回は使いませんでした。
 
 最初に折った雛人形がそもそも小さく、それにスケールを合わせるためにここ数年の小道具類は苦戦してきましたが(おっさんの視力的に)、今回はそこまで小さくない家具なので一安心。
 折り方もネット公開されており、さほど難しくありません。
 おりがみ雛人形のおまけとしてお勧めです!
posted by 九郎 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 紙(カミ) | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

極私的80年代リアルロボットアニメ年表

 このカテゴリサブカルチャーで主に扱っている「80年代リアルロボットアニメ」について、関連事項を年表形式にまとめておこう。
 タイトルに「極私的」としてあるのは、あくまで「当時の私の視界に入っていた範囲」という意味である。
 見る人によっては、抜けている作品や関連事項もいっぱいあると感じると思うが、ともかく当ブログで記事を綴っていく上での覚書にしておきたい。

 まずは1980年に至るまでの「SF表現」を含むアニメや、その周辺作品の流れを、前史としてまとめてみよう。

【前史】
74年、TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」放映(後に打ち切り)
  「ウルトラマンレオ」「仮面ライダーストロンガー」放映
   ウルトラマン、仮面ライダー両シリーズ一旦終了
75年、TV特撮「秘密戦隊ゴレンジャー」放映
   スーパー戦隊シリーズ誕生
77年、劇場版「宇宙戦艦ヤマト」公開
   映画「スター・ウォーズ」第一作公開
78年、劇場版「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」公開
   TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト2」放映
79年、TVアニメ「機動戦士ガンダム」放映開始
   TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」放映
   TVアニメ「ザ☆ウルトラマン」放映
   TV特撮「仮面ライダー(スカイライダー)」放映
   映画「エイリアン」公開

 スーパーロボットの始祖「マジンガーZ」で創出された「搭乗型巨大ロボット」の流れ、そして「宇宙戦艦ヤマト」に始まったリアルなSF描写やストーリー重視の流れを受け、70年代メカアニメの最終ランナーとして登場したのが「機動戦士ガンダム」だった。
 この作品以降リアルロボットアニメという新しい世界が生まれたのだが、皮肉なことに80年代最初のトピックは、当の「ガンダム」の打ち切り終了だった。
 以下に主な(私の視界に入っていた)作品を制昨年順に並べてみる。
 全部ちゃんと観ていたわけではないが、概要くらいは知っていたり、プラモだけは作っていたりした作品も全て含めているので、それなりの精度で網羅できているのではないかと思う。
 ★はリアルロボットアニメそのもの、●はリアルロボット作品やプラモデル関連事項、〇はロボットアニメではないがリアルなSF描写のある作品や、関連するサブカル時代背景を意味している。

【80年】
★TVアニメ「機動戦士ガンダム」打ち切りにより放映終了
★TVアニメ「伝説巨神イデオン」放映開始

ガンプラ販売開始

〇TVアニメ「宇宙戦艦ヤマトV」放映開始
〇劇場版「ヤマトよ永遠に」公開
〇TV特撮「ウルトラマン80」「仮面ライダースーパー1」放映
〇マンガ「Dr.スランプ」連載開始
〇映画「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」公開
〇任天堂「ゲーム&ウォッチ」発売、大ヒット

【81年】
★劇場版「機動戦士ガンダム」公開
★劇場版「機動戦士ガンダムU 哀戦士」公開
★TVアニメ「太陽の牙ダグラム」放映開始

●月刊OUT増刊「宇宙翔ける戦士達 GUNDAM CENTURY」刊行
●ホビージャパン別冊「HOW TO BUILD GUNDAM」刊行
●講談社「コミックボンボン」創刊
●小説版「機動戦士ガンダム1〜3」完結

〇劇場版「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」公開

(社会現象としてのガンプラブームがあったのが、この81年から二年間ほどだったと記憶している)

【82年】
★劇場版「機動戦士ガンダムV めぐりあい宇宙」公開
★TVアニメ「戦闘メカ ザブングル」放映開始
★TVアニメ「超時空要塞マクロス」放映開始
★劇場版「THE IDEON 接触篇 A CONTACT」
 新作映画「THE IDEON 発動篇 Be INVOKED」同時公開

●コミックボンボン誌上でマンガ「プラモ狂四郎」(やまと虹一)連載開始
●ホビージャパン別冊「HOW TO BUILD GUNDAM 2」刊行

〇TV特撮「宇宙刑事ギャバン」でメタルヒーローシリーズ開始
〇マンガ「AKIRA」「風の谷のナウシカ」連載開始
〇映画「ブレードランナー」公開

【83年】
★TVアニメ「聖戦士ダンバイン」放映開始
★TVアニメ「装甲騎兵ボトムズ」放映開始
★TVアニメ「超時空世紀オーガス」放映開始
★TVアニメ「機甲創世記モスピーダ」放映開始
★TVアニメ「銀河漂流バイファム」放映開始
★劇場版「ザブングルグラフィティ」
    「ドキュメント 太陽の牙ダグラム」
    「チョロQダグラム」同時上映

●ガンプラ「MSV」シリーズ販売開始
●バンダイ模型情報別冊「MSVハンドブック」刊行開始

〇劇場版「宇宙戦艦ヤマト 完結編」公開
〇角川劇場アニメ第1作「幻魔大戦」公開
〇劇場版「うる星やつら オンリー・ユー」公開
〇マンガ「北斗の拳」連載開始
〇映画「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」公開
〇任天堂「ファミリーコンピュータ」発売

【84年】
★TVアニメ「重戦機エルガイム」放映開始
★TVアニメ「機甲界ガリアン」放映開始
★TVアニメ「巨神ゴーグ」放映開始
★TVアニメ「超時空騎団サザンクロス」放映開始
★劇場版「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」公開

●コミックボンボン別冊「スーパーモデリング」刊行
●ボンボン誌上で「MS戦記」(作画:近藤和久)連載開始
●講談社「MSVテクニカル&ヒストリー」全三冊
●月刊模型誌「モデルグラフィックス」創刊
●バンダイ模型情報B5へ判型変更、雑誌化が進む

〇劇場版「風の谷のナウシカ」公開
〇劇場版「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」公開
〇マンガ「ドラゴンボール」連載開始
〇ラジコンブーム、ファミコンブーム盛り上がり始める


【85年】
★TVアニメ「機動戦士ゼータガンダム」放映開始
★TVアニメ「蒼き流星SPTレイズナー」放映開始
★OVA「メガゾーン23」発売(以後第三作までシリーズ化)

●月刊アニメ誌「ニュータイプ」創刊
●バンダイ「B-CLUB」創刊
●ザ・テレビジョン・アニメシリーズ「重戦機エルガイム(2)」刊行
●小説「青の騎士ベルゼルガ物語」(はままさのり)シリーズ刊行開始

〇ファミコンソフト「スーパーマリオブラザーズ」大ヒット

【86年】
★TVアニメ「機動戦士ガンダムダブルゼータ」放映開始

●マンガ「The Five Star Stories」(永野護)連載開始
●「プラモ狂四郎」連載終了

〇マンガ「ジョジョの奇妙な冒険」連載開始
〇映画「エイリアン2」公開

【87年】
★TVアニメ「機甲戦機ドラグナー」放映開始

●モデルグラフィックス誌で新世代MSV企画「ガンダム・センチネル」連載開始(のちにバンダイからキット化)

〇TV特撮「仮面ライダーBlack」放映開始

【88年】
★劇場版「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」公開
★OVA「機動警察パトレイバー」発売

●マンガ「機動警察パトレイバー」連載開始

〇劇場版「AKIRA」公開
〇TV特撮「仮面ライダーBlack RX」放映開始

【89年】
★TVアニメ「機動警察パトレイバー」放映
★劇場版「機動警察パトレイバー the Movie」公開
★劇場版「ファイブスター物語」公開
★OVA「機動戦士ガンダム0080」発売

 こうして並べてみると、80年〜82年の劇場版「ガンダム」公開と共にガンプラブームが勃発し、その余波の残る83年〜84年くらいまでが、質・量ともに全盛期だったのだなと感じる。
 その後は徐々に作品数が減少し、80年代終盤の「逆襲のシャア」で「アムロとシャアの物語」が完結すると共に、リアルロボットアニメの過剰な「熱」は収束したとみて良いのではないだろうか。
 もちろんリアルロボットという素材は、80年代の終りと共に滅び去ったわけではなく、以後も継続してアニメは制作されている。
 リアルロボット自体を主題とする作品は減ったが、作品内のアイテムの一つとして登場するシーンは、今もジャンルを問わずよく見かける。
 必ずしもアニメ限定ではない魅力的なアイテムとして、定着、一般化したということだと思う。
(この記事は適宜加筆修正します)
posted by 九郎 at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2017年03月05日

リアルロボットアニメの対象年齢

 80年代初頭のガンプラブームのとき、主に盛り上がっていたのは小学校高学年男子が中心で、上はせいぜい中学生くらいまでだったのではないだろうか。
 幼児から小学校低学年くらいだと、ガンプラもアニメの内容もちょっとハードルが高かったのではないかと思う。
 あとは模型誌でリアルな作例を発表していたモデラーの皆さんと同じ、大学生くらいの年代が考えられるが、この年代は小学校高学年〜中学生男子のように「みんなハマっている」という状況ではなかっただろう。
 おそらく「宇宙戦艦ヤマト」を中学生くらいで体験し、ミリタリーモデルも経験しながら、そのままアニメファンを続けていたマニア層限定のブームだったはずだ。
 ガンプラブーム当時の高校生は、ガンダムに対して意外に「薄い」ことが多い。
 スーパーロボットやヤマト、スター・ウォーズにはけっこう思い入れがあり、タイプとしてはいかにもガンダムにハマりそうな人が、話してみると実はファーストガンダムを一度も観ていなかったりする。
 ふり返ってみると確かに自分も高校生の頃、あれほど熱くハマっていたリアルロボットアニメに、一時的に関心を失っていた。
 理由は色々挙げられる。
 私個人に限定して言えば、自分で創作することが楽しくなったり、小説やマンガをがっちり読み込むことが楽しくなったり、外に出るのが楽しくなったり、あとはまあ勉強が忙しくなったりして、アニメに割くリソースが無くなったのだった。
 個別にはそれぞれ違う理由があり、もちろんずっと継続してアニメが好きなマニア層もいるだろうけれども、「子供時代の感覚が高校生くらいで一度リセットされる」という傾向はあるのではないか。
 今思うと、TVアニメの中のリアルロボットものというジャンルは、子供向けの単純明快な作品世界から、一歩踏み込んだ表現の世界への入り口として出会ったときに、最も効果を発揮するのではないかと思う。
 それ以前、「リアルな表現」がない時代は、もっと早く「子供番組離れ」は訪れた。
 それこそ、ガンプラブームで熱狂したような年代は、本来であればアニメなどの子供向け番組から卒業する発達段階であったはずだ。
 それが幸か不幸か、日本のTVアニメが成熟し、「次の段階」の作品が登場する時期に居合わせてしまったのがガンプラ世代だったのではないだろうか。
 その世代は団塊ジュニアとも半分くらいは重なっていて、商業的なヒットが生まれると「産業」として成り立ってしまうボリュームゾーンでもあった。
 様々な要因が重なって、前回記事の年表で見たような、80年〜81年あたりのガンプラブーム、82年〜84年あたりの「TVはリアルロボットアニメだらけ」という狂騒が発生したのだろう。
 ガンダムをはじめとするリアルロボットアニメには様々なSF的趣向が盛り込まれていて、十分にハマった後であれば、ハードなSF小説、映画等を鑑賞する素養が身についてしまうところがあった。
 子供から大人への作品鑑賞スタイルは、小学校高学年から高校生の間に徐々に変化していく。
 リアルロボットアニメを熱狂的に支持した世代は、他ならぬその作品の内容によって素養を育てられ、他に興味の対象を拡散させていったのかもしれない。
 その様が、前回記事の年表に見える80年代リアルロボットアニメの消長に、端的に表れているのではないかと思う。

 大人になると一周してもう一度味わえる質をもったリアルロボットアニメの作品群、それがビッグバンのように大量に生産される数年間に、適度な年齢層で居合わせることができたのは、本当に幸運だったと思う。
posted by 九郎 at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

リアルな表現の危うさ

 日本のTVアニメにおいては、1974年放映の「宇宙戦艦ヤマト」あたりからよりリアルなSF描写、戦争描写が導入され始めた。
 それまでの子供(主に男の子向け)番組の主人公は、単独または少数精鋭のチームで「善玉」を担当し、「悪玉」にあたる敵役は、見た目から明らかに人間離れしたモンスターであることが基本だった。
 ストーリーはわかりやすい「勧善懲悪」であり、30分枠の一話完結で、過不足なく見せ場を繋げる定型を持っていた。
 こうした低年齢向けの番組スタイルは、時代を超えて一定の需要が見込めるので、アップデートを繰り返しながら連綿と今に続いている。
 マジンガーZを始祖とするスーパーロボットものも、単独のアニメ番組としては下火になっているものの、男の子向け番組の中の一アイテムとして、たとえば特撮のスーパー戦隊シリーズの中では健在なのだ。

 低年齢向けの定型は温存されながら、観る側と作る側の成熟により、TVアニメの表現は「次なる段階」への進化も模索された。
 小学校高学年から中学生にかけて、本来なら子供番組から「卒業」する年代の鑑賞にも堪える要素として導入されたのが「よりリアルな表現」であり、その嚆矢が「宇宙戦艦ヤマト」だったのだ。
 ストーリー構成は一話完結方式から一歩踏み出し、放映一回分は「目的を持った長い宇宙航海」のエピソードの中の一つであることが、毎回強調された。
 何よりも大きな変化は、敵役が(異星人ではあるが)あくまで「人間」であったことだろう。
 ガミラス星人は肌の色が薄いブルーであることを除けば、外見も体格も能力も地球人と大差はなく、宇宙戦艦や宇宙戦闘機、各種火器で戦闘を行い、地球人と同じような感情を持ち、同じように死傷する。
 科学力の優位で地球側を圧倒しているけれども、ほとんど人間にと同じに見える異星文明との戦争であるという点が、低年齢向けの「わかりやすいモンスターをやっつける」定型とは一線を画した「リアル」を醸し出したのだ。
 ここで重大な問題が生ずる。
 TVアニメで「人間同士の戦争」を「リアルに」「カッコよく」描くことは、一歩間違うと「戦争賛美」「戦意高揚」のプロパガンダになりかねないのだ。
 この点については、「ヤマト」制作に大きな役割を果たした漫画家・松本零士が、そうしたリスクを避けるために細心の注意を払った経緯を、後年繰り返し語っている。
 地球側の艦隊の描写では極力「軍国主義」に見える意匠を避け、あくまで侵略に対する自衛であるという表現を徹底させた。
 敵方であるガミラス星にはガミラス星なりの「大儀」があったことも描かれ、敵も味方も死傷する戦争の「痛み」の部分も強調された。
 生粋のミリタリーマニアである松本零士が、その持てる素養を全て駆使したからこそ、「面白く、カッコよく、それでも戦争賛美にさせない」という離れ業を成立できたのだろう。

 こうした配慮は「ヤマト」以後の作り手側も常に意識していたようで、後発の「機動戦士ガンダム」では、より注意深く「戦争賛美」化しないよう留意されている。
 ガンダムの世界では戦争は「異星人の侵略からの自衛」ですらなく、一方から見れば「搾取された宇宙コロニーの独立戦争」であり、もう一方から見れば「独裁体制の打倒」であった。
 主人公を含む少年少女達は、ともに大義を掲げる両勢力間の戦争に巻き込まれた難民で、見かけ上の敵(ジオン)味方(連邦)はあるけれども、それは必ずしも「善悪」を意味せず、本質的には「極限状態からのサバイバル物語」だった。
 生き残るために仕方なく目の前の戦闘行為に参戦するうちに、主人公アムロは優秀なパイロットとしての才能を開花させていくのだが、本来戦争向きではない内向的な少年が否応なく殺傷を重ねさせられる痛ましさも繰り返し描かれていた。
 こうした分析はもちろん大人になって初めて可能になるのだが、子供であっても完全に理解できないなりに「あれはどういうことだったのか?」という問いが心の中に残る。
 その後の様々な経験や学習を通して、徐々に疑問が解け、納得できてくるのである。

 低年齢向きの、明らかに絵空事とわかる勧善懲悪の作品では必要なかった微妙なバランス感覚が、より高い年齢層を対象にしたリアルな表現の作品では必須になってくる。
 ガンダムを嚆矢とする歴代のリアルロボットアニメでも、この点は常に注意深く継承されていったようで、私の知る限りの80年代作品は、新たな趣向を求めて手を変え品を変えながら、いずれも「危うい均衡」を保持していいたと記憶している。
 男の子向け番組を作って関連商品を売るというビジネスモデルは、どのように言いつくろっても男の子が本能的に持っている「戦争ごっこ好き」の性質を煽って飯のタネにするという側面を持つ。
 ウケてなんぼ、ウケなきゃゼロの厳しい世界だが、そんな制約の中でも作り手のギリギリの良心というものが光る瞬間があるのだ。
posted by 九郎 at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2017年03月08日

連邦のプロパガンダ?

 80年代初頭のガンプラブーム当時、多くの子供たちがそうであったように、私はプラモ先行のガンダムファンだった。
 不人気で打ち切りになった本放送はもちろん見ておらず、プラモデルに付属した簡単な解説や、ケイブンシャの「ガンダム大百科」等でストーリーの概要を知った。
 当時はまだ動画配信はおろか、ビデオ録画すら一般化していなかったので、はじめのうちは劇場版のTVCMで断片的に流れる映像だけが、ほとんど唯一の「動くガンダム」だったのだ。
 だから映像や音楽については、後発の劇場版の方に先に触れていたことになる。

 劇場版は三作とも主題歌に恵まれていて、けっこうヒットしていた。
 第一作の主題歌「砂の十字架」は、谷村新司の楽曲を当時まだ無名だったやしきたかじんが歌っていて、のちにその経緯を元にしたトークが持ちネタになっていた。
 第二作の「哀戦士」と第三作の「めぐりあい」もかなり売れて、アニメソングが一般の歌番組にまで頻繁に登場するケースのはしりになった。
 ガンダムは、内容やメカニックデザインだけでなく、アニメソングの改革でもあったのだ。
 なぜそんなことが可能になったかといえば、映画が大ヒットしたことはもちろんだが、主題歌自体が「普通に聴ける良い曲」だったことも見逃せない。
 ロボットアニメの主題歌なのにロボットの名前を連呼せず、歌詞はストーリーや世界観に即しながらも、作品から離れて曲単体でも十分鑑賞できるクオリティになっていたのだ。

 先に劇場版の主題歌を聴いてしまっていたので、ようやく再放送でTV版を視聴した時には、逆の意味で驚いた。
 主題歌「翔べ!ガンダム」が、あまりにもベタベタのロボットアニメソングだったのだ。
 この曲はこの曲でTVアニメの主題歌としてよくできており、思い入れのある人も多いだろう。
 だから決して貶める意図はないのだが、劇場版主題歌とは全く「方向性」が違っていたことは確かだ。
 歌詞の中に「機動戦士ガンダム」という番組名ががっちり入っていて、アップテンポで勇気を鼓舞するような曲調は、ロボットアニメの主題歌としては王道中の王道だ。
 ただちょっと気になるのは、曲の中で「ガンダム」の名は連呼されているものの、アニメの内容と歌詞の内容がほとんど無関係になっている点だ。
 関連する記事中でも度々述べてきた通り、アニメ「機動戦士ガンダム」は、単純に闘志を燃やす内容ではないし、単純に巨大な敵を討つ内容でもないし、単純に正義の怒りをぶつけるような内容ではなかったのだ。
 歌詞には「井荻麟」名義で富野監督自身もクレジットされているので、一応この歌詞は「監督公認」ということになるだろう。
 なぜこのような乖離が生じたのか、大人になってみると、色々妄想が掻き立てられるところだ。

 一つ考えられるのは、歌詞を書いた時点では、タイトル以外に表にできることがあまりなかったのではないかということだ。
 TVアニメの主題歌は、当然ながら第一回放映分が完成するかなり前から制作が進められていなければならない。
 今でこそ全く新しいリアルロボットアニメの始祖としての地位が確定した「ガンダム」だが、企画の初期段階では、純然たる子供向けのロボットアニメの中の一つとして話が進んでいたはずだ。
 作り手の「革新的で枠に収まらない」志の部分は、スポンサーやTV局に対しては、むしろ隠しておきたかったのではないだろうか。
――アニメの内容になるべく触れず、子供番組の主題歌としての形はきっちり整った歌詞をでっちあげろ!
 今あらためて歌詞を眺めてみると、そんな意図すら感じられてしまうのは、私が汚れっちまったおっさんであるせいだろうか(笑)
 露悪的な表現をすれば、金主をだまくらかす方便として書かれた歌詞ではないかという妄想が湧いてくるのだ。
 保守的なスポンサーの意向と格闘しながら、ガンダムのスタッフはやりたいことを貫いた結果、視聴率の不振から一度は打ち切られてしまう。
 それでも奇跡の復活で劇場版は空前の大ヒットとなり、副産物としてガンプラという文化まで生み出してしまう。
 内容と全くそぐわない歌詞の主題歌は、劇場版の制作とともに変更し、広く一般にヒットさせてしまう。
 もちろん全てが作り手側の「計算通り」であったはずはなく、そこには「時代の要請」と呼ぶほかない不確定要素が大きく関与したのだろう。
 結果的には、作り手が初期に企てたかもしれない「嘘や方便」は、予想外の商業的なヒットによって免罪された。
 ある意味、これは「完全犯罪」ではないかと思うのだ。
 
 あまり同意は得られないと思うが、ある時期から私はTV版の主題歌「翔べ!ガンダム」を聴く時、「これは連邦のプロパガンダではないか?」と解釈するようになった。
 噂の天才少年パイロットが駈る最新鋭の機体の活躍を宣伝し、地球連邦内の戦意高揚を図るために作られた曲を仮想するなら、まさにこんな曲ではないだろうか?
 低年齢向けのサブカルチャーの商業的ノウハウは、技術としては政治的プロパガンダの手法とほぼ一致しているのだ。
 アニメ「機動戦士ガンダム」はその内容によって、小学校高学年以上の子供に、アニメソングに対する批評眼までインストールしてしまう作品だったのだ。

 TV版や劇場版「機動戦士ガンダム」の主題歌、挿入歌をあらためて味わってみたい場合は、以下のCDがよくまとまっている。



 曲間にアニメの名シーンの音声が挿入されているのがまた素晴らしい。
posted by 九郎 at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2017年03月09日

さようなら、おりがみ

 さようなら、そしてありがとう。

 おりがみのことである。
 いえ、私がおりがみ趣味をやめるという話ではなく、昔懐かしい老舗のおりがみメーカーが倒産してしまったというニュースが、しばらく前に流れたのだ。
 ダイヨという会社名に聞き覚えがなくても、以下のパッケージに見覚えのある人は多いのではないだろうか。


●ダイヨ/大与 教育おりがみ・金銀入 10センチ・42枚(22色)

 今、記事を書くためにamazonのリンクを探してみると、小サイズの物しか見つからなかった。
 文具店の店頭などではまだしばらく購入可能かもしれない。

 まあ、どう考えても100均の影響だなあ……
 最後に一度、ノスタルジーで探してみよう。
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 紙(カミ) | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

3.11 この日に思うこと

 今年もまた、3.11がやってきた。
 東日本大震災、そして原発事故の日である。
 思えば6年前のあの日から、この浮世離れした神仏与太話ブログのトーンも、少し変化を余儀なくされた。
 当時のリアルタイムの記事は、カテゴリ「釜」にまとめてある。
 あの黒々とした絶望感は、今でも記憶に鮮明だ。
 私は阪神淡路大震災の被災者でもある。
 年明けから90年代のことをあれこれ記事にしているので、よけいに震災のことには敏感になっている気もする。

 地震や津波などの自然災害、それに戦争や経済破綻などの人為を加えれば、人生の中で一発二発はそんな破局は食らうものだ。
 いずれ「それ」は必ずやってくる。
 これは予言でもなんでもなく、歴史を見れば明らかな事実認識なのだ。
 一発も食らわずに済むのは、むしろ非常に幸運に恵まれた場合に限られるのではないだろうか。
 
 それでも人は日々の生活に追われ、しみじみと味わいながら暮らしていく他ない。
 あらためて、防災意識だけは大切に。
posted by 九郎 at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

孤立を求めて連帯を恐れず

 本日、久々に反原発デモに参加。
 大阪中之島でイベントの後、御堂筋を難波までデモ。
 歩きがかなり長いので、去年と同じ小型軽量の百均ボックスギターで参加。

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 屋外で鳴らすにはちょっと音量が足りないのだが、腰痛持ちなので無理はしない(笑)
 
 これも去年に引き続き、テキトーにデモ向きの歌で発声練習してからデモに参加。
 こちらのブログでアップしている音源で言えば、たとえば以下のようなもの。

【ふるさと】

【不動尊祈経】

【千両箱ブルース】

【白骨の唄】


 最近ハマっている昔の「演歌師」の歌を参考に何か遊べないかとも思ったが、ちょっと間に合わなかった。。。

 今年も色んな人と出会い、再会した。
 私は基本、絵描きなのであまり人付き合いは広くない。
 孤独耐性が異様に強いタイプなのだが、たまには外に出るのも楽しいものだ。
 そこでこの記事のタイトルである。

「孤立を求めて連帯を恐れず」

 私が生まれる前の学生運動で使われた言葉「連帯を求めて孤立を恐れず」が元ネタだ。
 自分で考えたのではなくて、以前読んだ宮崎学さんの著書あたりで使われていた表現だと思うのだが、気に入ってたまにつぶやいている。

 絵描きにはこのくらいの心持がちょうど良いのだ。
posted by 九郎 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2017年03月15日

本をさがして1

 祭をさがして舞台作りに参加した90年代前半。

 祭をさがして-1
 祭をさがして-2

 そして震災やカルト事件で、自分のやりたいことが一旦リセットされてしまったように感じた95年。

 震災記-1
 震災記-2
 震災記-3

 祭の影-1
 祭の影-2

 私は一度立ち止まって、じっくり読書をしたくなっていた。
 元々本を読むのは好きだったのだが、小説等の創作作品が中心だった。
 昔から興味のあった神仏や宗教について、創作経由ではなくちゃんと知りたくなった。
 独学なので、はじめのうちは初歩的な解説書やエッセイ的な読み物から入るのは仕方ないとして、できれば経典、教典等の原典まで読み進めてみたいと思った。
 本来ならもう少し早く、学生時代に存分にこうした読書をすべきだったのかもしれないが、こういうことは「内的必然」が無ければどうしようもないものだ。
 ちょうど震災やカルト等の、目の前の「圧倒的な現実」が強烈すぎて、フィクションがあまり読めなくなっていた時期でもあった。

 まだネットが一般化していない90年代は、何か本を探そうとすると、とにかく足を使わなければならなかった。
 本、それも宗教関連の専門書を探すとなると、街の本屋さんでは間に合わない。
 大型書店か大型図書館、古書店巡りをすることになる。
 昔の本探しは「足が棒になるほど歩き回ること」と、ほぼイコールだった。
 読書するということは、まずは読みたい本を探す旅であり、目星をつけた本を訪ねる旅であり、その果てにようやく本を読むことで起こる脳内の旅の入り口にたどりつくことができるのだ。
 あと宗教関連だと、直接神社仏閣や団体に出向くことも含まれてくる。

 中でも古書店の役割は大きい。
 上は名のある古書店の本棚最上段から、下はBOOK OFFの百円均一コーナーまで、その気になって探すと古本屋の本棚は、宗教やちょっと怪しいオカルトでいっぱいだ。
 あちこちで開かれている「チャリティー古本市」の類も見逃せない。
 専門店では何万円もする本が、(滅多にないことだが)無造作に百円均一で並んでいたりする。
 今に続く私の神仏趣味は、震災後から2000年頃にかけての濃い読書体験に始まっている。
 当時出会った数々の良書や、それにたどりつくまでに浴びるほど乱読した雑本の類の蓄積が、この神仏与太話ブログ「縁日草子」の基礎になったのだ。

 その頃、私がよく通っていた古本市があった。
 毎年春先に開かれる古本市で、不用の本を一般から集めて売り捌き、収益はアジアからの留学生のための支援にまわされるという趣旨だった。
 単行本が300円、文庫や新書は100円均一の値付けだったので、けっこう掘出物があった。
 ただ難を言えば、こうした古本市はビジネスではないので専属スタッフがおらず、本の整理がほとんどされていなかったことだ。
 一見さんは膨大な本の山の前で、ただ呆然と立ち尽くすことになりやすい。
 貧乏だった私は、とにかく安く必要な本を揃えたい一心で、暇を見つけては発掘作業のような本探しを続けていた。
 発掘作業というのはたとえ話でも何でもなくて、たまに落盤事故まがいの「本の雪崩」に遭遇し、身の危険を感じることもあった(笑)
 これではラチがあかないと、後に「古本ボランティア」として整理を手伝っていた時期もあった。
 自分の欲しい本を探すのが主目的だったで、ボランティアとしてはやや動機が不純だったのだが、それでも素人ぞろいの中では「本に詳しい人」としてゴー腕をふるった。
 売上アップに貢献し、古本市を主宰しているスタッフの人に感謝されたりした。

 馬鹿な私は、少しおだてられると全力で木に登ってしまう。
 自分のための資料探しという当初の目的はどこへやら、無意味に高性能な「古本整理マシーン」と化して、只働きに夢中になった。
 手段が目的化するとは、まさにこのことである。
 自分で言うのもなんだが、私は生来凝り性で生真面目なので、一旦始めたことは徹底するのだ。
 独自に古本整理のノウハウを理論化し、わかりやすくレポートにまとめ、スタッフの皆さんに配ったこともある。
 そのレポートは私がボランティアを卒業した後も、何年か読み継がれていたようだ。
 内容のさわりを覚えている範囲で再現してみよう。

・本はとにかく何らかの形で整理されたものを表に出しましょう。未整理のダンボールは奥でいいです。ごちゃごちゃのままでは普通の人は探せません。整理した分だけ売れ、その分新しく表に出すことができます。
・段ボールを上下にカットして薄い箱二つにし、本を一重に並べるようにすると、探しやすく、積み重ねも可能になります。
・以下のような売れやすいものは専用のコーナーに。
・時代小説や歴史小説は全巻揃いの状態でくくっておけば、必ず売れてスペースが空きます。
・その他流行作家は作家別で箱詰め。
・児童書や絵本。
・辞書の類(学生や留学生のお客さんが多いので)
・岩波文庫/新書、中公文庫/新書は専用箱へ。
・文芸のハードカバーは意外に売れないので後回しでもいいです。
・「窓ぎわのトットちゃん」と「サラダ記念日」と赤川次郎の文庫はとにかく数が多いので、見つけたらそれぞれ専用箱へ。

 最後の項目などは、いかにも90年代っぽい(笑)

 このように獅子奮迅の大活躍を繰り広げたところで、得るものは少ない。
 岩波文庫や新書で出ている古典や基礎文献はすぐに揃うが、それらは金さえ払えば誰にでも買える資料だ。
 値段が高いか安いかの違いに過ぎない。
 本当に欲しい「手に入り難い」文献に巡り合うことなど、滅多にあるものではない。
 しかし不思議なことに毎年数冊は、欲しくてたまらなかった絶版本が、本の山から顔をのぞかせて「待ってたよ」と私に微笑む。
 しかもご丁寧に、本棚からちょっとはみ出していたりするのだ。
 この瞬間の快感を言葉で表現するのは難しい。
 ジャンルは違えど、何らかのマニアの人にだけ、私の気持ちはわかってもらえるのではないだろうか。

 ともかく、歩き回ったり積み下ろしたりというような地道な「肉体労働」とともに、私は勉強を開始するのに必要な分量の本を、まずはガサッと揃えることができた。
 今ならネット検索が入り口として適当になるだろうから、肉体労働の要素は大幅に減っているかもしれない。
 しかし一言いわせてもらえば、何ごとかをある程度の専門性を持って、自主的に勉強しようとするならば、ネットで得られる情報だけでは全く足りない。
 勉強は座ったままではできないのだ。
 くたくたになるまで足を使うというプロセスは、時代を超えて必須なのである。
 これは何かについて学んだ人なら、誰もが通ってきた道ではないかと思う。
(続く)
posted by 九郎 at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする