2017年07月28日

へんろみち18

 96年夏、熊野古道小辺路ルートへ向けて、朝一で出発した。
 電車内で夜明けを迎えながら、朝のうちに高野山には到着した。
 高野山は初めてではなかったが、人影もまばらな朝の風景は、それまでとは全く違った雰囲気を感じた。
 真夏の下界よりかなり涼しい、ピンと張り詰めた清澄な空気の中、高野七口のうちの一つ、大滝口から熊野本宮を目指す。

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 遍路の第一歩を踏み出す瞬間は、いつも心踊る。
 これからとんでもなくキツい目に合うことは分かっているのだが、なぜか楽しくて仕方がない。
 出発時の舞い上がった気分と、目的地に着いた時の達成感が、まずは遍路の魅力の双璧だ。
 もちろん途中経過の苦労も良い。
 熊野でする苦労は、全部雄大で美しい自然の中を歩くことでの苦労で、それは楽しみと引き換えなのだ。

 この年の小辺路遍路で、私は素人がやりがちな失敗は全部やった。
 地形を読み間違えて時間と体力を何度も空費した。
 水が足りなくなって渇きに苦しんだ。
 足ごしらえが不十分でマメを潰した。
 山小屋到着が日没に間に合わず、途方に暮れた。
 進行方向のずっと先にクマがいて、緊張感が走った。
 当てにしていたバスに乗り遅れ、結局車道をトボトボ歩き通した。
 それでも、楽しくて仕方がなかった。
 乾き切った喉を水場で存分にうるおしたり、山小屋の朝を野鳥のさえずりで迎えたりしたこと瞬間の映像は、今でも脳裏に鮮明に浮かぶ。
 盛夏の熊野の山々の濃い緑、木立の涼風、苔むした石畳の様も忘れがたい。
 そして何より、二泊三日で歩き通した果てに、熊野本宮で感じたなんともいえぬ情動。

 この年の遍路の印象は強烈だった。
 たぶんそれは、前年95年に体験した「影」の深さと対になっていて、その落差が感動を生んだのだと思う。
 以後十年間ほど、私は毎年のように熊野遍路に出かけるようになる。
 
 熊野と言えばイメージとしてすぐに浮かぶのは「深い森」であり、山岳修験だ。
 実際、私の遍路のメインも山道をただひたすら歩くことだった。
 しかし、繰り返し歩き回って分かってきたことは、熊野には意外に「水」にまつわるイメージが重要であるということだった。
 現地に行かなければ決してわからないということは、世にいくらでもあるのだ。
 たとえば、日本一の大滝として有名な那智の滝は、その姿から「水」の龍神そのものだ。
 新宮速玉大社は現在の所在地からはやや分かりにくくなっているが、そもそもは熊野川の注ぐ熊野灘と関連の深い社だ。
 そして熊野本宮は、旧社地「大斎原(おおゆのはら)」を見れば明らかなように、熊野川の中州のような位置に祀られた社だ。
 熊野信仰の中核をなす三社ともに、水にまつわる信仰の場ということになる。
 水、川、海という要素が熊野には不可欠で、古道の中でも「山を通して海に至る」ルートが、私の中では最もしっくり感じられた。

 熊野遍路を繰り返すうち、とくに好きな場所、好きなルートができた。
 何度か紹介してきた「お山」と大斎原は、私の中で熊野の「二大聖地」になった。
 ルートとしては、高野山と本宮をつなぐ小辺路、本宮と那智をつなぐ雲取越えが気に入った。
 そしてもう一つ、大峰奥駆けの最終区間である、「お山」から本宮までをつなぐルートが素晴らしかった。

 深い森である「山の熊野」を存分に歩き通した後は、ゆっくり温泉に入ってから、「海の熊野」に出る。
 補陀落の海・熊野灘に面する、那智勝浦や新宮、三重県熊野市だ。
 
 那智の浜。
 高野坂。
 王子ヶ浜。
 蓬莱山。
 七里御浜。
 花の窟。

 海辺の古道を歩き、水の信仰の場を巡る。
 たまに海岸に寝転がり、波音に包まれて過ごす時間が、また格別だった。
 当時、遍路の途中で描いたスケッチが、いくつか残っている。

【大斎原】
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【那智の浜】
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【王子ヶ浜】
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【蓬莱山】
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 そんな風に、一週間近く熊野の山や海をぶらついて、名残りを惜しみながら紀勢線で帰路につく。
 その頃には、なんとかこれからも娑婆でやっていけそうな気分になってくるのだった。
(続く)
posted by 九郎 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする