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2017年03月28日

旧キット 1/144 ガンタンク

 続いてガンタンク。
 こちらも基本的に昔と同じ600円で入手可能。


●1/144 ガンタンク

 このプラモも小学生時代に作ったことがある。
 1/144サイズのMSでは最高値の部類で、同じ600円はジオングとゾックだけだったと記憶している。
 まずは素組み。
 例によって、ライトグレーに見えるところはパテによる修正が必要な個所。

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 ガンダムの倍の値段だけあって、圧倒的なボリュームだ。
 成型色はダークブルー一色で、キャノピーもクリアーではないけれど、キャタピラは軟質素材使用でけっこうモールドが細かい。

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 今回はちょっとだけ改造した。
 素組みだと、肘関節が可動の仕組みはちゃんとあるのにパーツが干渉してほとんど曲がらない。
 このままでは手のバルカン砲を前に向けようとすると、「前へならえ」みたいになってしまう。
 溝を延長し、少々肘の内側を削ることで、多少は曲がるようにすることができる。
 あと、ボリュームがありすぎて素組みの完成品は箱にしまえなくなるので、腰部と両腕は脱着可能にした。
 後の収納まで考えるのが、大人のプラモ作りのたしなみである!
 、
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 戦車なので、足元(足じゃないけど)中心に汚すのが楽しい!

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 腰を脱着可能にするついでに、回転もできるようにした。

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 設定ではコアブロックが収納される箇所なので回転できないはずなのだが、やはり「戦車」としては砲部の回転は欲しいのである。

 私は個人的な趣味から「旧キットしばり」で作っているけれども、今普通にガンタンクが欲しいなら、HGUC版を買うのが正解だろう。
 色分け、可動、キャノピーのクリアー化など、旧キットの欠点が全部解消されていて、しかも実売価格にほとんど差がない!


●1/144 HGUC ガンタンク
 
 ただ、やっぱり「おれの思うガンタンク」より、ちょっとスマート過ぎるのが難……

 ともかく、連邦のV作戦コンプリート!

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posted by 九郎 at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

旧キット 1/144 ジム

 今月は連邦で行きます!

 続いてのネタは連邦の量産型MS、GM(ジム)。
 こちらも基本的に昔と同じ300円で入手可能。
 プレミア価格で買うようなものではない。


●1/144 RGM-79 ジム
 
 今回は全くの素組み。

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 成型色はガンダムよりやや色味の強い、薄いエメラルドグリーンのような感じ。

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 ジムはいわば「量産型ガンダム」だ。
 生産コストを抑えた一般兵士用のMSを、ガンダムから引き算して絶妙に「弱そう」なデザインにまとめてあるのが素晴らしい。
 先月紹介した旧型ザクでも述べたけれども、一度完成させたデザインから「盛って」強そうにするよりも、「削って」弱そうにする方がデザイン作業としては高度ではないかと思うのだ。

 ガンダムと形状の共通点が多い分、先行発売のガンダムのプラモから改良されている箇所がいくつかある。
 ガンダムやザクでけっこう難易度の高かった腕の取り付けが、シンプルに挟み込みになり、クリック構造も付いている。
 腕の形状は微妙にレベルアップ。
 右手はスプレーガンを持った状態と、サーベルが持てるように穴の開いた握り手が付属。
 シールドののぞき穴は開口。
 などなど。

 このプラモも小学生の頃作った覚えがある。
 おっさんになってから作ると、プラモの出来は向上させつつ、見た目はきっちり「弱そう」に製品化しているバンダイの企業努力が見えて、味わい深く感じられるのである。

 いつものように缶スプレーのつや消しブラックから、アクリルガッシュ筆塗りで塗装。

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 白っぽい部分はアニメ設定ではもっと色味が強いのだが、私は彩度を落とすスタイルが好みだ。

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 ガンダムとの比較。

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 ジムは、定価が安かった頃の初期のHGUCでも発売されていて、こちらも味わい深い良いプラモだ。
 堅気の衆にはこちらがお勧め。



 でも、私はやっぱり旧キットがいい。
posted by 九郎 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

旧キット 1/144 ボール

 もういっちょ!

 今月最後のプラモ紹介は、連邦の量産MS(?)ボール。
 こちらも基本的に昔と同じ300円で入手可能。


●1/144 RB-79 ボール

 このプラモは小学生時代に作った記憶がない。
 小遣いは限られているので、「ボールはいらん!」と思ったのだろうか。
 荷物整理をしていたら、完成させていないものが見つかった。
 おそらく90年代に買ったものだと思うが、なぜ買ったかは覚えていない(笑)
 
 今回は全くの素組み。
 塗装前の写真を撮り忘れたので、いきなり完成写真からいってみよう。

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 飾り台と、1/250の小サイズのボールがおまけに付いている。
 1/250というのは、ガンプラブーム当時発売されていた「ガンダム情景模型」や、一部のモビルアーマー、Gアーマーなどと共通のスケールで、並べられるようになっているのだ。

 成型色はアニメ設定の地色に近い、薄いラベンダーだった。
 1/144のプラモ本体は、頭頂部の砲台と腕関節が可動。

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 どこからどうみてもボール以外の何物でもない。
 作業用ポットを応急で武装したみたいな「間に合わせ感」が、とにかく物量でジオンを圧倒しようとする連邦の焦りを表しているようだ。
 MSなのに、中古だったら百万くらいで売ってそうな、見事な雑魚キャラの雰囲気がたまらない。
 相方のジムと並べると、エースパイロットが駈るガンダムの華々しい活躍とは違う、一般兵士のリアルな戦場の空気が感じられてくる。

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 ボールはもうこの旧キットで十分じゃね?
 とも思うのだが、一応HGUC版も紹介しておこう。
 二機セットとはいえボールで千円超えは、私としては「高け〜」と思ってしまうのだが、色分けや可動、コクピットまで再現されていれば、このくらいの値付けにはなるだろう。
 それはわかるのだけれども。。。


●HGUC 1/144 RB-79 ボール ツインセット

 旧キット作例紹介、今月はここまで!
posted by 九郎 at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2017年03月31日

本をさがして10

 1995年、カルト教団によるテロ事件が起こった後、その「解釈」を巡っては、いくつかの方向性があったのではないかと思う。
 一つには、まず何よりも「宗教」の起こした事件として論じる方向があり、「いやあれは宗教ではない」という反論も含め、「宗教とテロ」や「宗教と国家」というテーマが、あらためて持ち上がっていた。
 もう一つは、「国家転覆を企図する閉鎖的な集団が起こした事件」という点から、連合赤軍事件等の「政治案件」と比較しての論点があり、確かに教団信者の年齢層の上限あたりは、そうした事件の世代とも重なっていた。
 おそらく治安当局や報道の主力世代は、そうしたケースを念頭に置きながら、ことにあたっていたのではないかと思う。
 そしてもう一つ忘れてはならないのが、「サブカルチャー」という文脈からの言説だった。
 かの教団の、とくに三十代あたりの幹部信者の多くは、マンガやアニメで育った世代で、教団刊行物や宣伝手法、使用されている用語等に、明らかにその影響が見て取れた。
 当時のサブカルチャー界隈で活躍していた作家やライターの多くが教団幹部と同世代であり、直接の知り合いであったケースも多数あったようで、一時騒然とした雰囲気だったと記憶している。
 同世代的な視点から事件を論じたものには、たとえば以下のような本があった。


●「ジ・オウム―サブカルチャーとオウム真理教」(太田出版)
●「オウムという悪夢―同世代が語るオウム真理教論」(別冊宝島)

 事件当時私は二十代で、かの教団信者の年齢層の下限あたりに引っかかっていた。
 周囲で色々取り沙汰される噂話も含めると、どうやら「知り合いの知り合い」くらいの距離感で何人か信者がいるらしいことがわかった。
 人脈的に意外に近い。
 興味の分野もかなり近い。
 しかし、強い違和感はある。
 当時は「何がどう同じで、何がどう違うのか」を中々言葉にできず、もどかしさを感じていたので、こうした自分より一世代上のサブカルチャーの担い手たちの言葉を、貪るように読んでいた。
 
 教団幹部と同世代が事件を論ずると、どうしても話者の「自分語り」の部分が出てくる。
 教団に身を投じた者たちと、生まれ育ってきた時代背景の共通する、身を投じなかった自分自身の生い立ちからふり返る。
 自分の心の奥底にもある「ハルマゲドン」と切り結ぶ。
 そんな試みの中で、私が繰り返し読んだのは、上掲の二冊や以下の本だった。


●「私とハルマゲドン」竹熊健太郎(ちくま文庫)
●「篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝」竹熊健太郎(河出文庫)
 事件直後に書かれた自伝的作品と、それ以降のインタビュー集である。
 事件そのものを扱った一冊目に対し、二冊目は一部触れるにとどまっているけれども、どこかでつながった仕事であると感じるのである。

 サブカルチャーの中から、教団を論ずるだけでなく、直接対決にまで至ったケースもあった。
 90年代当時、週刊SPA!誌上で最も勢いのあった連載作品「ゴーマニズム宣言」の小林よしのりである。
 連載開始当初は「ギャグマンガ家が独自の視点から世間に物申す」というスタイルだったのが、次第にエンジンがかかって部落差別や菊タブー、薬害事件等のシリアスなテーマを扱い、時には最前線に立つ「社会派マンガ」として成長していく。
 そんな流れの中でかのカルト教団の話題も出るようになり、ついには教団から刺客を送られ、VXガスで暗殺されかける事態に至るのである。
 事件当時の掲載誌はこの作品と共に、鈴木邦男や宅八郎の記事も同時に連載されていて、「事件を報じる」というよりは「誌上でも局地戦が起こっている」というような雰囲気になっていたと記憶している。
 マンガと現実が交錯し、サブカルチャーが現実の「リアクション」であることを逸脱する、非常に刺激的な作品で、現在でも掲載誌をかえながら語り続けられている。
 現在の私は「ゴーマニズム宣言」の全ての主張には必ずしも同意出来なくなっているけれども、小林よしのりという語り手の「作家的良心」には、変わらず信頼を置いている。
 何かあった時、「小林よしのりはどう考えているのだろう?」と気になる存在であり続けているのだ。
 90年代の作品で好きなのは、薬害事件を扱った以下の本。


●「新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論」小林よしのり(幻冬舎)
 この作品以降、「ゴー宣」と小林よしのりは別次元に突入したと感じられる一冊である。
 その変化には賛否が分かれると思うが、少なくともこの作品は、今も一読の価値があると信ずる。
 カルト教団を直接扱ってはいないが、内容的には通底していると感じる。
 
 テロ事件当時、週刊SPA!とともに切り込んだ記事を掲載していたのが「週刊プレイボーイ」だった。
 中でも藤原新也の「世紀末航海録」が凄かった。
 連載の中で、かの教祖の生い立ちに関わる、ある「想念」が語られたことがあった。
 この「想念」が今後どのように展開していくのかと息を潜めて読んでいたのだが、ついに連載内では続きが語られることはなかった。
 やや唐突な話題の切り上げ、転換が行われ、何らかの圧力が働いたのかとも思わせるものがあった。
 そうした経緯も含め、全てが語られる「完結編」ともいえるのが、2000年代に入ってから刊行された以下の本である。


●「黄泉の犬」藤原新也(文春文庫)
 私が知る限り、「教祖の闇」に最も切り込んだのはこの一冊ではないかと感じているのである。

 90年代の私は、事件はやはり「宗教」にカテゴライズされるべきだろうと考えていた。
 サブカルチャーの文脈ももちろん含まれるだろうけれども、サブカルではハルマゲドンは起こせまいと思っていた。
 今は少し違っていて、「宗教のサブカル化」こそが事件の引き金になったのではないかと考え始めている。
 このことはまた、記事を改めて。
(続く)
posted by 九郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする