blogtitle001.jpg

2017年03月16日

本をさがして2

 私がこの神仏与太話ブログ「縁日草子」を立ち上げ、様々に語り続けるに至ったのには、いくつかの原点がある。
 そのうちの一つが、全てがリセットされた95年頃、書店でたまたま見つけた一冊の文庫本の衝撃だった。
 五木寛之「日本幻論」である。
 それなりに小説は読んでいたのだが、実はそれまでこの作家の作品を読んだ経験はなかった。
 もちろん名前は知っていたのだが、書店で手に取ったのは全くの偶然、気まぐれだったはずだ。
 パラパラとページをめくって流し読みをすると、一気に引き込まれた。
 レジに直行し、そのまま貪るように読んだ。
 歴史の影に埋没した様々な民衆の姿、「隠岐共和国」、「かくれ念仏」、そして「蓮如」。
 この本にはかつて存在し、今はもうほとんど痕跡も残っていない民衆の生き方が紹介されていた。
 一般に日本人は「長いものには巻かれろ」式で、支配層に対してきわめて従順であることばかりが強調されがちであるが、幻の隠岐共和国や加賀一向一揆のように「下から持ち上がった形での自治体制」が存在したかもしれないという点に、強い興奮を覚えた。
 当時は新潮文庫から出ていたのだが、現在はちくま文庫版が入手しやすいようだ。


●「日本幻論―漂泊者のこころ: 蓮如・熊楠・隠岐共和国」五木寛之(ちくま文庫)

 その頃よく立ち寄っていた喫茶店で、この本を飽きもせず何度も何度も興奮しつつ読み耽った記憶がある。
 繰り返し読み返すうちに文庫本のカバーはボロボロになり、本の角は摩滅して丸くなった。
 このままではいつ本自体が崩壊してもおかしくない。
 その後も何度となく再読するであろうことがはっきり分かっていたので、先に刊行されていたハードカバー版を探し出し、控えに購入した。
 あるとき、行きつけの大型書店で、新刊発売記念としてサイン会が開催されたことがあった。
 私はポケットにボロボロになった方の「日本幻論」を忍ばせ、新刊本を手にサインの列に並んだ。
 自分の順番が回ってきたとき、恐る恐る「あの、失礼ですが、こちらの本にサインをいただいてもよろしいですか?」と、古びた文庫本を差し出した。
「いいですよ、両方とも書きましょう」
 五木寛之さんは笑いながら新刊本とともに受け取ってくださった。
 サインを書き終わるまでの短い時間、雑談に付き合ってくださった。
「この本は自分でも気に入っているんですよ」
「僕は祖父と父が浄土真宗の僧侶なんですけど、この本を読んであらためて仏教や他の宗教のことを学ぶようになりました」
「それは嬉しいですね。これからも勉強なさってください」
 作家にとっては数多くのファンの中の一人との、他愛もない雑談だったはずだが、私にとっては大切な思い出になった。
 だから、今も続けているのである。

 最初の一冊「日本幻論」を手に取って以降、五木作品の中から同様のテーマを扱った作品を追うようになった。
 刊行時期が近く、ほぼ続編と言える内容なのが、以下の本である。


●「蓮如―聖俗具有の人間像」五木寛之(岩波新書)

 私は浄土真宗の僧侶の家に生まれ、結局自分では得度はしなかったものの、同年代の中では比較的「真宗風土」のようなものを体感して育ってきたと思う。
 そんな私なので、宗祖である親鸞についてはそれなりに知識があり、「歎異抄」くらいは手に取ったことがあったけれども、蓮如についてはほとんど何も知らなかった。
 ただ、勤行の折に読まれる「御文章」の筆者であるらしいということぐらいしか知識がなかった。
 鎌倉新仏教の祖師の一人としての親鸞は、教科書にも載っているし、一般に紹介される機会も多いのだが、本願寺中興の蓮如はそうではない。
 一般のイメージとして「教えの親鸞、組織の蓮如」という類型があり、浄土真宗、とくに東西本願寺から一歩でも離れると、蓮如の名が話題にのぼることは少なかったのではないかと思う。
 蓮如に関する事跡が、書籍などを通じて紹介されるようになったのはわりに近年のことで、そのような機運の醸成に貢献したものの一つが、五木寛之の一連の著作であったということは言えるだろう。
 子供の頃から独特の抑揚と共に耳にし、自分でも音読してきた「御文章」。
 それは、どのような内容だったのか?
 それは、どのような時代背景で成立したのか?
 大人になってから「再会」し、あらためて考えてみるきっかけになったのが、この本だったのだ。


 私は何らかのテーマにハマると集中的に読み漁る読書スタイルを持っている。
 次に読み進んだのは同じ著者の「風の王国」だった。


●「風の王国」五木寛之(新潮文庫)
 ただ「歩く」というたった一つの行為を軸に、古代・中世・近代・現代がつなぎ合わされ、「歩く」ということが思想にまで高められる不思議な物語である。
 表の歴史として豊富な文字記録が残っている世界、平地に定住し、農耕を営む「常民」の世界と並行し、かつて存在したもう一つの世界。
 定まった住居を持たず、農耕に関わらず、山・川・海を経巡って暮らす「化外の民」の世界。
 この物語の中で描かれる、葛城二上山を本拠とする山民をルーツに持つ人々の姿は、著者の綿密な考証により、まるで実在する集団のように生き生きと描かれている。
 先に紹介した「日本幻論」は、後半じわじわと蓮如に関する記述が多くなっていくのだけれども、前半はかなり多様な「かつて存在したもう一つの日本」が紹介されている。
 その中の一つである「山民」の世界を、物語として読みたい場合はこの作品ということになるだろう。

 素晴らしい物語を読み終えると、その甘美な余韻の中で、「この物語は本当にこれで終ってしまったのだろうか?」とか「続きはもう無いのだろうか?」と、欲が出てくる。
 無いものねだりは程々に、そうした「楽しくて、やがて寂しき」感覚こそ、大切に味わうのが良い。
 今ならそうした「間合い」が理解できるのだが、はじめて「風の王国」を読んだ時、私はまだそこまでわかっていなかった。
 同じ作者の「戒厳令の夜」を読んだり、その他の著者の「サンカ」をテーマにした本を読んでみたりしたが、直接「風の王国」に続くものは見出せなかった。
 五木寛之の仏教をテーマにした一連の著書は気に入ったので、折に触れて読み進めるうちに、2000年代に入ってからようやく「風の王国」の後日譚と言える記述に出会った。
 私が大好きな「日本幻論」「蓮如―聖俗具有の人間像」からつながるテーマを持つ「日本人のこころ1〜6」として刊行されたシリーズである。
 こちらも、現在はちくま文庫版が入手しやすいようだ。




 どれも「日本幻論」の世界をさらに展開する刺激的な内容なのだが、中でも「風の王国」に連なるのは以下の一冊だった。

●「サンカの民と被差別の世界」五木寛之(ちくま文庫)
 中国地方に実在する山の民に連なる人々が、フィクションとして描かれた「風の王国」を読み、熱烈な読者になり、五木寛之自身がそうした人たちに直接会って対話することになる物語。
 虚構と現実が交錯して新しい歴史が生み出されていく過程を、ドキドキしながら私は読み耽った。
 そしてその仲介の役割を果たした沖浦和光との対談も刊行される。


●「辺界の輝き」五木寛之/沖浦和光(ちくま文庫)
 葛城二上山から当麻寺、金剛山。紀ノ川を通過して瀬戸内、中国地方へと、漂白に生きた人々の文字に残されなかった歴史が、対談と言う「語り」の中で描き出されていく。

 五木寛之は、作家である。
 宗教者ではないし、専門の研究者でもない。
 作家の書くものは、小説以外であっても、基本的には「物語」であり、もっと言えば「与太話」だ。
 だから作品を読んだことで何かを「学んだ」気になってはいけないのだが、心に何らかの火を灯されるということはあるし、それが作家の力、物語の力と言ってよい。
 テキ屋の啖呵のごとく感情を煽り、巧みな口上で魅力的なテーマを叩き売るのが、優れた作家の仕事だ。
 学びは後からついてくる。
 90年代半ば、あのタイミングで一連の五木寛之の著作に出会えたことは、幸運だったと今でも思っている。

 最初の扉は「日本幻論」だった。
 はるかに時が流れ、私は数えきれないほどの本を読み、遍路を重ねた末に、雑賀衆の活躍した石山合戦と言うテーマに行き当たっている。
 浄土真宗、蓮如、もう一つの日本、化外の民など、昔感銘を受けた要素がすべて詰まったテーマである。
 あれから二十年以上たって、最初の扉を今もう一度潜ろうとしているかのような感覚を抱いているのである。
(続く)
posted by 九郎 at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

本をさがして3

 90年代半ば、私が思い立って宗教関連の本を探し始めたのは、直接的にはやはりあのカルト教団の事件がきっかけだった。
 世代的には信者の下限あたりと重なっていて、興味の対象も近い。
 当時のサブカル界隈で生息していたり、ある程度の学歴があったりする若者の多くがそうであったように、直接の知人はいなくても「知り合いの知り合い」くらいの距離感の教団信者は何人か確認でき、人のつながりの面でもさほど遠くはない。
 そうした諸条件から考えて、自分と彼らがかなり近い立ち位置にあるのはわかる。
 同時に、感覚的には「ぜんぜん違う」という思いもある。
 何が同じで何が違っているのか、言葉にできないもどかしさのようなものを感じていた。
 かの教団・教祖は自らを「仏教」あるいは「密教」であると言い、幾人かの宗教学者も、事件前の段階ではそうした見解を肯定的に評していた。
 教団信者の述懐としてよく紹介されるものに、以下のような言葉があった。

「日本の寺は風景でしかなかった」

 言わんとしていることは、わからないでもない。
 真理を求めて取り組めるような「教え」や「行」が、そこにはないように思えたというのは、当人にとっては事実なのだろう。
 主体的に求めれば「教え」も「行」もちゃんとそこにあったのではないかとも思うけれども、「見ようとしない者には見えなかった」ということは十分考えられる。
 私の場合はそうした日本的な「風景としての仏教」が、嫌いではなかった。
 盆暮れの里帰りの時に御経や和讃、御文章を唱えたり、たまに法事があったりという風景が、わりに好きだったのだ。
 そんな私から見ると、かの教団は、少なくとも私の中の「仏教」とはかけ離れて見えた。
 教義的には日本の大乗仏教ではなく、初期仏教やチベット密教を導入しているから違って見えるのだという説明は、言葉としては理解できる。
 しかしそれでも、「違うのではないか?」という感覚的な疑問はぬぐえなかった。

 自分の持つ違和感の正体を確かめたくて、様々な仏教書を渉猟し始めた。
 当時は入門書やムック本、雑本の類まで、手当たり次第に数えきれないほど読んだ。
 あれから時は流れ、仏教全般ということであれば、今でも手元に残し、たまに読み返しているのは、以下のようなオーソドックスな入門書だ。


●「仏教 第2版」渡辺照宏(岩波新書)
 自分なりに勉強し始めた頃、何から読んだらよいのか全くわからなかったので、とにかく岩波新書のスタンダードなら間違いなかろうと手に取った。
 結果的には大正解だった。
 厚過ぎず、薄すぎないほどよい分量で、インド〜中国〜日本の仏教全般を、比較的平易に解説してある。
 最初期に内容の確かなこの一冊に目を通していたおかげで、その後の読書の筋を大きく外さず進めることができたのではないかと思う。
 仏教で何か一冊と人に聞かれた時は、この本を紹介することにしている。
 若者相手だと、岩波新書の青版はちょっと地味に映るようで、ビミョーな反応が返ってきたりすることもある(笑)
 しかし、作りのいい加減なムック本に手を出すくらいなら、オーソドックスな一冊をしっかり読んでおいた方が絶対良いのである。
 どこの図書館にも標準装備されているだろうけれども、岩波新書の一冊くらいはまず買って手元に置くべし。

 さらに詳しく知りたい場合は、角川文庫に収録されている以下のシリーズが良いと思う。








●「仏教の思想 全十二巻」(角川文庫ソフィア)
【インド篇】
1「知恵と慈悲〈ブッダ〉」増谷文雄・梅原猛
2「存在の分析〈アビダルマ〉」櫻部建・上山春平
3「空の論理〈中観〉」梶山雄一・上山春平
4「認識と超越〈唯識〉」服部正明・上山春平
【中国篇】
5「絶対の真理〈天台〉」田村芳朗・梅原猛
6「無限の世界観〈華厳〉」鎌田茂雄・上山春平
7「無の探求〈中国禅〉」柳田聖山・梅原猛
8「不安と欣求〈中国浄土〉」塚本善隆・梅原猛
【日本篇】
9「生命の海〈空海〉」宮坂宥勝・梅原猛
10「絶望と歓喜〈親鸞〉」増谷文雄・梅原猛
11「古仏のまねび〈道元〉」高崎直道・梅原猛
12「永遠のいのち〈日蓮〉」紀野一義・梅原猛

 全十二巻、四冊ずつの構成でインド、中国、日本の仏教の流れを紹介したシリーズ。
 70年代に刊行されたものだが、90年代後半に文庫化された。
 かのカルト事件後、筋の良い仏教書が次々と刊行されたり復刊されたりしていた記憶がある。
 私が感じた「そもそも仏教って何なんだろう?」という疑問は、カルト事件のリアクションとして、わりと広く一般に共有されていたのかもしれない。
 これらの本を(全部理解できるかどうかはともかくとして)一度体感しておけば、次に何を読むべきかということがわかってくる気がした。
 
 また、仏教のみを扱ったものではないが、当時よく読んでいた本の中に、以下のものがある。

●「宗教を現代に問う〈上中下〉」毎日新聞社特別報道部宗教取材班(角川文庫)
 1975〜76年にかけて、毎日新聞紙上で274回にわたって連載された記事の集成。
 単行本は76年、文庫版は89年に刊行された。
 70年代半ばの時点での宗教状況について、広範に取材された労作である。
 上巻には当時の水俣の取材も含まれており、今そこにある地獄の中で、地元で多くの門徒をかかえる浄土真宗や、民間宗教者がどのように苦闘したかが記録されている。
 私が本書を手にした時には初出から20年が経過していたが、ほとんど違和感なく「現代」の内容として読み耽ったことを覚えている。
 そこから更に20年が経過した今読んでみても、多くの内容で「現代」そのものを感じる。

 
 仏教に関して言うなら、やはり最初はある程度評価の定まったスタンダードな本から読むのが良い。
 岩波文庫で刊行されている様々な経典のシリーズも、読んでみれば思った以上に読み易く、面白いものだ。
 よくあるタイトルに「早わかり」みたいなことをうたっている本は、結局心に何も残らないことが多い。
 何を学ぶにしてもそうだが、やたらに近道を探したりせず、幹線をただひたひたと進むのが一番だと、あらためて思う。
(続く)
posted by 九郎 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

本をさがして4

 何かを学ぼうとして本を探すということは、信頼できる著者を探すということと重なる。
 なんでもそうだが、「密教」というテーマはとくに著者選びに注意を要する面があると思う。
 90年代半ば頃、色々読み漁って、人にも勧められると判断した著者、著作は、たとえば以下のようなものがある。


●「理趣経」松長有慶 (中公文庫BIBLIO)
 名著中の名著ではないだろうか。
 密教について、曼荼羅について、まず最初に何を読むべきかと問われれば、一秒も迷わずこの本を推す。
 著者を身もふたもなく一言で紹介するなら、「高野山で一番偉いお坊さん」ということになるだろう。
 理趣経の解説を軸としながら、チベットまで視野にいれた密教の思想を、極めて平易な語り口で紹介してある。
 仏教の入門書とかムック本は毎月のように刊行されていて、高名な学者やお坊さんが編者や監修に名を連ねている場合も多いが、明らかに名前を貸しているだけというようなケースをよく見かける。
 この本はそういうのとは全く違い、書くべき人が全力投球で書き上げた入門編であり、読み込むほどに発見がある奥の院みたいな一冊なのである。
 私がこの本と出会ったのも、宗教関連の本を読み始めた最初期だったと記憶している。
 ふりかえってみると私は、学び始めのスタート地点で前回記事でも紹介したような良書を、けっこう手にとっている。
 若い頃の自分の眼利きを褒めてやりたい気分である(笑)


●「マンダラ(出現と消滅)―西チベット仏教壁画の宇宙」松長有慶(監修)・加藤敬(写真)(毎日新聞社)
 密教と言えば曼荼羅である。
 私は絵描きのハシクレなので、性分として曼荼羅にも「絵画的な質」を求めてしまうところがある。
 同じ曼荼羅でも図版によってかなり違って見えるので、「良い図が掲載されている本」はとにかく貴重なのだ。
 この本は前述「理趣経」の著者が、チベット密教の現地調査に行った際の成果を紹介した図録である。
 チベット密教の曼荼羅が、きちんとした解説と共に日本で一般に紹介された中では、最初期のものになるのではないだろうか。
 収録されている曼荼羅がどれも極上の逸品ぞろいで、これだけ揃った本はなかなかない。
 内容に比して、現在古書価格がさほど高騰していないのがまた素晴らしい。
 曼荼羅好き必携の一冊だと思う。

 私は最終的には大きなサイズの曼荼羅を自分でも描いてみたいという夢を持っているので、「実際描く」ことを視野に入れた解説を、どうしても読みたくなってくる。


●「曼荼羅イコノロジー」田中公明(平河出版社)
 空海により日本にもたらされたのは「中期密教」までで、その後も発達し続けた「後期密教」は、現在主にチベット文化圏に伝承されている。
 長い年月をかけて構築された密教のロジックの部分、曼荼羅の生成理論は、チベット仏教まで視野に入れることでより明瞭になる。
 図像としての曼荼羅の解説本としては、この一冊が最もお勧めになる。
 著者はチベット密教についての良書も多く手掛けている。


●「超密教 時輪タントラ」(東方出版)
●「性と死の密教」(春秋社)

 密教を名乗るカルトのテロ事件勃発を受けて、密教側の視点から、まともに回答しようとした貴重な試みもあった。


●「密教の可能性―チベット・オウム・神秘体験 超能力・霊と業」正木晃(大法輪閣)
●「増補 性と呪殺の密教: 怪僧ドルジェタクの闇と光」正木晃(ちくま学芸文庫)

 同じ著者は、曼荼羅についても貴重な調査結果を紹介している。


●「チベット密教の神秘―快楽の空・智慧の海 世界初公開!! 謎の寺コンカルドルジェデンが語る」正木晃・立川武蔵(Gakken graphic books deluxe(5))

 マンダラは仏教だけの専有ではなく、宗教を超えた広がりを持つ表現形態だ。
 文化横断的にあらわれる「タントリズム」という視点から、マンダラ的な図像を集成する試みもある。


●「マンダラ―神々の降り立つ超常世界」立川武蔵 (学研グラフィックブックス)

 チベット密教に関する良書の多くは、90年代、とくに95年以降に刊行された。
 そこには、カルト教団によるテロ事件へのリアクションという面があったと思う。

 本による独学の場合、とくに最初が大切だ。
 まず良いものを読んでおくと審美眼ができ、迷わなくなるのである。
(続く)
posted by 九郎 at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

本をさがして5

 幼児の頃の私は、両親が共働きだったので、昼間は主に母方の祖父母の家で過ごしていた。
 母方の祖父は大工だった。
 木彫りを趣味でやっていて、それは片手間というにはあまりに膨大な情熱を注いでいた。
 木彫り作品は言うに及ばず、作業場から道具、細かな彫刻刀の類などの多くは自作。
 玄関を入ると、仏像や天狗や龍などが、所狭しと並べられていた。
 中にはまるで七福神に仲間入りしそうな雰囲気のサンタクロースもいた。
 祖父はよく山に入り、気に入った形の木材(根っこや木の瘤も含む)を拾ってきては、それに細工を施したりしていた。
 切り出されてきたアヤシイ形の珍木が、祖父の手によって更に得体の知れない妖怪達に変貌していた。
 幼い頃の私は、そんな制作現場を眺めるのが好きで、祖父の操るノミや彫刻刀が様々な形を刻んでいくのを、いつまでも飽きずに観察していた。
 私にとっての祖父は、山に入っては色々な面白いものを持ち帰り、それを自在に操って怪しい妖怪に改造できる「凄い人」だった。
 そして私は、いつか自分も同じことをするのだと心に決めていた。

 祖父は彫刻の資料として各種の文献も集めていた。
 おそらく「原色日本の美術」あたりだと思うのだが、様々な仏尊が掲載されている大判の図鑑のようなものもあった。
 私はそれをパラパラめくっては、一人興奮していた。
 特に形相凄まじい「明王」の一群にハマった。
 仏様にも色んなキャラクターがいて、色んな姿をしていることを知った。
 当時は(今も?)「仮面ライダー」や「ウルトラマン」の全盛期で、「○人ライダー」や「ウルトラ兄弟」という概念も出来上がっていたのだが、幼い私にとっては仏尊図鑑も怪獣怪人図鑑も全く区別は無かった。
 宇宙のどこかで戦っているヒーローの一種として、明王の姿に目を輝かせていた。
 まあ、決して「間違い」ではない(笑)

 90年代に入ってから、その祖父は亡くなった。
 祖父手製の彫刻刀の類は、一部を私が引き継ぎ、せっかくなので何体か仏像彫刻の真似事もしてみた。
 大工である祖父とは違って、木材や刃物に素人の私には木彫は難しかったが、自分なりにできる範囲の表現というものがあるはずだと、ぼちぼち試していた。
 90年代当時は「円空・木喰ブーム」のような機運があって、各種書籍が刊行されたり、展覧会が開催されたりしていた。
 簡略化した彫り方の参考に、実物を観に行ったり、図版を集めたりもしていた。

 私が最初に「西村公朝」という名を意識したのは、90年代も終盤に入った頃、「NHK趣味悠々」で「西村公朝のほとけの造形」というシリーズの講師を勤めておられた時のことだった。


●「西村公朝のほとけの造形」(NHK趣味悠々)

 聞き手に和泉淳子(能楽師で、狂言の和泉元彌の姉)、日比野克彦(アーティスト)を迎え、毎回親しみやすい素材や手法で仏画や造形を指導。
 他にも仏の造形に関する様々な知識を、惜しみなく披露してくださる素晴らしい番組だった。
 とりわけ、木材それぞれの個性を生かした木彫の指導は本当に素晴らしかった。
 あらかじめ予定した形に無理矢理木を彫り込んで行くのではなく、実際にノミを入れてみて木と対話しながら、繰り返しこまめに下絵を描き直し、荒彫りと墨線、淡彩で仕上げていくスタイルは、まさに目からうろこだった。
 西村公朝スタイルを学ぶと、仏の造形は本当に楽しくなった。
 誰にでも可愛らしい仏像が作れてしまうノウハウは、円空や木喰のスタイルにも比肩し得る発明ではないかと感じた。
 番組を見、本を読んだだけだったのだけれども、勝手に仏像彫刻の「心の師」と仰いでいた。
 仏像修復の第一人者として数々の国宝級を手がけ、仏師としても第一人者であった師だが、私が一番好きなのはやはり荒彫り+淡彩の可愛らしい作品群だ。
 木目や節など、材それぞれの個性を大切にしながら、その場その場の即興性を大切に、生き生きとした仏様を刻みだすスタイルである。
 当世第一の技術を持った師が、あえてあのスタイルを採っていることに、とてつもない凄みを感じるのである。
 創作において先行作品に学び、技術を磨き、手間をかけることはもちろん大切な前提だ。
 しかし、これは絵描きのはしくれとしての自戒なのだが、一生懸命研究し、練習し、手間をかけて、それで満足しては駄目なのだ。
 大切なのは、そこにある作品が、「生きている」かどうかを、構えずに見定めていくこと。
 自分が作品に注いだ労力などは、最後はさらりと捨て去らなければならない。
 ものを創る人間は、苦労や努力を「頼み」にしてはならないのだ。
 西村公朝のような人にそれを実践して見せられてしまうと、あらためて背筋がしゃんと伸びてくるのである。 

 もしかしたら私は、亡き祖父と西村公朝師を、大変失礼ながらどこかで重ねて見ていた面があったのかもしれない。
 一度だけ講演会でお見かけした師は、柔和で瘦せているけれども、木を扱う人らしく、非常に骨格のしっかりした佇まいだったと記憶している。
 
 その師も、平成15年に亡くなられた。
 私の手元には今も何冊かの御著書がある。
 いずれも仏像造形や仏教の様々な知識について、飾らず、平易に語った名著ばかりだ。
 今後も私は繰り返しこれらの本を開くことになるだろう。

 数ある名著の中から何点か、紹介しておきたいと思う。


●「西村公朝と仏の世界―生まれてよかった」(別冊太陽)
 私が好きな西村公朝さんの「荒彫り+淡彩」の作品を見るならこの一冊。

●「やさしい仏像の見方」 西村公朝・飛鳥園(とんぼの本)
 仏教の世界観のビジュアル面について、きわめて平易に納得できる形で解説されている。

●「仏像は語る」西村公朝(新潮文庫)
 西村公朝の「思想」の部分については、この本が主著になるのではないだろうか。
 この本の中にはご本人の様々な実体験が語られており、仏教、仏像、修復の在り方など、縦横無尽に語りつくしている。
 中には「霊験譚」と呼べるものもたくさん紹介されている。
 あるエピソードの中では、親交のあった行者さん達の使う一種の「超能力」に関心を持ったことが記されている。
 単に関心を持っただけでなく、一時期は霊感トレーニングに夢中になってしまったことがあると言う。
 しかしある時、そのような遊び半分の霊感だけに捉われることは仏師としての仕事の邪魔になることに気付き、「超能力開発」を中止した経緯が、赤裸々に述べられている。
 これなども、深く心に刻むべき一章である。

 ここに紹介した本だけではなく、どれを読んでも面白いものばかりなので、機会があればぜひ一度手に取ってみてほしい。
(続く)
posted by 九郎 at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

山への復帰

 本日、久々に「山登り」をしてきた。
 5時間程かけ、ゆっくりペースで標高900メートルを登り下り。
 ちらほら咲き始めた山桜や、スミレやイヌノフグリなどの早春の草花を楽しんできた。

 10か月前にヘルニアで開腹手術を受けてから、このレベルで登ったのは初。
 体調の回復と共に、これまでも2〜3時間のハイキング程度ならやってきたのだが、今日改めて「大丈夫」という確認をとれた気がする。
 術後しばらくは普通に歩くことすら辛かった。
 数か月間は手術跡がずっと気になっていて、実際「ぐぐーっ」と腹圧で中から圧されている感覚がたまにあった。
 それから徐々に手術跡のことが意識にのぼる頻度は減って来て、今もう、ほとんど思い出さなくなっている。
 
 退院してすぐの頃は「ああ、もう本格的な登山は無理かな?」と、少し寂しさを感じていた。
 ここまで持ち直した身体に感謝。
 同時に、これで調子に乗らないように、気を引き締めねばならない。
 何もかも前の通りには、やっぱりいかないのだ。
posted by 九郎 at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2017年03月22日

本をさがして6

 90年代、宗教関連の読書を開始した頃、同時進行で妖怪漫画家・水木しげるの作品にも手を伸ばすようになった。

 子供の頃から、水木しげるの本は好きでよく読んでいた。
 当時「鬼太郎」等の水木マンガはあまり読んでいなくて、「妖怪図鑑」の類の読み物の方が主だった。
 幼児期を過ごしていた母方の祖父母の家が、怪しい木彫りだらけだったことも、そうした本に興味を持ったルーツの一つになっていただろう。
 水木しげるの読み物は妖怪だけにとどまらず、日本や世界の「異界」や「死後の世界」の伝承まで詳細に絵解きしてあって、今思うと妖怪図鑑というよりは「博物学図鑑」とか「民族学図鑑」と呼ぶべき内容だった。
 わがニッポンの戦後マンガ界は、輝ける太陽である手塚治虫とともに、仄暗い異界を描く水木しげるの存在があったからこそ、かくも豊かで多様な発展を遂げたのだ。
 今に続く私の民族芸術好きの傾向は子供の頃からあって、大阪の万博公園に行く機会には、もちろんエキスポランドや太陽の塔も好きだったが、国立民族学博物館に行くのが楽しみだった。
 薄暗い展示スペースに、所狭しと並ぶ仮面や神像の数々が醸し出す雰囲気は、幼児期を過ごしていた祖父母の家の様とも、どこか似ていたと思う。

 思春期はしばらく水木作品から離れていたのだけれども、90年代に入って再び読むようになった。
 水木しげるとの「再会」のきっかけになったのが、以下の一冊である。


●「ねぼけ人生」水木しげる(ちくま文庫)
 水木しげるは多くの自伝的な作品を描いているが、中でも定番ともいうべき一冊がこの本だ。
 故郷である境港、その習俗のエキスパートである「のんのんばあ」に子守をしてもらった幼児期から、水木しげるの「妖怪人生」は始まっている。
 太平洋戦争に向けて徐々に窮迫する世相、南方戦線への出征、片腕を失った顛末など、昭和史の貴重な証言になっており、まさに今、読むべき内容と言える。
 特筆すべきは、ラバウルの戦場での現地の人々との交流の記録だ。
 ろくな補給もなく、玉砕前提の戦場で兵士の大半が餓死、病死していく中、水木しげる本人は現地人の間で「大地母神」のように慕われるおばあさんに気に入られ、辛うじて命をつなぐ。
 地獄の戦場のすぐ隣には、天国のような自然と共に生きる「土の人」の世界があったのだ。
 戦争が終り、すっかり気に入られた水木は村人たちに引き留められるのだが、上官に説得され、再び返ってくることを約束して日本に帰国し、やがてマンガの世界に飛び込むことになる……
 本書「ねぼけ人生」は人気の高いマンガ作品ではないけれども、水木しげるの作品世界に含まれる要素が全て詰まった、代表作と言える一冊である。
 ちなみに、数あるマンガ作品の中では、以下の本が最高傑作ではないかと考えている。


●「河童の三平」水木しげる(ちくま文庫)


 90年代当時、私は夢の記録や修行に最もハマっていた時期で、夢に関する本もそれなりに読んでいた。
 中でもしっくりきたのは、以下の本だった。


●「夢を操る マレー・セノイ族に会いに行く」大泉実成(講談社文庫)

 著者の大泉実成は、後に御大・水木しげると世界各地の民族担探訪の冒険に出ている。
 90年代後半の水木しげるは妖怪フィールドワークの最盛期を迎えていて、季刊誌「怪」も創刊され、興味深い本が続々と刊行されていたのだ。


●「水木しげるの妖怪探険―マレーシア大冒険」(講談社文庫)
●「水木しげるの大冒険 幸福になるメキシコ―妖怪楽園案内」(祥伝社)
●「水木しげるの大冒険2 精霊の楽園オーストラリア(アボリジニ)―妖怪の古里紀行」(祥伝社)
 妖怪蒐集のためなら凄まじい目利きとバイタリティを発揮する水木しげるに、他のメンバーや現地の人々がむしろ振り回される様は何とも痛快だ。

 90年代の水木しげるがいかにノリにノッていたかを示すマンガは、以下の作品。
 水木しげる自身が作中に登場し、妖怪について、人生について、縦横無尽、暴走交じりに語りつくす。
 何しろ最後近くには、ねずみ男が教祖と化した「オナラ真理教」まで登場するのである。


●「妖怪博士の朝食1,2」水木しげる

 妖怪という「売れる」フィルターを通すことで、博物学、民族学、民俗学の成果を出版につなげる機運が、90年代には盛り上がっていたと記憶している。
 日本でそうした分野を学びはじめたいなら、あれこれ迷わず素直に水木しげるの作品から入ってしまうのが良い。
 茫洋としたイメージとは裏腹に、ご本人は実はかなりの勉強家で、研究成果を惜しみなく作品に詰め込んでいることは、読めばすぐに分かるはずだ。
 楽しんで読んでいるうちに、必要な素養や読むべき本、聴くべき音源等が、次々に見つかってくるのである。

 一昨年、水木しげる御大は、とうとうお亡くなりになってしまった。
 90年代の目覚ましい活躍の頃から、水木しげるは自身の妖怪探訪を精霊信仰の再評価と位置付けていた。
 人類が数万年のスケールで伝承してきた素朴なアニミズムの世界に、ドグマで縛られがちな「近代」や「宗教」を超克する可能性を見出していたのだ。
 仮面や神像、映像、音源など、おそらく膨大な量、極上の質を誇る一大民族学コレクションが所蔵されているはずなので、いつか公開される日が来ることを心待ちにしている。

 水木しげるが開拓した「妖怪」と言うテーマともに、民族学や博物学への入り口として極めて魅力的なのが「仮面」である。
 私は祖父が彫った妖怪面や能面を眺めながら育ったので、子供の頃から当り前のように好きだったが、そんな個人史を抜きにしても、仮面は誰にとっても理屈抜きで面白さが伝わりやすく、博物館等でも目玉展示になりやすい。
 70年代以降にTVの子供番組に登場した変身ヒーローは、人類古来の仮面文化を正しく継承しているのだ。
 仮面というテーマにこだわりを持ち、探求した人に狂言師の故・野村万之丞がいる。


●「心を映す仮面たちの世界」野村万之丞(桧書店)
●「マスクロード―幻の伎楽再現の旅」野村万之丞(日本放送出版協会)

 マンガでも変身ヒーローは不動の人気を誇るが、ヒーローものの一要素としてではなく「仮面」そのものをテーマにした凄みのある作品も存在する。


●「マッドメン」諸星大二郎
●「花」松本大洋

 民族芸術の世界を訪ねることは、そのまま呪術の世界、精霊信仰の世界を味わうことでもある。
 どっぷり宗教関連の読書にハマり切っていた90年代の私は、そうした素朴な世界を並行して追うことや、遍路で古道を巡ることで、「解毒」されていた面があったと思う。
 ある意味で宗教には「毒」があり、毒があるからこそ「薬」にもなるのだ。
(続く)
posted by 九郎 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年03月23日

本をさがして7

 90年代、一つのピークを迎えていた水木しげるとのコラボという点では、今や「もう一人の妖怪御大」と呼ぶべき荒俣宏の活躍も見逃せない。
 荒俣宏の独自性は、図版の収録された稀覯本への偏愛と、膨大なコレクションにある。
 博物学というジャンルの面白さを広く一般に紹介した本が、以下のもの。


●「増補版 図鑑の博物誌」荒俣宏(集英社文庫)

 他にも「図鑑」や「図像」についての著作は多数あるが、そうした分野の仕事の集大成が以下のもの。




●「世界大博物図鑑」荒俣宏編(平凡社)
 古今東西の図鑑から極上の図版を集成したシリーズ。
 ほんの一昔前は、こんな贅沢な本作りが可能だったのかと、隔世の感を覚える。
 2010年代も半ばを過ぎた今、出版の斜陽、とくに紙の本の凋落はもはやとどめようもないが、当時はまだまだ余裕と夢があったのだ。
 この大部の大図鑑、さすがに自分で購は入できなかったが、図書館で繰り返し開き、美麗かつ珍奇な図版の数々に酔いしれたものだ。

 思えば私は、子供の頃から図鑑が大好きだった。
 学研の子供向け学習図鑑を何冊か買ってもらって、何度も飽きずに眺めていたのだが、特に気に入っていたのは以下の二冊。


●「人とからだ」
●「大むかしの動物」
 前者は今から思うと生ョ範義との出会いの一冊だった。
 後者は恐竜に限らない古生物全般を時代順に扱った一冊で、地球の生命史をパノラマ図で順に紹介する構成が素晴らしかった。
 現在は新版に切りかわってしまい、図版の魅力がちょっと減じたように感じられる。
 もちろん昔馴染みの本への愛着や「思い出補正」もあると思うが、とくに「大むかしの動物」の方にパノラマ図が減ってしまっている点はマイナスだと思う。
 単に古生物をバラバラに並べるだけでも「知識」の紹介は出来るけれども、それではカタログでしかない。
 その時代ごとに生態系を展開して見せるパノラマ図には、「全体像」を伝える効果がある。
 売れ筋の恐竜図鑑は、実質「恐竜カタログ」になりがちなのだが、だからこそややマイナーな古生物全般を扱った図鑑は、もっと「進化という概念」を伝える本であってほしいのだ。
 学習図鑑なので情報は更新しなければならないのはわかるが、子供の知的好奇心を喚起するには、バラバラの知識を統合する世界観の要素も大切だと思うのである。

 子供の頃の私は、こうした図鑑や、「進化」そのものを扱った児童書を熱心に読み耽っていた。
 もちろん恐竜も好きだったが、恐竜以前の甲冑魚や哺乳類型爬虫類、恐竜と同時代の翼竜や魚竜、首長竜、原始的な哺乳類、恐竜が滅びた後の哺乳類など、絶滅生物全部が好きだった。
 当時私が好きだった本の中から、現在でも入手可能なものを紹介してみよう。


●「先祖をたずねて億万年」井尻正二、伊東章夫(新日本出版社)
●「いばるな恐竜ぼくの孫」井尻正二、伊東章夫(新日本出版社)
●「ひれから手へ‐進化の冒険」アンソニー・ラビエリ(福音館)

 今はもうバリバリの文系人間だが、子供の頃の私はけっこう科学少年だったのだ(笑)

 70年代は怪獣映画や特撮番組の最盛期だった。
 怪獣の多くは着ぐるみで撮影されていて、尻尾を引きずった二足歩行のスタイルは、当時の恐竜の生態再現図をベースにしていた。
 恐竜の持つ「尻尾を引きずった鈍重な巨大生物」のイメージが更新され始めたのが、80年代半ば以降だったと記憶している。
 その頃から、尻尾を跳ね上げ、体幹部を地面と水平に保持しながら俊敏に動作する新しい恐竜像が、再現イラストでも多く採用されるようになっていった。
 90年代に入ってから更に恐竜研究は進み、鳥類との密接な関係など、現在につながる要素が出揃っていき、世の中の「恐竜のイメージ」を激変させた映画「ジュラシックパーク」が公開されたのが1993年である。
 タミヤの1/35恐竜プラモがリニューアルされたのも、この頃だったはずで、それぞれの時代の「恐竜のリアル」の変遷が見て取れる。


●タミヤ 1/35 恐竜シリーズ No.03 ティラノサウルス
●タミヤ 1/35 恐竜世界シリーズ No.02 ティラノサウルス 情景セット

 そうした世相を受け、私は子供時代以来久々に古生物に対する熱がよみがえって、関係する書籍を読み漁った。
 中でも最も知的興奮を覚えた書き手が、サイエンスライターの金子隆一だった。


●「新恐竜伝説―最古恐竜エオラプトルから恐竜人類まで」金子隆一(ハヤカワ文庫NF)

 90年代には同氏が主導した古生物雑誌も刊行され、毎号スリリングな研究やイラストが掲載されていた。
 確か、学研の科学雑誌の別冊としてスタートし、後に独立したシリーズになって13号くらいまで出ていたはずだ。


●「恐竜学最前線」
 
 これらの本は既に二十年前のものなので、さすがに内容自体は古くなりつつあるが、「知的興奮を呼び覚ます」という点では、今もその価値は変わらない。
 私が子供の頃に読んだ70年代の古生物児童書が今読んでも面白いのと同じである。

 今から考えると、私は古生物学や生物進化という概念を、「精緻で魅力的な創世神話」として楽しんでいたのだと思う。
 だからこそ、当時ハマっていた宗教や民族の読書と並行して、貪欲に読み漁ることができたのだ。
 このブログでも、ずっと以前から「カテゴリ:進化」みたいな形でカタッてみたいと考えていたのだが、まだ果たせていない。
 私の古生物趣味の一端は、ティラノサウルスのペーパークラフトとしてチラ見せしたことがある。
 この展開図はけっこうあちこちで、ワールドワイドに紹介していただいている。
 季節のおりがみと共に、ブログの本筋ではないけれどもアクセスの多い人気コンテンツになっているのだ(苦笑)
(続く)
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

本をさがして8

 私が岡本太郎に「再会」したのは、瓦礫の中からようやく日常を拾い集めつつあった神戸の街中でのことだった。
 何気なく立ち寄った書店で、すっと目にとびこんできた雑誌の表紙があった。
 美術系の雑誌、真っ白な背景の中を、モノクロの岡本太郎が少し振り返って微笑しながら走り去る写真。
 私はその雑誌の追悼特集で、96年1月に岡本太郎が亡くなったことを知った。
 思わず雑誌を手にとって、貪るように読んだ。
 今まで「空気」だった岡本太郎が、血と肉と、透徹した知性を備えた生身の人間として、改めて私の心をつかんで離さなくなった。

 私たちの世代は、子どもの頃から空気のように「岡本太郎」と言う存在を呼吸して育ってきた。
 大阪・千里の万博公園で見上げる「太陽の塔」のことは、みんな好きだった。
 テレビCMではギョロッと目をむきながら「芸術は、爆発だ!」とか、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」と叫ぶ変わった芸術家のおじさんとして、鮮烈な印象を放っていた。
 また、岡本太郎デザインの鯉のぼりというのもあって、これまたTVコマーシャルで鮮やかな原色のデザインが強烈だったし、今はなき近鉄バッファローズのマークも岡本太郎デザインでカッコよかった。
 私の世代の多くは、自然に「芸術家=岡本太郎」とイメージするようになり、今から考えるとその理解は物凄く的確だったことが分かる。

 はじめて岡本太郎の絵画作品の実物を目にしたのは、確か中学生の頃だったと思う。
 中学生になり、多少の絵画技術をかじるようになると、タレントじみた岡本太郎の活動が軽く見えたり、太陽の塔のようなシンプルなデザインがつまらなく思えたりしてくるようになる。
 思春期に入ったばかり、技術を学び始めたばかりの初心者が陥りがちな馬鹿さ加減なのだが、当の本人は自信満々だから自分の未熟さに気付けるはずもない(苦笑)
 そんな馬鹿真っ盛りの頃、近場の美術館で展覧会があった。
 正確なタイトルは覚えていないが、日本の近現代の絵画を広く集めた展示だったと思う。
 何点か岡本太郎の絵画作品があり、今でもはっきりと記憶に残っている。
 馬鹿全開の中学生の私にすら、その特異性は一瞬で理解できた。
 作品の持つ空気が、その場の並み居る画家の作品とまったく違っており、とくに「森の掟」にはただただ圧倒された。
 その展覧会には他にも優れた作品がたくさんあったはずなのだが、現在の記憶の中には岡本太郎の作品しか残っていない。
 私の中で岡本太郎と言う名前が「TVにでている爆発おじさん」から「凄まじい筆力を持った画家」に変わった瞬間だった。
 しかし当時の私には、岡本作品の圧倒的な力にまともにぶつかるだけの余力がなく、以後は「敬して遠ざける」という付き合い方になってしまった。

 それから時は流れて1996年。
 阪神大震災やオウム真理教事件の動乱の翌年、訃報が流れたのである。
 訃報とともに岡本太郎の再評価が始まり、作品集が刊行され、多くの著書が復刊された。
 私が本格的にそれらの著作に取り組み始めたのは2000年以降なのだが、90年代当時からぼちぼち読み始めていた。


●「今日の芸術」岡本太郎(光文社文庫)
 1954年に初版が刊行され、芸術を志す者に広く読み継がれてきた一冊。表題「今日の芸術」は、1950年代における「今日」を意味しておらず、芸術がその時代それぞれの「今日的課題」であるための条件を、きわめて平易な文章で語りつくしている。出版社の意向で「中学生でも理解できるように」徹底的に言葉を噛み砕いているため、読んでいてテンションの高い講演会を聴いている様な、流暢な香具師の口上に聞き惚れているようなライブ感がある。

「今日の芸術は、
 うまくあってはならない、
 きれいであってはならない、
 ここちよくあってはならない」

 こうした刺激的なコピーで読む者は首根っこを捕まえられ、理路整然と説得され、勢いに巻き込まれて一気に通読させられ、いつの間にか意識は転換させられてしまう。
 個人的には「芸術」と「芸事」の相違の解説の部分が、この本の白眉だと感じた。たゆまぬ修練によって身につけた技能が、実は芸術の本質からはずれた価値であるかもしれない。そのことは恐ろしくもあり、勇気づけられもする指摘だ。

●「青春ピカソ」岡本太郎(新潮文庫)
 岡本太郎が「今日心から尊敬する唯一の芸術家」と評し、だからこそ超えるべき対象として想定したピカソについての一冊。ピカソの作品や経歴についての詳細な解説であると同時に、真正面から取り組むことで積極的に創り上げた岡本太郎独自の芸術論の書でもある。
 最後の章でピカソと実際に会うくだりは、湿度が低くさらっと明朗な交流の様子がうかがえる。ピカソのぶっきらぼうな言葉の断片と、太郎の受け答えは、特筆するようなことは何もないのだが、何度も読み返したくなる。

●「岡本太郎に乾杯」岡本敏子(新潮文庫)
 太郎の活動を支え続けた岡本敏子が、太郎の死後、秘書としての視線から遺した記録。昨今の太郎再評価の機運は、敏子の尽力の賜物といって良いが、その敏子も今はもういない。
 表紙に使われている写真が良い。白い背景の中、ふと振り返って、少し微笑んでからどこかへ駆け出していく姿は、戦後の日本を駆け抜けた岡本太郎そのものに見える。
 私が1996年の神戸で、ふと手に取った雑誌の表紙になっていたのも、この写真だったはずだ。


●「日本の伝統」岡本太郎(知恵の森文庫)
 独自の視点から日本文化を創造的に評価しなおした一冊。とりわけ第二章の縄文土器についての考察が白眉。岡本太郎の目を通し、岡本太郎の感じ取った縄文が、以後の縄文観の原点になっていることがよくわかる。しかし、太郎が「四次元」「呪術」と表現した、単なる造型上の要素を超えた縄文土器の価値については、いまだ十分に考察がなされていないと感じる。
 まだまだ縄文は新しくあり続けることを予感させる論評だ。

●「沖縄文化論―忘れられた日本」
 沖縄論の古典とも言うべき必読書。中公文庫に収録されており、価格も安く入手も容易。初版の刊行は1961年であり、内容の大半は復帰前の沖縄の生々しい現地レポートだ。
 岡本太郎のモノを観る視点は、限りなく知的で醒めており、表現は的確だ。生粋の日本人でありながら、日本を突き放しつつ、誰もが忘れ去ってしまった日本の古層に横たわる美を抉り出す。
 縄文土器の美を世界中で最初に見出したのは岡本太郎であったし、沖縄についても戦後最初の紹介者にあたるのではないだろうか。沖縄に対する視点、分析は、とても60年代初頭に書かれたとは思えぬほどに新しい。 
 試みにいくつか章題を書き出してみよう。

・「何もないこと」の眩暈
・踊る島
・神と木と石
・ちゅらかさの伝統
・神々の島 久高島

 これらのキーワードは、現在でも多くの人々によって研究され論じられているものばかりだ。沖縄にまつわる主要な論点は、60年代の時点で既に、岡本太郎の透徹した感覚によって捉えられていたことになる。
 沖縄に興味を持つ人には、まずこの一冊をお勧めしたい。

●「岡本太郎の沖縄」
 こちらは「沖縄文化論」執筆と同時期に撮影された、岡本太郎自身によるモノクロ写真の数々を、岡本敏子が編集したもの。「沖縄文化論」にもいくつかの写真は紹介されているが、本格的な写真集で見ると圧巻だ。
 岡本太郎特有の、光と闇のコントラストの強烈な写真の数々が「岡本太郎の見た沖縄」を生々しく記録している。
 とくに昔の沖縄のおばあさん達を撮った素晴らしい写真が多い。
 私は大本教に興味があって色々資料を漁っているのだが、大本開祖・出口なおの写真を観た時の衝撃と似た感動を、この写真集の沖縄のおばあさん達の写真に覚えた。長い年月に洗い晒された銀髪と、誇り高い毅然とした表情が、両者に共通している。
 私は以前カテゴリ沖縄で「本土では神木クラスの樹木が、沖縄ではごく普通に生い茂っている」と書いたことがある。人間についても似たことが言えるのかもしれない…

 
 岡本太郎に再会した私は、絵を描くとかものを創るということは、そもそも「何を見てどう感じるか」から始まっていることに、あらためて気づかされた。
 そして、この日本という国の中にも、まだまだ隠れた「呪力」が残っていることを知ったのである。

 岡本太郎については、一つのカテゴリとして、このブログで紹介してきている。
(続く)
posted by 九郎 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年03月26日

本をさがして9

 90年代半ば以降、神仏や宗教についての読書を開始した頃、わりとリアルに心配していたことがあった。
「こんな本ばかり読んでたら、頭イカれてしまうんじゃないか?」
 ぶっちゃけて言えば、そんな懸念だった。
 そもそも絵描きなので、軽微ながら「幻視」の傾向はあった。
 日常生活に支障が出るほど「見えっぱなし」ということはなかったが、疲労や睡眠不足でぼんやりしている時、変な感じになることはたまにあった。
 睡眠時にいわゆる金縛りや幽体離脱みたいな体験はけっこうあったし、悪夢や怪夢の類はよく見た。
 そして、我ながら呆れるほど融通の利かない、思い込みの強い性格である。
 下手に宗教書を読み込んだりすると、本当におかしくなってしまうんじゃないかと思ったのだ。

 そんな懸念を抱えていたので、まずは河合隼雄の本をよく読んだ。
 どれを読んでも面白いのだが、入り口として読み易いのは以下の本あたりではないかと思う。


●「無意識の構造」(中公新書)
 ユング派の心の構造の考え方を総合的に分かりやすく解説した入門書。
●「子供の宇宙」(岩波新書)
 カウンセリングの場面で起こる様々な出来事や、児童文学の中に描かれる子供の内的世界について、実例を挙げながら紹介。
●「明恵 夢を生きる」(講談社+α文庫)
 中世の僧・明恵の「夢記」を題材に、夢に関する様々な事柄を幅広く解説。

 どの本もかなり知的刺激を受けるにも関わらず、ふわりと包み込むような読後感が素晴らしかった。
色々あっても、「ああ、多少イカれてても大丈夫かな」と思えるところが救われるのである。

 精神については他の著者の本もそれなりに読んだが、何か問題を抱えた時に、誰の本を読んでもいいというわけではないことはよくわかった。
 読んだことでかえって追い詰められ、失調する場合もあり得るなと感じた。
 この記事で紹介している著者、著作は、あくまで「私の経験に照らして大丈夫」と感じたものである。

 同じ頃、私が「心の在り方」に関連してよく読んでいた、あるサブカル系のライターがいた。
 名を村崎百郎という。
 自ら「鬼畜」「電波系」を名乗り、日々受信する妄想やゴミ漁りを、狂的、露悪的な文体でサブカル系の雑誌に記事を連発していた。
 巨躯に片目だけを露出した頭巾姿、シベリア出身で中卒の工員、暴力事件を度々起こしたキチガイというプロフィールだった。
 もちろん本名は別にあり、そうしたプロフィールも「事実そのもの」ではなかったのだが、文体の異様な迫力が「真実味」を持たせていた。
 実際、「ひっきりなしに何かが聞こえる」タイプの人であったことは間違いないだろう。

 村崎百郎のことはずっと気になっていて、90年代以降も何か本が出れば手に取っていたが、2010年、ある事件でお亡くなりになってしまった。
 その当時、当ブログでもごく簡単に書いた通り、この人に対して「冥福を祈る」とか紋切り型の言葉をおくることは、少々ためらわれたのである。
「本、何度も繰り返して読みました。『電波系』と『赤泥』は、いまでも読み返してます」
 もしお会いすることがあったなら、たぶんこの一言だけ伝えて早々に退散しただろう。

 事件の報道を知ってから数日、ネットで偶然のぞいたページに、少し感じるところがあった。
 yahoo知恵袋に寄せられた質問の一つである。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1027682090
息子が「ドグラ・マグラ」という本を持ってます
表紙のイラストが怪しげです
裏表紙に[これを読む者は一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書。]とあり、あらすじ的なことは書いてありません
どんな内容なのでしょう?
息子は大丈夫でしょうか?


 ベストアンサーに思わず笑ってしまった。
 その回答だけで十分なはずなのだが、親切な人たちが一々補足しなければならない風潮に、仕方のないこととはいえ、野暮なものを感じた。
 こんなつまらん世の中、どんどんつまらなくなるニッポンで、彼は「村崎百郎」をやってくれていたのだな……
 そんな風に思ったのだ。

 そう言えばこの「ドグラ・マグラ」も、当時何回か読んだ覚えがある。

 
 私が90年代に繰り返し読み、今でもたまに読み返す村崎百郎の著作は以下のもの。
 単著ではないが、かの人の「鬼畜」の部分と、何と表現すべきか言葉が難しいのであえてこの言葉を使ってしまうが、「愛すべき」部分が、それぞれいかんなく発揮された二冊だと思う。


●「電波系」根本敬 村崎百郎(太田出版)
●「電波兄弟の赤ちゃん泥棒」村崎百郎 木村重樹(河出書房新社)

 村崎百郎の死後、関係者の証言と単行本未収録の文章を集めた一冊が刊行された。


●「村崎百郎の本」(アスペクト編)
 私が大好きだった雑誌「imago」掲載の一文も収録されている。
 タイトルは「キチガイの将来」。
 いつも通りの露悪的な文体の底に、キチガイとキチガイ予備軍に対する(これも他に適当な言葉が見つからないのでやむなく書いてしまうが)「やさしさ」が感じられ、しんどくても生きていける気がする名文なのである。
 鬼畜を装っていても実はイイ人みたいな紹介のされ方は、村崎百郎本人が最も嫌うだろうということは分かり切っているので、表現が難しい。

 村崎百郎の死の直後、私は自分の記事のタイトルに「偽悪と露悪の向こうがわ」と書いた。
 ちゃんと表現できている気がしなくてその後もあれこれ考えているのだが、彼を表すのに適当な言葉はまだ見つかっていないのである。


 私が90年代に読み耽った「こころ」に関する両極端とも言えるお二方は、今はもうどちらもお亡くなりになってしまった。
 一通り読み終わった後、当時の私は、軽い失望と共に、一安心した。
「おれには本当に狂ってしまえるほどの才はないな」
 そんな風に、了解できたのだ。
(続く)
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年03月27日

旧キット 1/144 ガンキャノン

 相変わらず暇を見つけてはガンプラ旧キットを作っている。
 今回は1/144ガンキャノン。
 以前作った1/100リアルタイプガンキャノンは本当に良いプラモで、私の旧キット趣味に火をつけてくれた作品になったのだが、小サイズのこちらはどうだろうか。
 例によってamazonでは高値がついている時期もあるが、基本的には昔と同じ300円で入手できる懐かしプラモである。


●1/144 ガンキャノン

 まずは素組み。

gp-42.jpg


gp-43.jpg


 成型色は赤一色で、ちょっと目が痛い。
 1/100は成型色だけでもかなり色分けが出来ていたのだが、廉価な小サイズモデルなのでこれは仕方がない。
 形状自体は1/100をそのままサイズダウンした感じで、よくできている。
 確かガンプラブーム当時も1/100が先行で、後から1/144が発売されていたはずだ。
 関節の構造などはかなり省略されていて可動軸がちょっと細く、塗装のためにいじっていたら肘関節を折ってしまった。
 折った瞬間記憶がよみがえってきた。
 ああ、そうそう、小学生の頃も同じところを折ってしまったっけ!
 仕方がないので片肘は接着固定。
 もともと動かして遊ぶつもりはない(もうおっさんだから)ので、別に問題ないのだが、子供の頃はショックだったなあ……
 上の写真でライトグレーに見えているところは、パーツの合いが悪かったり、ヒケがあったりしたところを、タミヤパテで修正した箇所。
 旧キットを作る以上、こうした基本工作は楽しまなければならない。

 色はいつものごとく、缶スプレーのつや消しブラックからアクリルガッシュ筆塗り。
 今回アニメ版ではなく、リアルタイプカラーにしてみた。

gp-44.jpg


 まさにガンキャノン!
 おっさんの記憶の中のガンキャノンそのもの!

gp-45.jpg


 1/100と並べるとこんな感じ。

gp-47.jpg


 ついでに1999年発売のHGUC第一弾、1/144ガンキャノンとも並べてみよう。

gp-46.jpg


 こちらも発売当時買ってみて、接着剤要らず、塗装要らずでここまでよく動く完成品ができるのかと驚愕したのを覚えている。
 デザイン上どうしても肩幅が広くなるところを、キャノンを「少しはみ出させる」形でスタイルをまとめた発想が素晴らしく、とても良いキットなのだが、結局素組みした時点でそれ以上いじる意欲がわかず、放置していた。
 今はバージョンアップ版も発売されているけれども、ちょっとガンキャノンにしてはスタイルが良すぎて、おっさんの感覚には合わない(笑)
 やっぱりガンキャノンは武骨な支援メカでないとね。



 可動フィギュアを比較的安価に欲しいなら、HGUCは素晴らしい。
 しかし、プラモを模型としてがっちり作って塗りたいなら、やっぱり旧キットだ!
posted by 九郎 at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする