沖縄のお土産物の定番になっているシーサーや石敢當も、元来は風水に関連するアイテムだ。
Nさんの事務所でのバイトを通じて、私は「門前の小僧」として沖縄の風水の考え方の概要を知るようになった。
風水と言うと、最近は占いやコーディネート術の一流派みたいに紹介されることが多い。
もちろんそうした要素も含まれるのだが、元々はもっと大きく人が快適に生活するために地形を読み、時には改変するためのノウハウだ。
まずは広域の地形・地勢であり、その中の立地であり、建造物の配置や構造が重要になる。
インテリアやアクセサリーの色使い等は、その前提があった上での微調整であろうと、私は理解している。
風水では大地のエネルギーの流れ、気脈は、龍の姿でイメージされ、地上に展開される様々な地形の中に、姿を千変万化させながら潜んでいると説明される
風水や、更にその元になった陰陽五行等の道教文化については、「陰陽道」に関する記事で簡単に触れたことがある。
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道教文化は東アジアに広範に分布するので、沖縄に限らず、大和本土もその影響下にある。
そうした中国起源の思想が、仏教説も交えて日本流にアレンジされたものが陰陽道だ。
現代まで続く陰陽道の考え方には、煩瑣な迷信も多いのだが、自然の地形と人間の暮らしの折り合いをつけるための知恵として、見るべきものは十分残っている。
よく例に挙げられるのが「四神」だ。
四つの聖獣を東西南北の方位に配し、人が快適に生活できる地形の理想形を表現するのだ。
このブログでも、陰陽道風の四神と地形の基本構成は、図にまとめてみたことがある。
東、青龍の「川」
西、白虎の「園」
南、朱雀の「池」
北、玄武の「山」
背後の北に山を背負い、目前の南には水場、東西にはそれぞれ防護となる樹林や川等を備える地形は、日照や日々の暮らしに必要な物資の調達を考えると、確かに「利」があるだろうと思わせる。
これはあくまで「基本」で、実際は個々のケースに合わせてかなり融通無碍に解釈され、用いられる。
大和本土の陰陽道と、沖縄の風水は、また少し違っていたりする。
沖縄はより大陸の影響が強いのだが、基本構造では一致するところが多い。
90年代には、たとえば荒俣宏の小説や解説等によって、陰陽道や風水の考え方は広く一般に紹介され始めていた。
地形に沿って流れる何らかの「力」という概念は、わりと世界中にある。
オカルト文脈で言えば、「レイライン」とか「カタカムナ」もそれに含まれるだろう。
Nさんの場合は沖縄の風水だけでなく、カタカムナも守備範囲に入っていたようだ。
風水の概要を知ることにより、私の空間認識、風景への眼差しの幅は広がった。
何でもかんでも風水の類型に落とし込んでしまうと「情緒」というものがなくなるが、一定の「型」を学ぶことは大切なのだ。
思い返してみると「背後に山、目の前に水場」という地形は、私の原風景とも一致している。
私はかなり成長してからもどこかでそのような地形を求めているようなところがあり、それは風水という概念を知るよりずっと以前からのことだった。
私が風水の考え方に馴染みやすく、沖縄文化に関心を持ったのも、そうした幼時からの感性に根差しているのかもしれない。
もっと言えば、人間が素朴に安心感を得られる原風景から出発し、長い年月をかけて精緻な理論として組み上げたのが「風水」であるのかもしれない。
ある日思い立ち、祖父母の家の裏山に登った幼い頃と同じ衝動が、私を沖縄まで連れて行ったとも思えるのだ。
地形に沿って流れ、人に影響を与える何らかの「力」は、確かにある。
しかしそれは「形」を離れて純粋に「力」だけであるわけではない。
形によって切り取られ、囲まれた「虚の空間」に対して、人間が何事かを感得し、影響を受けることはある。
たとえばどこかに心霊スポットがあったとしても、重機で根こそぎ削り取られ、何もない平坦な更地にされてしまえば霊威は失われるだろう。
作業中に何かが起こる可能性はあるが、空間を包む器が消滅すれば、たぶんそこまでだ。
実在の物を通した感覚の中に「気」も「霊」も存在するが、何もない空間には何も存在しない。
絵描きの私は、今の時点ではそのように理解している。
(続く)