音楽に関しては、一度入手した音源をしつこく聴き込む方だ。
CD等を購入すると当然ながらしばらくヘビロテになるし、しばらく期間を置きながら何度も聴き込む。
マイブームが去ってからも、何年かに一度は引っ張り出してきてまた聴き込む。
そんな付き合い方をしている。
熱心な音楽ファンというほどではないと思うが、年季が入ってきたので所持するCDの枚数はかなり多い。
ただ、所持枚数のわりに軽くBGMで流せるような音源は少ない。
それを聴くために流すしかないような、がっつり重めの音源が多い。
ヘビロテで堪能したら、その後数年間は全く聴かなくなるほど「アクの強い」のが好みだ。
十年ぶりくらいで友川カズキを聴いている。
所持しているのは以下のたった二枚。
たぶんこの二枚だけで私の一生分の「友川カズキ」は足りるのではないかと思う。
アーティストにとっては良いファンではないだろう(苦笑)
●「初期傑作集」
●「顕信の一撃」
友川カズキの名を認識したのは、たぶん90年代頃のことだったと思う。
当時は「友川かずき」名義だった。
今は引退した島田紳助がホストをつとめる、深夜の音楽番組でのことだった。
ある時ゲスト出演した地味な風采のシンガーが、彼だった。
人前でしらふでは歌えないと言いながら、酒をあおる。
そして、絞り出すように、絶叫するように歌う。
その姿は衝撃的で、同時に遠い記憶がよみがえってきた。
(ああ、あの時のあの歌手だ!)
小学生の頃、再放送で視ていたドラマ「3年B組金八先生」のワンシーンを思い出したのだ。
今は某政権与党のしょーもない戦前回帰議員になってしまった元女優が、金八先生のクラスの「つっぱり少女」役で出演していた。
その女生徒が入り浸るライブハウスのステージに、ギター一本で「トドを殺すな!」と叫び続ける青年がいたのだ。
映っていたのはほんの数秒のことだったはずだが、子供心に「すごい!」とショックを受けた。
それから二十年近く経った深夜のTV番組で、全く同じ叫び声に再会したのだ。
歌っている曲は違っていたが、この声、この叫びは間違いようもなく、私は初めてその歌い手の名を知ったのだった。
それから名前を頼りにCDを探した。
できれば「金八」で歌っていた曲が聴きたくて手に取ったのが、上掲の「初期傑作集」だった。
一応収録曲を確かめてみると、「トドを殺すな」という曲名があった。
そのままやん。
以来、何年かに一回は聴き込んでいる。
2017年10月21日
2017年10月22日
2017年10月27日
ヤンキーサブカルチャー1
私が小学生の頃(1980年代初頭)、いわゆる「なめ猫ブーム」があった。
かわいい子猫に当時社会問題になっていた暴走族風のコスプレをさせて写真撮影し、グッズ展開したシリーズで、正式名称は「全日本暴猫連合なめんなよ」、略称「なめ猫」だった。
同時期、アラジンというバンドが「ツッパリ少年」をネタにした「完全無欠のロックンローラー」を発表し、大ヒットしていた。
今の青少年には想像もつかないかもしれないけれども、1980年時点では「不良」「バイク」「ロック」はワンセットで不可分だったのだ(笑)
どちらも「学校の先生や親」が喜ぶタイプのブームではなかったが、地方の小学生である私の周辺でもみんなハマっていた。
校内暴力や暴走族などの非行が社会問題化したのは70年代からで、80年前後というのは一つのピークであったはずだ。
ドラマ「3年B組金八先生」の第一、第二シーズンが放映され、ヒットしたのも同時期だが、その頃には既にパロディは始まっていたことになる。
社会問題をテーマとした創作作品が発表され、ヒットする段階は、社会的には「受容」「沈静化」が始まっていたということになるかもしれない。
更に進んでパロディの対象になり、ネタ化、ファッション化し始める段階になってしまえば、あとは「消費」が待っているだけだ。
なめ猫ブームの数年後、80年代半ばには、現実世界での校内暴力や暴走行為は沈静化に向かったとされている。
その後も、サブカルチャーの一ジャンルとしての「ヤンキー」は残った。
この「ヤンキー」という言葉自体は、元々は関西圏で使用されていた不良を指すスラングだったはずで、80年代前半の段階では「ツッパリ」の方が全国区だったと記憶している。
日本全国「ヤンキー」で通じるようになったのは、90年代以降だったのではないだろうか。
当時から使用されていた、分かりやすい暴走族のアイコンと言えばたとえば、以下のようなものがある。
日の丸、旭日旗
神風特攻隊を模したファッション
「尊王攘夷」「七生報国」「八紘一宇」等の語彙
いずれも軍国主義的、戦前回帰的なモチーフだ。
偏差値教育、管理教育に反発し、ドロップアウトした先が、それ以上に抑圧的だったはずの「大日本帝国」的な世界観に帰着するのは、あらためて考えると不思議な傾向ではある。
不良文化と右翼的ファッションが結びつくようになったのは、80年代的な在り様ではないかと思う。
そうした「ヤンキーサブカルチャー」について、つらつら覚書を残しておこうと思う。
しばらくお付き合いを。
かわいい子猫に当時社会問題になっていた暴走族風のコスプレをさせて写真撮影し、グッズ展開したシリーズで、正式名称は「全日本暴猫連合なめんなよ」、略称「なめ猫」だった。
同時期、アラジンというバンドが「ツッパリ少年」をネタにした「完全無欠のロックンローラー」を発表し、大ヒットしていた。
今の青少年には想像もつかないかもしれないけれども、1980年時点では「不良」「バイク」「ロック」はワンセットで不可分だったのだ(笑)
どちらも「学校の先生や親」が喜ぶタイプのブームではなかったが、地方の小学生である私の周辺でもみんなハマっていた。
校内暴力や暴走族などの非行が社会問題化したのは70年代からで、80年前後というのは一つのピークであったはずだ。
ドラマ「3年B組金八先生」の第一、第二シーズンが放映され、ヒットしたのも同時期だが、その頃には既にパロディは始まっていたことになる。
社会問題をテーマとした創作作品が発表され、ヒットする段階は、社会的には「受容」「沈静化」が始まっていたということになるかもしれない。
更に進んでパロディの対象になり、ネタ化、ファッション化し始める段階になってしまえば、あとは「消費」が待っているだけだ。
なめ猫ブームの数年後、80年代半ばには、現実世界での校内暴力や暴走行為は沈静化に向かったとされている。
その後も、サブカルチャーの一ジャンルとしての「ヤンキー」は残った。
この「ヤンキー」という言葉自体は、元々は関西圏で使用されていた不良を指すスラングだったはずで、80年代前半の段階では「ツッパリ」の方が全国区だったと記憶している。
日本全国「ヤンキー」で通じるようになったのは、90年代以降だったのではないだろうか。
当時から使用されていた、分かりやすい暴走族のアイコンと言えばたとえば、以下のようなものがある。
日の丸、旭日旗
神風特攻隊を模したファッション
「尊王攘夷」「七生報国」「八紘一宇」等の語彙
いずれも軍国主義的、戦前回帰的なモチーフだ。
偏差値教育、管理教育に反発し、ドロップアウトした先が、それ以上に抑圧的だったはずの「大日本帝国」的な世界観に帰着するのは、あらためて考えると不思議な傾向ではある。
不良文化と右翼的ファッションが結びつくようになったのは、80年代的な在り様ではないかと思う。
そうした「ヤンキーサブカルチャー」について、つらつら覚書を残しておこうと思う。
しばらくお付き合いを。
(続く)
2017年10月28日
ヤンキーサブカルチャー2
私自身は小中高と、実生活でヤンキーとはほとんど関りを持たずにいた。
当時から思い込みの強い絵描きだったので、別の意味で扱いにくいアホガキだったとは思うが、少なくとも親や先生に対する態度としては、全く大人しい方だったはずだ。
ヤンキーとの関りと言えば、高校の頃所属していた剣道部の一つ下に、少しヤンチャな後輩がいたぐらいだ。
小柄で非力なので喧嘩沙汰とは無縁な私だったが、一応部活では「強い方」だったので、練習の度にその後輩に稽古をつけていて、妙に懐かれている面があった。
おかげで後輩の交友関係のいかつい面々に、あまりナメられずに済んだ(笑)
そんな少年時代だったので、私のヤンキーサブサブカルチャーとの付き合いは、当時連載されていたようなマンガ作品を読むことが中心だった。
今もコンビニ版が再発されるようなヤンキーテーマのヒット作は、多くが社会問題としては沈静化した80年代半ば以降に雑誌連載されていたのだ。
思いつくままに、あの頃読んでいたヒット作を挙げてみよう。
●「激!!極虎一家」宮下あきら(80〜82年、週刊少年ジャンプ)
●「ビー・バップ・ハイスクール」きうちかずひろ(83〜03年、週刊ヤングマガジン)
●「Let'sダチ公」原作:積木爆(立原あゆみ)、作画:木村知夫(85〜88年、週刊少年チャンピオン)
●「魁!!男塾」宮下あきら(85〜91年、週刊少年ジャンプ)
●「押忍!!空手部」高橋幸二(85〜96年、週刊ヤングジャンプ)
●「ろくでなしBLUES」森田まさのり(88〜97年、週刊少年ジャンプ)
他にもたくさん連載されていたはずだが、現在でも再刊されたりして話題にのぼることが多く、「ヤンキーもの」のコアなファンだったとは言いがたい私でも思い出せるのは、以上のような作品になる。
男塾を「ヤンキーもの」に含めるかどうかは意見が分かれると思うが、私にとっては同じ作者がその数年前に描いた完全なヤンキーマンガの極虎一家から続くイメージが強いのである。
80年代以降のヤンキーもの以前にも、不良少年のケンカ沙汰をメインテーマにした「番長もの」は60年代から制作され、人気があった。
私は世代的にリアルタイムでは読んでいいが、アニメ化されたものを再放送で視たりして、一応記憶には残っている。
代表的な作品は、以下のようになるだろう。
●「ハリスの旋風」ちばてつや(65〜67年、週刊少年マガジン)
●「夕焼け番長」原作:梶原一騎、作画:荘司としお(67〜71年、冒険王)
●「男一匹ガキ大将」本宮ひろ志(68〜73年、週刊少年ジャンプ)
この三作を並べてみると、少年マンガ誌の王道中の王道テーマである「バトルもの」の基本的な創作スタイルは、「番長もの」の系譜の中で形成されたのではないかと思えてくる。
とくにジャンプ創成期のヒット作である「男一匹〜」あたりの連載時期になると、後の「バトルもの」でも繰り返されることになる「強さのインフレ」や「無理な連載の引き延ばし」等も含め、良くも悪くも要素が出揃っている感がある。
現実世界を舞台とし、あくまで少年同士のケンカに限定された「番長もの」の枠を取り外すと、後の様々な「バトルもの」に進化するのだろう。
SFやファンタジーの要素を導入すると、お話のスケールが大きくなり、絵的にも派手になるが、その分「強さのインフレ」の度合いも桁外れになり、構成が崩れやすくなる。
80年代以降の「ヤンキーもの」は、舞台の拡大や強さのインフレに改めて枠をはめ、リアリティを担保する試みであったのかもしれない。
それでもバトル路線である以上は「大風呂敷」「強さのインフレ」は不可避で、身近な学園生活から出発した物語は、それぞれの作品のリアリティ崩壊レベルの臨界点まで膨張した時点で終了する。
あえて「バトル路線」を取らず、リアルな不良高校生の描写にこだわった「ビー・バップ・ハイスクール」が、他の作品より突出して長く、20年続いたことには注目される。
当時から思い込みの強い絵描きだったので、別の意味で扱いにくいアホガキだったとは思うが、少なくとも親や先生に対する態度としては、全く大人しい方だったはずだ。
ヤンキーとの関りと言えば、高校の頃所属していた剣道部の一つ下に、少しヤンチャな後輩がいたぐらいだ。
小柄で非力なので喧嘩沙汰とは無縁な私だったが、一応部活では「強い方」だったので、練習の度にその後輩に稽古をつけていて、妙に懐かれている面があった。
おかげで後輩の交友関係のいかつい面々に、あまりナメられずに済んだ(笑)
そんな少年時代だったので、私のヤンキーサブサブカルチャーとの付き合いは、当時連載されていたようなマンガ作品を読むことが中心だった。
今もコンビニ版が再発されるようなヤンキーテーマのヒット作は、多くが社会問題としては沈静化した80年代半ば以降に雑誌連載されていたのだ。
思いつくままに、あの頃読んでいたヒット作を挙げてみよう。
●「激!!極虎一家」宮下あきら(80〜82年、週刊少年ジャンプ)
●「ビー・バップ・ハイスクール」きうちかずひろ(83〜03年、週刊ヤングマガジン)
●「Let'sダチ公」原作:積木爆(立原あゆみ)、作画:木村知夫(85〜88年、週刊少年チャンピオン)
●「魁!!男塾」宮下あきら(85〜91年、週刊少年ジャンプ)
●「押忍!!空手部」高橋幸二(85〜96年、週刊ヤングジャンプ)
●「ろくでなしBLUES」森田まさのり(88〜97年、週刊少年ジャンプ)
他にもたくさん連載されていたはずだが、現在でも再刊されたりして話題にのぼることが多く、「ヤンキーもの」のコアなファンだったとは言いがたい私でも思い出せるのは、以上のような作品になる。
男塾を「ヤンキーもの」に含めるかどうかは意見が分かれると思うが、私にとっては同じ作者がその数年前に描いた完全なヤンキーマンガの極虎一家から続くイメージが強いのである。
80年代以降のヤンキーもの以前にも、不良少年のケンカ沙汰をメインテーマにした「番長もの」は60年代から制作され、人気があった。
私は世代的にリアルタイムでは読んでいいが、アニメ化されたものを再放送で視たりして、一応記憶には残っている。
代表的な作品は、以下のようになるだろう。
●「ハリスの旋風」ちばてつや(65〜67年、週刊少年マガジン)
●「夕焼け番長」原作:梶原一騎、作画:荘司としお(67〜71年、冒険王)
●「男一匹ガキ大将」本宮ひろ志(68〜73年、週刊少年ジャンプ)
この三作を並べてみると、少年マンガ誌の王道中の王道テーマである「バトルもの」の基本的な創作スタイルは、「番長もの」の系譜の中で形成されたのではないかと思えてくる。
とくにジャンプ創成期のヒット作である「男一匹〜」あたりの連載時期になると、後の「バトルもの」でも繰り返されることになる「強さのインフレ」や「無理な連載の引き延ばし」等も含め、良くも悪くも要素が出揃っている感がある。
現実世界を舞台とし、あくまで少年同士のケンカに限定された「番長もの」の枠を取り外すと、後の様々な「バトルもの」に進化するのだろう。
SFやファンタジーの要素を導入すると、お話のスケールが大きくなり、絵的にも派手になるが、その分「強さのインフレ」の度合いも桁外れになり、構成が崩れやすくなる。
80年代以降の「ヤンキーもの」は、舞台の拡大や強さのインフレに改めて枠をはめ、リアリティを担保する試みであったのかもしれない。
それでもバトル路線である以上は「大風呂敷」「強さのインフレ」は不可避で、身近な学園生活から出発した物語は、それぞれの作品のリアリティ崩壊レベルの臨界点まで膨張した時点で終了する。
あえて「バトル路線」を取らず、リアルな不良高校生の描写にこだわった「ビー・バップ・ハイスクール」が、他の作品より突出して長く、20年続いたことには注目される。
(続く)
2017年10月29日
ヤンキーサブカルチャー3
法令順守、アウトロー排除の風潮が、私などから見れば「行き過ぎ」と思えるほどに徹底される現代にあっても、ヤクザやヤンキーを主題としたフィクションは、根強い人気を持っている。
アウトローを主人公とした物語が好まれる傾向は時代を超えていて、直接的には江戸時代あたりまで遡ることができるだろう。
近代に入ってからも、たとえば浪曲のヒーローは大半がやくざ者であり、サブカルチャーの世界ではむしろそれが主流であったと言っても良い。
少年マンガは戦後長らく子供向けサブカルチャーの華であったが、前回記事で挙げた60年代から70年代にかけての不良少年のバトルものは、おそらく先行する浪曲の世界や、同時代に流行したやくざ映画の影響を受けているはずだ。
●「ハリスの旋風」ちばてつや(65〜67年、週刊少年マガジン)
●「夕焼け番長」原作:梶原一騎、作画:荘司としお(67〜71年、冒険王)
●「男一匹ガキ大将」本宮ひろ志(68〜73年、週刊少年ジャンプ)
主人公の多くは「ケンカ自慢の不良」とは言うものの、恐喝等の犯罪行為や集団暴力に関与することは無い。
組織を嫌う一匹狼タイプであることが多く、一般生徒に手を出したり、犯罪行為を行う「悪い不良」を懲らしめ、改心させる役割を担う。
こうした作劇は、浪曲等に登場する「良いヤクザ」の任侠の世界観そのままで、ストーリー自体も下敷きにされている場合が多々ある。
そこに対象年齢を低くするための少年マンガ的な設定が加えられる。
物語冒頭は学園等の子供の日常空間を舞台とし、主人公はそこに通学する中高生とする。
バトルは「素手のタイマン」(一対一で武器は使用しない)が基本ルールで、あくまで「遺恨を残さない子供のケンカ」の範囲内で決着が付けられ、生死にかかわることはあまりない。
舞台設定が身近な「地元」からじわじわ拡大し、「強さのインフレ」とともに広域化して行く傾向は、現実の戦後やくざの抗争広域化、それをネタにした映画作品の影響があるかもしれない。
主人公は「純情硬派」タイプで、性的にはむしろ潔癖であることが多い。
こうして列挙してみると、ウケるための二大要素である「バイオレンス」「エロ」に一定の歯止めがかけられているのがわかる。
不良を主人公とした少年マンガ作品が、アウトロー的な世界を描いているにもかかわらず、社会問題化することが少ないのもうなずけるのである。
前回記事で挙げた80年代後半のヤンキーバトル漫画の代表作も、基本的にはこうした世界観の枠内にある。
●「Let'sダチ公」原作:積木爆(立原あゆみ)、作画:木村知夫(85〜88年、週刊少年チャンピオン)
●「押忍!!空手部」高橋幸二(85〜96年、週刊ヤングジャンプ)
●「ろくでなしBLUES」森田まさのり(88〜97年、週刊少年ジャンプ)
そこで描かれるのは、義理人情、純情硬派、弱きをたすけ強きをくじく任侠道など、極めて古風な倫理観である。
そしてもうひとつ挙げるとするなら、80年代半ば以降目立って強化されていった管理教育から離れた、不良仲間の互助的共同体意識だ。
それらが現実世界のヤンキーの実態とはかけ離れた、一種のファンタジーであることは、読者の大半が理解していたことだろう。
やくざ映画を観て実際にやくざになる人間がまずいないように、ヤンキーマンガを読んだことが原因で子供がヤンキーになるようなことは、まずない。
やくざ映画が好きなやくざ、ヤンキーマンガの好きなヤンキーは多数存在するだろうけれども、それは全く別の話だ。
フィクションにはある種の「理想」が描かれるので、「アウトローものを楽しめるアウトロー」にはまだ救いがあるとも言える。
サブカルチャーにはいくつか「これを描けばウケやすい」という主要テーマがあり、アウトローものはその中のひとつであるにすぎない。
とくに少年誌におけるヤンキーマンガは、内容的にはむしろ「毒」の少ない、健全な部類に入るのだ。
アウトローを主人公とした物語が好まれる傾向は時代を超えていて、直接的には江戸時代あたりまで遡ることができるだろう。
近代に入ってからも、たとえば浪曲のヒーローは大半がやくざ者であり、サブカルチャーの世界ではむしろそれが主流であったと言っても良い。
少年マンガは戦後長らく子供向けサブカルチャーの華であったが、前回記事で挙げた60年代から70年代にかけての不良少年のバトルものは、おそらく先行する浪曲の世界や、同時代に流行したやくざ映画の影響を受けているはずだ。
●「ハリスの旋風」ちばてつや(65〜67年、週刊少年マガジン)
●「夕焼け番長」原作:梶原一騎、作画:荘司としお(67〜71年、冒険王)
●「男一匹ガキ大将」本宮ひろ志(68〜73年、週刊少年ジャンプ)
主人公の多くは「ケンカ自慢の不良」とは言うものの、恐喝等の犯罪行為や集団暴力に関与することは無い。
組織を嫌う一匹狼タイプであることが多く、一般生徒に手を出したり、犯罪行為を行う「悪い不良」を懲らしめ、改心させる役割を担う。
こうした作劇は、浪曲等に登場する「良いヤクザ」の任侠の世界観そのままで、ストーリー自体も下敷きにされている場合が多々ある。
そこに対象年齢を低くするための少年マンガ的な設定が加えられる。
物語冒頭は学園等の子供の日常空間を舞台とし、主人公はそこに通学する中高生とする。
バトルは「素手のタイマン」(一対一で武器は使用しない)が基本ルールで、あくまで「遺恨を残さない子供のケンカ」の範囲内で決着が付けられ、生死にかかわることはあまりない。
舞台設定が身近な「地元」からじわじわ拡大し、「強さのインフレ」とともに広域化して行く傾向は、現実の戦後やくざの抗争広域化、それをネタにした映画作品の影響があるかもしれない。
主人公は「純情硬派」タイプで、性的にはむしろ潔癖であることが多い。
こうして列挙してみると、ウケるための二大要素である「バイオレンス」「エロ」に一定の歯止めがかけられているのがわかる。
不良を主人公とした少年マンガ作品が、アウトロー的な世界を描いているにもかかわらず、社会問題化することが少ないのもうなずけるのである。
前回記事で挙げた80年代後半のヤンキーバトル漫画の代表作も、基本的にはこうした世界観の枠内にある。
●「Let'sダチ公」原作:積木爆(立原あゆみ)、作画:木村知夫(85〜88年、週刊少年チャンピオン)
●「押忍!!空手部」高橋幸二(85〜96年、週刊ヤングジャンプ)
●「ろくでなしBLUES」森田まさのり(88〜97年、週刊少年ジャンプ)
そこで描かれるのは、義理人情、純情硬派、弱きをたすけ強きをくじく任侠道など、極めて古風な倫理観である。
そしてもうひとつ挙げるとするなら、80年代半ば以降目立って強化されていった管理教育から離れた、不良仲間の互助的共同体意識だ。
それらが現実世界のヤンキーの実態とはかけ離れた、一種のファンタジーであることは、読者の大半が理解していたことだろう。
やくざ映画を観て実際にやくざになる人間がまずいないように、ヤンキーマンガを読んだことが原因で子供がヤンキーになるようなことは、まずない。
やくざ映画が好きなやくざ、ヤンキーマンガの好きなヤンキーは多数存在するだろうけれども、それは全く別の話だ。
フィクションにはある種の「理想」が描かれるので、「アウトローものを楽しめるアウトロー」にはまだ救いがあるとも言える。
サブカルチャーにはいくつか「これを描けばウケやすい」という主要テーマがあり、アウトローものはその中のひとつであるにすぎない。
とくに少年誌におけるヤンキーマンガは、内容的にはむしろ「毒」の少ない、健全な部類に入るのだ。
(続く)
2017年10月30日
ヤンキーサブカルチャー4
本章「ヤンキーサブカルチャー」最初の記事で、70年代後半から80年前後にかけての不良ファッションに、右翼的、軍国的意匠が使われていることにふと疑問を持った。
偏差値教育、管理教育に反発し、ドロップアウトした先が、それ以上に抑圧的だったはずの「大日本帝国」的な世界観に帰着するのは、あらためて考えると不思議な傾向だ。
週刊少年ジャンプで80年代に連載され、ヒットした中では、宮下あきらの作品がわりとそうした「軍国アイテム」を売りにヒットしていた記憶がある。
少しふり返ってみよう。
宮下あきらは78年少年マガジン増刊号でデビュー。
79年週刊少年ジャンプで「私立極道高校」連載開始も、トラブルにより短期で打ち切り。
翌80年、主要キャラを引き継ぎ、新たな主人公で仕切り直した「激!!極虎一家」がヒットし、全十二巻が描かれた。
この頃は絵も作風もまだかなり本宮ひろ志っぽく、小学生当時の私は名前の字面が似ていることもあって、ちゃんと区別がついていなかった。
ただ、なんとなく「まじめな方」、「ふざけてる方」という差は感じていた。
途中からやっと、自分が好きな「ふざけてる方」のマンガを描いているのは、「男一匹ガキ大将」の人とは別人なのだと気付いた(笑)
●「激!!極虎一家」宮下あきら(80〜82年、週刊少年ジャンプ)
ケンカ自慢の不良高校生たちが「網走極等少年院」の激しい内部抗争を経て出所。
独立した一家を起こし、日本の極道の頂点を目指す。
果ては「アメリカから日本侵略しにきたマフィア」と日米極道大戦に発展するという、まあ、とてつもなくファンタスティックなストーリ―である(笑)
ギャグを多用した作風なので筋立てが荒唐無稽でも違和感はないのだが、それでも子供心にも「これはあかんやろ」と感じる暴走もあった。
最終章のマフィアとの対決で、追い詰められた極虎一家の面々に、突如として過去に死亡したはずの仲間三人が現れ、救援するという展開があった。
後の「男塾」で多用されることになる「実は生きていた」のパターンではなく、「極虎一家」の時点では文字通り「蘇った」とされていて、それは日本に古来より伝わる「七生報国」という奇跡であると説明されていた。
今でも記憶に残っているセリフによれば、「死して七度生き返り、国に報い、友に報いる」ために蘇った三人は、不死身のパワーで次々にマフィアを撃破し、撤退させることに成功するのである。
今振り返ると、最後の最後でこうした理不尽な「神風」が吹いたり、ギャグですかしたりするのは宮下あきらの芸風なのだと楽しめる。
しかし、けっこうハラハラしながらマンガを読んでいた小学生当時は、何かちょっとごまかされたような気がして不満を感じたことを覚えている。
私のマンガ体験は手塚治虫や藤子F不二雄のSFから始まったので、「理屈付け」の最低限がクリアーされない展開は受け入れがたかったのだ。
その後の宮下あきらは、いくつかの短期連載をはさんだ後、満を持して85年に連載開始された「魁!!男塾」を連載開始する。
●「魁!!男塾」宮下あきら(85〜91年、週刊少年ジャンプ)
徹底した軍国教育により、全国の不良少年の「男」を磨き、更生させ、有為な人材として育成することを目指した私塾を舞台とする作品。
連載開始当初は宮下あきら作品としてオーソドックスな泥臭いギャグマンガだったが、次第にバトル展開に移行していった。
連載当時、私はちょうど私立の中高一貫校に進学していて、その学校がまさに男塾を思わせる時代錯誤の超スパルタ教育だったので、同級生と共に「これはおれらのマンガや!」と熱狂していた(笑)
この「男塾」では作中の軍国アイテムはかなりネタ化、相対化されていて、荒唐無稽な軍国スローガンで安易にまとめてしまった「極虎一家」の危うさは、一応消化されている。
読者としての私も小学生時代より年季を積み、民明書房が架空の出版社であることに、途中から気付けるほどには成熟していたのだ。
連載六年、全34巻、連載中にTVアニメ化もされ、作者の押しも押されもせぬ代表作となった。
続編や派生作品は数多く、現在も描き継がれている。
宮下あきらは現在60歳。
若い頃はジミ・ヘンドリックスに憧れてバンド活動をやっていたという。
軍国アイテムを多用する作風とは裏腹に、作品からはほとんど「政治性」は感じられない。
むしろその年代のかつてのロック少年としてはごくノーマルな、リベラルな「匂い」は、そこはかとなく感じられる。
作中に登場する軍国アイテムは、「思想」から来たものではなく、「なんとなく自分の感性にあう」「なんとなくウケそうな」要素を、持ちネタとして磨いた結果のヒットではないかと推察される。
ではなぜ、「軍国アイテムがなんとなくウケる」という空気が、80年代前後に醸成されていたのかという、最初の疑問に戻る。
偏差値教育、管理教育に反発し、ドロップアウトした先が、それ以上に抑圧的だったはずの「大日本帝国」的な世界観に帰着するのは、あらためて考えると不思議な傾向だ。
週刊少年ジャンプで80年代に連載され、ヒットした中では、宮下あきらの作品がわりとそうした「軍国アイテム」を売りにヒットしていた記憶がある。
少しふり返ってみよう。
宮下あきらは78年少年マガジン増刊号でデビュー。
79年週刊少年ジャンプで「私立極道高校」連載開始も、トラブルにより短期で打ち切り。
翌80年、主要キャラを引き継ぎ、新たな主人公で仕切り直した「激!!極虎一家」がヒットし、全十二巻が描かれた。
この頃は絵も作風もまだかなり本宮ひろ志っぽく、小学生当時の私は名前の字面が似ていることもあって、ちゃんと区別がついていなかった。
ただ、なんとなく「まじめな方」、「ふざけてる方」という差は感じていた。
途中からやっと、自分が好きな「ふざけてる方」のマンガを描いているのは、「男一匹ガキ大将」の人とは別人なのだと気付いた(笑)
●「激!!極虎一家」宮下あきら(80〜82年、週刊少年ジャンプ)
ケンカ自慢の不良高校生たちが「網走極等少年院」の激しい内部抗争を経て出所。
独立した一家を起こし、日本の極道の頂点を目指す。
果ては「アメリカから日本侵略しにきたマフィア」と日米極道大戦に発展するという、まあ、とてつもなくファンタスティックなストーリ―である(笑)
ギャグを多用した作風なので筋立てが荒唐無稽でも違和感はないのだが、それでも子供心にも「これはあかんやろ」と感じる暴走もあった。
最終章のマフィアとの対決で、追い詰められた極虎一家の面々に、突如として過去に死亡したはずの仲間三人が現れ、救援するという展開があった。
後の「男塾」で多用されることになる「実は生きていた」のパターンではなく、「極虎一家」の時点では文字通り「蘇った」とされていて、それは日本に古来より伝わる「七生報国」という奇跡であると説明されていた。
今でも記憶に残っているセリフによれば、「死して七度生き返り、国に報い、友に報いる」ために蘇った三人は、不死身のパワーで次々にマフィアを撃破し、撤退させることに成功するのである。
今振り返ると、最後の最後でこうした理不尽な「神風」が吹いたり、ギャグですかしたりするのは宮下あきらの芸風なのだと楽しめる。
しかし、けっこうハラハラしながらマンガを読んでいた小学生当時は、何かちょっとごまかされたような気がして不満を感じたことを覚えている。
私のマンガ体験は手塚治虫や藤子F不二雄のSFから始まったので、「理屈付け」の最低限がクリアーされない展開は受け入れがたかったのだ。
その後の宮下あきらは、いくつかの短期連載をはさんだ後、満を持して85年に連載開始された「魁!!男塾」を連載開始する。
●「魁!!男塾」宮下あきら(85〜91年、週刊少年ジャンプ)
徹底した軍国教育により、全国の不良少年の「男」を磨き、更生させ、有為な人材として育成することを目指した私塾を舞台とする作品。
連載開始当初は宮下あきら作品としてオーソドックスな泥臭いギャグマンガだったが、次第にバトル展開に移行していった。
連載当時、私はちょうど私立の中高一貫校に進学していて、その学校がまさに男塾を思わせる時代錯誤の超スパルタ教育だったので、同級生と共に「これはおれらのマンガや!」と熱狂していた(笑)
この「男塾」では作中の軍国アイテムはかなりネタ化、相対化されていて、荒唐無稽な軍国スローガンで安易にまとめてしまった「極虎一家」の危うさは、一応消化されている。
読者としての私も小学生時代より年季を積み、民明書房が架空の出版社であることに、途中から気付けるほどには成熟していたのだ。
連載六年、全34巻、連載中にTVアニメ化もされ、作者の押しも押されもせぬ代表作となった。
続編や派生作品は数多く、現在も描き継がれている。
宮下あきらは現在60歳。
若い頃はジミ・ヘンドリックスに憧れてバンド活動をやっていたという。
軍国アイテムを多用する作風とは裏腹に、作品からはほとんど「政治性」は感じられない。
むしろその年代のかつてのロック少年としてはごくノーマルな、リベラルな「匂い」は、そこはかとなく感じられる。
作中に登場する軍国アイテムは、「思想」から来たものではなく、「なんとなく自分の感性にあう」「なんとなくウケそうな」要素を、持ちネタとして磨いた結果のヒットではないかと推察される。
ではなぜ、「軍国アイテムがなんとなくウケる」という空気が、80年代前後に醸成されていたのかという、最初の疑問に戻る。
(続く)
2017年10月31日
ヤンキーサブカルチャー5
70年代半ばから80年代半ばにかけてのヤンキーファッションに、右翼的・軍国的なデザインが好んで使用されたのはなぜなのか?
記事を書きながら、なんとなくそんな疑問をつつき回し続けてきた。
戦艦や戦闘機、戦闘服などに見られる旧日本軍的意匠や、当時の軍国主義を煽る「忠君愛国」「八紘一宇」「七生報国」などのスローガンが、サブカルチャーとしてかなり強い訴求力を持つことは間違いない。
何しろ戦前戦中には国民全体を熱狂させ、耐乏生活を強い、生命財産を投げ打たせ、国土を灰燼に帰さしめながら、最後まで戦い抜かせてしまった実績があるのだ。
以前の記事でアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が、軍国主義の「毒」を極めて巧妙に切除し、デザイン的な訴求力だけを抽出して、ヒット要素に組み込んだ様(主としてマンガ家・松本零士によると思われる)を紹介したことがある。
ヤマトと仲なおり
そのヤマトとほぼ同時期に出現した軍国的ヤンキーファッションには、おそらく特定個人による緻密な「仕掛け」は存在しない。
当時のヤンキーの面々は、もっと無邪気に軍国スローガンを記した特攻服を身につけ、「思想」とは無縁のレベルで戦前回帰していたはずだ。
難解な漢字熟語や無茶な宛て漢字をファッションとして楽しむ傾向は、今でも幅広い層にある。
そしてヤンキーが「地元愛」「身内愛」を通じて「愛国」につながりやすい傾向は今も昔も変わらない。
しかし、今はさすがに「特攻服」は、無い。
コスプレでなく本気で着用されていたのは、せいぜい90年代前半くらいまでに限られるのではないだろうか。
一つ考えられるのは、当時のヤンキーの面々に対し、直接の抑圧者として目前に立ちはだかっていたであろう教師に対する、「逆張り」だったのではないかということだ。
糞ムカつくセンコー共が眉をひそめ、嫌悪を露にする服装、言葉遣いを嗅ぎ分ける内に、自然に右翼的、軍国的ファッションに収斂したのではないかというのが、現時点での私の仮説(というか与太話)である。
そのように考えると、学校や世間からサヨク的価値観が力を失っていった90年代以降、その「逆張り」としての右翼ヤンキーも姿を消していったのは辻褄が合っている気がするのである(笑)
そう言えば「金八」第一シリーズにつっぱり少女役で出演していた元女優は、今は日本会議系のしょーもない戦前回帰議員になってしまっている。
誰に吹き込まれたのか、以前「八紘一宇」を称揚するアナクロぶりを発揮していたっけ。
あれなどはさしずめ、「三十年遅れのヤンキーファッション」だったのかもしれない……
これは左右を問わずなのだが、単なる「逆張り」というのはやはり底が知れているものだ。
かく言う私自身も、現在の心情左翼の感性は、中高生の頃の時代錯誤な超スパルタ軍国教育に対する反発が源流になっていることは否めない。
青臭い単なる逆張りの域を超え、筋金入りの「弱きをたすけ、強きをくじく」でありたい。
絵描きとして元弱視児童として、本当にそう思う。
(「ヤンキーサブカルチャー」の章、了)
記事を書きながら、なんとなくそんな疑問をつつき回し続けてきた。
戦艦や戦闘機、戦闘服などに見られる旧日本軍的意匠や、当時の軍国主義を煽る「忠君愛国」「八紘一宇」「七生報国」などのスローガンが、サブカルチャーとしてかなり強い訴求力を持つことは間違いない。
何しろ戦前戦中には国民全体を熱狂させ、耐乏生活を強い、生命財産を投げ打たせ、国土を灰燼に帰さしめながら、最後まで戦い抜かせてしまった実績があるのだ。
以前の記事でアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が、軍国主義の「毒」を極めて巧妙に切除し、デザイン的な訴求力だけを抽出して、ヒット要素に組み込んだ様(主としてマンガ家・松本零士によると思われる)を紹介したことがある。
ヤマトと仲なおり
そのヤマトとほぼ同時期に出現した軍国的ヤンキーファッションには、おそらく特定個人による緻密な「仕掛け」は存在しない。
当時のヤンキーの面々は、もっと無邪気に軍国スローガンを記した特攻服を身につけ、「思想」とは無縁のレベルで戦前回帰していたはずだ。
難解な漢字熟語や無茶な宛て漢字をファッションとして楽しむ傾向は、今でも幅広い層にある。
そしてヤンキーが「地元愛」「身内愛」を通じて「愛国」につながりやすい傾向は今も昔も変わらない。
しかし、今はさすがに「特攻服」は、無い。
コスプレでなく本気で着用されていたのは、せいぜい90年代前半くらいまでに限られるのではないだろうか。
一つ考えられるのは、当時のヤンキーの面々に対し、直接の抑圧者として目前に立ちはだかっていたであろう教師に対する、「逆張り」だったのではないかということだ。
糞ムカつくセンコー共が眉をひそめ、嫌悪を露にする服装、言葉遣いを嗅ぎ分ける内に、自然に右翼的、軍国的ファッションに収斂したのではないかというのが、現時点での私の仮説(というか与太話)である。
そのように考えると、学校や世間からサヨク的価値観が力を失っていった90年代以降、その「逆張り」としての右翼ヤンキーも姿を消していったのは辻褄が合っている気がするのである(笑)
そう言えば「金八」第一シリーズにつっぱり少女役で出演していた元女優は、今は日本会議系のしょーもない戦前回帰議員になってしまっている。
誰に吹き込まれたのか、以前「八紘一宇」を称揚するアナクロぶりを発揮していたっけ。
あれなどはさしずめ、「三十年遅れのヤンキーファッション」だったのかもしれない……
これは左右を問わずなのだが、単なる「逆張り」というのはやはり底が知れているものだ。
かく言う私自身も、現在の心情左翼の感性は、中高生の頃の時代錯誤な超スパルタ軍国教育に対する反発が源流になっていることは否めない。
青臭い単なる逆張りの域を超え、筋金入りの「弱きをたすけ、強きをくじく」でありたい。
絵描きとして元弱視児童として、本当にそう思う。
(「ヤンキーサブカルチャー」の章、了)