2017年04月30日

ヤマトと仲なおり5

 90年代のある日、バイトに出ていた大阪の街中で、奇妙な風景に出くわした。
 日の丸を掲げながら何事かを「がなる」(音が割れていて内容は聞き取れない)カーキ色の街宣車が徐行運転していた。
 それ自体はわりとありふれた右翼団体の街宣風景で、とくに珍しくもなかったのだが、同時に流されているBGMが異様だった。
 通常なら「君が代」とか軍歌が使用されるはずなのだが、私が出くわした街宣車は「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌を流していたのだ。
 聴いた瞬間、ちょっと笑ってしまった。
 もしかしたら右翼のパロディネタか何かかと思ってしばらく観察してみたが、どうやら大真面目な街宣活動であるらしいことが分かってきた。
 その時、「ヤバい、これはあかん!」と思った。
 論理ではなく、反射的にそのように感じたのだ。
 それまでにも私は「ヤマト」に対して、ある「微妙な違和感」は持っていた。(前回記事参照)
 しかしそれはさほど重大なものではなく、「ヤマト」という作品自体に軍国主義や戦前回帰につながる要素は無いと考えていた。
 何よりも作り手がそのように細心の注意を払っていたし、観る方である70年代の少年少女は、そうした「政治性」からは切り離された世代だったからだ。
 ところが、おそらく子供時代に「ヤマト」で育ったであろう世代から、90年代には街宣にヤマトの主題歌を使う右翼活動家が出現していた。
 当時私が反射的に感じた「ヤバさ」を今の時点で分析してみるなら、「誤読のリスク」ということになると思う。
 アニメ作中で描かれた「勇気」とか「男らしさ」、「自己犠牲」のロマンを、ヤマトという言霊とデザインを媒介にして、「戦前賛美」と誤読した層が一定数存在するらしいということに驚愕したのだ。
 以来私は、「ヤマト」からは完全に距離を置くようになった。
 それまでに「いずれ作ろう」と思っていくつか確保していた、小学生の頃の作り残しのヤマトプラモも、奥深くしまってそのまま忘れていたのだ。

 今回まさにそのプラモを発掘し、せっかくだからと作ってみながら、色々思うところはあった。
 あらためて納得できたのは、少なくとも私が子供時代に好きだった「ヤマト」という作品自体には、とくに問題はなかったのだろうということだった。
 どんなに優れた作品にも、一定数の「誤読」は生じる。

 たとえばアニメ「ヤマト」を観て右翼になる。
 たとえば小説「幻魔大戦」を読んでカリスマ信仰にハマる。
 たとえばマンガ「ゴーマニズム宣言」を読んでネット右翼になる。

 作り手側がいくら「そうならないように」と細心の注意を払ったとしても、受け手の100パーセントをコントロールすることは不可能だ。
 力のある作品ほど、多くの人に鑑賞された作品ほどに、誤読の可能性は生じてくる。
 誤読する者は「自分の願望の補強材料を探している」のであって、きっかけはなんでもよく、流行っている作品の中から「おいしい箇所」をつまんでいるに過ぎないのだ。
 様々な読書体験、鑑賞体験を重ねてきた今なら、そのことがよくわかる。
 20年以上の時を経て、懐かしのプラモを作りながら、私はようやくヤマトに対する葛藤を解消することができたのだった。

 この「ヤマトと仲なおり」のシリーズ、最後の作例をご紹介。


●「メカコレクションNO.23 新型デスラー艦」
 TV版「ヤマトV」登場、再び強大な帝国を築いたデスラーの旗艦である。
 艦首に強力な「ハイパーデスラー砲」を備えた巨大宇宙戦艦で、もしこれが純粋に「敵」として現れたのなら作品に緊張感が出ただろう。
 しかし主人公・古代とデスラーは、第二作で基本的に「和解」が成立しており、ヤマトという物語全体の感情のピークもその辺りにあったと思う。
 私個人の好みで言えば、やはりヤマトは劇場版の第二作までが良い。

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 長年手元に残っていた積みプラを崩しながら「ああ、これでヤマトのプラモも完全卒業かな」と、しばしノスタルジックな気分に浸ったのである。

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 紹介してきたヤマトのメカコレクションシリーズ、個別のプラモを下手にプレミア価格で買うよりは、再販のセット売りの方が求めやすい場合もある。
 昔懐かしい100円プラモのシリーズを色々作ってみたいなら、以下のようなBOXセットがお勧めだ。


●「宇宙戦艦ヤマト メカコレクション コンプリートBOX 全30種セット」
 全30種、箱入り。
●「ヤマトメカコレスペシャルボックス」
 こちらは全30種にプラスして新作三種も付属。その代わり個別の箱は無し。

(「ヤマトと仲なおり」の章、了)
posted by 九郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする