blogtitle001.jpg

2017年10月30日

ヤンキーサブカルチャー4

 本章「ヤンキーサブカルチャー」最初の記事で、70年代後半から80年前後にかけての不良ファッションに、右翼的、軍国的意匠が使われていることにふと疑問を持った。
 偏差値教育、管理教育に反発し、ドロップアウトした先が、それ以上に抑圧的だったはずの「大日本帝国」的な世界観に帰着するのは、あらためて考えると不思議な傾向だ。
 週刊少年ジャンプで80年代に連載され、ヒットした中では、宮下あきらの作品がわりとそうした「軍国アイテム」を売りにヒットしていた記憶がある。
 少しふり返ってみよう。

 宮下あきらは78年少年マガジン増刊号でデビュー。
 79年週刊少年ジャンプで「私立極道高校」連載開始も、トラブルにより短期で打ち切り。
 翌80年、主要キャラを引き継ぎ、新たな主人公で仕切り直した「激!!極虎一家」がヒットし、全十二巻が描かれた。
 この頃は絵も作風もまだかなり本宮ひろ志っぽく、小学生当時の私は名前の字面が似ていることもあって、ちゃんと区別がついていなかった。
 ただ、なんとなく「まじめな方」、「ふざけてる方」という差は感じていた。
 途中からやっと、自分が好きな「ふざけてる方」のマンガを描いているのは、「男一匹ガキ大将」の人とは別人なのだと気付いた(笑)


●「激!!極虎一家」宮下あきら(80〜82年、週刊少年ジャンプ)
 ケンカ自慢の不良高校生たちが「網走極等少年院」の激しい内部抗争を経て出所。
 独立した一家を起こし、日本の極道の頂点を目指す。
 果ては「アメリカから日本侵略しにきたマフィア」と日米極道大戦に発展するという、まあ、とてつもなくファンタスティックなストーリ―である(笑)
 ギャグを多用した作風なので筋立てが荒唐無稽でも違和感はないのだが、それでも子供心にも「これはあかんやろ」と感じる暴走もあった。
 最終章のマフィアとの対決で、追い詰められた極虎一家の面々に、突如として過去に死亡したはずの仲間三人が現れ、救援するという展開があった。
 後の「男塾」で多用されることになる「実は生きていた」のパターンではなく、「極虎一家」の時点では文字通り「蘇った」とされていて、それは日本に古来より伝わる「七生報国」という奇跡であると説明されていた。
 今でも記憶に残っているセリフによれば、「死して七度生き返り、国に報い、友に報いる」ために蘇った三人は、不死身のパワーで次々にマフィアを撃破し、撤退させることに成功するのである。
 今振り返ると、最後の最後でこうした理不尽な「神風」が吹いたり、ギャグですかしたりするのは宮下あきらの芸風なのだと楽しめる。
 しかし、けっこうハラハラしながらマンガを読んでいた小学生当時は、何かちょっとごまかされたような気がして不満を感じたことを覚えている。
 私のマンガ体験は手塚治虫や藤子F不二雄のSFから始まったので、「理屈付け」の最低限がクリアーされない展開は受け入れがたかったのだ。

 その後の宮下あきらは、いくつかの短期連載をはさんだ後、満を持して85年に連載開始された「魁!!男塾」を連載開始する。


●「魁!!男塾」宮下あきら(85〜91年、週刊少年ジャンプ)
 徹底した軍国教育により、全国の不良少年の「男」を磨き、更生させ、有為な人材として育成することを目指した私塾を舞台とする作品。
 連載開始当初は宮下あきら作品としてオーソドックスな泥臭いギャグマンガだったが、次第にバトル展開に移行していった。
 連載当時、私はちょうど私立の中高一貫校に進学していて、その学校がまさに男塾を思わせる時代錯誤の超スパルタ教育だったので、同級生と共に「これはおれらのマンガや!」と熱狂していた(笑)
 この「男塾」では作中の軍国アイテムはかなりネタ化、相対化されていて、荒唐無稽な軍国スローガンで安易にまとめてしまった「極虎一家」の危うさは、一応消化されている。
 読者としての私も小学生時代より年季を積み、民明書房が架空の出版社であることに、途中から気付けるほどには成熟していたのだ。
 連載六年、全34巻、連載中にTVアニメ化もされ、作者の押しも押されもせぬ代表作となった。
 続編や派生作品は数多く、現在も描き継がれている。

 宮下あきらは現在60歳。
 若い頃はジミ・ヘンドリックスに憧れてバンド活動をやっていたという。
 軍国アイテムを多用する作風とは裏腹に、作品からはほとんど「政治性」は感じられない。
 むしろその年代のかつてのロック少年としてはごくノーマルな、リベラルな「匂い」は、そこはかとなく感じられる。
 作中に登場する軍国アイテムは、「思想」から来たものではなく、「なんとなく自分の感性にあう」「なんとなくウケそうな」要素を、持ちネタとして磨いた結果のヒットではないかと推察される。
 ではなぜ、「軍国アイテムがなんとなくウケる」という空気が、80年代前後に醸成されていたのかという、最初の疑問に戻る。
(続く)
posted by 九郎 at 23:59| Comment(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする