毎年この頃になると、もう二十年以上前になってしまった、同じ時期の満月の夜のことを思い出す。
誰にでも忘れられない思い出の一つや二つはあるはずだ。
長い時間が過ぎても、結局いつもそこに舞い戻ってしまうような記憶。
私の場合は、その満月の夜がそうだ。
90年代半ば、まだ若かった私は、その夜不思議な祭に参加することになった。
この祭については、以前にも何度か紹介してきた。
祭をさがして5
祭をさがして6
どんと1
どんと2
その祭に衝撃を受けた当時の私は、あまり時間を置かずに原稿用紙にして30枚程度の手記を書いた。
手記の一部は、先に挙げたカテゴリ「どんと」で紹介したが、当該カテゴリの主旨に沿ってミュージシャン・どんとに関する記述のみのダイジェスト版だった。
元々の手記は広く公開するあてもなく書いたもので、そのままブログにアップできる性質のものではなかったのだ。
今年の始め、思い立ってカテゴリ:90年代の続きを延々と書き続けてみて、やはりどうしても「あの夜」に関する記事の完全版をアップしておかなければならないと感じた。
これまでの記事と重複する内容も多いが、なるべく元の手記の雰囲気を損なわないよう、最低限の修正を加えて紹介してみよう。
90年代当時、一人称「僕」の書いた手記「月物語」である。
* * *
十月の初め、古い友達から手紙が来た。
バイトから帰って何気なく郵便受けを開けると、珍しく封書が届いていた。
茶封筒を裏返すと見覚えのある汚い字。
名前を見てドキッとした。
最初に手紙を出したのは僕の方だった。
八月の終わり頃のことだ。
僕は、ある小劇団の舞台美術をやっている。
そして九月の頭に、その劇団の公演が迫っていた。
本番を十日後にひかえ、あわよくばノルマでかかえたチケットをさばこうと、いろんな名簿のページを繰っていた。
そして、高校の時の名簿の中に、同じクラスだった彼の名前を見付けたのだ。
名簿を見ながら、宛名書きの手を止めて、彼のことを思い出した。
彼はある事情で、高一の3学期に転校していったのだが、その前の一年間、部屋を借りて一人で住んでいた。
僕はその部屋によく遊びに行っていた。
今でもその部屋のことをよく覚えている。
何をするでもなく、だらだらと寝転がって時間をつぶすのにぴったりの部屋だった。
高一の終りに、ふっと消えてしまった友達。
どこかで僕は、彼の軌跡をたどろうとしていたのかもしれない。
なんとなく懐かしくなって、公演のチラシに「どうしてる?」と書き添えてそいつに送ってみた。
すると、九月の公演が終って一ヶ月たった十月の初めに、やっと返事が来たのだ。
僕はその手紙を片手に、建築基準法を明らかに違反した、くらくらするほど急な階段を駆け登り、急いで部屋に帰って封を切った。
茶封筒と同じクラフト紙の、手書き原稿一色刷りの、安っぽくて嘘くさいチラシが入っていた。
『月の祭』
それが、チラシの告知するイベントの名前だった。
時は十月十九日から二十二日まで。
四日間オールナイトで、ぶっ通し。
それで参加協力金が二千円。
それぞれの日の夕方から夜にかけてはライブがあって、二十一日にはなんと、ボ・ガンボスのどんとがソロで演ると書いてある。
本当か?
嘘じゃないのか?
当時のボ・ガンボスといえば、押しも押されもしないトップバンドだった。
他にも、「フリーマーケット」や「気功シンポジューム」(なんじゃそれ!)「寝袋持参なら宿泊無料」「出張ドロマッサージ」「深夜のライブ」等々、僕を含めた「ある種の人間」の心をとらえずにおかない魅力的なフレーズが、そのチラシの中にはいくつもいくつも踊っていた。
そして余白部分には、高校時代によく見慣れていた、ミミズの這ったような汚い手書き文字が書き込まれていた。
「H、芝居のチラシ、ありがとな。受け取った時にはもう公演が終っとって、間に合わへんかった。すまん。今度、こっちでおもろいイベントがある。よかったらこいよ」
実になんとも、想像力を刺激される便りだった。
二日間迷った末に、書いてあった電話番号を試してみた。
高校一年の三月、夜の公園グラウンドで別れて以来の連絡だったのだ。
呼び出し音が二回鳴った後、遠い回線の向こうで受話器がとられた。
はじめ、お互いの声がわからなかったのは、距離のせいばかりだっただろうか?
電話の内容を、ここにそのまま再現することは出来ない。
要点だけ、書き留めておこう。
彼は別の高校を卒業後、ずっと放浪を続けていたそうだ。
スタッフとして参加しているこの『月の祭』が終ったら、また長い旅に出るそうだ。
僕は『月の祭』に是非とも参加したいと、そう彼に伝えた。
「そやけど昔は俺ら、どっちも坊主刈りやったやろ?
顔、わかるかな?」
僕がそうきくと、彼は笑いながら答えた。
「大丈夫や。俺、今、モヒカンやもん」
それで、電話を終えた。
電話を切った後、僕はふと気が付いて、モヒカンの話が本当かどうか考えた。
高校の頃、僕達はずっと、そういうくだらないけれどもセンスが試されるような騙し合いを続けていたことを思い出したのだ。
先手を打たれたかな?
などと考えながら、僕は『月の祭』が、身悶えするほど待ち遠しくなった……
十月二十日。
夜中、バイトから帰る。
急いでリュックに荷物を詰めかえる。寝袋、スケッチブック、筆記用具……
すぐにでも出発するつもりだった。
今から出れば、最終電車までには会場最寄駅に着くだろう。
駅から祭のある海岸まで、何キロあるのか知らないが、適当に歩いていればきっと朝までには着くだろう。
徹夜でやっているというライブに潜り込んで、盛り上がっているうちに、気が付いたら隣にモヒカン男がいるかもしれない……
僕は出発のその日までに、そういう気持のいい空想を繰り返していたのだった。
荷物をリュックに詰め終え、僕はベランダに出た。
狭く汚い部屋には不釣り合いに広い、ここだけが自慢のベランダだ。
僕の部屋は山すそのアパートの三階にあって、南向きのベランダに出ると、広く海が見渡せた。
手すりから身を乗り出すと、その日はとくに空気が綺麗で、海の向う側の海岸線を示す銀やオレンジや赤の街の灯りがちらついて見えた。
月はほぼ満月。
ちょうど中秋の名月の時期にあたり、『月の祭』の由来も、この時期のフルムーンなのだそうだ。
毎年この時期の満月の期間、祭をやっているそうで、もう今年で四回目だという。
眺めているうちに、僕は遠い海岸線の上空あたりに、雲のかたまりを発見した。
明るい月の光に輪郭を白く照らし出された、大きな雲のかたまりだった。
いやな予感がした。
177をプッシュして、天気予報を確かめてみると、予感が的中してしまった。
今夜のお祭会場あたりは雨になるそうだ。
どうする?
今日はやめにするか?
様子を見て明日出発にするか?
僕は真剣に悩んだ。
思い描いていた楽しい計画が崩れることはすごく悔しかった。
なんとか計画を強行したかったが、今までに何度か経験している野宿の旅行で、夜中の雨ほど始末におえないものはないことを、いやというほど知っていた。
このまま強行すれば情けないことになるのは目に見えていた。
結局、やめることにした。
そのかわり、明日は朝一で出発することにした。
そんなに焦ることはない。
たかが八時間ほど到着が遅れるだけだと、自分をむりやり納得させた。
その夜はついに眠らないまま、ベランダで酒を飲みながら朝を待った。
(続く)