しばらくはこっちが誰かわからなかったみたいだが、二、三秒おいてから返事があった。
「来てくれたんか!」
「うん、昼前からおったんやけどな、みんな寝とったみたいやわ」
「そうそう、昨日徹夜やったからなあ」
「チケット、まだ持ってへんねんけど、ある?」
「あるで。ちょっと待ってな」
そいつは、腰からじゃらじゃら吊下げている首飾りのうちの一つをはずした。
それは木片に「月」という焼き印を押し、紐を通したものだった。
「これ、首にかけといて。ちょっと俺、まだ仕事あるから。ごめんな、後で話しょう」
「うん、ほんなら、また」
「また」
僕はチケットを首にかけて、モヒカン男を見送った。
それから手頃な流木の切れ端を拾い、石に絵を描いて売っているおばさんに少しペンキを借りて、ジョアンのタコス屋の看板を描いた。
彼女のリクエストで「喜」という文字をデザインしてみた。
石屋のおばさんと世間話をしながら描いていると、モヒカン男がビール瓶を片手にやって来た。
「まあ飲んでーな。せっかく来てくれたんやから、最初の一本ぐらいおごるわ」
僕がジョアンに看板を頼まれたことを話すと、
「へ〜、そうやったなあ。お前、絵描くの好きやったもんなあ」
と、しばらく僕のスケッチブックを見ていた。
「あ、ちょっとライブの準備始まったみたいやから行ってくるわ」
「忙しそうやな。悪いな、気ぃ使わして」
「そんなん別にええって。今日のライブはおもろいで〜。どんとも出るからな!」
「うん」
どうやら本物が出るらしい。
その後すぐに看板を描き終えたので、僕もステージの方へ行ってみた。
スタッフの人がマイクを確かめたり、ギターの音の調節をしたりしていた。
砂浜に座って様子を見ていると、隣にも突っ立って様子を見ている、ジーンズの上下に雪駄ののっぽさんがいた。
なんか見たことがあるやつだと思ったら、どんと本人だった。
どんとは立ったりしゃがんだりしながら様子を見ていたが、そのうち飽きてきたのか、その辺りにいた子供を相手に話し始めた。
「みんな年いくつや? へ〜、みんな四才か。ほんなら四才が四人やな!」
とか、ものすごくテキトーなことをニコニコしながらしゃべっていた。
ステージ上では女性ボーカルの渋いバンドがリハをやっていた。当時の僕は彼女が誰だか知らなかったが、後にシンガーのHALKO(桑名晴子)さんだったと知った。
リハーサルとはいいながら、同じ砂浜でフリーマーケットをやっているので、みんな演奏を聴いていた。
こういうアバウトさは、僕は大歓迎だった。
みんなもきっとそうだったと思う。
バンドのリハが終ると、今度はどんとがステージに立った。目の前で軽く三曲ほどやってくれて、ちょっと得した気分になった。
僕の隣ではいつの間にかモヒカン男も聴いていた。
どんとの音合せが終ると、後は夕方からのライブを待つばかりとなった。
日が落ちると、いよいよライブが始まった。
最初はあの女性(HALKO)のバンドだった。
座って弾いているスライドギターの人が無茶苦茶カッコよかった。
どこから湧いて来たのかと思うほど人が集まって来た。
狭い海岸に、二百人くらいは集まっていたのではないだろうか。
崖の岩をくりぬいたような所に蠟燭を何十本も並べた、異様にカッコいいステージの周りには、大人や子供や赤ちゃんなど、あらゆる年齢層の人間が集まっていた。
ライブの大音量とは逆に、空には満月が浮かび、潮が静かに満ちてきて、昼間の情景とはまた違った、独特の雰囲気になってきた。
座って聴いている人は一人もいなかった。
みんな踊りながら、思い思いに動き回っていた。
海に駆け込み、水しぶきを上げながら踊り続ける女の人もいた。
僕も演奏に合わせて、ミュージシャンの人達のスケッチを描き散らし、何事かと集まってきた人にどんどんばらまいた。
中盤になり、どんとがステージに駆け上がってきた。
黒いハットに赤いチェックのスーツ、バカでかい蝶ネクタイに両端のとんがったサングラス、顔にはバシバシのメイクといういで立ちで、
「それではどんとのロックンロールショーをはじめます!」
と、見た姿そのまんまの宣言をした。
そういう派手な登場をしておいて、ちゃんと自分でギターの箱を開け、おもむろに用意を始めたのには爆笑がおこったが、どんと本人は少しも気にせず「スタンドバイミー」という定番中の定番みたいな曲を演奏し始めた。
あまりの選曲に度肝を抜かれたが、その調子でロックの定番曲をメドレーで演奏されると、嫌でも盛りあげられてしまうのだった。
それからどんとはギターを三線に持ち替えて一曲やった後、ラストを「ヘイジュード」で盛り上げ、また律儀にギターを自分でしまい「すたこらさっさ」という感じではけていった。
それからはもうライブはカオス状態になり、再び出てきた女性ボーカルのバンドや和太鼓のグループ、それにどんとも合流して、集団発狂状態になった。
海で踊り続けていた女の人は、もう寒いのに結局最後まで陸地に上がってこなかった。
参加者は全員イカれていたけれども、中でも彼女は凄かった。
僕は惚れ惚れしながら彼女をスケッチし、ライブが終った時、敬意をこめてお辞儀をした。
向うからもお辞儀が返ってきたが、残念なことに月の逆光で、彼女がどんな表情だったのかは見えなかった……
(続く)