最近というか、もう何年も前からだと思うが、映画やドラマで「昭和の風景」が描かれているのをよく目にする。
終戦直後から高度成長期あたりは、朝ドラの定番になっている感じだ。
たぶん二通り鑑賞の仕方があって、昭和生まれはわりと「同時代」を感じながら観ているだろうし、平成生まれの若い世代はそうした作品を完全に「時代劇」として観ているだろう。
70年代生まれの私は、感覚的に微妙な面もあるが、どちらかと言えばやっぱり「昭和」派だ。
これが80年代生まれになると、たとえ生年が昭和元号であっても感覚は平成寄りになるだろう。
分岐点は多分1980年前後ではないだろうか。
ちょっと興味があるのは、私より上の世代が今現在制作されている「昭和」ドラマを観て、果たして本当に「昭和」を感じているのかどうかだ。
私は正直、あまり感じない。
背景セットやファッション、小道具、流行語などは一応おさえてあるのだろうけれども、あまり「昭和」には見えないものが多い。
スタッフの主力はもう80年代生まれ以降になっているのかもしれないが、なんというか、私の体感してきた「昭和」の空気感とは重ならないのだ。
これは作品が面白いか面白くないかとはまた別の話だ。
ハリウッド映画の描く「日本」が多少ヘンテコでも、面白い映画は面白い。
同様に、「昭和」を感じられなくとも面白く観ている作品はいくつもある。
しょせん実体験していない時代は描けない、という話でもない。
戦中派の皆さんに懐かしがられた映画「この世界の片隅に」という凄い例もある。
こんなことをつらつら考えているのは、このところ、つげ義春のマンガを再読していたからだ。
つげ義春の作品の空気感は、まさに「昭和」だ。
はっきり時代背景がわかる作品は戦後から高度成長期あたりのものが多いし、わからない作品もどう見ても「昭和」で、ケータイなど影も形もない。
そもそも平成に入る前にマンガの筆は置かれているのだ。
そんなつげ作品を読むと、私は作者より世代的にかなり下るにも関わらず、「懐かしさ」を感じる。
私が子供時代を過ごした「70年代の地方」には、まだまだ田んぼや自然はたくさん残っていたし、鉄工所などの製造業も活気があったし、子供はたくさんいたし、お祭りなどの民俗行事も残っていた。
子供の頃の体験というものは、深層意識にまで浸透している。
たとえば私は夢の中に出てくるのは今でもダイヤル電話で、スマホはおろか、ガラケーすら出てきたことがない。
つげ作品に描かれる風景は、私にとってごく自然に感情移入できるのだ。
本当の「昭和」に浸りたい時は、つげ義春を読めばいい。
●「大場電機鍍金工業所/やもり」つげ義春(ちくま文庫)
ここまで書いてもう一つ思った。
平成生まれの若い世代は、つげ義春をどう読むのだろうか?