その師匠について語る前に、「へんろみち」に関連する私の学生時代の体験について、書き残しをさらっておく。
演劇と文芸系サークルにうつつを抜かす私だったが、「真面目」とは言わないまでも、大学の正規のカリキュラムもそれなりに楽しんでこなしていた。
教育系の美術科だったので、絵画もデザインも立体も工芸も、広く浅くではあるが、一通り実習できたのは得難い体験だった。
何よりも、学校の設備や備品を遠慮なく使用できるのが、貧乏学生にはありがたかった。
鉄の溶断溶接や金属工芸などは、授業が無ければ体験する機会は無かっただろうし、先生方や先輩方は皆個性的だった。
デザイン室ではマーカー等のデザイン用具を好きに使わせてくれた。
当時のデザインマーカーは、まだアルコール系の「スピードライ」が主流で、「コピック」がぼちぼち出始めの頃だったと記憶している。
スピードライはインクの伸びや発色が素晴らしく、そこだけ見ればコピックより性能は上だったと今でも思っている。
しかし、コピー機が一般に普及し切った90年代、コピー印刷面に使用できないという欠点はやはり大きく、徐々にコピックに駆逐されていった。
どちらを使うにしても、マーカーに熟達するにはザクザクと手を動かしてスケッチを繰り返すしかない。
インク残量と財布の中身を気にしながらケチって使うようでは中々上手くならないので、備品で用意されている環境は本当に貴重だ。
好きなデザイナーの画集でマーカーによるスケッチを眺めながら、ああでもないこうでもないと再現を試みるのが、上達の一番の近道なのだ。
彫塑の授業も記憶に残っている。
抽象表現の入門編として、ヘンリー・ムーアのスケッチから見えない面を自分で補完し、石膏直付で立体に立ち上げる課題があった。
ヘンリー・ムーアというのは抽象彫刻のゴッドファーザーみたいな人物で、母子像や横たわる人物、骨などの代表的なモチーフを、様々な抽象化の度合いで繰り返し作品化している。
スケッチもたくさん公開されており、「形状の抽象化」ということを学ぶにあたって、これほどぶつかりがいのある立体アーティストは他になかなか見つからないのだ。
平面ならピカソ、立体ならヘンリー・ムーアというのは抽象表現入門の定番で、私は今でも人に教える機会があればこの二人を紹介することにしている。
課題をこなしながらヘンリー・ムーアの作品写真を見たり、展示を観に行ったりするうちに気付いたのは「虚」の表現ということだった。
ムーアの作品には穴が開いてたり、隙間があったり、いくつかの塊の配置されていたりするのだが、そうした作品の「実体」だけでなく、囲まれたり、挟まれたり、切り取られたりした「虚の空間」まで、綿密に表現されているのだ。
絵を描いたり物を作ったりしていると、いずれは「間」とか「余白」等の、自分が直接手を下していない部分まで含めての「作品」「表現」なのだと気付く段階に至る。
私の場合は授業をきっかけにヘンリー・ムーアに取り組んでいる時にようやく、そのことをはっきり理解するに至った。
そのことに気付いてからは、同時進行でやっていたアマチュア演劇の舞台美術に対しても、心構えが変わった。
舞台美術は「舞台上に置くものを作る」のではなく、そこに芝居が盛られるための「虚の器を整える」ものなのだ。
そこから色々と頭の中でつながってくる。
ああ、「建築」もそういうことか。
もしかしたら、「道」もそうか。
すると「散歩」は……
文章にも「書かない部分の表現」はあるな……
詩は……
課題をこなしたり、あれこれ考えたりしているうちに、ぼちぼち「卒業」という二文字が迫ってくる。
我が美術科では卒業制作と、50枚ほどのボリュームの卒業論文を書く必要がある。
卒制はまあ描けるとして、卒論は?
ノープランだった私は、担当の先生に相談した。
日頃考えていた「虚の空間」のことなどを話すうち、先生は突然口をはさんだ。
「よし、わかった。君はライトをやりなさい!」
「は? ライト?」
「どうせ卒論書くなら、ぶつかりがいのあるテーマで少しでも勉強して卒業しなさい!」
こうして私の卒論のテーマは、半ば強制的に「近代建築の巨匠」フランク・ロイド・ライトに決まったのだった。
(続く)