2011年1月、ふと思い立って1995年の阪神淡路大震災の被災体験から語り起こしたこのカテゴリ90年代。
書くほどに当時のしんどさがよみがえって来て難渋していた所に、3.11東日本大震災と、それに伴う原発事故が起こり、過去の出来事どころではなくなってしまった。
カテゴリ「釜」
それでも何とか書き綴り、被災体験記を一段落できたのが2012年。
そして今年2017年1月、また思い立って90年代に関する手記に再び手を付け、行ったり来たりしながらも、当時関西サブカルの片隅で生息していた私から見た90年代を覚書にしてきた。
時系列を整理してみると、以下のようになる。
●93〜94年、小劇場の舞台美術を担当していた頃
祭をさがして-1
祭をさがして-2
●同時期の94年、古い友人に誘われ、不思議な祭に参加
月物語
●そして95年、阪神淡路大震災被災
震災記GUREN-1
震災記GUREN-2
震災記GUREN-3
●震災と、それに続くカルト教団のテロ事件に衝撃を受けた顛末
祭の影-1
祭の影-2
●生来の孤独癖をこじらせ、一人に戻った顛末
本をさがして-1
本をさがして-2
本をさがして-3
本をさがして-4
へんろみち-1
へんろみち-2
へんろみち-3
へんろみち-4
被災体験と並んで当時の私に衝撃を与えたカルト教団のテロ事件。
私はかの教団と直接関係は持たないものの、「知り合いの知り合い」くらいの距離感にはあった。
教団に入信した多くの若者たちに対し、多くの面で共感は出来なかったが、理解できる側面もあった。
もっともこうした距離感は、事件当時20〜30代の、サブカルや宗教、精神世界界隈にいた者にとっては広く共有される感覚だったのではないかと思う。
事件後、劇団などのチームでの活動から離れ、一人で取り組んでいた読書や遍路も、あの事件について考えることが大きなテーマとしてあった。
そして中々言葉にできないままに二十年以上が過ぎてしまったのだが、この一年集中して90年代についての覚書を書き続けてきて、気付いたこともある。
どうやら「サブカルチャー」という切り口でなら、自分にも語れることがあるのではないかということだ。
世紀末サブカルチャー
次回更新より、このカテゴリ「90年代」ひとまずの最終章、「青春ハルマゲドン」を順次アップしてみたいと思う。