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2017年04月21日

本をさがして19

 90年代後半の私は、様々な神仏、宗教のことを知りたくて本を渉猟するうちに、ある大河小説に行き着いた。
 世間的にはさほど知られていないが、知る人ぞ知る伝説的なその作品、タイトルは「大地の母」という。
 近代日本の新宗教の中で最大級の影響を及ぼした教団「大本」の歴史、そしてそれを率いた「三千世界の大化物」出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)の前半生を描いた実録小説である。
 著者は、王仁三郎の実孫、出口和明(やすあき)。
 前回記事で紹介した「巨人出口王仁三郎」の著者、出口京太郎の、年上の従兄弟にあたる。
 大正十年の第一次弾圧、昭和十年の第二次弾圧に挟まれた昭和五年、王仁三郎の三女の長男として生まれた。
 王仁三郎にとっては「初めての男の子の孫」だった。
 大本開祖・出口なお以降の出口家は、基本的に女系で継承されている。
 実際、生まれる子も女の子が多く、とくに王仁三郎と妻である二代教主・澄の子の中では、男の子は幼くして亡くなった。
 そんな事情もあって、和明は王仁三郎にとくに可愛がられたという。
 単に可愛がられたというだけでなく、和明を「十和田湖の龍神の再生」であるとし、自分の神業の後を継ぐ身霊であると書き残している。
 幼い頃の「大好きなおじいちゃん」の思い出を大切に抱きながらも、物心つくと同時に弾圧の嵐に巻き込まれ、和明の心は屈折していく。
 青年期を迎えれば、祖父の残した「預言」も、背負いきれない重荷となってのしかかる。
 学生時代以降は、意識的に教団外に身を置き、祖父の思い出から逃げるように暮らしていたという。
 昭和三十八年、第二回オール読物推理小説新人賞受賞。
 ペンネームは「野上竜」、「兇徒」というタイトルの、新興宗教団体を舞台にした作品だったという。
 同時受賞は後にベストセラー作家になる西村京太郎。
 その頃になっても、まだ王仁三郎に対する葛藤は残っていたという。
 大好きだった亡き祖父の大きな期待と、あまりにかけ離れた今の自分。
 自分に何かできるとすれば、それは文章を書くことしかない。
 しかし、王仁三郎のような桁外れの人物を、果たして描けるのだろうか。
 以下に、当時の心情を綴った和明自身の表現を引用してみよう。

「書かねばならぬという思いと描けるはずがないという思いが常に交錯し、私をさいなんだ。心の中の鬼が『書け、書け』と私をむち打つ。そうだ、王仁三郎は書けなくても、出口澄なら書けるかもしれない。素朴でいつくしみ深く、幼い時からの苦難の歩みにも寸分そこなわれぬ天性の明るさ、おおらかさ、女傑というよりも豪傑といった方が似つかわしく、思想も単純明快、行動範囲も広くない。祖母ならなんとかなりそうだ。」
(「第三次大本事件の真相」より)


 昭和四十三年、そんな動機から小説「大地の母」は執筆開始された。
 先の引用の通り、当初は大本二代教主・出口澄の伝記として書き起こされた。
 タイトルの「大地の母」も、教団内外の澄の人柄を慕う人々から呼びならわされた尊称に由来している。
 最初は教団内の機関紙に連載されていたが、毎日新聞社から全十二巻の大河小説として刊行されることになった。
 ボリュームの増大と共に王仁三郎の生涯ともまともに切り結ぶことになり、三年かけて開祖・出口なおの昇天までが描かれ、第一次完結となった。
 90年代には加筆・再構成された「完全版」が文庫サイズで刊行され、私が手に取ったのはそれだった。

 小説「大地の母」は、凄まじく面白い小説だった。
 私がこれまで楽しんだエンターテインメント作品の中でオールタイムベストを作るなら、必ず上位に食い込む作品である。
 世間的に知られてはいないが、「玄人向け」と言おうか、宗教という要素をテーマに持つ作家で熟読している人は多いのではないかと思う。
 我が敬愛するSF作家・平井和正も、知る限り一度も名は挙げていないが、この作品は必ず読んでいるはずだという「確信」が私にはある。
 大本の事、出口王仁三郎のことについては、当ブログでもカテゴリ「節分」で、断片的に触れたことがあるが、主として「大地の母」の記述を参照している。

 神話のヨミカエ2「艮の金神」
 神話のヨミカエ3「スサノオ」

 また、王仁三郎テーマの別ブログも開設している。

 小説があまりに面白かったので、私は97年、作家に長いファンレターを書いた。
 そのことがきっかけで、大本の地元である亀岡や綾部の皆さんとの交流が始まった顛末は、以前記事にしたことがある。

 ある夏の記憶:出口和明「大地の母」のこと

 70年代の第一次完結以降も、「大地の母」続編執筆の準備はずっと続けられていたのだが、2002年、出口和明は昇天。
 王仁三郎の全生涯を描く小説としては、ついに未完に終わった。
 小説ではないが、その後の王仁三郎の生涯、二度の弾圧から晩年に至るまでを概観した著作は、何冊か刊行されている。
 名義が「十和田龍」のものもあるが、どれも出口和明著である。


●「出口なお 王仁三郎の予言・確言」出口和明(みいづ舎)
●「出口王仁三郎 入蒙秘話」出口和明(みいづ舎)
●「第三次大本事件の真相」十和田龍(自由国民社)

 出口王仁三郎という特異で桁外れのキャラクターの実像は、実は戦後の大本教団内ですら埋没しつつあったのだが、出口和明という不世出の作家の登場により、広く一般に紹介されるようになった。
 王仁三郎の「十和田湖の龍神の再生」の預言は、祖父を思慕する孫の切なる想いから、奇しくも成就することになったのだ。

 出口和明の著作、現在かなりネット公開が進んでいる。
 興味のある人は、ご子息の出口恒さんのサイトを参照すると良いだろう。
 私が愛してやまない「大地の母」も、pdfファイルで無料配布されている。
 スマホ等のサイズの小さな液晶画面むけの編集で、ルビが入っていない点が難といえば難だが、日常的に本を読む習慣のある人は問題なく読めるだろう。
 個人で作成されているようなので一部編集の乱れも見受けられるが、ともかく読みはじめてみるには使い勝手が良いと思う。
 ただ、全十二巻の大長編なので、本来ならばあまり電子書籍むけの作品ではない。
 まずは無料のpdfでお試しの後、気に入ったら紙の本でじっくり読むのが良いと思う。



 とにかく、小説として無類に面白い名作中の名作。
 私の90年代後半の「本をさがす旅」の、最大の収穫と言っても過言ではない。
 神仏与太話ブログ「縁日草子」が、最大級にお勧めする大河小説である。
(続く)
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2017年04月23日

本をさがして20

 近代日本の国家神道体制下で起きた、史上まれにみる規模の宗教弾圧、大本事件。
 昭和十年の第二次弾圧では、主だった幹部信徒は軒並み拘留され、新聞報道は「邪教大本」の壊滅を無批判に書きたて、世論をヒステリックに誘導した。
 昭和十一年には裁判結果を待たないまま、法的根拠の無いままに、当局による教団施設の破壊が開始される。
 建造物は徹底的に破壊、廃棄、焼却。
 石材は再利用されないよう海洋投棄。
 土地は二束三文で強制売却。
 とりわけ、堅牢な亀岡天恩郷の神殿、月宮殿は、連日ダイナマイトで徹底的に爆破。
 全国の別院、歌碑も根こそぎ破壊。
 おまけに破壊の費用は全額大本に請求される。
 拘留された幹部には過酷な拷問が科され、死者、廃疾者が相次いだ。
 一般信者にも徹底的な弾圧が加えられ、王仁三郎の著作、短冊、書画等は没収の上全て焼却。
 この地上から大本が存在した事実ごと抹殺するかのような、異様な執念を感じさせる破壊行為である。

 この狂気の弾圧は一体何に起因していたのか?
 実は現在でも「定説」と呼べるものは無い。
 一応、「記紀神話と相いれない独自の神話体系を持ち、政治運動の領域まで進出していたから」という説明はされている。
 しかし、大本には武装蜂起や国家転覆を実行するための、いかなる行為もなかったことは、はっきりしている。
 戦前の「暗黒」と呼ばれた裁判ですら、犯罪に該当するような行為を示すことは出来なかったのだ。
 敗戦と共に、大本事件に関する裁判は、ほとんど全てが大本側の勝訴に終わった。
 弁護団は当然、莫大な国家賠償を求めるものと準備を進めていたが、王仁三郎の指示で中止されたという。

 曰く、
「そんなけちなことをするな。敗戦後の政府に賠償を請求しても、それはみんな、苦しんでいる国民の税金からとることになる。そんなことができるもんやない。今度の事件を、わしは神さまの摂理だと思うとる」

 私が出口王仁三郎という人物に強く惹かれた理由はいくつもあるけれども、この「気高い」という他ない言葉は、とりわけ心に残っている。
 大本事件の真相とともに、これほどの人物はいかなる道を歩んできたのか、少しでも知りたくて、ずっと調べ続けているのである。


 95年の阪神淡路大震災やカルト教団によるテロ事件をきっかけに、私は意識的に宗教関連の本を読み始めた。
 仏教から始まり、日本の神道や神仏習合、中国の道教、インド神話、そして世界の民族芸術を含むアニミズムに関心をもって、本や音源などを渉猟し続けた。
 できることなら(本の中だけでのことだが)宗教で世界一周するつもりだったけれども、結局旧約聖書から発した宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)までは届かなかった。
 絵入りの「聖書物語」の類は楽しんで読んだが、聖書そのものを開くには至らなかったのだ。
 ただ、日本の隠れキリシタンの創世神話「天地始之事」にはかなり興味をひかれ、今でも自分で絵解きをやってみたい意欲はある。


●「かくれキリシタンの聖画」谷川 健一 中城 忠(小学館)
●生月壱部 かくれキリシタンのゴショウ(おらしょ)

 当ブログでも、「天地始之事」については、ほんのさわりだけ記事にしたことがある。
 びるぜんさんた丸や
 諸星大二郎「生命の木」


 読書の幅を広げることに一段落した2000年以降は、それまでに関心を持った主要なテーマについて、掘り下げていくことになった。

・家の宗派である浄土真宗。
・遍路と放浪芸
・マンダラを描くための密教(チベット密教を含む)
・出口王仁三郎と「霊界物語」

 これらのテーマは、現在進行形で探求中である。
(「本をさがして」の章、了)
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2017年04月24日

ヤマトと仲なおり1

 一ヶ月ほど前、荷物整理をしていたら、「宇宙戦艦ヤマト」の未開封プラモがいくつか出てきた。
 70年代〜80年代に一個100円で売られていた「メカ・コレクション」というシリーズで、小学生の頃、好きでよく作っていた覚えがある。
 初めて「プラモに色を塗る」ということに目覚めたのも、確かその頃だった。
 当時の安い価格帯のプラモは成型色一色で、たとえばヤマトなら、キットのままではグレー一色だった。
 船体の下半分を赤く塗ること、いくらムラだらけはみ出しだらけでも素組み状態よりはるかにヤマトらしく見え、子供心に感動に打ち震えた(笑)
 今でもプラモを作っているのは、あの喜びの瞬間の余韻からといっても過言ではない。

 今回発見したのは、値札から判断して、たぶん90年代くらいに再販されたものだ。
 実家近くの懐かしのプラモ屋の名前が入った値札には「¥200」と表記されている。
 さすがにそのころには一個100円ではなくなっていたのだ。
 もうずっと以前に閉店してしまったプラモ屋を思い出しながら、しばしノスタルジックな気分に浸った。

 この「メカ・コレクション」シリーズは、低価格、小サイズながら、非常に出来が良かったので、幅広い年齢層に人気があった。
 それまでのいかにもオモチャ然としたプラモとは一線を画し、リアルメカアニメの始祖である「宇宙戦艦ヤマト」作中のイメージそのままに、中高生以上のファンの審美眼にも十分耐えるレベルの造形がなされていた。
 全30種類、TV版の「ヤマトV」までのメカが網羅されていて、スケールはバラバラだが、数を集めると各星系の宇宙艦隊の雰囲気が再現できるのが素晴らしかった。
 今でも何年かに一回は再版されているようなので、さほどプレミアのつくようなプラモではない。
 全三十種のセット販売もあるようだ。


●「宇宙戦艦ヤマト メカコレクション コンプリートBOX 全30種セット」バンダイ

 今はアニメの「宇宙戦艦ヤマト」自体がリメイクされ、それに合わせて現代の技術で造形や色分けを大幅に改良したプラモも新発売されている。
 もちろん価格は上がっているが、塗装や組み立て、改造の手間を考えるなら、そうした新キットを買った方が良いかもしれない。
 私は基本的に「旧キットしばり」の偏屈プラモ趣味なので、古い方を選ぶ(笑)

 今回、未組立で発見したのは以下の四種。
・デスラー戦闘空母
・アンドロメダ
・新型デスラー艦
・二連三段空母

 私がヤマトのプラモにハマっていたのは、せいぜい80年頃まで。
 それ以降はガンプラブームが始まり、ヤマトからは「卒業」していた。
 90年代に入ってから再販品をわざわざ購入した理由は、よく覚えていない。
 子供の頃に作った覚えがないものばかりなので、おそらく「小学生の頃の作り残し」を、いずれ組もうと思って確保しておいたのではないかと思われる。
 買うだけ買ってそのまま組む機会を失っていたのだろう。
 同時期に買ったと思しき「コスモゼロ」だけは、軽く組んで塗ったものが現存している。

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 以前投稿した記事には「中高生の頃作った?」と書いていたが、今回もう少し後だと思い出した。

 私は、プラモは組み立ててこそプラモだと思っている。
 未開封のコレクションには全く興味がないので、今現在積んでいるプラモも、あくまで作ることを前提としている。
 発掘してみたものの、ヤマトのプラモは私の中では一応「卒業」済み。
 今のタイミングを逃すと、もう一生作らないかもしれない。
 蛮勇をふるい、まずはざっくり素組みしてみた。

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 ここから今の私のスタイルの「アクリルガッシュ筆塗り」で、どこまでできるか試してみよう。

 アニメ「宇宙戦艦ヤマト」について、実は昔から少々「葛藤」を抱えていた。
 大げさに言うと「愛と憎しみのヤマト」みたいな複雑な感情があり、それが解消されたのはごく最近のことだ。
 このことは最近気になっている「サブカルチャーと戦争表現」とも絡むテーマなので、ぼちぼち作例を挙げながら、あれこれ語ってみたいと思う。
 
 まず一発目、コスモゼロのリペイントを紹介して、開会の辞としたい。

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●「メカコレクションNO.21 コスモゼロ」バンダイ

 昔一応完成させ、一通り着色していたものをリペイント。
 今の眼で見ても、造形は本当に良い。
 昔のプラモは箱絵だけカッコいい「箱絵詐欺」が多かったのだが、このプラモは中身のキットの方がシャープでカッコいい。
 ただ、全長10cmのミニサイズなので、塗り分けは非常に難しい。

 老眼の始まったおっさん世代には、同じサイズでも色分けされているリメイク版の方が良いかもしれない……


●「メカコレクション宇宙戦艦ヤマト2199 コスモゼロ」

(続く)
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2017年04月25日

ヤマトと仲なおり2

 私が小さい頃には、もうアニメ「宇宙戦艦ヤマト」は人気になっていて、何度か再放送があったはずだ。
 当時の記憶の断片に、私が幼児期に昼間の時間を過ごしていた祖父母の家のTVで、「地球滅亡まであと〇〇〇日!」という例のエンディングを観ているシーンがある。
 今試みに年表を確認してみても、記憶とは矛盾しない。
 その頃はまだ、ヤマトのプラモデルには手を出していなかったはずだ。
 はめ込み式の「ロボダッチ」のシリーズは作っていたが、ヤマトのシリーズは接着剤使用だったので、幼児には難易度が高かったのだ。
 その代わり、油粘土で作っていた。
 通っていた幼稚園の園長室の前に、「宇宙戦艦ヤマト」ではなく「戦艦大和」の大きな模型が飾ってあり、そこの廊下まで粘土板と粘土をもっていって、見ながら作っていたことを覚えている。
 子供心に「ヤマト」と「大和」が違うことは認識していた。
 アニメ作中で、赤茶けた「大和」の残骸から、脱皮するように「ヤマト」が発進するシーンの印象は強烈だったのだ。
 一応違いは認識しながらも、つもりとしては「宇宙戦艦」の方を作りたかったので、園長室の模型はあくまで参考資料だった。
 自分の粘土作品の方には、先端部分に波動砲の穴をグリグリ開けたり、あちこちに戦艦大和には存在しない「角」をつけたりしていた。
 ただこの「角」は粘土で作るとへたりやすくて、自立させるためにはかなり太く野暮ったく作らねばならず、子供心に無念を感じていた。
 当時「角」と呼んでいたスタビライザーは、実用性はさておき、SFっぽい意匠としてとにかくカッコよく見えた。
 実在の戦艦大和を元に「リアル」を担保し、SF的な洗練された雰囲気を加味するというデザイン意図は、幼児にもほぼ正確に伝わっていたのだ。
 今思うと、大和の残骸から脱皮するあの鮮烈なヤマトの発進シーンは、物語の構図やデザインの方向性を一発で伝える、絶妙の演出だったのだと分かる。
 実在の兵器を元にしたリアルと、SF的な再構成という構図は、「ヤマト」の作品全編を通じて巧みに使用されている。

 粘土で作っていた幼児期を過ぎ、小学校に入ってからはぼちぼちヤマトのプラモデル作りにハマっていった。
 あらためて確認すると、それは第二作の白色彗星帝国編が流行っていた時期と重なっていたようだ。
 イスカンダルから放射能除去装置を持ち帰ったヤマトは、地球を救った伝説の宇宙戦艦としてリスペクトされながらも、確か第二作冒頭では「ロートル扱い」になっていた。
 作中で、新たな高性能宇宙戦艦として華々しく登場したのが「アンドロメダ」だった。
 アンドロメダは、一目で「最新鋭」と分かるデザインになっていた。
 ヤマトのデザインに含まれる懐古趣味を一掃し、作品内のSF的世界観のみで洗練されたようなデザインラインである。
 とくにわかりやすい「足し算」のデザインとして目を引いたのが、船首に二門装備された「拡散波動砲」だった。
 見た目からもう単純に「ヤマトの二倍強い」のだ(笑)
 実はこのアンドロメダ、スペックの高さのわりに意外と活躍が少ないのだが、デザインの良さから人気は高かった。
 小学生の私はヤマトのクルーの方に感情移入していたので、アンドロメダの登場には「くやしさ」を感じたのだけれども、それでもそのカッコよさは認めざるをえなかった。
 ヤマトが「広く一般にウケる」タイプのデザインとするなら、アンドロメダは「作品のファンの中で支持される」タイプなのかもしれない。
 歌の世界でも、「一般に売れた曲」と「コアなファンの好む曲」は別だったりするが、そのような対比をヤマトとアンドロメダに当てはめても面白い。

 ということで、ヤマトメカコレクションの作例第二弾は、アンドロメダである。


●「メカコレクションNO.4 アンドロメダ」バンダイ
 今現在amazonでは法外な値段が付いているが、もとは100円とか200円で売られていた小サイズのオモチャプラモである。
 今制作されているリメイクアニメにアンドロメダも登場するので、いずれ新キットも出るだろうし、再販もあるだろうから、あわてて大金を投じるようなまねはお勧めできない。

 造形的な出来は素晴らしく良い。
 手のひらサイズながら、作中のあのアンドロメダのイメージそのものだ。
 成型色のグレー一色だが、さほど複雑な色分けでもないので塗装の難易度は高くない。

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 今回の私の作例は、合わせ目消しすらしておらず、ボコボコ筆塗りしたやっつけ仕事だが、もっと丁寧に作ればそれに応えてくれるだけの素材になっていると思う。
 中古屋の箱つぶれなどで安く手に入るならお勧めである。
(続く)
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2017年04月26日

ヤマトと仲なおり3

 今回の記事は作例から。
 ヤマト往年のメカコレクション、デスラー戦闘空母である。


●「メカコレクションNO.16 デスラー戦闘空母」バンダイ
 手のひらサイズながら、発売された時代を考えると、作中イメージがよく再現された精密な作りになっている。
 三連砲のパーツなどは、制作時や塗装時に折ってしまわないように注意が必要なほど繊細だ。

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(写真が下手糞すぎる。また今度撮り直し!)

 このデスラー戦闘空母は、子供の頃もっと大きなサイズのプラモを作った覚えがある。
 おそらく以下のプラモ。


●「1/700 ガミラス艦隊旗艦デスラー戦闘空母」
 確か空母仕様の平坦な甲板が裏返り、デスラー砲が迫り出してくるギミックがあったはずだが、年少者には組み立てがけっこう難しくて失敗。
 デスラー砲が表に出た状態で固定にした無念の記憶が残っている。

 今回の小サイズ版は、その苦い思い出のデスラー砲固定状態のモデルだ。
 成型色は赤一色だが、もともとの設定がほぼ赤一色なので、塗装なしでもそれなりの雰囲気になるだろう。
 色合いや形状に、いかにも「異星の未知の文明」といった雰囲気が漂う。
 ヤマト作中のメカデザインは、属する星系ごとにデザインの特徴が持たされているのだ。
 地球側の艦隊のデザインの雰囲気は、前回記事のアンドロメダに代表されていて、実は主役戦艦のヤマトだけデザインが異質だ。
 子供心にも感じた「ヤマトだけちょっと違う」という印象は、けっこう重要なテーマを含んでいると思うのだが、そのことはおいおい語っていくことにする。

 当時の私のヤマトプラモの買い方は、まずは普段のお小遣いで100円のメカコレクションを集めることから始まった。
 少しお金が貯まったり、誕生日などの機会には、500円から1000円くらいの値段帯のものをいくつか入手できた。
 それ以上の高額プラモも買えるのは、お年玉などの臨時収入があった時に限られた。
 まあ、あの頃のプラモ好きの小学生は、みんな大体似たような感じだったと思う。
 小サイズのメカコレは成型色一色の仕様だったが、大きいサイズのプラモは一部色分けされている場合があり、高級感があった。
 今のプラモの色分けはプラスティック自体の成型色で分けられているが、昔は吹き付け塗装がしてあり、たとえば主役戦艦のヤマトなら、艦体の下半分が赤で塗られた状態で製品化されていた。
 アニメ作中のイメージが製品の素の状態で再現されているのは嬉しかったが、この吹き付け塗装というのがけっこう難物で、うまく組み立てないと接着剤で塗料が溶け出してきてグチャグチャになってしまうことがあった。
 そうした失敗でよく覚えているのは、ヤマトの内部構造が再現されたタイプのカットモデルを組んだ時のことだ。
 おそらく、以下のプラモと同種。


●「1/700 メカニックヤマト」
 ヤマトの艦体を縦に唐竹割りにし、艦首の波動砲から後部の噴射口までびっしりとメカが詰め込まれて完成するモデルで、内部メカのパーツには全て銅色の吹き付け塗装がしてあった。
 接着面まで塗装されている箇所が多く、接着剤で塗料が溶けだし、せっかく貼り付けてもポロポロ外れまくり、何度もやり直しているうちに銅色がグチャグチャになった。
 今から考えると、接着面だけカッターなどで塗装をはがすべきだったのだが、当時はそこまで考えが及ばなかった。

 接着剤の使用は最小限に、なるべくキットの素の状態を活かしながら組み上げ、必要であれば一部塗装するのが、当時のヤマトプラモ制作の定番スタイルだった。
 がっちり接着した後の合わせ目消しや、全塗装が流行り出すのは、何年か後のガンプラブーム以降のことで、私自身はそのスタイルに一番馴染みがある。
 今現在のプラモはキットの素の状態でほぼ色分けがされており、スナップフィットで合わせ目も目立たないので、逆に一部塗装などの簡単仕上げスタイルに回帰しているようだ。
 
 ヤマトプラモの思い出の中では、何と言っても当時発売されていた最大サイズのものを作ったことが記憶に残っている。
 行きつけのプラモ屋の棚の最上段、いつもチラチラ気になる巨大な箱があった。
 心のどこかに、幼稚園に置いてあった「戦艦大和」の巨大模型への憧れが残留していたのかもしれない。
 今試みにamazonで探してみると、たぶん以下のものと同一モデルだ。


●「1/500 ニューコズミックヤマト」
 当時の定価は忘れもしない3500円。
 温存していたお年玉の入った封筒を手に、プラモ屋のおばちゃんに脚立を使って最上段から取ってもらい、一年間ぐらいずっと欲しかったこのプラモをついに手に入れた。
 たぶん小学校三年から四年くらいのことである。
 私は子供の頃から割と生真面目な慎重派だったので、その巨大ヤマトを購入するまでに、自分なりに「修行」を積んでいた。
 100円のメカコレで細かい部品の接着や一部塗装を練習し、1000円くらいまでのモデルで、サイズの大きなパーツや、吹き付け塗装パーツの接着を練習した。
 自分なりに「今ならヤツを完成できる!」と自信ができるまでに一年ぐらいかかったのだ。
 執念深く狙っていた最上段のプラモは、さすがにデカ過ぎ高過ぎで、売れずに残っていてくれた。
 そして私は小学生なりに持てる技術の全てを注ぎ込み、両手で抱える程の巨大なヤマトは完成した。
 作っている間、そして完成の瞬間までの至福の時間は、今でも鮮明に覚えている。
 その時なんとなく理解できたのは、私が本当に欲しいのはプラモ自体ではなく、「そのプラモを上手く作ることができる自分」を求めているのだということだった。
 こうした傾向は、今も全く変わらず続いている。

 私のヤマトプラモへの「熱」は、この後急速に去っていった。
 その理由は、一つには最上級モデルを完成させてしまった達成感だっただろうし、さらには次のムーブメントである「ガンプラブーム」が始まりかけていたこともある。
 何より大きかったのは、実在の「大和」とアニメの「ヤマト」の微妙な関係に、そろそろ気づきはじめる年齢にさしかかっていたことである。 
(続く)
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2017年04月29日

ヤマトと仲なおり4

 今回も作例紹介から。
 発売当時100円だった手軽なプラモデル、ヤマトメカコレクションから、ガミラス二連三段空母である。


●「メカコレクションNO.27 ガミラス二連三段空母」
 当時100円だったメカコレクションシリーズは、主に第二作までの登場メカ20種が発売され、後に80年のTVアニメ第三作放映のタイミングで10種が追加されたと記憶している。
 今回のモデルは後発10種のうちの一つ。
 初期モデル「三段空母」のいわばバリエーションタイプで、発売当時私はそろそろヤマトプのプラモから卒業しつつあったため、作らなかった。
 例によって小サイズながらよくできているが、プレミアで買うようなプラモではない。
 今回の作例は全塗装しているけれども、白線と墨入れだけでも見栄えが大幅アップするだろう。

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 80年の第三作放映時もヤマト自体の人気はまだ続いていたけれども、これは多くの人に同意してもらえると思うのだが、第二作以降は正直「下降線」だったと思う。
 そもそもTV版第二作に先行する、ほぼ同一内容の劇場版第二作「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」において、主要な登場人物もヤマト自体も失われという衝撃のラストで、物語は一旦完璧に終わっていたのだ。
 ところがその劇場版を再編したTV版第二作放映の際にラストは改変され、続編も制作可能なものに差し替えられてしまった。
 作品の「熱」や「感情」というのは微妙なもので、必ずしも作り手の意図する通りにはならず、ましてやビジネスの論理では動かない。
 自然なストーリーの流れの中で作品に生じた感情のピークは、観る方にとってはかけがえのない大切な体験になる。
 改変前の劇場版はTV放映の機会が何度かあったので、当時の私のような年少者も含め、ファンはほぼ100パーセント「結末の違う劇場版」を目にしていた。
 子どもの批評眼は決してバカには出来ないもので、マンガやアニメの人気作がビジネス上の理由から「引き延ばし」にかかると、敏感にそれを察知する。
 察知しながらもしばらくは「大人の事情」に付き合ってくれるが、他に本物の「熱」のある作品が現れれば、大多数のライトユーザーは、あっさりそちらに移行してしまう。
 最後の最後まで続編に付き合って心中してくれるのは、ある程度年長のコアなファンだけだ。
 ヤマトは80年の第三作以降も83年の「完結編」まで毎年のように続編が作られるが、その頃にはもう「ガンプラブーム」と重なっており、ライトユーザーの「熱」はリアルロボットアニメの方に移っていたと思う。

 第一作と第二作のヤマトが熱狂的に支持された要因はいくつも数えられる。
 日本のアニメ史上で初めての、リアルなメカニック描写のSF作品であったことはもちろん大きい。
 もう一つ、ややためらいを感じつつも、どうしても挙げておかなければならないヒット要因としては、作中に含まれる「旧日本軍的アイテム」がある。
 作品タイトルにもなっている主役宇宙戦艦は、そもそも旧日本海軍の巨大戦艦大和の残骸を改造し、姿も名も近似した「ヤマト」であったし、ヒットした主題歌も「軍歌」のイメージ(実際は軍歌よりはるかに高度な音作りなのだが、あくまでイメージとして)が重ねられている。
 そして作中では「神風特攻隊」を思わせる自爆攻撃が、戦闘シーンのクライマックスとして印象に残る。
 史実としての戦艦大和は時代遅れの大鑑巨砲主義でろくに稼働しないまま撃沈され、史実としての特攻隊はしょせん戦局を左右し得ない苦し紛れの戦術であったが、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の作品世界では、どちらも乾坤一擲、起死回生の戦果をあげ、感動を呼んだ。
 また、史実としての大日本帝国は、ナチスドイツと同盟して連合国と戦ったのに対し、アニメ作中でのヤマトは「連合国」的な地球軍を代表し、ナチスドイツを思わせるガミラス帝国と戦った。
 しょせん「お話し」の中でのこととは言え、このあたりの「歴史の捻じ曲げ方」にはちょっと「あやうさ」を感じざるをえない。
 大人になってから振り返ってそう感じるというだけでなく、ヤマトプラモのヒット当時高学年にさしかかり、歴史の学習が始まっていた小学生時代の私も、自分がヤマトファンであることに対してなんとなく「居心地の悪さ」のようなものは感じていた覚えはある。
 こういう葛藤は、たぶんヤマトファンの内の一定数が、あえて言葉にせずとも感じていたのではないかと思う。
 ストーリーだけで考えるなら、主役の宇宙戦艦に旧日本軍の「戦艦大和」のイメージを重ねる必要は全くなかったはずだ。
 もっと他にSF的なデザインはあり得るし、実際作品の企画段階では、主役艦は別の名、別の姿を持っていた。
 しかし、「ヤマト」以外の名とデザインでは、作品の大ヒットが見込めなかったであろうことも、よくわかる。
 今も昔も日本では、「純粋にSFファンだけ」のマーケットは限られており、広く一般にアピールするためには+αの要素が不可欠だ。
 ヤマトの作品内容を主導したのが誰であるかということについては諸説あるが、旧日本軍や旧ドイツ軍のイメージを導入したのは、マンガ家の松本零士で間違いないだろう。
 作品内のメカニックデザインの中でもやや異質なヤマトの懐古趣味や、美麗な松本キャラの容姿は、ヒット要因の中でも最大のものだったはずだ。
 あやうい意匠を持ち込んだ張本人でありながら、同時に松本零士は作品が「軍国主義」や「戦争賛美」につながることを、神経質なくらい避けようと努めたという。
 以前の記事でも述べた通り、男子のミリタリー趣味と反戦平和は両立し得るのだ。
 戦争ごっこと反戦平和
 しかしそれには、「史実の学習」というプロセスが欠かせない。
 私が高学年になるにつれ、ヤマトに対して「微妙な距離」を感じるようになったのは、ごく自然な反応とも言える。
 アニメと現実の違いをきちんと認識することは、子供の楽しみ方から大人の楽しみ方へ移行する時に誰もが体験することだ。
 私の場合はその時期にガンプラブームが重なったこともあって、ヤマトに含まれる軍国趣味について、それ以上に掘り下げて考えることはなかった。
 ヤマトへの感情が「微妙」から「これはちょっとアカンのとちがうか?」に変わったのは、90年代に入ってからのことだった。
(続く)
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2017年04月30日

ヤマトと仲なおり5

 90年代のある日、バイトに出ていた大阪の街中で、奇妙な風景に出くわした。
 日の丸を掲げながら何事かを「がなる」(音が割れていて内容は聞き取れない)カーキ色の街宣車が徐行運転していた。
 それ自体はわりとありふれた右翼団体の街宣風景で、とくに珍しくもなかったのだが、同時に流されているBGMが異様だった。
 通常なら「君が代」とか軍歌が使用されるはずなのだが、私が出くわした街宣車は「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌を流していたのだ。
 聴いた瞬間、ちょっと笑ってしまった。
 もしかしたら右翼のパロディネタか何かかと思ってしばらく観察してみたが、どうやら大真面目な街宣活動であるらしいことが分かってきた。
 その時、「ヤバい、これはあかん!」と思った。
 論理ではなく、反射的にそのように感じたのだ。
 それまでにも私は「ヤマト」に対して、ある「微妙な違和感」は持っていた。(前回記事参照)
 しかしそれはさほど重大なものではなく、「ヤマト」という作品自体に軍国主義や戦前回帰につながる要素は無いと考えていた。
 何よりも作り手がそのように細心の注意を払っていたし、観る方である70年代の少年少女は、そうした「政治性」からは切り離された世代だったからだ。
 ところが、おそらく子供時代に「ヤマト」で育ったであろう世代から、90年代には街宣にヤマトの主題歌を使う右翼活動家が出現していた。
 当時私が反射的に感じた「ヤバさ」を今の時点で分析してみるなら、「誤読のリスク」ということになると思う。
 アニメ作中で描かれた「勇気」とか「男らしさ」、「自己犠牲」のロマンを、ヤマトという言霊とデザインを媒介にして、「戦前賛美」と誤読した層が一定数存在するらしいということに驚愕したのだ。
 以来私は、「ヤマト」からは完全に距離を置くようになった。
 それまでに「いずれ作ろう」と思っていくつか確保していた、小学生の頃の作り残しのヤマトプラモも、奥深くしまってそのまま忘れていたのだ。

 今回まさにそのプラモを発掘し、せっかくだからと作ってみながら、色々思うところはあった。
 あらためて納得できたのは、少なくとも私が子供時代に好きだった「ヤマト」という作品自体には、とくに問題はなかったのだろうということだった。
 どんなに優れた作品にも、一定数の「誤読」は生じる。

 たとえばアニメ「ヤマト」を観て右翼になる。
 たとえば小説「幻魔大戦」を読んでカリスマ信仰にハマる。
 たとえばマンガ「ゴーマニズム宣言」を読んでネット右翼になる。

 作り手側がいくら「そうならないように」と細心の注意を払ったとしても、受け手の100パーセントをコントロールすることは不可能だ。
 力のある作品ほど、多くの人に鑑賞された作品ほどに、誤読の可能性は生じてくる。
 誤読する者は「自分の願望の補強材料を探している」のであって、きっかけはなんでもよく、流行っている作品の中から「おいしい箇所」をつまんでいるに過ぎないのだ。
 様々な読書体験、鑑賞体験を重ねてきた今なら、そのことがよくわかる。
 20年以上の時を経て、懐かしのプラモを作りながら、私はようやくヤマトに対する葛藤を解消することができたのだった。

 この「ヤマトと仲なおり」のシリーズ、最後の作例をご紹介。


●「メカコレクションNO.23 新型デスラー艦」
 TV版「ヤマトV」登場、再び強大な帝国を築いたデスラーの旗艦である。
 艦首に強力な「ハイパーデスラー砲」を備えた巨大宇宙戦艦で、もしこれが純粋に「敵」として現れたのなら作品に緊張感が出ただろう。
 しかし主人公・古代とデスラーは、第二作で基本的に「和解」が成立しており、ヤマトという物語全体の感情のピークもその辺りにあったと思う。
 私個人の好みで言えば、やはりヤマトは劇場版の第二作までが良い。

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 長年手元に残っていた積みプラを崩しながら「ああ、これでヤマトのプラモも完全卒業かな」と、しばしノスタルジックな気分に浸ったのである。

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 紹介してきたヤマトのメカコレクションシリーズ、個別のプラモを下手にプレミア価格で買うよりは、再販のセット売りの方が求めやすい場合もある。
 昔懐かしい100円プラモのシリーズを色々作ってみたいなら、以下のようなBOXセットがお勧めだ。


●「宇宙戦艦ヤマト メカコレクション コンプリートBOX 全30種セット」
 全30種、箱入り。
●「ヤマトメカコレスペシャルボックス」
 こちらは全30種にプラスして新作三種も付属。その代わり個別の箱は無し。

(「ヤマトと仲なおり」の章、了)
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