毎月書いてる気がするが、もう四月?!
まあ、今年に入ってから記事投稿だけはいい感じで続けられている。
実はここ二十年の「総括」が出来つつあったりして。。。
気候の変化やストレスなど、身体を壊しやすい時期に差し掛かるので、ほど良く手を抜き、睡眠時間はちゃんと取りながら、今月も行ってみよう。
3月中は少々花粉の症状が出た。
さほど酷くはなかったが、気にしだすとストレスになるので、ビタミンC摂取で乗り切った。
花粉の飛散量の減少と共に、そろそろ症状も出なくなってきた。
これからは徐々にVCの摂取量を減らし、通常仕様に戻していこう。
例年で言うと、この時期に注意すべきは「腰」だ。
とくに朝起きぬけに厳重注意。
胃腸炎の方は、10か月前の手術以来、発症せずに済んでいる。
下手に胃腸炎を起こすと、また変な腹圧がかかってヘルニアが再発しかねないので、こちらも養生、養生。
そろそろヤマザクラでも眺めに行くか。。。
2017年04月01日
2017年04月02日
反骨のカーリー 川口真由美さんのこと
このところ、川口真由美さんのCDをヘビーローテーションで聴き込んでいる。
彼女のことを知ったのは、去年の関西反原発デモでのことだった。
会場に着いた私は、特設ステージを観たり、手持ちの手作りギターで発声練習などをしながら、デモまでの時間をつぶしていた。
のどが乾いてドリンクを物色しに周辺のテントをまわっていたら、私のもっていた100均ボックスギターに目を止めた女性が声をかけてくださった。
さっきまでステージで歌っていた川口真由美さんだった。
生で歌を聴いたのははじめてだったのだが、私好みの放浪芸的な曲もあって、生き方として歌う必然性のある人は、やっぱりパワーが違うなと思っていた。
しばらくお話しさせてもらったり歌ったりして、とても楽しかった。
最近はデモのコールがラップのスタイルになることが多くなってきているのだけれど、川口さんのプロテストソングスタイルもやっぱり良いのである。
川口真由美さんは、ステージやCDももちろん素晴らしいけれども、辻説法のような「現場」が最も相応しい、凄みのある歌い手である。
Youtube等でその活躍の多くを見ることができるが、デモや座り込みの現場で聴くのが、たぶん一番心に沁みるのである。
暴虐の「現場」での川口さんは、ときに荒ぶるカーリーのごとく怒り、歯噛みしながら絶唱する。
今私が聴いているCDは静かな曲調が多いけれども、そこには不屈の反骨が秘められている。
わがニッポンには、このような「反骨の絶対量」が、まだまだ足りないのだ。
CDの中で、個人的には「コンドルは飛んでいく」の替え歌、「声は海を渡る」が好きになった。
100均ボックスギターで自分でもちょっと歌ってみたりしながら、またデモ等で声が聴ける日が来ることを、楽しみにしているのである。
川口真由美さんのCDは、以下のサイトで通販されている。
●「想い 続ける 沖縄・平和を歌う」
彼女のことを知ったのは、去年の関西反原発デモでのことだった。
会場に着いた私は、特設ステージを観たり、手持ちの手作りギターで発声練習などをしながら、デモまでの時間をつぶしていた。
のどが乾いてドリンクを物色しに周辺のテントをまわっていたら、私のもっていた100均ボックスギターに目を止めた女性が声をかけてくださった。
さっきまでステージで歌っていた川口真由美さんだった。
生で歌を聴いたのははじめてだったのだが、私好みの放浪芸的な曲もあって、生き方として歌う必然性のある人は、やっぱりパワーが違うなと思っていた。
しばらくお話しさせてもらったり歌ったりして、とても楽しかった。
最近はデモのコールがラップのスタイルになることが多くなってきているのだけれど、川口さんのプロテストソングスタイルもやっぱり良いのである。
川口真由美さんは、ステージやCDももちろん素晴らしいけれども、辻説法のような「現場」が最も相応しい、凄みのある歌い手である。
Youtube等でその活躍の多くを見ることができるが、デモや座り込みの現場で聴くのが、たぶん一番心に沁みるのである。
暴虐の「現場」での川口さんは、ときに荒ぶるカーリーのごとく怒り、歯噛みしながら絶唱する。
今私が聴いているCDは静かな曲調が多いけれども、そこには不屈の反骨が秘められている。
わがニッポンには、このような「反骨の絶対量」が、まだまだ足りないのだ。
CDの中で、個人的には「コンドルは飛んでいく」の替え歌、「声は海を渡る」が好きになった。
100均ボックスギターで自分でもちょっと歌ってみたりしながら、またデモ等で声が聴ける日が来ることを、楽しみにしているのである。
川口真由美さんのCDは、以下のサイトで通販されている。
●「想い 続ける 沖縄・平和を歌う」
2017年04月04日
本をさがして11
3.11以降、90年代によく読んでいた著者、著作を再び手にとる機会が増えている。
一つには、2010年代の世相が、90年代にかなり似ているのではないかという、個人的な感覚がある。
もう一つは、90年代の若者であった私が、かなり背伸びし、つま先立ちで読んでいた本の内容が、ようやく地に足のついた理解レベルに達してきたような気がすることもある。
90年代当時、私が最も傾倒していた書き手の一人が、「突破者」宮崎学である。
宮崎学は敗戦直後の昭和20年、京都伏見の解体屋稼業ヤクザの親分の家に生まれた。
ちょうど私の親の世代に当たる。
長じて早稲田大学に進学してからは学生運動に身を投じ、共産党のゲバルト部隊を率いる。
その後、トップ屋などを遍歴し、京都に帰って解体業を継ぐようになる。
ヤクザでありながら住民運動や組合活動にも手を貸す変わり種であったが、京都はもともと戦前からアウトローと左翼活動家の距離が近い土地柄でもあった。
著者が世間的に最も注目を集めたのは、グリコ森永事件の最重要参考人「キツネ目の男」として容疑をかけられたことだろう。実際、あの有名な似顔絵は、宮崎学本人をモデルに描かれたという説もある。
警察との徹底抗戦の結果、アリバイは崩されず逮捕には至らなかったのだが、稼業は大きなダメージを受け、後に倒産。
バブル当時は地上げなども手掛け、96年、その特異な半生を綴った「突破者」で作家デビューする。
●「突破者〈上下〉―戦後史の陰を駆け抜けた50年」宮崎学(新潮文庫)
作家は処女作に全てがある、とはよく言われる。
どれを読んでも面白い宮崎学の場合も、このデビュー作が飛び抜けている面。
「アウトロー作家」というよりは、本物のアウトローがシノギの一つとして作家活動をしているスタンスがなんとも痛快で、後に多くの著作で展開される問題意識の全てがこの一冊に濃縮されており、宮崎学の著作未読であれば、やはりこの作品からがお勧めだ。
報道などで無批判に流布される「定説」に対し、アウトローの立場から一時停止をかけ、その根本から実例を挙げて反証していく痛快さが、宮崎学の真骨頂である。
私は最初の一冊から熱狂的なファンになり、現在までに著作の9割以上は購読しているはずで、当ブログでも、何度か紹介してきた。
処女作「突破者」は、自伝でありながら血沸き肉躍る活劇だったが、最近作はまた違ったアプローチになってきている。
出自である伏見の最下層社会に対する視線は限りなく優しく、民俗学の領域とも重なる。
かなり落ち着いたトーンで、著者の同世代に対しては「まだやれることがあるだろう」と語り、下の世代に対しては「もっと自由に好き勝手をやれ」と呟くような、なんとなく「死に仕度」を思わせる雰囲気があるが、気のせいであってほしい。
ナニワのマルクス、故・青木雄二との一連の対談本も面白かった。
●「土壇場の経済学」(幻冬舎アウトロー文庫)
●「土壇場の人間学」(幻冬舎アウトロー文庫)
●「カネに勝て! 続・土壇場の経済学」(南風社)
青木雄二「ナニワ金融道」も、90年代当時よく読んでいた。
確かバイト先の近所のカレー屋に全巻揃っていて、昼休みになると通って「二倍カレー」を食いながら、読み耽っていた覚えがある。
●「ナニワ金融道」青木雄二(講談社)
今読むとさすがに描かれる時事風俗には「時代」を感じるが、かえって「90年代のリアルな時代劇」として新しい価値が出てきている感もある。
保証人と連帯保証人の違い、金の貸し借りが「合法的な奴隷」を作り出すディティール、自己破産という正当な権利、「マルチ商法は、どんな貧乏人でも持っている人間関係を、まるごと換金するシステムである」という洞察など、今の世にこそますます必要とされる「ゼニの真実」が、これでもかというほど詰め込まれている。
そしてその乾ききったリアリズムの果てに、なお立ち上ってくる「情」や「人間の尊厳」を、しみじみと味わうことのできる、名作中の名作なのである。
●「さすらい」青木雄二
代表作「ナニ金」完結とともに漫画家を卒業した青木雄二の、数少ない短編作品を集めた一冊。
90年代を「ナニ金」とともに駆け抜けた青木雄二は、2003年癌で早逝した。
「サクセスしたわしは資本主義の方が都合がええんや。そやけど、搾取されとる庶民のおまえらが気の毒やから、唯物論を教えたっとるんや」
マンガの筆を折って以降も、そうした主張の著作を数多く世に出していた。
誇張された「〜でんがな、〜まんがな」という荒っぽい関西弁の中にも優しさが感じられ、目を開かされた人、苦境を救われた人は多くいたのではないだろうか。
もちろん私も、そんな中の一人だ。
90年代は、他にも「個性派左翼」とでも呼ぶべき語り手がいっぱいいた。
仏教者にしてマルクス主義者の「シャカマル主義者」、右手に仏法左手に六法の怪物弁護士、故・遠藤誠の本もよく読んでいた。
冤罪の疑いが極めて濃厚な帝銀事件の弁護活動や、暴対法違憲訴訟で山口組の代理人を無償で務めたことでも知られていた。
90年代当時はカルト教団によるテロ事件の折にも「当事者」として発言が注目された時期があった。
●「新右翼との対話―「レコンキスタ」を斬る」遠藤誠(彩流社)
●「オウム事件と日本の宗教―対談 捜査・報道・宗教を問う」遠藤誠 佐藤友之 (三一新書)
●「真の宗教 ニセの宗教―私がマスコミに言わなかったこと」遠藤誠(たま出版)
今の私は著者の「伝統仏教批判」や「天皇制打倒」などの主張はそのまま首肯することは出来ないけれども、左右を問わず幅広く議論、交流し、あくまで反権力、弱者の側に立って活動する姿勢は、かわらず痛快に感じる。
他にも「はだしのゲン」の中沢啓治や「カムイ伝」の白土三平も、90年代はまだまだ意気軒昂で、それぞれ力作を執筆していた。
●「はだしのゲン自伝」中沢啓治(教育史料出版会)
70年代の名作「はだしのゲン」は、舞台を広島から東京に移した続編が構想されていた。
結局それは執筆されないままに、2013年、著者は亡くなった。
元々「ゲン」は著者の自伝的な要素の強い作品なので、その後の展開をあれこれ想像する材料は、この一冊に込められていると思う。
●「カムイ伝 第二部」白土三平(小学館)
壮絶な一揆の物語と共に終結した「第一部」の後を受け、88年から90年代を通じて断続的に執筆されたのが「第二部」である。
もちろん私も連載当時必ず読んでいたのだが、正直言うと、内容にはあまりピンと来ていなかった。
青年ではなくなった「第一部」の主要登場人物たちの心情が、少しずつ身に染みてきたのは、ようやくここ数年のことである。
今読むと、自信をもってこの「第二部」も傑作であると言えるのだけれども、それはまたいずれ記事をあらためて語りたい。
こうして並べてみると、今の世間的には短絡的な「サヨク」レッテルを貼られ、敬遠されがちな作者たちだが、私にとっては今も感覚的にフィットする大切な語り手であり続けている。
主張は左翼的でありながら、作者自身は左翼組織とはまったく馴染めない一匹狼気質であり、あくまで地べたを這いずる個人として語り、闘い抜いてきたことも共通していて、そんなところがまた良い。
弱肉強食、経済格差の広がる今の日本には、「弱きを助け、強きを挫く」という素朴な浪花節、反骨の志が、パワーバランスとしてもっともっと必要だと思うのだ。
一つには、2010年代の世相が、90年代にかなり似ているのではないかという、個人的な感覚がある。
もう一つは、90年代の若者であった私が、かなり背伸びし、つま先立ちで読んでいた本の内容が、ようやく地に足のついた理解レベルに達してきたような気がすることもある。
90年代当時、私が最も傾倒していた書き手の一人が、「突破者」宮崎学である。
宮崎学は敗戦直後の昭和20年、京都伏見の解体屋稼業ヤクザの親分の家に生まれた。
ちょうど私の親の世代に当たる。
長じて早稲田大学に進学してからは学生運動に身を投じ、共産党のゲバルト部隊を率いる。
その後、トップ屋などを遍歴し、京都に帰って解体業を継ぐようになる。
ヤクザでありながら住民運動や組合活動にも手を貸す変わり種であったが、京都はもともと戦前からアウトローと左翼活動家の距離が近い土地柄でもあった。
著者が世間的に最も注目を集めたのは、グリコ森永事件の最重要参考人「キツネ目の男」として容疑をかけられたことだろう。実際、あの有名な似顔絵は、宮崎学本人をモデルに描かれたという説もある。
警察との徹底抗戦の結果、アリバイは崩されず逮捕には至らなかったのだが、稼業は大きなダメージを受け、後に倒産。
バブル当時は地上げなども手掛け、96年、その特異な半生を綴った「突破者」で作家デビューする。
●「突破者〈上下〉―戦後史の陰を駆け抜けた50年」宮崎学(新潮文庫)
作家は処女作に全てがある、とはよく言われる。
どれを読んでも面白い宮崎学の場合も、このデビュー作が飛び抜けている面。
「アウトロー作家」というよりは、本物のアウトローがシノギの一つとして作家活動をしているスタンスがなんとも痛快で、後に多くの著作で展開される問題意識の全てがこの一冊に濃縮されており、宮崎学の著作未読であれば、やはりこの作品からがお勧めだ。
報道などで無批判に流布される「定説」に対し、アウトローの立場から一時停止をかけ、その根本から実例を挙げて反証していく痛快さが、宮崎学の真骨頂である。
私は最初の一冊から熱狂的なファンになり、現在までに著作の9割以上は購読しているはずで、当ブログでも、何度か紹介してきた。
処女作「突破者」は、自伝でありながら血沸き肉躍る活劇だったが、最近作はまた違ったアプローチになってきている。
出自である伏見の最下層社会に対する視線は限りなく優しく、民俗学の領域とも重なる。
かなり落ち着いたトーンで、著者の同世代に対しては「まだやれることがあるだろう」と語り、下の世代に対しては「もっと自由に好き勝手をやれ」と呟くような、なんとなく「死に仕度」を思わせる雰囲気があるが、気のせいであってほしい。
ナニワのマルクス、故・青木雄二との一連の対談本も面白かった。
●「土壇場の経済学」(幻冬舎アウトロー文庫)
●「土壇場の人間学」(幻冬舎アウトロー文庫)
●「カネに勝て! 続・土壇場の経済学」(南風社)
青木雄二「ナニワ金融道」も、90年代当時よく読んでいた。
確かバイト先の近所のカレー屋に全巻揃っていて、昼休みになると通って「二倍カレー」を食いながら、読み耽っていた覚えがある。
●「ナニワ金融道」青木雄二(講談社)
今読むとさすがに描かれる時事風俗には「時代」を感じるが、かえって「90年代のリアルな時代劇」として新しい価値が出てきている感もある。
保証人と連帯保証人の違い、金の貸し借りが「合法的な奴隷」を作り出すディティール、自己破産という正当な権利、「マルチ商法は、どんな貧乏人でも持っている人間関係を、まるごと換金するシステムである」という洞察など、今の世にこそますます必要とされる「ゼニの真実」が、これでもかというほど詰め込まれている。
そしてその乾ききったリアリズムの果てに、なお立ち上ってくる「情」や「人間の尊厳」を、しみじみと味わうことのできる、名作中の名作なのである。
●「さすらい」青木雄二
代表作「ナニ金」完結とともに漫画家を卒業した青木雄二の、数少ない短編作品を集めた一冊。
90年代を「ナニ金」とともに駆け抜けた青木雄二は、2003年癌で早逝した。
「サクセスしたわしは資本主義の方が都合がええんや。そやけど、搾取されとる庶民のおまえらが気の毒やから、唯物論を教えたっとるんや」
マンガの筆を折って以降も、そうした主張の著作を数多く世に出していた。
誇張された「〜でんがな、〜まんがな」という荒っぽい関西弁の中にも優しさが感じられ、目を開かされた人、苦境を救われた人は多くいたのではないだろうか。
もちろん私も、そんな中の一人だ。
90年代は、他にも「個性派左翼」とでも呼ぶべき語り手がいっぱいいた。
仏教者にしてマルクス主義者の「シャカマル主義者」、右手に仏法左手に六法の怪物弁護士、故・遠藤誠の本もよく読んでいた。
冤罪の疑いが極めて濃厚な帝銀事件の弁護活動や、暴対法違憲訴訟で山口組の代理人を無償で務めたことでも知られていた。
90年代当時はカルト教団によるテロ事件の折にも「当事者」として発言が注目された時期があった。
●「新右翼との対話―「レコンキスタ」を斬る」遠藤誠(彩流社)
●「オウム事件と日本の宗教―対談 捜査・報道・宗教を問う」遠藤誠 佐藤友之 (三一新書)
●「真の宗教 ニセの宗教―私がマスコミに言わなかったこと」遠藤誠(たま出版)
今の私は著者の「伝統仏教批判」や「天皇制打倒」などの主張はそのまま首肯することは出来ないけれども、左右を問わず幅広く議論、交流し、あくまで反権力、弱者の側に立って活動する姿勢は、かわらず痛快に感じる。
他にも「はだしのゲン」の中沢啓治や「カムイ伝」の白土三平も、90年代はまだまだ意気軒昂で、それぞれ力作を執筆していた。
●「はだしのゲン自伝」中沢啓治(教育史料出版会)
70年代の名作「はだしのゲン」は、舞台を広島から東京に移した続編が構想されていた。
結局それは執筆されないままに、2013年、著者は亡くなった。
元々「ゲン」は著者の自伝的な要素の強い作品なので、その後の展開をあれこれ想像する材料は、この一冊に込められていると思う。
●「カムイ伝 第二部」白土三平(小学館)
壮絶な一揆の物語と共に終結した「第一部」の後を受け、88年から90年代を通じて断続的に執筆されたのが「第二部」である。
もちろん私も連載当時必ず読んでいたのだが、正直言うと、内容にはあまりピンと来ていなかった。
青年ではなくなった「第一部」の主要登場人物たちの心情が、少しずつ身に染みてきたのは、ようやくここ数年のことである。
今読むと、自信をもってこの「第二部」も傑作であると言えるのだけれども、それはまたいずれ記事をあらためて語りたい。
こうして並べてみると、今の世間的には短絡的な「サヨク」レッテルを貼られ、敬遠されがちな作者たちだが、私にとっては今も感覚的にフィットする大切な語り手であり続けている。
主張は左翼的でありながら、作者自身は左翼組織とはまったく馴染めない一匹狼気質であり、あくまで地べたを這いずる個人として語り、闘い抜いてきたことも共通していて、そんなところがまた良い。
弱肉強食、経済格差の広がる今の日本には、「弱きを助け、強きを挫く」という素朴な浪花節、反骨の志が、パワーバランスとしてもっともっと必要だと思うのだ。
(続く)
2017年04月06日
本をさがして12
たまにサヨク的な言辞を記事にする当ブログであり、パワーバランスとしての「心情左翼」を自認する私であるけれども、さほど確固とした政治的立場を持つわけではない。
子供の頃から小柄で、おまけに弱視児童が出発点なので、「反骨」が性分になっている。
今でも「多数派」とか、「権力」とか、「図体がデカい」とかいう相手には、とにかく無条件に反発を感じる。
そうは言っても柔弱な絵描きに過ぎないので、普段から喧嘩上等で相手かまわず食ってかかっているわけではないが、表面上大人しく、基本的には争わず、しかし深く静かに不服従は通す。
あくまで「反骨」という性分が基本であり、個別の言辞が、世間一般の通念から見て「サヨクっぽく」なるのは結果に過ぎない。
だから、そうした性分から共感できる語り手には、昔から左右の枠を超えて心惹かれるところがあった。
90年代の私は「右翼」と呼ばれる中にも、お気に入りの論者が何人かいたのだ。
読み始めは鈴木邦男だったと記憶している。
当時は他称「新右翼」、自らは「民族派」と名乗っていた一水会の代表を務めていて、政治や思想にこだわらない幅広い活動を繰り広げていた。
私が最初に読んだのも、90年代当時ハマり切っていたプロレス関連の書籍だったはずだ。
率直で小気味の良い語り口が痛快だったので、たとえば以下のような「本業」の方の本も読むようになった。
●「脱右翼宣言」鈴木邦男(アイピーシー)
何と言っても面白かったのは、94年から「週刊SPA!」で連載されていた「夕刻のコペルニクス」だった。
それまでに体験してきた「実力行使」を含む民族派運動、思想の枠を超えた幅広い交流、かつて自身に向けられた赤報隊嫌疑などなど。
素材だけでも十分に刺激的だったのだが、そうしたヤバいネタを語ることによって、各方面からの抗議、脅迫、警察のガサ入れなどが次々と誘発され、それがまた同時進行で連載に取り上げられるという暴走ぶりが、毎週楽しみで仕方がなかった。
連載はかなり長く続いたけれども、94年の開始から96年分までを収録した一冊目が、飛び抜けて濃厚で面白かった。
●「夕刻のコペルニクス」鈴木邦男(扶桑社文庫)
前回記事で紹介した突破者・宮崎学との対談本もある。
●「突破者の本音―天皇・転向・歴史・組織」宮崎学 鈴木邦男(徳間文庫)
この両名、実は早大の学生運動時代は敵味方の関係にあり、乱闘を繰り広げていたとのこと。
刊行当時、「キツネ目の男VS赤報隊!?」というような煽りがつけられていたと記憶しているが、その宣伝に違わぬ濃密な一冊になっていた。
昨年は日本の右傾化という論点から「日本会議」に関する書籍が一斉に刊行され始めたが、その中でも嚆矢というべき一冊に、鈴木邦男に関する記述があった。
●「日本会議の研究」菅野完(扶桑社新書)
鈴木邦男が高校時代から「生長の家」の信仰を持っており、早大在籍時に右派の学生運動のリーダーであったこと、そして内部抗争により、運動からも教団からも放逐された経験があることは、自身で繰り返し語られてきたところだ。
当時「放逐した側」であったメンバーが、現在の「日本会議」を築き上げた経緯は、この本の末尾で初めて知り、90年代になんとなく「空白部分」として残っていた箇所に、思いがけずピースがハマったような感慨を持った。
そして、私が「右翼民族派」である鈴木邦男の著作を長年にわたって愛読しながら、「日本会議的なもの」に対しては一貫して反発を感じていたことの原因も、ようやく腑に落ちたのである。
鈴木邦男のリアルタイムの動向は、以下のサイトで週一で紹介されている。
鈴木邦男をぶっとばせ!
90年代当時の私が愛読していた、鈴木邦男をはじめとする複数の語り手が、敬意と共に度々取り上げていた名があった。
野村秋介である。
右翼民族派でありながら反権力、そして左右を超えた幅広く濃密な交流という、私好みの思想傾向の原点になったような人物であることが伺われ、興味を惹かれて著作を読み耽った。
●「さらば群青―回想は逆光の中にあり」野村秋介(二十一世紀書院)
93年、朝日新聞本社での「自決」と同時に刊行された、野村秋介の主著である。
600ページ近い厚みの三部構成。
第一部は折々の随想や生い立ちに関する記述、第二部は「ナショナリストの本分」、第三部は朝日新聞との論争の集成になっている。
天皇を奉じるナショナリストであり、改憲派、朝日新聞批判と並ぶと、昨今のネット右翼と変わらぬ印象になるかもしれないが、中身は全く異なる。
改憲派ではあったが、現憲法の基本理念は肯定しており、決して明治憲法への復帰は主張していなかった。
むしろ戦前回帰、軍国主義的な、思想無き「反共右翼」は明確に批判しており、国家神道体制も否定している。
一貫して反権力であり、政権と癒着するジャーナリズムや、見せかけの言論の自由を舌鋒鋭く暴き立てる語り手であった。
朝日新聞との論争、そして「自決」にしても、戦うべき価値を認めてこそのものだったのだ。
既に二十年以上前の著作であるけれども、天皇や愛国、改憲を語る時、時代を超え、左右の立場を超えて傾聴すべき論点が詰め込まれた一冊である。
保守を名乗る者の振舞いの幼稚さ、薄汚さが目に付きすぎる昨今、再読されるべき語り手であると強く感じる。
子供の頃から小柄で、おまけに弱視児童が出発点なので、「反骨」が性分になっている。
今でも「多数派」とか、「権力」とか、「図体がデカい」とかいう相手には、とにかく無条件に反発を感じる。
そうは言っても柔弱な絵描きに過ぎないので、普段から喧嘩上等で相手かまわず食ってかかっているわけではないが、表面上大人しく、基本的には争わず、しかし深く静かに不服従は通す。
あくまで「反骨」という性分が基本であり、個別の言辞が、世間一般の通念から見て「サヨクっぽく」なるのは結果に過ぎない。
だから、そうした性分から共感できる語り手には、昔から左右の枠を超えて心惹かれるところがあった。
90年代の私は「右翼」と呼ばれる中にも、お気に入りの論者が何人かいたのだ。
読み始めは鈴木邦男だったと記憶している。
当時は他称「新右翼」、自らは「民族派」と名乗っていた一水会の代表を務めていて、政治や思想にこだわらない幅広い活動を繰り広げていた。
私が最初に読んだのも、90年代当時ハマり切っていたプロレス関連の書籍だったはずだ。
率直で小気味の良い語り口が痛快だったので、たとえば以下のような「本業」の方の本も読むようになった。
●「脱右翼宣言」鈴木邦男(アイピーシー)
何と言っても面白かったのは、94年から「週刊SPA!」で連載されていた「夕刻のコペルニクス」だった。
それまでに体験してきた「実力行使」を含む民族派運動、思想の枠を超えた幅広い交流、かつて自身に向けられた赤報隊嫌疑などなど。
素材だけでも十分に刺激的だったのだが、そうしたヤバいネタを語ることによって、各方面からの抗議、脅迫、警察のガサ入れなどが次々と誘発され、それがまた同時進行で連載に取り上げられるという暴走ぶりが、毎週楽しみで仕方がなかった。
連載はかなり長く続いたけれども、94年の開始から96年分までを収録した一冊目が、飛び抜けて濃厚で面白かった。
●「夕刻のコペルニクス」鈴木邦男(扶桑社文庫)
前回記事で紹介した突破者・宮崎学との対談本もある。
●「突破者の本音―天皇・転向・歴史・組織」宮崎学 鈴木邦男(徳間文庫)
この両名、実は早大の学生運動時代は敵味方の関係にあり、乱闘を繰り広げていたとのこと。
刊行当時、「キツネ目の男VS赤報隊!?」というような煽りがつけられていたと記憶しているが、その宣伝に違わぬ濃密な一冊になっていた。
昨年は日本の右傾化という論点から「日本会議」に関する書籍が一斉に刊行され始めたが、その中でも嚆矢というべき一冊に、鈴木邦男に関する記述があった。
●「日本会議の研究」菅野完(扶桑社新書)
鈴木邦男が高校時代から「生長の家」の信仰を持っており、早大在籍時に右派の学生運動のリーダーであったこと、そして内部抗争により、運動からも教団からも放逐された経験があることは、自身で繰り返し語られてきたところだ。
当時「放逐した側」であったメンバーが、現在の「日本会議」を築き上げた経緯は、この本の末尾で初めて知り、90年代になんとなく「空白部分」として残っていた箇所に、思いがけずピースがハマったような感慨を持った。
そして、私が「右翼民族派」である鈴木邦男の著作を長年にわたって愛読しながら、「日本会議的なもの」に対しては一貫して反発を感じていたことの原因も、ようやく腑に落ちたのである。
鈴木邦男のリアルタイムの動向は、以下のサイトで週一で紹介されている。
鈴木邦男をぶっとばせ!
90年代当時の私が愛読していた、鈴木邦男をはじめとする複数の語り手が、敬意と共に度々取り上げていた名があった。
野村秋介である。
右翼民族派でありながら反権力、そして左右を超えた幅広く濃密な交流という、私好みの思想傾向の原点になったような人物であることが伺われ、興味を惹かれて著作を読み耽った。
●「さらば群青―回想は逆光の中にあり」野村秋介(二十一世紀書院)
93年、朝日新聞本社での「自決」と同時に刊行された、野村秋介の主著である。
600ページ近い厚みの三部構成。
第一部は折々の随想や生い立ちに関する記述、第二部は「ナショナリストの本分」、第三部は朝日新聞との論争の集成になっている。
天皇を奉じるナショナリストであり、改憲派、朝日新聞批判と並ぶと、昨今のネット右翼と変わらぬ印象になるかもしれないが、中身は全く異なる。
改憲派ではあったが、現憲法の基本理念は肯定しており、決して明治憲法への復帰は主張していなかった。
むしろ戦前回帰、軍国主義的な、思想無き「反共右翼」は明確に批判しており、国家神道体制も否定している。
一貫して反権力であり、政権と癒着するジャーナリズムや、見せかけの言論の自由を舌鋒鋭く暴き立てる語り手であった。
朝日新聞との論争、そして「自決」にしても、戦うべき価値を認めてこそのものだったのだ。
既に二十年以上前の著作であるけれども、天皇や愛国、改憲を語る時、時代を超え、左右の立場を超えて傾聴すべき論点が詰め込まれた一冊である。
保守を名乗る者の振舞いの幼稚さ、薄汚さが目に付きすぎる昨今、再読されるべき語り手であると強く感じる。
(続く)
2017年04月07日
本をさがして13
いわゆる「日本神話」は、子供の頃からけっこう好きだった。
もちろん子供なので「記紀」そのものではなく、絵本やマンガ、アニメ化されたものを楽しんだのだが、「国生み」「黄泉の国」「岩戸隠れ」「大蛇退治」などなど、どのエピソードも奇想天外で面白く感じた。
同じ頃、昭和天皇についてはとくに思うところはなかった。
歴史の授業で習ったり、歴史モノに出てきたりする、幾人もの天皇の子孫であることは、頭では理解していたが、普段の意識では「たまにTVで見るおじいちゃん」という以上には、何の感想も持っていなかった。
マンガ「はだしのゲン」ではかなり批判的に描かれていて、作中のゲンや著者の中沢啓治がなぜそのように感じるようになったかは理解できたが、その怒りを「わがこと」と感じるまでには至らなかった。
なにしろ、子供だったのだ。
色々自分で考えて判断できる年齢になったのは、ちょうど今の天皇が即位してからになる。
90年代の幕開けとほぼ同時に「平成」は始まり、それからずっと見続けてきたが、私が今の天皇に感じるのは「頭の下がる思い」と言うほかない。
知も徳も兼ね備え、柔和な物腰の中に「鋼の意志」も垣間見える。
日本で最も不自由な、がんじがらめの立場に置かれながら、抑制された「お言葉」と移動のタイミングを武器に、たえず静かなメッセージを発し続けるお姿は、見事としか言いようがない。
子供の頃から神社も好きだった。
自宅近くに比較的大きな住吉神社があった。
当時はまだ季節のお祭も盛んで、隣接する溜池で釣りをしたり、境内にあった地区のプールで泳いだり、ときに社殿の屋根によじ登って怒られたりしながら、毎日のように遊んでいた。
日本神話も、天皇も、神社の佇まいも、どれも自分にとっては好もしい。
しかし、それでもなお「引っかかる」ものがある。
それが何なのかを知りたくて、90年代の私は本を読み漁っていた。
まずは「古事記」そして「風土記」だ。
古事記、記紀神話、日本の古伝承についての本も数えきれないほど刊行されていて、何から読んだらよいのか迷うところだ。
以前の仏教全般の記事でも述べたけれども、そういう時はごくオーソドックスなものから読んだ方が良い。
古事記のオーソドックスと言えば、以下に紹介するものになると思う。
●「新版 古事記 現代語訳付き」(角川ソフィア文庫)
私が90年代によく読んだのは角川文庫のもう一つ古い方の版だが、こちらの新版も良い。
●「古事記(上)全訳注」(講談社学術文庫)
●「古事記」(岩波文庫)
●「風土記」(岩波文庫)
風土記は日本の古典の中でも最古層に属するが、内容的にはさほど難解なものは無い。より原典に近い雰囲気を感じ取るには岩波文庫版がお勧め。
●「風土記」(平凡社ライブラリー)
手軽に親しむには現代語訳されているこちらの版がお勧め。
大人になって読み返してみた原典は、やはり途方もなく面白かった。
ただ、「記紀神話」をもって「日本古来」とするには、少々但し書きが必要であることも分かってきた。
事実だけ視るならば、古事記や日本書紀は、その成立当時有力だった各氏族の伝承を(かなり政治的に)集大成した「新たな神話大系」だ。
記述通り開闢以来伝えられてきたものではもちろんないし、史実としては「皇紀」と同じだけ遡れるものでもありえず、たかだか千数百年、主に宮中で本が伝承されてきたにすぎない。
その間も、「古事記」そのものや、天皇という存在が一般庶民にもずっと親しまれてきたという事実はない。
実際の庶民の信仰では雑多な神仏習合の時代の方がはるかに長いし、長さだけで言うなら記紀よりはるか以前から続いたアニミズムこそが「本来の姿」ということになるだろう。
記紀神話に価値がないと言っているわけではない。
それは非常に魅力的な神話体系であるし、政治的に集大成されたものとはいえ、古代の神々や天皇の行跡が、善悪を超えてかなり赤裸々に記述されているところは興味深い。
不思議な懐の深さ、大らかさは感じられる。
だが、これだけが日本ではないのだ。
何万年もかけてこの列島に様々な人々や神仏が渡来し、混じり合い、変容してきたこと全部が日本なのであって、歴史上どこかの時点に「正解」があるわけではない。
本来の国柄であるとか、純粋な神道などというものが歴史のどこかにあったとすること自体が、近世以降の国学〜復古神道〜国家神道という一連の流れから出た「新説」に過ぎないのだ。
●「国家神道」村上重良(岩波新書)
国家神道は、一言でいうなら「きわめて短期間で破綻した近代日本の新興宗教」だ。
史実ではありえない神話を現実の天皇制に仮託して強引に「復古」し、その結果国を滅ぼしたカルトであり、国家権力を背景にした官製カルトであることを考えると、悪質さは日本史上でも突出していると言える。
国家神道体制が確立する過程で起こった、神社合祀、神仏分離、廃仏毀釈により、庶民の信仰や鎮守の森が破壊され、人心も自然も荒廃していった過程は、まなり早い段階から南方熊楠によって鋭く指摘されていた。
●「神社合祀に関する意見」南方熊楠
また、90年代の私の「最初の一冊」である五木寛之「日本幻論」の中の、「隠岐共和国の幻」の章にも、それらの問題は集約されて語られている。
この本には、柳田国男と南方熊楠も取り上げられている。
記紀だけでなく「民俗学」もまた、在りし日の日本の姿を知るには欠かせない。
●「遠野物語・山の人生」柳田国男(岩波文庫)
私が神社や現天皇、日本神話自体には心惹かれながら、どうしても違和感がぬぐえなかったのは、「国家神道」という官製カルトが原因であった。
そしてそれは決して過去の遺物ではないのである。
戦前回帰を志向している神職はわりにたくさん存在して、エコやスピリチュアル趣味で無邪気に神社巡りをするうちに、国家神道的な刷り込みがなされてしまう場合も無しとは言えない。
某総理大臣夫人などはその口かもしれない。
ただ、繰り返すけれども、カルトが生じたからと言って、母体となった記紀神話を否定するわけではない。
カルトはあらゆる宗教、信仰から等しく生じうるのだ。
もちろん子供なので「記紀」そのものではなく、絵本やマンガ、アニメ化されたものを楽しんだのだが、「国生み」「黄泉の国」「岩戸隠れ」「大蛇退治」などなど、どのエピソードも奇想天外で面白く感じた。
同じ頃、昭和天皇についてはとくに思うところはなかった。
歴史の授業で習ったり、歴史モノに出てきたりする、幾人もの天皇の子孫であることは、頭では理解していたが、普段の意識では「たまにTVで見るおじいちゃん」という以上には、何の感想も持っていなかった。
マンガ「はだしのゲン」ではかなり批判的に描かれていて、作中のゲンや著者の中沢啓治がなぜそのように感じるようになったかは理解できたが、その怒りを「わがこと」と感じるまでには至らなかった。
なにしろ、子供だったのだ。
色々自分で考えて判断できる年齢になったのは、ちょうど今の天皇が即位してからになる。
90年代の幕開けとほぼ同時に「平成」は始まり、それからずっと見続けてきたが、私が今の天皇に感じるのは「頭の下がる思い」と言うほかない。
知も徳も兼ね備え、柔和な物腰の中に「鋼の意志」も垣間見える。
日本で最も不自由な、がんじがらめの立場に置かれながら、抑制された「お言葉」と移動のタイミングを武器に、たえず静かなメッセージを発し続けるお姿は、見事としか言いようがない。
子供の頃から神社も好きだった。
自宅近くに比較的大きな住吉神社があった。
当時はまだ季節のお祭も盛んで、隣接する溜池で釣りをしたり、境内にあった地区のプールで泳いだり、ときに社殿の屋根によじ登って怒られたりしながら、毎日のように遊んでいた。
日本神話も、天皇も、神社の佇まいも、どれも自分にとっては好もしい。
しかし、それでもなお「引っかかる」ものがある。
それが何なのかを知りたくて、90年代の私は本を読み漁っていた。
まずは「古事記」そして「風土記」だ。
古事記、記紀神話、日本の古伝承についての本も数えきれないほど刊行されていて、何から読んだらよいのか迷うところだ。
以前の仏教全般の記事でも述べたけれども、そういう時はごくオーソドックスなものから読んだ方が良い。
古事記のオーソドックスと言えば、以下に紹介するものになると思う。
●「新版 古事記 現代語訳付き」(角川ソフィア文庫)
私が90年代によく読んだのは角川文庫のもう一つ古い方の版だが、こちらの新版も良い。
●「古事記(上)全訳注」(講談社学術文庫)
●「古事記」(岩波文庫)
●「風土記」(岩波文庫)
風土記は日本の古典の中でも最古層に属するが、内容的にはさほど難解なものは無い。より原典に近い雰囲気を感じ取るには岩波文庫版がお勧め。
●「風土記」(平凡社ライブラリー)
手軽に親しむには現代語訳されているこちらの版がお勧め。
大人になって読み返してみた原典は、やはり途方もなく面白かった。
ただ、「記紀神話」をもって「日本古来」とするには、少々但し書きが必要であることも分かってきた。
事実だけ視るならば、古事記や日本書紀は、その成立当時有力だった各氏族の伝承を(かなり政治的に)集大成した「新たな神話大系」だ。
記述通り開闢以来伝えられてきたものではもちろんないし、史実としては「皇紀」と同じだけ遡れるものでもありえず、たかだか千数百年、主に宮中で本が伝承されてきたにすぎない。
その間も、「古事記」そのものや、天皇という存在が一般庶民にもずっと親しまれてきたという事実はない。
実際の庶民の信仰では雑多な神仏習合の時代の方がはるかに長いし、長さだけで言うなら記紀よりはるか以前から続いたアニミズムこそが「本来の姿」ということになるだろう。
記紀神話に価値がないと言っているわけではない。
それは非常に魅力的な神話体系であるし、政治的に集大成されたものとはいえ、古代の神々や天皇の行跡が、善悪を超えてかなり赤裸々に記述されているところは興味深い。
不思議な懐の深さ、大らかさは感じられる。
だが、これだけが日本ではないのだ。
何万年もかけてこの列島に様々な人々や神仏が渡来し、混じり合い、変容してきたこと全部が日本なのであって、歴史上どこかの時点に「正解」があるわけではない。
本来の国柄であるとか、純粋な神道などというものが歴史のどこかにあったとすること自体が、近世以降の国学〜復古神道〜国家神道という一連の流れから出た「新説」に過ぎないのだ。
●「国家神道」村上重良(岩波新書)
国家神道は、一言でいうなら「きわめて短期間で破綻した近代日本の新興宗教」だ。
史実ではありえない神話を現実の天皇制に仮託して強引に「復古」し、その結果国を滅ぼしたカルトであり、国家権力を背景にした官製カルトであることを考えると、悪質さは日本史上でも突出していると言える。
国家神道体制が確立する過程で起こった、神社合祀、神仏分離、廃仏毀釈により、庶民の信仰や鎮守の森が破壊され、人心も自然も荒廃していった過程は、まなり早い段階から南方熊楠によって鋭く指摘されていた。
●「神社合祀に関する意見」南方熊楠
また、90年代の私の「最初の一冊」である五木寛之「日本幻論」の中の、「隠岐共和国の幻」の章にも、それらの問題は集約されて語られている。
この本には、柳田国男と南方熊楠も取り上げられている。
記紀だけでなく「民俗学」もまた、在りし日の日本の姿を知るには欠かせない。
●「遠野物語・山の人生」柳田国男(岩波文庫)
私が神社や現天皇、日本神話自体には心惹かれながら、どうしても違和感がぬぐえなかったのは、「国家神道」という官製カルトが原因であった。
そしてそれは決して過去の遺物ではないのである。
戦前回帰を志向している神職はわりにたくさん存在して、エコやスピリチュアル趣味で無邪気に神社巡りをするうちに、国家神道的な刷り込みがなされてしまう場合も無しとは言えない。
某総理大臣夫人などはその口かもしれない。
ただ、繰り返すけれども、カルトが生じたからと言って、母体となった記紀神話を否定するわけではない。
カルトはあらゆる宗教、信仰から等しく生じうるのだ。
(続く)
2017年04月10日
本をさがして14
神道は、近代において「国家神道」という官製カルトの母体となった。
その史実から目を背けないという前提に立つならば、日本古来の「神ながらの道」を学ぶことは、豊饒な世界でありえる。
外来の様々な文化、宗教とゆるやかに折り合いをつけながら伝承され、展開してきた在り様は、非常に面白いのだ。
古代から近現代までの神道の展開を幅広く紹介できるのが、鎌田東二という語り手である。
現在オーソドックスな神社神道の流れから、やや「横道にそれた」人物や言説が多く扱われており、90年代に神道についての読書を始めた当初の私は、好んで著作を読み漁っていた。
●「神界のフィールドワーク」鎌田東二(ちくま学芸文庫)
●「霊性のネットワーク」鎌田東二 喜納昌吉(青弓社)
神社神道から少し横道に入り、あるいは一歩踏み込もうとしたとき、よく目にするのが「古神道」というキーワードだ。
文字通り解釈するならば「古い神道」ということになるけれども、実際には古神道は「新しい」ことが多い。
様々な宗教、宗派で何らかの「革新」が行われる場合、よく採用されるロジックが「原点に還れ」という復古運動で、「古神道」は神道における復古であるケースが多い。
知的に復古すれば国学的な流れになり、神懸りで復古すれば教派神道的な流れになる。
国家神道の場合も「復古」の過程でカルト化したケースだが、近代以降の日本の神道には他にも様々な復古の形があった。
そこには、神道本来のおおらかさを失った強権的な国家神道へのカウンターとしての現れもあったのだ。
そんな「古神道」というカテゴリを幅広く紹介できる語り手が、菅田正昭である。
●「古神道は甦る」菅田正昭(たちばな教養文庫)
●「言霊の宇宙へ」菅田正昭(たちばな教養文庫)
●「複眼の神道家」菅田正昭(八幡書店)
国家神道へのカウンターとしての古神道というモチーフは、70年代から80年代のオカルト界隈でも多く紹介された。
孫引きを重ね、「ゆるふわスピリチュアル」と化した今のオカルト本とは違い、当時刊行されたものは古文献等の原資料からがっちり読み解いてゆく内容であったので、今開いてみても読み応えがあるものが多い。
私が今でも手元に置いているのは、たとえば以下の本。
●「神々の黙示録」金井南龍ほか(徳間書店)
異端の神道家・金井南龍をはじめとするメンバーの座談を編集したもの。
武田洋一名義の編者は、後に多くの古文献を復刻した八幡書店を立ち上げた、武田崇元である。
昔は古書店で割と安く入手しやすかったのだが、何年か前からスピリチュアル界隈で「白山」がプチブームになり、その源流になった本書も再評価されたようで、今は少々高値になっているようだ。
カウンター神道の文脈に登場するキーワードの一つに「古史古伝」というものがある。
一般には「古事記以前の書」と紹介されることが多いのだが、これも現行テキスト自体は「新しい」。
古神道モチーフの中の一つとして、90年代の私は関連書をよく読んだけれども、今は離れている。
内容はそれなりに面白いのだが、どこまでが古伝承でどこからが書き加えなのか判然とせず、そこを掘り下げるほどの興味が持てなかったためだ。
来歴の真贋を棚上げするならば、内容的には「ホツマツタエ」や「カタカムナ」が興味深かったと記憶している。
今、一応手元に残しているのは概説的なものだけで、まあそれで十分だと思っている。
●「古史古伝の謎」(別冊歴史読本)
●「謎のカタカムナ文明」阿基米得(徳間書店)
80年代からオカルト趣味を持っていた私からみると、今刊行されているスピリチュアル関連本はちょっとぬるすぎる。
ぬるいだけでなく、戦前回帰カルトやスピリチュアルマルチの入り口になってしまっているケースが多々あるので、あまりお勧めできない。
古書価格でさほど高くないタイミングで入手できるなら、一昔二昔前の本の方がよほど読み応えがあるのである。
明治時代に国家神道体制が確立して以降は、むしろ弾圧された側の新宗教の方に見るべきものがある。
国家の方が新宗教より狂っていた時代もあったのだ。
先に紹介した菅田正昭「古神道はよみがえる」あたりに幅広く紹介されているけれども、いくつか非常に心惹かれる「教え」があった。
当時、何気なく手に取った白く簡素な冊子があった。
パラパラめくってみると、中ほどにどうやら創世神話を語っているらしい一章があった。
大まかなストーリーは以下のようなものだった。
この世の始まりは泥海
それを味気なく思った月神と太陽神は
泥海の中から魚と巳を引き寄せて、男と女の元とした
シャチ、カメ、フグ、ウナギ等の生き物を引き寄せて、
体の様々な働きを作り、ドジョウを魂とした
小さな人類が生まれては滅び、
最後にメザルが一匹残った
それが今の人間の祖先である
読み進めると、昔どこかで聞いたことがあるような、懐かしい感じがした。
その簡素な冊子「天理教教典」は、当時百二十円ぐらいだった。
江戸末期、中山ミキによって創始された天理教は、とくに関西ではそれなりに信仰されており、親類縁者の中に一人くらいは関係している人がいてもおかしくはないのだが、私自身はとくに何の関わりもなかった。
それにも関わらず、この「泥海神話」に懐かしさのようなものを感じたのは、田んぼと古生物図鑑に囲まれて育ってきた原風景のせいだろうか。
更に詳しく調べてみると、「天理教教典」の神話の記述の元になった、「泥海古記」という不思議な書物が在るらしいことを知った。
この書物「泥海古記」は「どろうみこうき」と読み、「こふき」と表記されることもある。
教祖・中山ミキが折に触れて語った創世神話を、古い信者が書きとめたものであり、筆者や年代によっていくつかの異本がある。
もっとも流布されたものは、教祖の「お筆先」に似せた和歌体で書かれたものだが、結局教祖の納得した内容のものは完成しなかったらしい。
国家神道体制下では記紀神話以外の神話体系は認められず、天理教はこの泥海神話が原因で何度かの弾圧を受けたと言う。
そのため「泥海古記」は厳重に隠蔽されて、実態のつかみづらいものになってしまった。
弾圧の恐れのなくなった戦後、ようやく復元された内容が、現教典の第三章「元の理」である。
90年代から天理教関連の資料を読み始めた一つの成果、そして天理教についてのまとめは、当ブログのカテゴリ:泥海で紹介している。
その史実から目を背けないという前提に立つならば、日本古来の「神ながらの道」を学ぶことは、豊饒な世界でありえる。
外来の様々な文化、宗教とゆるやかに折り合いをつけながら伝承され、展開してきた在り様は、非常に面白いのだ。
古代から近現代までの神道の展開を幅広く紹介できるのが、鎌田東二という語り手である。
現在オーソドックスな神社神道の流れから、やや「横道にそれた」人物や言説が多く扱われており、90年代に神道についての読書を始めた当初の私は、好んで著作を読み漁っていた。
●「神界のフィールドワーク」鎌田東二(ちくま学芸文庫)
●「霊性のネットワーク」鎌田東二 喜納昌吉(青弓社)
神社神道から少し横道に入り、あるいは一歩踏み込もうとしたとき、よく目にするのが「古神道」というキーワードだ。
文字通り解釈するならば「古い神道」ということになるけれども、実際には古神道は「新しい」ことが多い。
様々な宗教、宗派で何らかの「革新」が行われる場合、よく採用されるロジックが「原点に還れ」という復古運動で、「古神道」は神道における復古であるケースが多い。
知的に復古すれば国学的な流れになり、神懸りで復古すれば教派神道的な流れになる。
国家神道の場合も「復古」の過程でカルト化したケースだが、近代以降の日本の神道には他にも様々な復古の形があった。
そこには、神道本来のおおらかさを失った強権的な国家神道へのカウンターとしての現れもあったのだ。
そんな「古神道」というカテゴリを幅広く紹介できる語り手が、菅田正昭である。
●「古神道は甦る」菅田正昭(たちばな教養文庫)
●「言霊の宇宙へ」菅田正昭(たちばな教養文庫)
●「複眼の神道家」菅田正昭(八幡書店)
国家神道へのカウンターとしての古神道というモチーフは、70年代から80年代のオカルト界隈でも多く紹介された。
孫引きを重ね、「ゆるふわスピリチュアル」と化した今のオカルト本とは違い、当時刊行されたものは古文献等の原資料からがっちり読み解いてゆく内容であったので、今開いてみても読み応えがあるものが多い。
私が今でも手元に置いているのは、たとえば以下の本。
●「神々の黙示録」金井南龍ほか(徳間書店)
異端の神道家・金井南龍をはじめとするメンバーの座談を編集したもの。
武田洋一名義の編者は、後に多くの古文献を復刻した八幡書店を立ち上げた、武田崇元である。
昔は古書店で割と安く入手しやすかったのだが、何年か前からスピリチュアル界隈で「白山」がプチブームになり、その源流になった本書も再評価されたようで、今は少々高値になっているようだ。
カウンター神道の文脈に登場するキーワードの一つに「古史古伝」というものがある。
一般には「古事記以前の書」と紹介されることが多いのだが、これも現行テキスト自体は「新しい」。
古神道モチーフの中の一つとして、90年代の私は関連書をよく読んだけれども、今は離れている。
内容はそれなりに面白いのだが、どこまでが古伝承でどこからが書き加えなのか判然とせず、そこを掘り下げるほどの興味が持てなかったためだ。
来歴の真贋を棚上げするならば、内容的には「ホツマツタエ」や「カタカムナ」が興味深かったと記憶している。
今、一応手元に残しているのは概説的なものだけで、まあそれで十分だと思っている。
●「古史古伝の謎」(別冊歴史読本)
●「謎のカタカムナ文明」阿基米得(徳間書店)
80年代からオカルト趣味を持っていた私からみると、今刊行されているスピリチュアル関連本はちょっとぬるすぎる。
ぬるいだけでなく、戦前回帰カルトやスピリチュアルマルチの入り口になってしまっているケースが多々あるので、あまりお勧めできない。
古書価格でさほど高くないタイミングで入手できるなら、一昔二昔前の本の方がよほど読み応えがあるのである。
明治時代に国家神道体制が確立して以降は、むしろ弾圧された側の新宗教の方に見るべきものがある。
国家の方が新宗教より狂っていた時代もあったのだ。
先に紹介した菅田正昭「古神道はよみがえる」あたりに幅広く紹介されているけれども、いくつか非常に心惹かれる「教え」があった。
当時、何気なく手に取った白く簡素な冊子があった。
パラパラめくってみると、中ほどにどうやら創世神話を語っているらしい一章があった。
大まかなストーリーは以下のようなものだった。
この世の始まりは泥海
それを味気なく思った月神と太陽神は
泥海の中から魚と巳を引き寄せて、男と女の元とした
シャチ、カメ、フグ、ウナギ等の生き物を引き寄せて、
体の様々な働きを作り、ドジョウを魂とした
小さな人類が生まれては滅び、
最後にメザルが一匹残った
それが今の人間の祖先である
読み進めると、昔どこかで聞いたことがあるような、懐かしい感じがした。
その簡素な冊子「天理教教典」は、当時百二十円ぐらいだった。
江戸末期、中山ミキによって創始された天理教は、とくに関西ではそれなりに信仰されており、親類縁者の中に一人くらいは関係している人がいてもおかしくはないのだが、私自身はとくに何の関わりもなかった。
それにも関わらず、この「泥海神話」に懐かしさのようなものを感じたのは、田んぼと古生物図鑑に囲まれて育ってきた原風景のせいだろうか。
更に詳しく調べてみると、「天理教教典」の神話の記述の元になった、「泥海古記」という不思議な書物が在るらしいことを知った。
この書物「泥海古記」は「どろうみこうき」と読み、「こふき」と表記されることもある。
教祖・中山ミキが折に触れて語った創世神話を、古い信者が書きとめたものであり、筆者や年代によっていくつかの異本がある。
もっとも流布されたものは、教祖の「お筆先」に似せた和歌体で書かれたものだが、結局教祖の納得した内容のものは完成しなかったらしい。
国家神道体制下では記紀神話以外の神話体系は認められず、天理教はこの泥海神話が原因で何度かの弾圧を受けたと言う。
そのため「泥海古記」は厳重に隠蔽されて、実態のつかみづらいものになってしまった。
弾圧の恐れのなくなった戦後、ようやく復元された内容が、現教典の第三章「元の理」である。
90年代から天理教関連の資料を読み始めた一つの成果、そして天理教についてのまとめは、当ブログのカテゴリ:泥海で紹介している。
(続く)
2017年04月13日
本をさがして15
度々述べてきた通り、「日本の伝統」というものを考える時、記紀神話や神道は一つの重要な素材ではあるけれども、イコールではない。
あくまで、「文献として確認し得る中では最古層」であるにすぎない。
それ以前にも様々な古伝承があったことは、他ならぬ記紀自体に記述されている。
さらに言うなら、天皇家に繋がる天津神以前に、日本の国土には「先住民」がいたこと、天津神が謀略を使う侵略者であったことなども、意外に赤裸々に記述されている。
天津神はどこからやってきたのかと問われて「高天原」と答えるのは「信仰」であって、史実ではあり得ない。
ごく常識的に考えるならば、「大陸から」ということになるだろう。
そもそも神道と道教にかなり共通性のあることは、昔から様々に論じられてきた。
●「混沌からの出発」五木寛之 福永光司(中公文庫)
●「隠された神々―古代信仰と陰陽五行」吉野裕子(講談社現代新書)
記紀神話に道教の影響がみられるというよりは、東アジアに広範に遍在する道教文化の中の、ローカルな一派が神道であると考えるのが自然なのだ。
ある時期、道教的な文化を持つ氏族がこの列島にやって来て、先住民と衝突したり交流したりしながら徐々に定着した。
そしてその後も度々外来の文化や人を受け入れ、混じり合ってきた構図こそが「日本文化の伝統」ということになるだろう。
規範にすべき「日本固有の純粋な道」のようなものが、歴史上のどこかの時点に存在すると考えるのは国学的な一つの価値観に過ぎない。
数知れない暴虐に彩られた世界史の中で見るならば、この狭い日本列島の中では比較的穏便な統治が行われてきたということは言えるかもしれない。
天皇という存在が、そのことに一定の役割を果たしてきた可能性は、十分考えられる。
歴代天皇は、もちろん保守的ではあったけれども、時代に応じて様々な外来文化を、率先して受け入れてきた史実も幾多あるのだ。
ただし、一般庶民が天皇の存在を認知していた期間は、きわめて限られる。
近代に入って天皇が歴史の表舞台に復帰する以前、庶民にとって「テンノウ」と言えば、祇園の牛頭天王を指す言葉だったはずだ。
牛頭天王はまさに神仏習合を代表するような強力な祭神で、当ブログでも最初期から陰陽道関連のカテゴリで紹介してきた。
カテゴリ:節分
カテゴリ:金烏玉兎
陰陽道、陰陽師、そしてその代名詞である安倍晴明は、平安時代の実在の人物がフィクション化されることで、何度かのリメイクがなされてきた。
江戸時代には物語の主要なキャラクターであったし、90年代頃からは、夢枕獏の小説作品で人気を博した。
夢枕獏の描く晴明像、陰陽師像があまりに魅力的であったため、以後の創作物に登場する晴明や陰陽師のイメージはその影響を受け、ほとんど一色に塗りつぶされてしまった感すらある。
フィクションの世界ではそうした「塗りつぶし」が度々起こるものだし、エンタメとして楽しむ分にはとくに問題はない。
ただ、ちょっと注意したいのは、中世から近世にかけての神仏習合の宗教者の全てが、陰陽道や陰陽師でくくり切れるものではないということだ。
それに類する占いや祈祷などの呪的行為を行う者は、平安時代当時から数限りなく存在したが、朝廷に正式に仕える「陰陽師」は限られており、その他はまた様々な別の名で呼ばれていた。
その実態は単に「宗教者」という範囲も超えていて、ときに芸能者でもあり、医者でもあった。
とくに日本の庶民文化や芸能史を考える時、陰陽道(とそれに近接する神仏習合の信仰)を抜きにはできないのだ。
90年代の私は、陰陽道や神仏習合という捉えどころのない難物についての本も数多く読んでいた。
当時読んでいた本ではないけれども、今お勧めするなら、たとえば以下の二冊。
●「陰陽師とはなにか:被差別の源像を探る」沖浦和光(河出文庫)
●「陰陽師―安倍晴明の末裔たち」荒俣宏(集英社新書)
他にもカテゴリ「節分」「金烏玉兎」で本の紹介は多く行ってきた。
日本における「近代化」は、神仏が猥雑に共存した庶民の豊かな生活文化を、国家神道一色に塗りつぶしてしまった側面がある。
現在「日本神話」として流布されているイメージは、かなり人工的に復古されたものであることには留意しなければならない。
庶民が長らく親しんできたテンノウという名が、近代化によって牛頭天王から天皇にすり替わったことは、ある意味象徴的であったのかもしれないのだ。
あくまで、「文献として確認し得る中では最古層」であるにすぎない。
それ以前にも様々な古伝承があったことは、他ならぬ記紀自体に記述されている。
さらに言うなら、天皇家に繋がる天津神以前に、日本の国土には「先住民」がいたこと、天津神が謀略を使う侵略者であったことなども、意外に赤裸々に記述されている。
天津神はどこからやってきたのかと問われて「高天原」と答えるのは「信仰」であって、史実ではあり得ない。
ごく常識的に考えるならば、「大陸から」ということになるだろう。
そもそも神道と道教にかなり共通性のあることは、昔から様々に論じられてきた。
●「混沌からの出発」五木寛之 福永光司(中公文庫)
●「隠された神々―古代信仰と陰陽五行」吉野裕子(講談社現代新書)
記紀神話に道教の影響がみられるというよりは、東アジアに広範に遍在する道教文化の中の、ローカルな一派が神道であると考えるのが自然なのだ。
ある時期、道教的な文化を持つ氏族がこの列島にやって来て、先住民と衝突したり交流したりしながら徐々に定着した。
そしてその後も度々外来の文化や人を受け入れ、混じり合ってきた構図こそが「日本文化の伝統」ということになるだろう。
規範にすべき「日本固有の純粋な道」のようなものが、歴史上のどこかの時点に存在すると考えるのは国学的な一つの価値観に過ぎない。
数知れない暴虐に彩られた世界史の中で見るならば、この狭い日本列島の中では比較的穏便な統治が行われてきたということは言えるかもしれない。
天皇という存在が、そのことに一定の役割を果たしてきた可能性は、十分考えられる。
歴代天皇は、もちろん保守的ではあったけれども、時代に応じて様々な外来文化を、率先して受け入れてきた史実も幾多あるのだ。
ただし、一般庶民が天皇の存在を認知していた期間は、きわめて限られる。
近代に入って天皇が歴史の表舞台に復帰する以前、庶民にとって「テンノウ」と言えば、祇園の牛頭天王を指す言葉だったはずだ。
牛頭天王はまさに神仏習合を代表するような強力な祭神で、当ブログでも最初期から陰陽道関連のカテゴリで紹介してきた。
カテゴリ:節分
カテゴリ:金烏玉兎
陰陽道、陰陽師、そしてその代名詞である安倍晴明は、平安時代の実在の人物がフィクション化されることで、何度かのリメイクがなされてきた。
江戸時代には物語の主要なキャラクターであったし、90年代頃からは、夢枕獏の小説作品で人気を博した。
夢枕獏の描く晴明像、陰陽師像があまりに魅力的であったため、以後の創作物に登場する晴明や陰陽師のイメージはその影響を受け、ほとんど一色に塗りつぶされてしまった感すらある。
フィクションの世界ではそうした「塗りつぶし」が度々起こるものだし、エンタメとして楽しむ分にはとくに問題はない。
ただ、ちょっと注意したいのは、中世から近世にかけての神仏習合の宗教者の全てが、陰陽道や陰陽師でくくり切れるものではないということだ。
それに類する占いや祈祷などの呪的行為を行う者は、平安時代当時から数限りなく存在したが、朝廷に正式に仕える「陰陽師」は限られており、その他はまた様々な別の名で呼ばれていた。
その実態は単に「宗教者」という範囲も超えていて、ときに芸能者でもあり、医者でもあった。
とくに日本の庶民文化や芸能史を考える時、陰陽道(とそれに近接する神仏習合の信仰)を抜きにはできないのだ。
90年代の私は、陰陽道や神仏習合という捉えどころのない難物についての本も数多く読んでいた。
当時読んでいた本ではないけれども、今お勧めするなら、たとえば以下の二冊。
●「陰陽師とはなにか:被差別の源像を探る」沖浦和光(河出文庫)
●「陰陽師―安倍晴明の末裔たち」荒俣宏(集英社新書)
他にもカテゴリ「節分」「金烏玉兎」で本の紹介は多く行ってきた。
日本における「近代化」は、神仏が猥雑に共存した庶民の豊かな生活文化を、国家神道一色に塗りつぶしてしまった側面がある。
現在「日本神話」として流布されているイメージは、かなり人工的に復古されたものであることには留意しなければならない。
庶民が長らく親しんできたテンノウという名が、近代化によって牛頭天王から天皇にすり替わったことは、ある意味象徴的であったのかもしれないのだ。
(続く)
2017年04月15日
本をさがして16
我が敬愛するおりがみ師、河合豊彰さんの本に出会ったのも、90年代のことだった。
例によって宗教関連書を漁りに古本屋に行った時、100円均一のワゴンコーナーがあった。
保育社カラーブックスの中の一冊「おりがみ」を何気なく手に取り、表紙を見た瞬間、身体に電流が走った。
●「おりがみ」河合豊彰(保育社カラーブックス)
そこには赤いおりがみで作られた、見事な般若の面が大写しになっていた。尖った角も出っ張った頬も目も鼻もきちんと作られ、カッと開いた口がもの凄い迫力だった。
なんだ? これが本当におりがみ?
ページを繰って折り方を確かめてみると、鶴の折り方を基本に、ハサミは一切入れていないようだ。
他にも様々な伝承おりがみとともに、著者自身の考案した数々の「創作おりがみ」が紹介されていた。
当時の私は宗教とともに世界の民族芸術、とりわけ仮面文化に関心があって資料を集めていたのだが、この本の中に、多数のおりがみによる仮面が含まれていたことにも興味をひかれた。
もちろん即買い。
ついでに久々に「おりがみセット」も購入し、帰宅後、さっそく「般若」に挑戦してみた。
途中で多少手こずりながらもおりあげてみると、表紙写真とは微妙に違った表情のお面が出来上がった。
著者自身も解説で述べているが、おりがみ面は、おる人によって様々な表情に出来上がるのが面白いのだ。
私はすっかり感激して、他のお面にも次々に挑戦してみた。
そのうち、同じ保育社カラーブックスで、多数の河合豊彰のおりがみ本が出ていることを知った。
お面だけでなく、私好みの仏像的なおりがみもたくさん紹介されていて、よけいにハマっていった。
●「おりがみ入門」
●「創作おりがみ」
●「おりがみU」
私は取り憑かれたように関連本を探し、お面や仏像をおりつづけた。
河合豊彰のおりがみ本は他にも多数あるが、中でも集大成とも言える主著は、以下のものになるのではないかと思う。
●「おりがみ歳時記 春 夏 秋 冬」河合豊彰(保育社)
お面をおるには丈夫な和紙が良く、大きな紙でおった方が表情が作りやすいこともわかってきた。
和紙はアクリル樹脂で固めると頑丈に仕上がることも覚えた。
本に載っているおり方を参考に、少しの工夫で新しいお面が出来上がるのも本当に楽しかった。
以下にその当時私がおった作品の一部を紹介してみよう。
画像一枚目の中央が「般若」の面だ。
私のおりがみの「心の師」は、残念ながら2007年にお亡くなりになったけれども、流派として残っているようだ。
永遠のバイブル、カラーブックスの「おりがみ」も、現在は版型の大きな復刻版が刊行されている。
機会があれば一度手にとって見てほしい。
●「復刻版おりがみ 基本から創作まで」河合豊彰 (カラーブックス)
あらためて読み返すと、巻末に簡潔にまとめられている「折り紙の歴史」が興味深い。
そもそも日本のおりがみは、儀礼に使用されるための「秘伝」から始まったのだ。
おりがみに再びハマったのとほぼ並行して、90年代の私は「切り絵」の手法にも関心を持ち始めていた。
切り絵師・宮田雅之の、流麗な「線」に魅せられたことが大きい。
どんなジャンルにも言えることだが、その世界の「申し子」としか表現できないような第一人者と言うものは存在する。
河合豊彰氏はまさに「おりがみの申し子」だし、切り絵のジャンルで言えば、なんといっても宮田雅之がそうだ。
●「宮田雅之の切り絵八犬伝」(平凡社別冊太陽)
没後、追悼として発行された一冊。
氏の刀さばきが刻み込む妖艶な描線が「八犬伝」の世界と奇跡的にマッチして、ページを開けば凄まじいばかりの「怪しの世界」が繰り広げられる。
大胆な構図は動画を見るごとく、規則的に刻まれた直線は建築物を見るごとく、極限まで究めた省略は抽象絵画を思わせ、流麗な曲線は無音の音楽を響かせる。
絵描きの端くれとして氏の作品を鑑賞すると、無駄な線を極力省く精神力に、つくづく頭が下がってしまう。
自分の腕を誇りたいのは絵描きの本能のようなもの。紙を切りつつ己の技をも断つような静かな気迫、なかなか真似できるものではない。
私は今でも雛人形や兜を折り続けている。
また、表現上の手札の一つとして「切り絵」も使い続けている。
極楽往生源大夫
四聖獣
そして和紙という素材には、ずっと変わらず思い入れを持っている。
和紙を「折る」「切る」という要素を含めれば、御幣や切り紙なども同様の文化として視野に入ってくる。
●「土佐・物部村 神々のかたち」 (INAX BOOKLET)
それは先の記事で紹介した、陰陽道的な神仏習合の民間信仰の世界とも重なってくるのだ。
和紙にまつわる自分の持ち方の底流には、神仏への関心と同一のものがあったのだなと、今は納得している。
例によって宗教関連書を漁りに古本屋に行った時、100円均一のワゴンコーナーがあった。
保育社カラーブックスの中の一冊「おりがみ」を何気なく手に取り、表紙を見た瞬間、身体に電流が走った。
●「おりがみ」河合豊彰(保育社カラーブックス)
そこには赤いおりがみで作られた、見事な般若の面が大写しになっていた。尖った角も出っ張った頬も目も鼻もきちんと作られ、カッと開いた口がもの凄い迫力だった。
なんだ? これが本当におりがみ?
ページを繰って折り方を確かめてみると、鶴の折り方を基本に、ハサミは一切入れていないようだ。
他にも様々な伝承おりがみとともに、著者自身の考案した数々の「創作おりがみ」が紹介されていた。
当時の私は宗教とともに世界の民族芸術、とりわけ仮面文化に関心があって資料を集めていたのだが、この本の中に、多数のおりがみによる仮面が含まれていたことにも興味をひかれた。
もちろん即買い。
ついでに久々に「おりがみセット」も購入し、帰宅後、さっそく「般若」に挑戦してみた。
途中で多少手こずりながらもおりあげてみると、表紙写真とは微妙に違った表情のお面が出来上がった。
著者自身も解説で述べているが、おりがみ面は、おる人によって様々な表情に出来上がるのが面白いのだ。
私はすっかり感激して、他のお面にも次々に挑戦してみた。
そのうち、同じ保育社カラーブックスで、多数の河合豊彰のおりがみ本が出ていることを知った。
お面だけでなく、私好みの仏像的なおりがみもたくさん紹介されていて、よけいにハマっていった。
●「おりがみ入門」
●「創作おりがみ」
●「おりがみU」
私は取り憑かれたように関連本を探し、お面や仏像をおりつづけた。
河合豊彰のおりがみ本は他にも多数あるが、中でも集大成とも言える主著は、以下のものになるのではないかと思う。
●「おりがみ歳時記 春 夏 秋 冬」河合豊彰(保育社)
お面をおるには丈夫な和紙が良く、大きな紙でおった方が表情が作りやすいこともわかってきた。
和紙はアクリル樹脂で固めると頑丈に仕上がることも覚えた。
本に載っているおり方を参考に、少しの工夫で新しいお面が出来上がるのも本当に楽しかった。
以下にその当時私がおった作品の一部を紹介してみよう。
画像一枚目の中央が「般若」の面だ。
私のおりがみの「心の師」は、残念ながら2007年にお亡くなりになったけれども、流派として残っているようだ。
永遠のバイブル、カラーブックスの「おりがみ」も、現在は版型の大きな復刻版が刊行されている。
機会があれば一度手にとって見てほしい。
●「復刻版おりがみ 基本から創作まで」河合豊彰 (カラーブックス)
あらためて読み返すと、巻末に簡潔にまとめられている「折り紙の歴史」が興味深い。
そもそも日本のおりがみは、儀礼に使用されるための「秘伝」から始まったのだ。
おりがみに再びハマったのとほぼ並行して、90年代の私は「切り絵」の手法にも関心を持ち始めていた。
切り絵師・宮田雅之の、流麗な「線」に魅せられたことが大きい。
どんなジャンルにも言えることだが、その世界の「申し子」としか表現できないような第一人者と言うものは存在する。
河合豊彰氏はまさに「おりがみの申し子」だし、切り絵のジャンルで言えば、なんといっても宮田雅之がそうだ。
●「宮田雅之の切り絵八犬伝」(平凡社別冊太陽)
没後、追悼として発行された一冊。
氏の刀さばきが刻み込む妖艶な描線が「八犬伝」の世界と奇跡的にマッチして、ページを開けば凄まじいばかりの「怪しの世界」が繰り広げられる。
大胆な構図は動画を見るごとく、規則的に刻まれた直線は建築物を見るごとく、極限まで究めた省略は抽象絵画を思わせ、流麗な曲線は無音の音楽を響かせる。
絵描きの端くれとして氏の作品を鑑賞すると、無駄な線を極力省く精神力に、つくづく頭が下がってしまう。
自分の腕を誇りたいのは絵描きの本能のようなもの。紙を切りつつ己の技をも断つような静かな気迫、なかなか真似できるものではない。
私は今でも雛人形や兜を折り続けている。
また、表現上の手札の一つとして「切り絵」も使い続けている。
極楽往生源大夫
四聖獣
そして和紙という素材には、ずっと変わらず思い入れを持っている。
和紙を「折る」「切る」という要素を含めれば、御幣や切り紙なども同様の文化として視野に入ってくる。
●「土佐・物部村 神々のかたち」 (INAX BOOKLET)
それは先の記事で紹介した、陰陽道的な神仏習合の民間信仰の世界とも重なってくるのだ。
和紙にまつわる自分の持ち方の底流には、神仏への関心と同一のものがあったのだなと、今は納得している。
(続く)
2017年04月17日
本をさがして17
民族芸術的なものには、昔から興味があった。
私が子供時代を過ごした70年代から80年代にかけては、大阪万博の余韻もあって、民族学の分野が一般に広く紹介される機運があったのだと思う。
万博向けに収集された民族芸術品を母体に、跡地には国立民族学博物館が立ち上げられ、各地の小中学校の校庭にはトーテムポールが立てられたりしていた時代だった。
諸星大二郎の代表作「マッドメン」は、今からでは信じがたいことに、70年代の少年マンガ誌で連載されていたのだ。
白土三平の「カムイ伝」も、当初の予定では第三部でアイヌの世界に流れ込むはずだったという。
そうした時代状況と共に、私の場合は幼い頃からお経を読んでいたり、木彫りの妖怪に囲まれて育ったりという原風景も、もちろん影響していたことだろう。
90年代の学生時代、同じ美術科のメンバーの何人かが民族音楽や民族楽器好きだった。
私も前から好きだったので、その種のカセットテープを聴かせてもらったり、それぞれ楽器の手作りを試してみたりしていた。
意識的に民族音楽を聴き始めたのは、その頃からだったと記憶している。
卒業後もその趣味は続いていて、時期的にもちょうど「アンプラグド」が再評価され始めていた頃だった。
私にとっての決定的だったのは、家電量販店のワゴンセールで特売CDを眺めていた時の「出会い」だった。
その時ふと手に取ったCDのタイトルは「高砂族の音楽」。
全100枚に及ぶ「世界民族音楽大集成」という膨大なシリーズの中の一枚だった。
台湾原住民の素晴らしい音楽で、中には首狩りの風習を持っていた一族の現地録音も含まれていた。
少数部族が深い森の中で生み出す音は、素朴でありながら壮大で、混声の響きは宇宙大に広がっていくかのように感じられた。
言葉はわからないものの、発声は日本語に近く、メロディーは「我が民族音楽」である浄土真宗のお経と、どこか似通っていた。
すっかり気に入ってシリーズの他のCDも探したが、その後さっぱり見つからなかった。
近所の図書館の書庫に全部揃っているのを発見し、狂喜乱舞したのは2000年代に入ってからのことである。
●「世界民族音楽大集成」
質、量ともに、この種の民族音楽集成の中では群を抜いた決定盤ではないかと思う。
私の場合、たまたま自分の持っている波長と近い音源に出くわす幸運に恵まれたが、民族音楽の世界は興味があってもなかなか入りこみにくい分野ではある。
同じ地域の民族音楽でも音源によって歴然とした差があり、当たり外れはかなり大きい。
プレーンな現地録音と、スタジオできれいに再現された音源のどちらが良いかは、一概には言えない。
制作に豊富な予算を割いたシリーズでもつまらない音源はいくらもあるし、元々ワゴンセールで売ることを前提としたような作りのCDでも、びっくりするくらい良い音源が入っていたりする。
要するに、「聴いてみないとわからない」という博打の要素が強いのだ。
もちろん聴き手の理解力の問題もあるだろう。
入り口としては「素の現地録音」よりも、それを現代風にアレンジしてあったり、現代日本人が演じていたりすると耳に入り易くなるという傾向はある。
本土で沖縄民謡がこれほど理解されたのも、THE BOOMの「島歌」の功績が大きいと思うし、元ちとせの歌声で奄美民謡に対する理解は深まっただろう。
そうした民族音楽の「現代語訳」として私がお勧めしたいのは「芸能山城組」だ。
現在でも入手しやすいのは以下のCD。
●「Symphonic Suite AKIRA」
映画「AKIRA」の音楽として知られているCDだが、映画から独立したオリジナル作品として聴いても素晴らしい。
日本の民謡や声明、純邦楽が、ケチャやガムランなどの様々な民族音楽の世界とミックスされて、懐かしくもあり新しくもある祝祭空間が音で創出されている。
民族音楽のコアな世界への入り口として、これ以上無いほどの一枚である。
●「芸能山城組入門」
上記以外の様々なアルバムから、濃縮エキスのようにいいとこ取りをした一枚。
波長が合うようなら、以下の代表作二枚をお勧めしたい。
●「恐山」
●「輪廻交響曲」
ふり返ってみると、民族音楽を聴くこと、お気に入りの音源を探すことは、同時に「自分の魂の故郷」を探しているようなところがあったと思う。
私の場合、どうやらそれは、日本を含めた東アジアの「森の音楽」ということになりそうだ。
民族音楽を追っていると、必然的に民族楽器に興味が向く。
旅行先では土産屋の各種オモチャ楽器に目が行くし、エスニック雑貨の店では最初に楽器のコーナーに足を向けたくなる。
普通の楽器屋でも民族楽器や手作り楽器のコーナーがないか、まず見回してしまう。
実際に購入に至ることは少ないのだが、小型で手頃な値段の気に入ったものがあれば、ついつい衝動買いしてしまうこともある。
周りに「民俗楽器好き」を公言していると、お土産にオモチャ楽器をいただく機会もできる。
とくに、弦楽器が好きだ。
決してちゃんと演奏できるわけではないのだが、弦楽器をテキトーに爪弾きながら、好きな歌や語りものを口ずさむのが趣味である。
その時のお供としてミニギターの類をずっといじってきたのだが、90年代初め頃、初めてウクレレを手にとった。
今でこそウクレレはかなりの人気楽器だが、当時はさほどでもなく、60〜70年代のハワイアン流行り以降、まだ次の波が来ていなかった。
だから当時私が購入したウクレレにも、サンプルの譜面に加山雄三あたりの曲が掲載されていて、苦笑した記憶がある(笑)
今につながるウクレレ人気は、確か90年代後半くらいからではなかったかと思う。
ウクレレはギターより弦が少なく、ナイロン製なのではるかに抑えやすい。
私程度の弦楽器の楽しみ方をするには本当にぴったりの楽器で、今でもギターと並んでよくいじっている。
民族音楽を聴いていると民族楽器で遊んでみたくなるし、素朴なものなら自分で作ってみたくなるのは自然な流れだ。
私の場合、楽器趣味は自分で工作したりペイントすることまで含んでいる。
今はけっこう色々と手作り楽器キットが出回っているけれども、90年代当時は美術や音楽教育向けの手作り楽器参考書が何冊か出ている程度だった。
私が今でも手元に置いて参照しているのは以下の本。
●「音遊び図鑑―身近な材料で楽器を作ろう」藤原義勝(東洋館出版社)
今現在amazonではちょっと古書価格が高騰しているようだが、小学生でもできる工作から本格的な民族楽器作りまで、実に幅広く紹介してあるバイブルのような一冊だ。
民族楽器でよく使用される素材が、竹と瓢箪だ。
身近で加工しやすく、中空構造で音が良く響くことから、様々な地域で使用されている。
当時の私は都市部に住んでいたので必ずしも身近な素材ではなかったが、ホームセンターや東急ハンズ等で比較的安く手に入った。
ハンズで入手した瓢箪の中から大量の種子が出てきたので、試しにアパートのベランダでプランター栽培してみたら、ちゃんと果実がついた。
土が足りなくてさほど大きくはならなかったが、オモチャ楽器の素材としては十分使えた。
手ごろな竹が手に入らないときは、塩ビパイプがけっこう代用品になった。
ねずみ色のいかにも安っぽいパイプで尺八を作ってみると、意外にそれらしい音が出てびっくりしたこともある。
竹と瓢箪という素材は、実は民族・民俗文化を考える上で重要なキーワードになるのだが、当時はまだそこまで気付いていなかった。
●「竹の民俗誌」沖浦和光(岩波新書)
確かその頃、「週刊プレイボーイ」で気になる記事を見かけた。
同誌は昔から「グラビアで売って好き勝手な記事を書く」というスタンスが見える「意外と社会派」雑誌で、ハードなルポやくだらない企画、もちろんグラビアも含め、好きでよく読んでいた。
私が興味をひかれたのは、アイヌの血をひく若者が、ふとしたきっかけで「トンコリ」という民族楽器を手にして、自分で奏法を探りながらルーツに目覚めていった顛末を紹介した記事だった。
なんとなく記憶に残ったそのアーティスト、OKIのCDを実際に手に取ったのは、2000年代に入ってからだったけれども、今もよく聴いている。
●「KAMUY KOR NUPURPE 」OKI
90年代後半の私は、様々な宗教書を渉猟するのと並行して、ギターやウクレレで遊んだり、手作り楽器を楽しんだり、民族音楽を漁ったりしていた。
元々演劇をかじっていたので、音や芸能の世界には興味があったのだけれども、それは別々のことではなく、私の中では一続きのことだった。
今思うと、私は「自分の魂の故郷に行き着いた先達」としてのOKIに、心惹かれていたのだろう。
私の場合、どうやらそれは「東アジアの森の音楽」だったし、自分で唱えたり歌ったりするなら和讃や祭文の世界になる。
手作り楽器趣味も、じわじわとそうした世界観に合う音の出るものに傾いて行った。
今は、ボックスギターというジャンルにハマっている。
私が子供時代を過ごした70年代から80年代にかけては、大阪万博の余韻もあって、民族学の分野が一般に広く紹介される機運があったのだと思う。
万博向けに収集された民族芸術品を母体に、跡地には国立民族学博物館が立ち上げられ、各地の小中学校の校庭にはトーテムポールが立てられたりしていた時代だった。
諸星大二郎の代表作「マッドメン」は、今からでは信じがたいことに、70年代の少年マンガ誌で連載されていたのだ。
白土三平の「カムイ伝」も、当初の予定では第三部でアイヌの世界に流れ込むはずだったという。
そうした時代状況と共に、私の場合は幼い頃からお経を読んでいたり、木彫りの妖怪に囲まれて育ったりという原風景も、もちろん影響していたことだろう。
90年代の学生時代、同じ美術科のメンバーの何人かが民族音楽や民族楽器好きだった。
私も前から好きだったので、その種のカセットテープを聴かせてもらったり、それぞれ楽器の手作りを試してみたりしていた。
意識的に民族音楽を聴き始めたのは、その頃からだったと記憶している。
卒業後もその趣味は続いていて、時期的にもちょうど「アンプラグド」が再評価され始めていた頃だった。
私にとっての決定的だったのは、家電量販店のワゴンセールで特売CDを眺めていた時の「出会い」だった。
その時ふと手に取ったCDのタイトルは「高砂族の音楽」。
全100枚に及ぶ「世界民族音楽大集成」という膨大なシリーズの中の一枚だった。
台湾原住民の素晴らしい音楽で、中には首狩りの風習を持っていた一族の現地録音も含まれていた。
少数部族が深い森の中で生み出す音は、素朴でありながら壮大で、混声の響きは宇宙大に広がっていくかのように感じられた。
言葉はわからないものの、発声は日本語に近く、メロディーは「我が民族音楽」である浄土真宗のお経と、どこか似通っていた。
すっかり気に入ってシリーズの他のCDも探したが、その後さっぱり見つからなかった。
近所の図書館の書庫に全部揃っているのを発見し、狂喜乱舞したのは2000年代に入ってからのことである。
●「世界民族音楽大集成」
質、量ともに、この種の民族音楽集成の中では群を抜いた決定盤ではないかと思う。
私の場合、たまたま自分の持っている波長と近い音源に出くわす幸運に恵まれたが、民族音楽の世界は興味があってもなかなか入りこみにくい分野ではある。
同じ地域の民族音楽でも音源によって歴然とした差があり、当たり外れはかなり大きい。
プレーンな現地録音と、スタジオできれいに再現された音源のどちらが良いかは、一概には言えない。
制作に豊富な予算を割いたシリーズでもつまらない音源はいくらもあるし、元々ワゴンセールで売ることを前提としたような作りのCDでも、びっくりするくらい良い音源が入っていたりする。
要するに、「聴いてみないとわからない」という博打の要素が強いのだ。
もちろん聴き手の理解力の問題もあるだろう。
入り口としては「素の現地録音」よりも、それを現代風にアレンジしてあったり、現代日本人が演じていたりすると耳に入り易くなるという傾向はある。
本土で沖縄民謡がこれほど理解されたのも、THE BOOMの「島歌」の功績が大きいと思うし、元ちとせの歌声で奄美民謡に対する理解は深まっただろう。
そうした民族音楽の「現代語訳」として私がお勧めしたいのは「芸能山城組」だ。
現在でも入手しやすいのは以下のCD。
●「Symphonic Suite AKIRA」
映画「AKIRA」の音楽として知られているCDだが、映画から独立したオリジナル作品として聴いても素晴らしい。
日本の民謡や声明、純邦楽が、ケチャやガムランなどの様々な民族音楽の世界とミックスされて、懐かしくもあり新しくもある祝祭空間が音で創出されている。
民族音楽のコアな世界への入り口として、これ以上無いほどの一枚である。
●「芸能山城組入門」
上記以外の様々なアルバムから、濃縮エキスのようにいいとこ取りをした一枚。
波長が合うようなら、以下の代表作二枚をお勧めしたい。
●「恐山」
●「輪廻交響曲」
ふり返ってみると、民族音楽を聴くこと、お気に入りの音源を探すことは、同時に「自分の魂の故郷」を探しているようなところがあったと思う。
私の場合、どうやらそれは、日本を含めた東アジアの「森の音楽」ということになりそうだ。
民族音楽を追っていると、必然的に民族楽器に興味が向く。
旅行先では土産屋の各種オモチャ楽器に目が行くし、エスニック雑貨の店では最初に楽器のコーナーに足を向けたくなる。
普通の楽器屋でも民族楽器や手作り楽器のコーナーがないか、まず見回してしまう。
実際に購入に至ることは少ないのだが、小型で手頃な値段の気に入ったものがあれば、ついつい衝動買いしてしまうこともある。
周りに「民俗楽器好き」を公言していると、お土産にオモチャ楽器をいただく機会もできる。
とくに、弦楽器が好きだ。
決してちゃんと演奏できるわけではないのだが、弦楽器をテキトーに爪弾きながら、好きな歌や語りものを口ずさむのが趣味である。
その時のお供としてミニギターの類をずっといじってきたのだが、90年代初め頃、初めてウクレレを手にとった。
今でこそウクレレはかなりの人気楽器だが、当時はさほどでもなく、60〜70年代のハワイアン流行り以降、まだ次の波が来ていなかった。
だから当時私が購入したウクレレにも、サンプルの譜面に加山雄三あたりの曲が掲載されていて、苦笑した記憶がある(笑)
今につながるウクレレ人気は、確か90年代後半くらいからではなかったかと思う。
ウクレレはギターより弦が少なく、ナイロン製なのではるかに抑えやすい。
私程度の弦楽器の楽しみ方をするには本当にぴったりの楽器で、今でもギターと並んでよくいじっている。
民族音楽を聴いていると民族楽器で遊んでみたくなるし、素朴なものなら自分で作ってみたくなるのは自然な流れだ。
私の場合、楽器趣味は自分で工作したりペイントすることまで含んでいる。
今はけっこう色々と手作り楽器キットが出回っているけれども、90年代当時は美術や音楽教育向けの手作り楽器参考書が何冊か出ている程度だった。
私が今でも手元に置いて参照しているのは以下の本。
●「音遊び図鑑―身近な材料で楽器を作ろう」藤原義勝(東洋館出版社)
今現在amazonではちょっと古書価格が高騰しているようだが、小学生でもできる工作から本格的な民族楽器作りまで、実に幅広く紹介してあるバイブルのような一冊だ。
民族楽器でよく使用される素材が、竹と瓢箪だ。
身近で加工しやすく、中空構造で音が良く響くことから、様々な地域で使用されている。
当時の私は都市部に住んでいたので必ずしも身近な素材ではなかったが、ホームセンターや東急ハンズ等で比較的安く手に入った。
ハンズで入手した瓢箪の中から大量の種子が出てきたので、試しにアパートのベランダでプランター栽培してみたら、ちゃんと果実がついた。
土が足りなくてさほど大きくはならなかったが、オモチャ楽器の素材としては十分使えた。
手ごろな竹が手に入らないときは、塩ビパイプがけっこう代用品になった。
ねずみ色のいかにも安っぽいパイプで尺八を作ってみると、意外にそれらしい音が出てびっくりしたこともある。
竹と瓢箪という素材は、実は民族・民俗文化を考える上で重要なキーワードになるのだが、当時はまだそこまで気付いていなかった。
●「竹の民俗誌」沖浦和光(岩波新書)
確かその頃、「週刊プレイボーイ」で気になる記事を見かけた。
同誌は昔から「グラビアで売って好き勝手な記事を書く」というスタンスが見える「意外と社会派」雑誌で、ハードなルポやくだらない企画、もちろんグラビアも含め、好きでよく読んでいた。
私が興味をひかれたのは、アイヌの血をひく若者が、ふとしたきっかけで「トンコリ」という民族楽器を手にして、自分で奏法を探りながらルーツに目覚めていった顛末を紹介した記事だった。
なんとなく記憶に残ったそのアーティスト、OKIのCDを実際に手に取ったのは、2000年代に入ってからだったけれども、今もよく聴いている。
●「KAMUY KOR NUPURPE 」OKI
90年代後半の私は、様々な宗教書を渉猟するのと並行して、ギターやウクレレで遊んだり、手作り楽器を楽しんだり、民族音楽を漁ったりしていた。
元々演劇をかじっていたので、音や芸能の世界には興味があったのだけれども、それは別々のことではなく、私の中では一続きのことだった。
今思うと、私は「自分の魂の故郷に行き着いた先達」としてのOKIに、心惹かれていたのだろう。
私の場合、どうやらそれは「東アジアの森の音楽」だったし、自分で唱えたり歌ったりするなら和讃や祭文の世界になる。
手作り楽器趣味も、じわじわとそうした世界観に合う音の出るものに傾いて行った。
今は、ボックスギターというジャンルにハマっている。
(続く)
2017年04月19日
本をさがして18
95年にカルト教団によるテロ事件が起こった当時、よく話題にのぼっていたのが、戦前のいわゆる「大本教弾圧事件」だった。
国家神道体制が確立した近代日本では、その範疇に収まらない宗教、宗派は、何らかの形で弾圧を受けた。
当時は「国家の方がカルト」という逆転現象が起きていたので、戦前戦中の弾圧の事実は、戦後裏返ってむしろ勲章になった。
(在連立与党で戦前回帰の片棒を担いでいる公明党の支持母体・創価学会も、戦前には激しい弾圧を受けており、初代会長は獄死している)
そして、戦前、戦中の宗教弾圧の中でも史上空前の規模で行われたのが、大本教のケースだったのだ。
95年の事件では、カルト教団側が自らを正当化するモデルケースとして大本教事件を取り上げ、それに対して文化人や宗教学者から「戦前とは国家と宗教の在り方が全く違う」と反論されるという流れがあったと記憶している。
大本教と教主・出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)については、その名前や簡単な事跡くらいは知っていた。
私は80年代からオカルト趣味があったので、雑誌などで得た断片的な知識から、王仁三郎のことは「近代日本の卓越した予言者」といった文脈で記憶していた。
80年代オカルト的な解釈で描かれた出口王仁三郎像としては、八幡書店の武田崇元の著書が一つのスタンダードになっているだろう。
●「新約 出口王仁三郎の霊界からの大警告」武田崇元(学研)
本書は80年代初出。90年代、2010年代に、それぞれリニューアル版が刊行されている。
現在入手しやすいのは2013年版。
予言や超能力等のサブカルチャー的な間口を用いながらも、知的探求に堪えるコアな領域までカバーした、読み応えのある一冊である。
95年当時、大本教事件を取り上げる際には、それをモデルにしたと思しき高橋和巳の60年代半ばの小説「邪宗門」が、よく引き合いに出されていた。
左派知識人が書いた小説なので「あまり面白くない」とか「読みにくい」とかいう但し書きとともに紹介されることが多かったのだが、興味を惹かれてともかく読んでみた。
●「邪宗門 上下」高橋和巳(河出文庫)
事前に目にしていた「悪評」にも関わらず、読んでみるとかなり面白かった。
インテリの書いた教養小説とは言いながら、筋立てはかなり波乱万丈で、歴史モノに仮託して抑圧された民衆の武装蜂起を描くという点は、白土三平の「カムイ伝」とも共通するアプローチだと感じた。
こういう物語は、やはり文句なく血沸き肉躍るのであって、一読の価値は十分ある。
ただ、その後大本や王仁三郎に関する読書を進めてみてあらためて確認できたのは、史実としての大本教事件を論じるにあたって、この作品を例示するのは無理があるということだった。
作者自身があとがき等で述べている通り、史実としての大本教事件を素材の一つとしてはいるものの、事実関係も教義内容も、作中で描かれたものは完全に別物なのだ。
中でも、出口王仁三郎に相当する「行徳仁二郎」という登場人物の描写が、ちょっと大人し過ぎる点が大きく異なると感じた。
80年代オカルト界隈で紹介されていた、王仁三郎の「三千世界の大化物」という破天荒なイメージからは遠く、「ちょっと描き切れていないのではないか?」という印象を持った。
作中における「大化物の不在」、主要な登場人物があまりに生真面目で純粋であったことが、小説の悲劇的な結末を招いたのではないかとも感じた。
フィクションではない、出口王仁三郎の実像はいかなるものであったのか?
次に手に取ったのは、以下の本だった。
●「巨人出口王仁三郎」出口京太郎(天声社文庫)
初出は1967年、講談社から刊行。
王仁三郎の実孫の一人、京太郎の著作である。
私が手に取ったのは95年刊行の現代教養文庫版だったが、現在は教団出版部の文庫版が入手しやすい。
500ページ超のボリュームで、王仁三郎の破天荒な全生涯が、テンポの良い活劇として描き出されている。
二度にわたる過酷な宗教弾圧にも屈せず、しぶとく陽気に時代を駆け抜けた、まさに「三千世界の大化物」の一代記である。
大本教や出口王仁三郎について知ろうとする時の「最初の一冊」としては、今も変わらずスタンダード中のスタンダードではないかと思う。
王仁三郎と並ぶ大本の女性開祖、出口なおについては、以下の本が定番。
●「出口なお――女性教祖と救済思想」安丸良夫(岩波現代文庫)
この二冊を読むと、大本教についての大枠は理解できる。
ただ、日本史上空前の大弾圧を招いた理由については、今一つはっきり理解しがたい面があった。
私はさらに読書を進めた。
90年代は、出口王仁三郎の主著にして、全81巻83冊の巨大根本経典、「霊界物語」が、初めて教団外から出版され、広く一般に公開された時期でもあった。
大型書店の宗教コーナーでは、出口王仁三郎関連のスペースが広く確保されていて、ちょうど関心を持ち始めていた私は休日ごとに通い詰めた。
何から読もうかとあれこれ手に取っていた時、同じ棚の一画に、気になる小説作品があった。
その小説のタイトルを、「大地の母」という。
国家神道体制が確立した近代日本では、その範疇に収まらない宗教、宗派は、何らかの形で弾圧を受けた。
当時は「国家の方がカルト」という逆転現象が起きていたので、戦前戦中の弾圧の事実は、戦後裏返ってむしろ勲章になった。
(在連立与党で戦前回帰の片棒を担いでいる公明党の支持母体・創価学会も、戦前には激しい弾圧を受けており、初代会長は獄死している)
そして、戦前、戦中の宗教弾圧の中でも史上空前の規模で行われたのが、大本教のケースだったのだ。
95年の事件では、カルト教団側が自らを正当化するモデルケースとして大本教事件を取り上げ、それに対して文化人や宗教学者から「戦前とは国家と宗教の在り方が全く違う」と反論されるという流れがあったと記憶している。
大本教と教主・出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)については、その名前や簡単な事跡くらいは知っていた。
私は80年代からオカルト趣味があったので、雑誌などで得た断片的な知識から、王仁三郎のことは「近代日本の卓越した予言者」といった文脈で記憶していた。
80年代オカルト的な解釈で描かれた出口王仁三郎像としては、八幡書店の武田崇元の著書が一つのスタンダードになっているだろう。
●「新約 出口王仁三郎の霊界からの大警告」武田崇元(学研)
本書は80年代初出。90年代、2010年代に、それぞれリニューアル版が刊行されている。
現在入手しやすいのは2013年版。
予言や超能力等のサブカルチャー的な間口を用いながらも、知的探求に堪えるコアな領域までカバーした、読み応えのある一冊である。
95年当時、大本教事件を取り上げる際には、それをモデルにしたと思しき高橋和巳の60年代半ばの小説「邪宗門」が、よく引き合いに出されていた。
左派知識人が書いた小説なので「あまり面白くない」とか「読みにくい」とかいう但し書きとともに紹介されることが多かったのだが、興味を惹かれてともかく読んでみた。
●「邪宗門 上下」高橋和巳(河出文庫)
事前に目にしていた「悪評」にも関わらず、読んでみるとかなり面白かった。
インテリの書いた教養小説とは言いながら、筋立てはかなり波乱万丈で、歴史モノに仮託して抑圧された民衆の武装蜂起を描くという点は、白土三平の「カムイ伝」とも共通するアプローチだと感じた。
こういう物語は、やはり文句なく血沸き肉躍るのであって、一読の価値は十分ある。
ただ、その後大本や王仁三郎に関する読書を進めてみてあらためて確認できたのは、史実としての大本教事件を論じるにあたって、この作品を例示するのは無理があるということだった。
作者自身があとがき等で述べている通り、史実としての大本教事件を素材の一つとしてはいるものの、事実関係も教義内容も、作中で描かれたものは完全に別物なのだ。
中でも、出口王仁三郎に相当する「行徳仁二郎」という登場人物の描写が、ちょっと大人し過ぎる点が大きく異なると感じた。
80年代オカルト界隈で紹介されていた、王仁三郎の「三千世界の大化物」という破天荒なイメージからは遠く、「ちょっと描き切れていないのではないか?」という印象を持った。
作中における「大化物の不在」、主要な登場人物があまりに生真面目で純粋であったことが、小説の悲劇的な結末を招いたのではないかとも感じた。
フィクションではない、出口王仁三郎の実像はいかなるものであったのか?
次に手に取ったのは、以下の本だった。
●「巨人出口王仁三郎」出口京太郎(天声社文庫)
初出は1967年、講談社から刊行。
王仁三郎の実孫の一人、京太郎の著作である。
私が手に取ったのは95年刊行の現代教養文庫版だったが、現在は教団出版部の文庫版が入手しやすい。
500ページ超のボリュームで、王仁三郎の破天荒な全生涯が、テンポの良い活劇として描き出されている。
二度にわたる過酷な宗教弾圧にも屈せず、しぶとく陽気に時代を駆け抜けた、まさに「三千世界の大化物」の一代記である。
大本教や出口王仁三郎について知ろうとする時の「最初の一冊」としては、今も変わらずスタンダード中のスタンダードではないかと思う。
王仁三郎と並ぶ大本の女性開祖、出口なおについては、以下の本が定番。
●「出口なお――女性教祖と救済思想」安丸良夫(岩波現代文庫)
この二冊を読むと、大本教についての大枠は理解できる。
ただ、日本史上空前の大弾圧を招いた理由については、今一つはっきり理解しがたい面があった。
私はさらに読書を進めた。
90年代は、出口王仁三郎の主著にして、全81巻83冊の巨大根本経典、「霊界物語」が、初めて教団外から出版され、広く一般に公開された時期でもあった。
大型書店の宗教コーナーでは、出口王仁三郎関連のスペースが広く確保されていて、ちょうど関心を持ち始めていた私は休日ごとに通い詰めた。
何から読もうかとあれこれ手に取っていた時、同じ棚の一画に、気になる小説作品があった。
その小説のタイトルを、「大地の母」という。
(続く)