衆院選が近い。
選挙が迫ると毎回思い出すことがある。
確か二十年以上前のことだったと思う。
その時も選挙が迫っていて、母親と話していたらたまたま「最高裁判所裁判官国民審査」の話題になった。
罷免すべきだと思う裁判官の氏名に×印を記入し、それ以外は何も記入してはならないという、アレである。
それについての母親のセリフが、以下のものだ。
「いつも全部×つけたるねん。腹立つから!」
ちょっと笑ってしまったことを覚えている。
普段は真面目で大人しい母なのだが、生真面目な分、筋の通らぬことには時に強硬な姿勢をとることがある。
言葉遣いは大雑把ながら、およそ実効性の無い、無意味な儀式と化した国民審査制度自体に対する拒否感には、吹き出しながらも共感してしまった。
以来私も、「腹立つから全部×」を通して今に至る。
いつの日か制度が改正され、「罷免すべきでない優良な裁判官に〇を付ける」という真逆の方式になったら、真面目に考えて審査しようと思っている。
衆院選そのものについては、以前の選挙前に書いた争点は自分で決めるという記事と同様に検討し、投票する。
争点を誰かに設定してもらおうという心根が、そもそも民主主義ではないと思うのだ。