2017年11月03日

最初の修行1

 このマイナーな「神仏与太話BLOG」も、開設からぼちぼち十二年が経とうとしている。
 最初期から断続的に書き継いでいるカテゴリ原風景では、浄土真宗の僧侶である父方のことや、大工であった母方の祖父宅で、幼児期の昼間の時間を過ごしていたこと、そして夢想とも現実とつかない奇妙な記憶のことなどを書いてきた。
 久々に自分でも読み返してみて、書こう書こうと思いながら、なんとなく先延ばしにしてきた事柄を一つ、思い出した。
 他の記事中では何度か断片的に触れてきた、幼児期の「弱視」のことだ。
 考えてみればこれは、今の私の原風景の中の原風景、原点の中の原点である。
 そろそろ書き留めておかなければならない。

 私が弱視であることが判明したのは三歳の頃。
 おそらく生まれつきの低視力だったはずだ。
 私の記憶の中に、母親が異常に気付いた時の情景が残っている。
     *     *     *
 自宅の居間である。
 私は一人、背もたれにカエルの顔のついた幼児用のイスに座り、低めのタンスの上のテレビを見上げている。
 番組は「仮面ライダー」か何かだったのではないかと思う。
 家事をしていた母が、ふとテレビを見上げる私の視線に違和感を持つ。
 顔を斜めにして見ていることに気付いたのだ。
 その時、何らかの会話があったと思うのだが、内容までは覚えていない。
     *     *     *
幼児の頃の記憶なので、事実関係として正確かどうかはわからない。
 全く別のシーンが混入しているかもしれないが、ともかく私の記憶の中では「そういううこと」になっている。
 その後、眼科を受診した結果、遠視の低視力で、右眼が左眼の半分程度しか視えていないことがわかった。
 比較的視えている左ばかり使う癖が出来ていたのだ。
 さっそく眼鏡を作ることになった。
 眼鏡をかけ始めた頃、食事時に私が言ったセリフを、母親から何度も聞かされた。
「ごはんのつぶつぶが見えるわ!」
 それまでごはんつぶが視えていなかったようだ。

 子供の弱視は、数としてはけっこう多いという。
 生まれつきそれが常態の幼児本人にとっては、「あまり視えていない」ということ自体が認識できない。
 なるべく発達の初期段階で発見し、治療を行うのが望ましいが、全く視えていないわけではないので、年齢が低いほど周囲に気付かれにくい傾向がある。
 時代と共に幼児向けの検査方法が発達し、認識も広まってはいるが、見過ごされるケースもまだまだ多い。
 
 私の場合、幸運は二つあった。
 一つは、親が早い段階で気付いて眼科に連れて行ってくれたこと。
 目の前の茶碗のごはんつぶが視えないくらいの弱視でも、眼鏡をかければそれが視える。
 この「実際に視える」という体験が、発達の初期段階であるほど視力回復を促すのだ。

 そしてもう一つの幸運は、視力矯正の良い先生に巡り合えたことだ。
 三歳で眼鏡をかけることになった私は、視力矯正の訓練のため、頻繁に眼科に通うことになった。
 長じてはあまり医者にかからなくなったので、これまでの人生で受診回数をカウントすると、眼科がダントツで多いだろう。
 私の生涯最初の「修行」は、このように開始されたのだった。
(続く)
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする