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2017年03月19日

本をさがして5

 幼児の頃の私は、両親が共働きだったので、昼間は主に母方の祖父母の家で過ごしていた。
 母方の祖父は大工だった。
 木彫りを趣味でやっていて、それは片手間というにはあまりに膨大な情熱を注いでいた。
 木彫り作品は言うに及ばず、作業場から道具、細かな彫刻刀の類などの多くは自作。
 玄関を入ると、仏像や天狗や龍などが、所狭しと並べられていた。
 中にはまるで七福神に仲間入りしそうな雰囲気のサンタクロースもいた。
 祖父はよく山に入り、気に入った形の木材(根っこや木の瘤も含む)を拾ってきては、それに細工を施したりしていた。
 切り出されてきたアヤシイ形の珍木が、祖父の手によって更に得体の知れない妖怪達に変貌していた。
 幼い頃の私は、そんな制作現場を眺めるのが好きで、祖父の操るノミや彫刻刀が様々な形を刻んでいくのを、いつまでも飽きずに観察していた。
 私にとっての祖父は、山に入っては色々な面白いものを持ち帰り、それを自在に操って怪しい妖怪に改造できる「凄い人」だった。
 そして私は、いつか自分も同じことをするのだと心に決めていた。

 祖父は彫刻の資料として各種の文献も集めていた。
 おそらく「原色日本の美術」あたりだと思うのだが、様々な仏尊が掲載されている大判の図鑑のようなものもあった。
 私はそれをパラパラめくっては、一人興奮していた。
 特に形相凄まじい「明王」の一群にハマった。
 仏様にも色んなキャラクターがいて、色んな姿をしていることを知った。
 当時は(今も?)「仮面ライダー」や「ウルトラマン」の全盛期で、「○人ライダー」や「ウルトラ兄弟」という概念も出来上がっていたのだが、幼い私にとっては仏尊図鑑も怪獣怪人図鑑も全く区別は無かった。
 宇宙のどこかで戦っているヒーローの一種として、明王の姿に目を輝かせていた。
 まあ、決して「間違い」ではない(笑)

 90年代に入ってから、その祖父は亡くなった。
 祖父手製の彫刻刀の類は、一部を私が引き継ぎ、せっかくなので何体か仏像彫刻の真似事もしてみた。
 大工である祖父とは違って、木材や刃物に素人の私には木彫は難しかったが、自分なりにできる範囲の表現というものがあるはずだと、ぼちぼち試していた。
 90年代当時は「円空・木喰ブーム」のような機運があって、各種書籍が刊行されたり、展覧会が開催されたりしていた。
 簡略化した彫り方の参考に、実物を観に行ったり、図版を集めたりもしていた。

 私が最初に「西村公朝」という名を意識したのは、90年代も終盤に入った頃、「NHK趣味悠々」で「西村公朝のほとけの造形」というシリーズの講師を勤めておられた時のことだった。


●「西村公朝のほとけの造形」(NHK趣味悠々)

 聞き手に和泉淳子(能楽師で、狂言の和泉元彌の姉)、日比野克彦(アーティスト)を迎え、毎回親しみやすい素材や手法で仏画や造形を指導。
 他にも仏の造形に関する様々な知識を、惜しみなく披露してくださる素晴らしい番組だった。
 とりわけ、木材それぞれの個性を生かした木彫の指導は本当に素晴らしかった。
 あらかじめ予定した形に無理矢理木を彫り込んで行くのではなく、実際にノミを入れてみて木と対話しながら、繰り返しこまめに下絵を描き直し、荒彫りと墨線、淡彩で仕上げていくスタイルは、まさに目からうろこだった。
 西村公朝スタイルを学ぶと、仏の造形は本当に楽しくなった。
 誰にでも可愛らしい仏像が作れてしまうノウハウは、円空や木喰のスタイルにも比肩し得る発明ではないかと感じた。
 番組を見、本を読んだだけだったのだけれども、勝手に仏像彫刻の「心の師」と仰いでいた。
 仏像修復の第一人者として数々の国宝級を手がけ、仏師としても第一人者であった師だが、私が一番好きなのはやはり荒彫り+淡彩の可愛らしい作品群だ。
 木目や節など、材それぞれの個性を大切にしながら、その場その場の即興性を大切に、生き生きとした仏様を刻みだすスタイルである。
 当世第一の技術を持った師が、あえてあのスタイルを採っていることに、とてつもない凄みを感じるのである。
 創作において先行作品に学び、技術を磨き、手間をかけることはもちろん大切な前提だ。
 しかし、これは絵描きのはしくれとしての自戒なのだが、一生懸命研究し、練習し、手間をかけて、それで満足しては駄目なのだ。
 大切なのは、そこにある作品が、「生きている」かどうかを、構えずに見定めていくこと。
 自分が作品に注いだ労力などは、最後はさらりと捨て去らなければならない。
 ものを創る人間は、苦労や努力を「頼み」にしてはならないのだ。
 西村公朝のような人にそれを実践して見せられてしまうと、あらためて背筋がしゃんと伸びてくるのである。 

 もしかしたら私は、亡き祖父と西村公朝師を、大変失礼ながらどこかで重ねて見ていた面があったのかもしれない。
 一度だけ講演会でお見かけした師は、柔和で瘦せているけれども、木を扱う人らしく、非常に骨格のしっかりした佇まいだったと記憶している。
 
 その師も、平成15年に亡くなられた。
 私の手元には今も何冊かの御著書がある。
 いずれも仏像造形や仏教の様々な知識について、飾らず、平易に語った名著ばかりだ。
 今後も私は繰り返しこれらの本を開くことになるだろう。

 数ある名著の中から何点か、紹介しておきたいと思う。


●「西村公朝と仏の世界―生まれてよかった」(別冊太陽)
 私が好きな西村公朝さんの「荒彫り+淡彩」の作品を見るならこの一冊。

●「やさしい仏像の見方」 西村公朝・飛鳥園(とんぼの本)
 仏教の世界観のビジュアル面について、きわめて平易に納得できる形で解説されている。

●「仏像は語る」西村公朝(新潮文庫)
 西村公朝の「思想」の部分については、この本が主著になるのではないだろうか。
 この本の中にはご本人の様々な実体験が語られており、仏教、仏像、修復の在り方など、縦横無尽に語りつくしている。
 中には「霊験譚」と呼べるものもたくさん紹介されている。
 あるエピソードの中では、親交のあった行者さん達の使う一種の「超能力」に関心を持ったことが記されている。
 単に関心を持っただけでなく、一時期は霊感トレーニングに夢中になってしまったことがあると言う。
 しかしある時、そのような遊び半分の霊感だけに捉われることは仏師としての仕事の邪魔になることに気付き、「超能力開発」を中止した経緯が、赤裸々に述べられている。
 これなども、深く心に刻むべき一章である。

 ここに紹介した本だけではなく、どれを読んでも面白いものばかりなので、機会があればぜひ一度手に取ってみてほしい。
(続く)
posted by 九郎 at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする