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2017年10月28日

ヤンキーサブカルチャー2

 私自身は小中高と、実生活でヤンキーとはほとんど関りを持たずにいた。
 当時から思い込みの強い絵描きだったので、別の意味で扱いにくいアホガキだったとは思うが、少なくとも親や先生に対する態度としては、全く大人しい方だったはずだ。
 ヤンキーとの関りと言えば、高校の頃所属していた剣道部の一つ下に、少しヤンチャな後輩がいたぐらいだ。
 小柄で非力なので喧嘩沙汰とは無縁な私だったが、一応部活では「強い方」だったので、練習の度にその後輩に稽古をつけていて、妙に懐かれている面があった。
 おかげで後輩の交友関係のいかつい面々に、あまりナメられずに済んだ(笑)
 
 そんな少年時代だったので、私のヤンキーサブサブカルチャーとの付き合いは、当時連載されていたようなマンガ作品を読むことが中心だった。
 今もコンビニ版が再発されるようなヤンキーテーマのヒット作は、多くが社会問題としては沈静化した80年代半ば以降に雑誌連載されていたのだ。
 思いつくままに、あの頃読んでいたヒット作を挙げてみよう。

●「激!!極虎一家」宮下あきら(80〜82年、週刊少年ジャンプ)
●「ビー・バップ・ハイスクール」きうちかずひろ(83〜03年、週刊ヤングマガジン)
●「Let'sダチ公」原作:積木爆(立原あゆみ)、作画:木村知夫(85〜88年、週刊少年チャンピオン)
●「魁!!男塾」宮下あきら(85〜91年、週刊少年ジャンプ)
●「押忍!!空手部」高橋幸二(85〜96年、週刊ヤングジャンプ)
●「ろくでなしBLUES」森田まさのり(88〜97年、週刊少年ジャンプ)

 他にもたくさん連載されていたはずだが、現在でも再刊されたりして話題にのぼることが多く、「ヤンキーもの」のコアなファンだったとは言いがたい私でも思い出せるのは、以上のような作品になる。
 男塾を「ヤンキーもの」に含めるかどうかは意見が分かれると思うが、私にとっては同じ作者がその数年前に描いた完全なヤンキーマンガの極虎一家から続くイメージが強いのである。

 80年代以降のヤンキーもの以前にも、不良少年のケンカ沙汰をメインテーマにした「番長もの」は60年代から制作され、人気があった。
 私は世代的にリアルタイムでは読んでいいが、アニメ化されたものを再放送で視たりして、一応記憶には残っている。
 代表的な作品は、以下のようになるだろう。

●「ハリスの旋風」ちばてつや(65〜67年、週刊少年マガジン)
●「夕焼け番長」原作:梶原一騎、作画:荘司としお(67〜71年、冒険王)
●「男一匹ガキ大将」本宮ひろ志(68〜73年、週刊少年ジャンプ)

 この三作を並べてみると、少年マンガ誌の王道中の王道テーマである「バトルもの」の基本的な創作スタイルは、「番長もの」の系譜の中で形成されたのではないかと思えてくる。
 とくにジャンプ創成期のヒット作である「男一匹〜」あたりの連載時期になると、後の「バトルもの」でも繰り返されることになる「強さのインフレ」や「無理な連載の引き延ばし」等も含め、良くも悪くも要素が出揃っている感がある。
 現実世界を舞台とし、あくまで少年同士のケンカに限定された「番長もの」の枠を取り外すと、後の様々な「バトルもの」に進化するのだろう。
 SFやファンタジーの要素を導入すると、お話のスケールが大きくなり、絵的にも派手になるが、その分「強さのインフレ」の度合いも桁外れになり、構成が崩れやすくなる。
 80年代以降の「ヤンキーもの」は、舞台の拡大や強さのインフレに改めて枠をはめ、リアリティを担保する試みであったのかもしれない。
 それでもバトル路線である以上は「大風呂敷」「強さのインフレ」は不可避で、身近な学園生活から出発した物語は、それぞれの作品のリアリティ崩壊レベルの臨界点まで膨張した時点で終了する。
 あえて「バトル路線」を取らず、リアルな不良高校生の描写にこだわった「ビー・バップ・ハイスクール」が、他の作品より突出して長く、20年続いたことには注目される。
(続く)
posted by 九郎 at 11:59| Comment(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする