あくまで、「文献として確認し得る中では最古層」であるにすぎない。
それ以前にも様々な古伝承があったことは、他ならぬ記紀自体に記述されている。
さらに言うなら、天皇家に繋がる天津神以前に、日本の国土には「先住民」がいたこと、天津神が謀略を使う侵略者であったことなども、意外に赤裸々に記述されている。
天津神はどこからやってきたのかと問われて「高天原」と答えるのは「信仰」であって、史実ではあり得ない。
ごく常識的に考えるならば、「大陸から」ということになるだろう。
そもそも神道と道教にかなり共通性のあることは、昔から様々に論じられてきた。
●「混沌からの出発」五木寛之 福永光司(中公文庫)
●「隠された神々―古代信仰と陰陽五行」吉野裕子(講談社現代新書)
記紀神話に道教の影響がみられるというよりは、東アジアに広範に遍在する道教文化の中の、ローカルな一派が神道であると考えるのが自然なのだ。
ある時期、道教的な文化を持つ氏族がこの列島にやって来て、先住民と衝突したり交流したりしながら徐々に定着した。
そしてその後も度々外来の文化や人を受け入れ、混じり合ってきた構図こそが「日本文化の伝統」ということになるだろう。
規範にすべき「日本固有の純粋な道」のようなものが、歴史上のどこかの時点に存在すると考えるのは国学的な一つの価値観に過ぎない。
数知れない暴虐に彩られた世界史の中で見るならば、この狭い日本列島の中では比較的穏便な統治が行われてきたということは言えるかもしれない。
天皇という存在が、そのことに一定の役割を果たしてきた可能性は、十分考えられる。
歴代天皇は、もちろん保守的ではあったけれども、時代に応じて様々な外来文化を、率先して受け入れてきた史実も幾多あるのだ。
ただし、一般庶民が天皇の存在を認知していた期間は、きわめて限られる。
近代に入って天皇が歴史の表舞台に復帰する以前、庶民にとって「テンノウ」と言えば、祇園の牛頭天王を指す言葉だったはずだ。
牛頭天王はまさに神仏習合を代表するような強力な祭神で、当ブログでも最初期から陰陽道関連のカテゴリで紹介してきた。
カテゴリ:節分
カテゴリ:金烏玉兎
陰陽道、陰陽師、そしてその代名詞である安倍晴明は、平安時代の実在の人物がフィクション化されることで、何度かのリメイクがなされてきた。
江戸時代には物語の主要なキャラクターであったし、90年代頃からは、夢枕獏の小説作品で人気を博した。
夢枕獏の描く晴明像、陰陽師像があまりに魅力的であったため、以後の創作物に登場する晴明や陰陽師のイメージはその影響を受け、ほとんど一色に塗りつぶされてしまった感すらある。
フィクションの世界ではそうした「塗りつぶし」が度々起こるものだし、エンタメとして楽しむ分にはとくに問題はない。
ただ、ちょっと注意したいのは、中世から近世にかけての神仏習合の宗教者の全てが、陰陽道や陰陽師でくくり切れるものではないということだ。
それに類する占いや祈祷などの呪的行為を行う者は、平安時代当時から数限りなく存在したが、朝廷に正式に仕える「陰陽師」は限られており、その他はまた様々な別の名で呼ばれていた。
その実態は単に「宗教者」という範囲も超えていて、ときに芸能者でもあり、医者でもあった。
とくに日本の庶民文化や芸能史を考える時、陰陽道(とそれに近接する神仏習合の信仰)を抜きにはできないのだ。
90年代の私は、陰陽道や神仏習合という捉えどころのない難物についての本も数多く読んでいた。
当時読んでいた本ではないけれども、今お勧めするなら、たとえば以下の二冊。
●「陰陽師とはなにか:被差別の源像を探る」沖浦和光(河出文庫)
●「陰陽師―安倍晴明の末裔たち」荒俣宏(集英社新書)
他にもカテゴリ「節分」「金烏玉兎」で本の紹介は多く行ってきた。
日本における「近代化」は、神仏が猥雑に共存した庶民の豊かな生活文化を、国家神道一色に塗りつぶしてしまった側面がある。
現在「日本神話」として流布されているイメージは、かなり人工的に復古されたものであることには留意しなければならない。
庶民が長らく親しんできたテンノウという名が、近代化によって牛頭天王から天皇にすり替わったことは、ある意味象徴的であったのかもしれないのだ。
(続く)