かわいい子猫に当時社会問題になっていた暴走族風のコスプレをさせて写真撮影し、グッズ展開したシリーズで、正式名称は「全日本暴猫連合なめんなよ」、略称「なめ猫」だった。
同時期、アラジンというバンドが「ツッパリ少年」をネタにした「完全無欠のロックンローラー」を発表し、大ヒットしていた。
今の青少年には想像もつかないかもしれないけれども、1980年時点では「不良」「バイク」「ロック」はワンセットで不可分だったのだ(笑)
どちらも「学校の先生や親」が喜ぶタイプのブームではなかったが、地方の小学生である私の周辺でもみんなハマっていた。
校内暴力や暴走族などの非行が社会問題化したのは70年代からで、80年前後というのは一つのピークであったはずだ。
ドラマ「3年B組金八先生」の第一、第二シーズンが放映され、ヒットしたのも同時期だが、その頃には既にパロディは始まっていたことになる。
社会問題をテーマとした創作作品が発表され、ヒットする段階は、社会的には「受容」「沈静化」が始まっていたということになるかもしれない。
更に進んでパロディの対象になり、ネタ化、ファッション化し始める段階になってしまえば、あとは「消費」が待っているだけだ。
なめ猫ブームの数年後、80年代半ばには、現実世界での校内暴力や暴走行為は沈静化に向かったとされている。
その後も、サブカルチャーの一ジャンルとしての「ヤンキー」は残った。
この「ヤンキー」という言葉自体は、元々は関西圏で使用されていた不良を指すスラングだったはずで、80年代前半の段階では「ツッパリ」の方が全国区だったと記憶している。
日本全国「ヤンキー」で通じるようになったのは、90年代以降だったのではないだろうか。
当時から使用されていた、分かりやすい暴走族のアイコンと言えばたとえば、以下のようなものがある。
日の丸、旭日旗
神風特攻隊を模したファッション
「尊王攘夷」「七生報国」「八紘一宇」等の語彙
いずれも軍国主義的、戦前回帰的なモチーフだ。
偏差値教育、管理教育に反発し、ドロップアウトした先が、それ以上に抑圧的だったはずの「大日本帝国」的な世界観に帰着するのは、あらためて考えると不思議な傾向ではある。
不良文化と右翼的ファッションが結びつくようになったのは、80年代的な在り様ではないかと思う。
そうした「ヤンキーサブカルチャー」について、つらつら覚書を残しておこうと思う。
しばらくお付き合いを。
(続く)