お化け屋敷のような怪しい老朽建築の部室には、その場に相応しい一風変わった先輩方がいて、私はあちこち引っ張り回してもらった。
先輩方の感化を受け、学校の立地がそぞろ歩きに向いていたこともあり、私は散歩というものの面白さに目覚めていった。
そのサークルは毎年二回、夏休みと春休みに合宿を行っていた。
合宿と言っても文芸系なので、体育会のように何かの特訓を積みに行くわけではない。
直近で発行した同人誌の合評くらいはするけれども、メインは親睦、観光で、私流に言えば「遠出の散歩」というような感覚だった。
行先は様々だが、けっこう怪しい所を巡った覚えがある。
その中の一つ、飛騨高山は春合宿の定番で、私は在学中に二度ほど行った。
かの地はもちろん歴史民俗に恵まれた「小京都」で、全国的にも知られた観光地だ。
普通に訪れるだけでも十分楽しめるのだが、少々横道にそれても面白い。
私の趣味で言えば、オカルト界隈でもけっこう話題にのぼる地だったのだ。
まず目立つところでは、丹波哲郎の霊界映画のロケ地にもなった、とある新宗教の大神殿がある。
宝珠の乗った大きな屋根が見えるので、近くなのかと思ってそちらへ向かうのだが全然到着せず、接近すれば接近するほど大屋根が巨大になっていって驚いた。
圧倒的なスケールにちょっとビビりながら訪ねてみると、アホな学生の物見遊山丸出しの参拝でも受け入れてくれ、あれこれ解説などしてもらえたのはありがたかった。
カルト宗教のテロ事件以前のことなので、まだ時代的に「宗教をネタに楽しむ」というのも「有り」だったのだ。
超能力の一種、「念写」の研究で有名な福来友吉博士の記念館なんかもあって、ものの本で見たことのあるような「月の裏側の写真」などの現物が展示されていた。
当時はまだフィルムカメラの時代だったので、宿に帰ってからさっそく念写を試してみたが、もちろんフィルムを無駄にしただけに終わった。
他にも「位山ピラミッド」とか、「両面宿儺」とか、面白そうなモチーフには事欠かない土地柄だ。
私は必ずしもオカルトを「信じている」わけではないのだが、時代ごとに様々な伝説が折り重なっていくのは、やはりその土地自体に「何か」があるのだろうとは思っている。
うちのサークルにはどこへ合宿に行くにしても、ちょっと怪しかったり、散歩が楽しめるところを探すのが上手い先輩が何人かいた。
今なら検索でいくらでもネタを探すことはできるだろうけれども、念のために書いておくと、当時はまだインターネットは存在せず、ケータイすらろくに普及していない時代である。
ものを調べるにはセンスと手間が不可欠だった。
今回は例として飛騨高山のケースを紹介しているが、面白い場所を探すには、まずそこを面白いと感得できるセンスが第一で、加えてその人なりの情報収集のルートやノウハウというものが、ネット以前には重宝されていたと思う。
そういうものを持っている人は、たいてい散歩の達人でもあったのだ。
大学の立地などの環境に恵まれ、先輩方に恵まれて、私の「散歩感覚」は徐々に刺激されていった。
街を、読むように歩く。
道を、読むように歩く。
目的地ありきの移動ではなく、移動して読むこと自体を目的とする歩き。
私の場合は、工業地帯や下街のような「人為の極み」の世界も好きだったが、やはり神社仏閣や樹木、自然の風景が性に合っていた。
もともと「山の向こう」に対する憧憬が原風景としてあったせいかもしれない。
そして学年が進んで上級生になると、今度は自分が後輩をどこに引っ張り回すか考える番が巡ってくる。
確か三回生の頃の夏合宿、私の強い要望で決まった行き先が「熊野」だった。
私のやや本格的な「へんろみち」は、どうやらこの時期から始まっているようだ。
(続く)