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2017年05月22日

へんろみち8

 90年代初頭の学生時代、主に顔を出していた文芸系サークルの夏合宿で、私はそれ以前から一度は行ってみたかった、とあるお山に登った。
 噂に違わぬ凄まじい神域で、合宿から帰った後も、私はしばらくぼんやりと余韻に浸っていた。
 8月上旬、大学の夏休みはまだまだ長い。
 ある朝、唐突に「もう一度あの山に行こう」と思い立った。
 私はごくたまに、物凄く衝動的に行動することがある。
 普段は極めて保守的で、行動パターンを崩すことはないのだが、何年かに一回というほどの頻度で、自分でもわけのわからない動きをする。
 後から考えるとそれなりの理屈付けもできるのだが、行動を起こした時点では、少なくとも表層意識の上ではなんの展望も計算もない。
 朝食後、さっそく荷物をまとめ、一人で出発した。
 つい最近の合宿で交通機関、道順などは一応記憶していたので、とくに調べることもなく奈良の五條まで着いた。
 通常ならそこからバスに数時間揺られるのだが、その時の私はなぜかこう思った。
「よっしゃ、歩いたろ!」
 その時点で既に午後になっていたので、徒歩でその日のうちに目的地まで行けるわけがない。
 少なくともどこかで一泊はしなければならない。
 ただ、山間部とは言え、登山道ではなく国道のバス道を歩くだけのことだ。
 たとえ野宿になっても、遭難するほどのことにはならないだろう。
「なんとかなるやろ!」
 実際、なんとかなった。

 一応なんとかなり、死にはしなかったものの、とんでもない難行苦行にはなった。
 合宿地に着くまでに二日、温泉で疲れを癒して目的地のお山に登れたのは三日目のことだった。
 二回目のお山は、初回以上に神気溢れて感じられた。
 長時間自分の足で歩き尽すというプロセスが、私の感覚に影響を与えていることはすぐに分かった。

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 ああ、こういうことか!
 おれはこの風景が見たかったのか!

 理解が後追いでやってくる。
 夏合宿の時、苦労して参拝した後、宿に帰ってからお山の凄さをサークルメンバーに説いた時のことを思い出す。
 私があまり熱心に語るので、翌日何人かが登ってみたのだが、感想を聞いてみると今一つ反応が鈍かった。
 そう言えば、あの時のメンバーは、徒歩で登らずにタクシーで山頂近くの駐車場まで行ったのだった。
 その時は意識化されていなかったのだが、お山に到着するまでの時間や労力と、お山に対する感受性に、相関するものを嗅ぎ取っていたのかもしれない。
 中世の参拝者みたいに、野宿しながらできるだけ徒歩でお山に到達したら、どんな風景が見えるのか?
 私の中からごくたまに浮上してくる衝動的な私は、たぶんそんな実験がやってみたかったのだ。
 夏合宿からさほど間をおかず敢行したこの徒歩の旅が、その後毎年のように繰り返されるようになる私の熊野遍路の第一歩となった。

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 それから私は90年代の間に、お山に十回くらいは行ったと思う。
 行くたびに感動があり、発見があった。
 ただ、これは個人的な感覚なのだが、かのお山の神気は、年々少しずつ減じていったのではないかと思う。
 それは駐車場から続く参道が、年々整備されていったことと無関係ではないだろう。
 神社の関係者の皆さんが参拝者の便を図るのは当たり前のことなので、これは決して批判ではないのだけれども、参拝しやすさと山の神気は、ある意味では相反する要素なのかもしれない。
 参道のアップダウンや険阻さが解消され、平坦で歩きやすくなるにつれ、荒々しい太古の森の雰囲気は薄れていった。
 さらに言えば、私がお山に登るようになった90年代より以前、車道も駐車場もなく、徒歩で登るほかなかった時代には、おそらくもっととんでもなく神秘的な場所だったに違いない。
 時間は戻せないので仕方のないことなのだが、90年代初頭のお山を体感できたことは、本当にありがたかったと思う。

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 学生時代に何度もお山に登ったことで、私はいくつかのインスピレーションを得た。
 一つは文芸系サークルでその後二年ほどかけて書き続けた物語になり、もう一つは美術科の卒業制作になった。
 その二つの作品を描き切ったことで、私は学生時代の「祭」をいったん閉じることができた。
 そして次の祭をさがすようになった顛末については、以前紹介したことがある。
 
 同じ頃、私は一人の「師匠」に出会うことになる。
(続く)
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする