学生時代の私は、絵を描いたり物を作ったりと言うことはもちろん好きだったけれども、建築と言うジャンルに関してはとくになんの勉強もしていなかった。
母方の祖父が大工であったし、神社仏閣には興味を持っていたので、関心がゼロと言うわけではなかったが、興味の範囲はせいぜい和風の木造建築止まりだった。
現代建築についての知識は、バブルの残り香のある90年代初頭の学生としては、人並み以下だったと言って良い。
そんな私が、卒論のテーマにフランク・ロイド・ライトを選ぶというのは、担当教官の半強制によることとはいえ、なんとも唐突な話だった。
19世紀末から20世紀前半に活躍した鉄筋コンクリートによる近代建築の巨匠と言っても、当時の私は名前すら聞いたことがなかった。
しかし卒業するためには、どのみち卒制と卒論はこなさなければならない。
私の場合は卒制がメインで、卒論の方はとにかく合格がもらえればそれでよかった。
とくにこだわりのあるテーマも持っていなかったので、先生に勧められるままに資料を探し始めた。
当時はライトについて初心者が日本語で読める本はさほど多くなくて、大学の図書館に所蔵されている何冊かしか見つからなかった。
その中に、ライト本人から直接教えを受けた弟子の一人が書いた本があり、「変わり者の師匠を持った弟子の青春記」みたいに読めて、かなり面白かった。
●「知られざるフランク・ロイド・ライト」
最初の一冊がとても面白く、ライトのキャラクターに興味が持てたことで、私は一気にハマった。
当初は先生の言いなりに50枚程度こなせればそれでいいという程度のモチベーションだったのが、積極的に調べてみる気になってきた。
その気になって資料を漁ってみてとくに面白かったのが、ライトの残した数々のスケッチだった。
丁寧に作図され、色鉛筆で淡く着色された完成予想図は、まず「絵」としてとても魅力的だった。
建築図面の持つ精緻さ、硬質な美しさとはまた別の、柔らかさがあり、どこか浮世絵を思わせる雰囲気もあって、絵描きの感性でも受容しやすかった。
実際の建築物としては完成しなかったスケッチもたくさんあった。
(以下、20年以上前の不確かな記憶で書くので、内容については要確認!)
大地に巨大な剣を突き刺したような数百階建てのビルの真ん中あたりにはたなびく雲が描かれていたり、未来の交通手段として個人用の小型ヘリが描きいれられている絵もあり、SF的と言うか、マンガっぽいというか、手塚治虫が描くような未来都市の風景にもちょっと似て見えた。
2010年代の今あらためて思い返してみると、中東あたりの超高層ビルや、小型航空機の発達を予言していたようにも思えたりして(笑)
そうしたぶっとんだスケッチと共に、個人住宅の設計のような規模の小さい仕事もライトの魅力だった。
まず立地が面白かった。
斜面地など、普通は住宅建設には不向きだと思われる地形を逆に利用し、大きくはり出した廂で屋内と屋外の中間領域を多用したデザインは、どこか日本建築とも共通して見えた。
代表作の「落水莊」に至っては、滝を含む渓流をまたぐように描かれていて、完成写真でも実際そのように建てられていた。
スケッチを眺めているうちに、ぜひ一度ライト設計の建築の実物を見てみたい、できれば中に入ってみたいと思うようになった。
するとこれまた都合の良いことに、当時住んでいた所からも近い六甲山麓に、ライト設計の建築物が現存していることがわかった。
芦屋にある「ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)」である。
しかも、私が卒論を書いていた時期は、屋内の一般公開が始まって数年後のタイミングだったのだ!
さっそく行ってみると、芦屋川を西に眺める斜面の立地はまさにライト建築だった。
木立の間から覗く薄茶色のコンクリートが、国籍不明の「お城」みたいに見えた。
まず外見が魅力的で、コンクリートブロックの連続する意匠はリズムパターンを刻むようだった。
斜面地なので最下層にあるエントランスから徐々に階層が重られていて、古い鉄筋コンクリート造りだが、入ってみると中は意外なほど明るく開放的だった。
建物の内外、部屋と廊下などのそれぞれの区切りに「緩衝地帯」が設けてあり、光や空気が出入りできるようになっているのだ。
廊下や階段、部屋の配置は元々の地形に沿っており、目の前で次々に展開される空間の連続は、ちょっとした「探検気分」が味わえた。
南には大阪湾が広がっていて、屋上に上がれば直接、室内からは窓枠に区切られた絵画のように眺めることができた。
全ての設計が、元々の立地の自然環境を上手く利用し、味わい尽くすように為されていると感じられ、それは私流に言うなら「極上の散歩体験」と同質のものに思えた。
私は卒論執筆中何度も現地を訪れ、あちこちでのんびり過ごしながら感じたことをメモし続けた。
担当の先生がどこまで意識していたかは分からないが、当時の私の関心の方向とシンクロしていたのである。
卒論自体はなんとか枚数はこなせたものの、「論」の体をなしていない「感想文」に過ぎなかっただろうけれども、まあお情けで通してもらえた。
しかし、この時点で比較的真面目にライトの建築にぶつかってみたことは、本当に貴重な経験になったと思う。
基本的に絵描きの私は、なんでも感性で処理しがちだったのだが、「勉強って楽しいな」と、卒論の段階になって初めて素直に思えた。
以後、私の心には、絵描きは絵描きなり、バカはバカなりに、勉強していこうという灯が点った。
フィクション作品以外の読書、勉強の価値を(ちょっと手遅れ気味ながら)認識できたのだ。
90年代後半、あらためて本を読んでみる気になったのは、卒論を書いた時のささやかな勉強体験が効いていたのかもしれない。
卒制・卒論ともになんとかパスし、半期遅れだが無事卒業した頃、それと同時進行で私は「師匠」と出会っていた。
絵を描く、物を作るということから「虚の空間」へと興味が広がった。
私の「へんろみち」は、そこからさらに一歩進んで「地形を読む」「風景を読む」というものの観方に触れ始めていたのだ。
(小休止の後、続く)
追記:記事中の「ヨドコウ迎賓館」、現在は修復のため閉鎖中のようだ。いずれ公開される日が来たら、ぜひもう一度あの空間に浸ってみたい。