そんな流れの中、愚直に「終末」テーマを追求し続ける作家もいた。
週刊少年マンガ誌における同テーマの嚆矢となった「幻魔大戦」の原作者、平井和正である。
元々はSF作家としてデビューした平井和正は、60年代の「エイトマン」のヒット以来、まずマンガ原作者として地歩を築いた。
石森章太郎とのコンビで執筆された「幻魔大戦」は、年代的に「エイトマン」終了後の次なる意欲作にあたっていたのではないだろうか。
●マンガ「幻魔大戦」平井和正/石森章太郎
67年、週刊少年マガジン連載。
宇宙規模の破壊者である「幻魔」と、地球の超能力集団の戦いを描いたこの作品は、そもそもその設定から「勝てるわけがない」物語であった。
少年マンガの敵役は、通常は味方側の成長と共に、競うように強さを増していくものだ。
物語にドライブがかかると「強さのインフレ」」と呼ばれる現象が起こり、結果的に「宇宙大の悪」と戦う羽目になってしまったりもするが、それはあくまで順を追った結果のことだ。
たとえば「ドラゴンボール」で、連載開始当初の幼い悟空の前に、いきなりセルや魔人ブウが現れたらどうなるだろうか?
いくらサイヤ人の子供でも、勝てるわけがないのである。
本作「幻魔大戦」の設定は、今読み返すとそのくらいのレベルでメチャクチャなのだ。
そんな圧倒的な戦況の中、主人公・東丈をはじめとする地球の超能力者集団は、内部抗争を繰り返しながらも成長し、幻魔の地球方面司令官シグを引っ張り出すまでに健闘する。
シグによって月が落下してくる「終末イメージ」の中で、マンガ版はいったん終了する。
はっきり地球が滅びた描写はないものの、他の解釈があり得ないほど彼我の戦力差は歴然としており、続いて執筆された「新幻魔大戦」では、一旦物語は仕切り直されている。
●マンガ「新幻魔大戦」平井和正/石森章太郎
71〜74年、SFマガジン連載。
そもそも勝てるわけがない強大過ぎる敵の設定は、「幻魔宇宙」のビッグバンを起こす起爆剤になった。
一つの世界で勝てないなら、歴史改変によって無限のパラレルワールドを分岐させ、勝つまで戦ってしまえばいい。
そんな発想のもとに描かれた新作は、物語を一旦大幅に巻き戻した。
幻魔により一瞬で滅ぼされた世界の一人の少女が、時間跳躍能力により「勝てる地球」を作ろうとする壮大なスケールの作品に成長したのだ。
ここでは最初の「幻魔大戦」の物語は、幻魔に勝利するために試作されたパラレルワールドの一つに組み込まれることになる。
70年代の「ウルフガイシリーズ」のヒットでSF作家として成功した平井和正は、徐々に漫画原作には距離を置くようになる。
原典になった70年代前後の二作以降、「幻魔大戦」は、平井和正の小説版、石森章太郎のマンガ版がそれぞれ別に展開されることになる。
石森マンガ版は1979年〜1981年、雑誌「リュウ」に連載された。
平井小説版「幻魔大戦」シリーズは、70年代末から80年代にかけて、以下のように続々と刊行されていった。
●小説「新幻魔大戦」
78年、71〜74年マンガ版の原作を、小説作品として刊行。
●小説「真幻魔大戦」
79〜84年、SFアドベンチャー。
前述「新〜」の流れを引き継ぎ、67年マンガ版で滅びた地球が歴史改変され、79年時点、29歳の青年作家・東丈が真の救世主として覚醒するストーリーとして書き起こされた「はずである」。
舞台は79年にとどまらず、日本の上代、超未来、超過去、宇宙の果てまで含めて壮大に展開され、様々な時空で同時多発的に勃発する「幻魔大戦」の真相が示されていったが、東丈自身は中盤で謎の失踪。
その後も作品自体は長く続いたが、やや唐突に中断。
●小説「幻魔大戦」
79〜83年、野生時代。
当初は角川劇場版アニメ第一作の原作、67年マンガ版のノベライズとして書き起こされた。
文庫四巻目からは独自展開に移行し、17歳の少年・東丈は地球最強の超能力戦士としてではなく、言葉によって人類の覚醒を促すカリスマの相を現し始める。
宇宙規模の破壊エネルギーを退けるのに、いくら強力でも個人の超能力では無理がある。
人類全体の「光」のエネルギーを結集する方向へ戦術はシフトされたのだ。
しつこく「ドラゴンボール」でたとえるなら、個人のパワー頼みのスーパーサイヤ人やかめはめ波ではなく、「元気玉」作戦に切り替えたともいえる。
しかし物語中盤で丈は謎の失踪を遂げ、以後は取り残された「弟子」たちの混迷が描かれる。
●劇場版アニメ「幻魔大戦」
83年公開。キャラクターデザインは大友克洋。
基本的には67年マンガ版をベースに、ラストは東丈の戦士としての覚醒、サイボーグ戦士ベガの犠牲により、幻魔は退けられるハッピーエンドに改変されている。
原作にクレジットされているものの、平井和正自身はアニメに関与していない。
●小説「ハルマゲドン」(角川「野生時代」版の続編)
84年頃執筆、87年刊行。
東丈の失踪した67年時点の世界、割拠するカリスマとその教団の動向を描くが、三巻分で中断。
●シナリオノベル「ハルマゲドンの少女」(83〜84年)
丈の姉・三千子がキーマンとなって、シリーズで描かれた様々な世界を緯糸で繋ぐ構成になっている。
開始当初はシナリオ形式だったが、じわじわと小説形式に変化し、「幻魔大戦シリーズ」の80年代における最終章にまで成長した特異な作品である。
ラスト近くでどのシリーズでも失踪していた東丈が再登場し、カリスマ的な救世主の在り方に否定的なイメージを暗示する。
●「あとがき小説ビューティフルドリーマー」
85年、著者としては珍しい評論「高橋留美子の優しい世界」の、後半分を占める「あとがき」として執筆された。
虚実錯綜する私小説のような作品で、「幻魔大戦シリーズ」全体のあとがきとも読める。
平井和正は節目節目にこうした虚実の狭間の物語を挟みながら、作家としての相を変化させていく傾向がある。
数ある平井作品の中でも「幻魔大戦シリーズ」、とくに角川小説版は毀誉褒貶が激しい。
派手な超能力アクション小説が突然、カルト教団の動向を描く展開にシフトしたのだから、これは仕方がない。
著者が一時期、あるカリスマに傾倒していたことは知られていたので、「宗教にかぶれた変節作家」というレッテルも貼られがちだった。
しかし事実関係を確認すると、平井和正は「教団」に入信したことは一度もなく、数か月間「あるカリスマ」と対話を続け、ゴーストライターをつとめた後、「決別」したということだ。
80年代にハイペースで幻魔大戦シリーズを執筆していた時期は「決別後」にあたり、むしろカリスマ的指導者やカルト教団の危険性を警告する内容になっている。
先に紹介した「あとがき小説ビューティフルドリーマー」は、「あるカリスマ」の強い魅力と共に、魔的な部分も記述された「決別の書」という一面もあるのだ。
たかが小説、たかがサブカルチャーとは言え、平井和正という不世出のSF作家が、自身の経験も踏まえながら、文字通り命を削るペースで「終末」と取り組んだのが「幻魔大戦」である。
当初は「真の救世主」を、リアルに、まともに描くことを企図していたようだが、ベストセラー小説の中で「それ」をやってしまうことの危険に、途中で気付いてしまったのかもしれない。
大衆が強いカリスマ、強いヒーロー、救世主を求める心理自体が、独裁者や偽救世主を呼び寄せ、ハルマゲドンを誘発する。
そうした「終末感」は、危機的な世相を根っこに持ちながら、サブカルチャーによって強く増幅される。
平井和正は作家的な潜在意識を「言霊」と表現するが、少なくとも幻魔大戦の言霊は、物語を「救世主ストーリー」として描くことにブレーキをかけた。
「それを求める者は滅ぶ」
そんな暗示を残して80年代の幻魔大戦は終結し、まるで作中のカルト教団が現実化したような事件の勃発する90年代へと、日本は突入していったのだった。
最初のマンガ版が執筆されてからちょうど50年にあたる現在、「禁断の」角川小説版は、kindle合本で刊行されている。
(「終末後」のサブカルの章、了)