90年代は文字通りの「世紀末」で、70年代頃から始まった「終末ブーム」が総決算の時期を迎えつつあった。
実際、大震災があり、カルト教団のテロ事件があり、ショッキングな少年犯罪もあったので、「終末感」が強く漂っていたことは確かだ。
しかし、今振り返ってみると、「それ一色」というわけでは全くなかったと思う。
既にバブルは崩壊していたが、CDや本の売り上げはピークにあり、まだ物は売れていた。
金はある所にはまだ残っており、地方が今ほどには疲弊していなかった。
いくつか「世も末」を感じさせる事件があっても、それに塗りつぶされない程度の明るさ、能天気さは、90年代にもやっぱり存在したのだ。
終末感はあったが、それは世相を構成する様々な要素の内の一つに過ぎなかった――
そのあたりが、妥当な認識ではないかと思う。
終末をテーマとしたサブカルチャー作品の最初のピークは70年代にあった。
多くの作品が描かれ、80年代に入るころには次の段階、終末後の世界でのサバイバルが描かれるようになった。
そうした在り様については、以前に別カテゴリの一連の記事で紹介してきた。
70年代「終末サブカルチャー」
80年代「終末後」のサブカル
そして90年代、終末予言の刻限が迫る中、世の終末をテーマとした「世紀末サブカルチャー」は、数あるエンタメの中の(やや地味な)一ジャンルとして、一定の需要を保っていた。
私はそうした固定客の中の一人だったのでよく鑑賞していたが、終末テーマは当時のサブカルの一番の売れ筋からは既に外れていたはずだ。
ハイレベルな「終末」「終末後」は、70年〜80年代にほぼ描き尽されていたのだ。
一般ニュースとして取り上げられるレベルで大ヒットし、多大な影響を残したのは、95年のアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」くらいだったのではないかと記憶している。
私自身はちょうど被災生活中だったこともあり、結局「エヴァ」のブームとは無縁で過ごしていたこともあり、マンガも小説も音楽も、自分の周囲に話の合う者は中々見つけられなかった。
とは言え、世紀末感覚のある作品が「全く売れていない」わけではなく、見るべき作品はいくつもあった。
それは70年代の終末サブカル、80年代の終末後のサブカルの流れを引き継ぎ、絵作りや描写にリアルさを加えた、非常に良質な作品であったと思う。
そしてそれらは、青年誌連載作品であるケースが多かった。
表現の制約の少ない青年誌だからこそ描けた面があっただろうし、同時に青年誌ゆえの読者層の限界もあっただろう。
いずれも日本マンガ史に残るべき作品で、息長く読み継がれてはいるけれども、少年誌発のアニメ化ヒット作のように「日本中誰もがタイトルくらいは知っている」というほどの知名度は、二十年経った今も無い。
90年代当時の私がよく読んでいたマンガ作品を、紹介してみよう。
まず挙げておかなければならないのは、70〜80年代に君臨した終末サブカルの魔神・永井豪の作品である。
●「マジンサーガ」永井豪
90〜92年、週刊ヤングジャンプ連載。
●「デビルマンレディー」永井豪
97〜00年、週刊モーニング連載。
永井豪という不世出のマンガ家が、真にクリエイティブで在れたのは80年代あたりまでだったとは思う。
しかし、ピークを過ぎた後の永井豪も、セルフリバイバルを繰り返しながら、まだまだ独自の存在感を放っており、ファンは作品を追わざるを得なかった。
90年代の永井豪作品の内、特筆すべきは、70年代初頭の二大代表作である「マジンガーZ」「デビルマン」のリバイバルだった。
搭乗型兵器としてのロボットアクション、「神と悪魔」や「終末」といったテーマを導入した両作品は、多くのフォロワーを生んだ不朽のパイオニアだった。
しかし80年代以降、飛躍的に作画密度を増していった日本マンガの世界にあって、内容はともかくビジュアル面では粗さが否めなくなってきていた。
自身の切り開いた不朽のテーマに、ビジュアル面の最新技術を導入して再生されたのが、「マジンサーガ」「デビルマンレディー」だったのだ。
作画密度に限って言えば、永井豪のピークはこの時期、90年代にあったと見て良いだろう。
全盛期の作品の鬼気迫る緊迫感には及ばないものの、現実の世紀末の初頭と終盤に、豪華絢爛のビジュアルと圧倒的なボリュームで終末を描き切った手腕は、やはり凄まじいのである。
(続く)