終末ブームの世相も背景にしながら、この時期の作品には幾多の「世界滅亡」が描かれ、主人公の死や破滅が描かれる作品が多数あったことについて、以前一度記事にした。
青年はサブカルチャーに一度死ぬ
記事中では一旦破滅や死を迎えた物語が、直接的、間接的に続く作品の中で「再生」が描かれる例として、「幻魔大戦」に対する「新幻魔大戦」、「デビルマン」に対する「バイオレンスジャック」、「あしたのジョー」に対する「おれは鉄兵」、「カムイ伝」に対する「外伝」「第二部」を紹介した。
同時代にカタストロフ後の再生が描かれたケースには、「はだしのゲン」も含まれるかもしれない。
●「はだしのゲン」中沢啓治
72年、原形となった自伝的短編「おれは見た」週刊少年ジャンプ掲載。(作者33歳)
73〜74年、週刊少年ジャンプ(作者34歳〜35歳)
75〜76年、市民(作者36〜37歳)
77〜80年、文化評論(作者38〜41歳)
82〜85年、教育評論(作者43〜46歳)
70年代は、マンガを含めた日本の戦後サブカルチャーの「青年期」にあたっていたのかもしれない。
その時代には、読者側の年齢層からも、「青年の完全燃焼の死」の物語が求められる傾向があった。
そこから80年代に入るとサブカルチャーのテーマや表現も成熟に向かい、混沌の中で強くサバイバルする「終末後」が、盛んに描かれるようになっていった。
70年代から80年代ごろにかけては、書店の本の回転は今よりずっと緩やかだった。
出版点数自体が少なかったので、最寄りの駅前にある「街の本屋さん」(これ自体が今はもう少なくなってしまった)に行けば、マンガや小説のヒット作は5〜10年前のものでもけっこう揃っていた。
エンタメ文庫の隣にはがっちり岩波文庫も並んでいて、古典の世界への扉も用意されていた。
出版点数が増え、書店の本の回転が速くなって、現在の感覚に近くなったのは、90年代以降だったと記憶している。
私が「親に買ってもらった本を読む」という段階を脱し、自分で作品を探し始めたのが80年代に入ってからだったが、「あしたのジョー」も「デビルマン」も、まだ書店の本棚で現役作品だった。
藤子不二雄でSF的な幼児の頃からSFセンスが磨かれ、「天才バカボン」から「がきデカ」、それ以降へ続くギャグマンガの進化もトレースすることができた。
かなり長いマンガでもせいぜい十巻程度、二十巻を超えることはあまりなかったので、並べて置きやすかったという事情もあるだろう。
週刊連載マンガの人気作品が数十巻のレベルに長編化するのは90年代以降のことで、80年代のとくに前半は、過去の人気作品と現在進行中の作品は書店の本棚で同居していたのだ。
当時はまだマンガ本にビニールはかかっておらず、子供の立ち読みに寛容な時代だったので、様々な作品に親しむことができた。
立ち読みだけで済まされる本も多かっただろうけれども、結果的にはマンガ好き、本好きな子が増えた。
幼いころからメディアミックスで育った世代は、マンガやアニメのノベライズ作品で小説の面白さに目覚めるケースも多かった。
TV番組の再放送や、映画のTV放映も頻繁にあったので、有名どころの作品はみんな一度は観ていた。
そのような環境にあったので、80年代の少年の中にはかなりの「目利き」が育っていた。
私が中高生の頃の友人の中にもそんな目利きが一人いて、間口の広い週刊少年マンガ誌の作品世界から一歩進み、大友克洋や平井和正等のコアなSFへと興味を開いてくれたのである。
(続く)