子供の頃から、水木しげるの本は好きでよく読んでいた。
当時「鬼太郎」等の水木マンガはあまり読んでいなくて、「妖怪図鑑」の類の読み物の方が主だった。
幼児期を過ごしていた母方の祖父母の家が、怪しい木彫りだらけだったことも、そうした本に興味を持ったルーツの一つになっていただろう。
水木しげるの読み物は妖怪だけにとどまらず、日本や世界の「異界」や「死後の世界」の伝承まで詳細に絵解きしてあって、今思うと妖怪図鑑というよりは「博物学図鑑」とか「民族学図鑑」と呼ぶべき内容だった。
わがニッポンの戦後マンガ界は、輝ける太陽である手塚治虫とともに、仄暗い異界を描く水木しげるの存在があったからこそ、かくも豊かで多様な発展を遂げたのだ。
今に続く私の民族芸術好きの傾向は子供の頃からあって、大阪の万博公園に行く機会には、もちろんエキスポランドや太陽の塔も好きだったが、国立民族学博物館に行くのが楽しみだった。
薄暗い展示スペースに、所狭しと並ぶ仮面や神像の数々が醸し出す雰囲気は、幼児期を過ごしていた祖父母の家の様とも、どこか似ていたと思う。
思春期はしばらく水木作品から離れていたのだけれども、90年代に入って再び読むようになった。
水木しげるとの「再会」のきっかけになったのが、以下の一冊である。
●「ねぼけ人生」水木しげる(ちくま文庫)
水木しげるは多くの自伝的な作品を描いているが、中でも定番ともいうべき一冊がこの本だ。
故郷である境港、その習俗のエキスパートである「のんのんばあ」に子守をしてもらった幼児期から、水木しげるの「妖怪人生」は始まっている。
太平洋戦争に向けて徐々に窮迫する世相、南方戦線への出征、片腕を失った顛末など、昭和史の貴重な証言になっており、まさに今、読むべき内容と言える。
特筆すべきは、ラバウルの戦場での現地の人々との交流の記録だ。
ろくな補給もなく、玉砕前提の戦場で兵士の大半が餓死、病死していく中、水木しげる本人は現地人の間で「大地母神」のように慕われるおばあさんに気に入られ、辛うじて命をつなぐ。
地獄の戦場のすぐ隣には、天国のような自然と共に生きる「土の人」の世界があったのだ。
戦争が終り、すっかり気に入られた水木は村人たちに引き留められるのだが、上官に説得され、再び返ってくることを約束して日本に帰国し、やがてマンガの世界に飛び込むことになる……
本書「ねぼけ人生」は人気の高いマンガ作品ではないけれども、水木しげるの作品世界に含まれる要素が全て詰まった、代表作と言える一冊である。
ちなみに、数あるマンガ作品の中では、以下の本が最高傑作ではないかと考えている。
●「河童の三平」水木しげる(ちくま文庫)
90年代当時、私は夢の記録や修行に最もハマっていた時期で、夢に関する本もそれなりに読んでいた。
中でもしっくりきたのは、以下の本だった。
●「夢を操る マレー・セノイ族に会いに行く」大泉実成(講談社文庫)
著者の大泉実成は、後に御大・水木しげると世界各地の民族担探訪の冒険に出ている。
90年代後半の水木しげるは妖怪フィールドワークの最盛期を迎えていて、季刊誌「怪」も創刊され、興味深い本が続々と刊行されていたのだ。
●「水木しげるの妖怪探険―マレーシア大冒険」(講談社文庫)
●「水木しげるの大冒険 幸福になるメキシコ―妖怪楽園案内」(祥伝社)
●「水木しげるの大冒険2 精霊の楽園オーストラリア(アボリジニ)―妖怪の古里紀行」(祥伝社)
妖怪蒐集のためなら凄まじい目利きとバイタリティを発揮する水木しげるに、他のメンバーや現地の人々がむしろ振り回される様は何とも痛快だ。
90年代の水木しげるがいかにノリにノッていたかを示すマンガは、以下の作品。
水木しげる自身が作中に登場し、妖怪について、人生について、縦横無尽、暴走交じりに語りつくす。
何しろ最後近くには、ねずみ男が教祖と化した「オナラ真理教」まで登場するのである。
●「妖怪博士の朝食1,2」水木しげる
妖怪という「売れる」フィルターを通すことで、博物学、民族学、民俗学の成果を出版につなげる機運が、90年代には盛り上がっていたと記憶している。
日本でそうした分野を学びはじめたいなら、あれこれ迷わず素直に水木しげるの作品から入ってしまうのが良い。
茫洋としたイメージとは裏腹に、ご本人は実はかなりの勉強家で、研究成果を惜しみなく作品に詰め込んでいることは、読めばすぐに分かるはずだ。
楽しんで読んでいるうちに、必要な素養や読むべき本、聴くべき音源等が、次々に見つかってくるのである。
一昨年、水木しげる御大は、とうとうお亡くなりになってしまった。
90年代の目覚ましい活躍の頃から、水木しげるは自身の妖怪探訪を精霊信仰の再評価と位置付けていた。
人類が数万年のスケールで伝承してきた素朴なアニミズムの世界に、ドグマで縛られがちな「近代」や「宗教」を超克する可能性を見出していたのだ。
仮面や神像、映像、音源など、おそらく膨大な量、極上の質を誇る一大民族学コレクションが所蔵されているはずなので、いつか公開される日が来ることを心待ちにしている。
水木しげるが開拓した「妖怪」と言うテーマともに、民族学や博物学への入り口として極めて魅力的なのが「仮面」である。
私は祖父が彫った妖怪面や能面を眺めながら育ったので、子供の頃から当り前のように好きだったが、そんな個人史を抜きにしても、仮面は誰にとっても理屈抜きで面白さが伝わりやすく、博物館等でも目玉展示になりやすい。
70年代以降にTVの子供番組に登場した変身ヒーローは、人類古来の仮面文化を正しく継承しているのだ。
仮面というテーマにこだわりを持ち、探求した人に狂言師の故・野村万之丞がいる。
●「心を映す仮面たちの世界」野村万之丞(桧書店)
●「マスクロード―幻の伎楽再現の旅」野村万之丞(日本放送出版協会)
マンガでも変身ヒーローは不動の人気を誇るが、ヒーローものの一要素としてではなく「仮面」そのものをテーマにした凄みのある作品も存在する。
●「マッドメン」諸星大二郎
●「花」松本大洋
民族芸術の世界を訪ねることは、そのまま呪術の世界、精霊信仰の世界を味わうことでもある。
どっぷり宗教関連の読書にハマり切っていた90年代の私は、そうした素朴な世界を並行して追うことや、遍路で古道を巡ることで、「解毒」されていた面があったと思う。
ある意味で宗教には「毒」があり、毒があるからこそ「薬」にもなるのだ。
(続く)