当時の若者文化について考えるなら、その前段階の「80年代の中高生」について、整理しておかなければならない。
かく言う私の成育歴も、その中にすっぽりと含まれている。
これまでの記事では、90年代に先駆けた70〜80年代サブカルチャーについて、私が実際に体感してきた範囲で紹介してきた。
そこには、迫りくる「終末」への危機感が、濃厚に反映されていたと感じる。
もう一つ近似する要素を付け加えるなら、そのキーワードは「オカルト」だ。
この要素については、別カテゴリでまとめたことがある。
黒い本棚(70〜80年代オカルト)
70年代はTVやマンガなどのサブカルチャーの世界で、心霊や超能力、UFOやUMA等のオカルトが、人気テーマの一つとしてクローズアップされ始めた始めた時期だった。
マンガと並んでサブカルの裾野部分にあたる歌謡曲の世界でも、UFOやモンスターや透明人間が取り上げられ、大ヒットになった。
80年代はさらに一歩進んで、ホラーやオカルトテーマの作品が、広く一般向けのマンガ雑誌の一番人気になったり、ハイレベルな秘教的行法や世界観が、手軽な新書版や月刊専門誌で世に流布される段階に入った。
オカルトの世界は嘘と真、虚構と現実、確定情報と未確認情報の狭間のグレーゾーンにこそ魅力の源泉があり、エンタメとして楽しむ分には罪がない。
しかし、無批判にオカルト情報をばらまくことには、いくつか問題点もあった。
●完全なペテン、詐欺行為も多い点。
●不出来なフィクションを「実話である」と偽装することで、ある種の「リアルさ」「面白さ」が出てしまう点。
●語っている当人が「実話」のつもりでも、その事実認識や解釈に議論の余地がある場合が多い点。
●そのまま真に受ける者が出るという点。
こうした問題点を抱えながらも、当時オカルトは様々に形を変えて流布され続けた。
サブカルチャーの世界で需要があるという事実は、資本主義社会においてかなり強力だ。
何しろ70〜80年代という時代は、サブカルチャーの最大市場である「子ども」が、やたらに多かった。
現在の「少子高齢化ニッポン」とは全く違う世相が、そこにはあったのだ。
戦後すぐの第一次ベビーブームに次ぐ出生数のピーク、第二次ベビーブームがあったのが70年代前半。
以後はなだらかに減り続け、今に至る。
90年代の若者(=80年代の中高生=第二次ベビーブーム世代)は、同学年の人数が多く、受験競争の厳しい世代でもあった。
大学入試に共通一次が実施されたのがまさに80年代そのもの(79〜89年)で、当初は過熱する受験戦争の負担軽減がうたわれたものの、結局は多教科の詰め込み、大学の序列化を加速させてしまった。
そして当時の中高生は、同時にビジネスにおける巨大市場でもあり、成熟し切ったサブカルチャーやレジャーで「青春の謳歌」を煽りに煽られた。
一方では受験戦争が過熱され、もう一方では消費行動を激しく煽られる。
どちらも首謀者は、当時の「大人たち」である。
「将来のために必死で勉強しろ!」
「若者はもっと青春を謳歌しろ!」
矛盾した真逆の要求に加え、戦争や環境破壊への危機感を煽る「終末ブーム」があり、虚実を混交させる「オカルトブーム」もあった。
この混沌とした諸々の要求を、当時の大人たちは以下のようにアクロバットに接ぎ木した。
「将来のため、中高生のうちは余計なことは考えず必死で勉強しろ! 無事大学に入ってから存分に遊べ!」
ついでに書くなら、その言葉通りを実行した大学生に対しては、「最近の学生は遊んでばかりだ!」などと悲嘆憤慨して見せたりしていた(笑)
今の私も含め、大人などというものは所詮「その程度」である。
自分の目の前、半径1メートルの範囲の義務と責任を果たし、日々の仕事の成果を上げるのに必死なだけなので、深い考えあってのことではない。
言うこと全部を真に受ける必要はないのだ。
この世のまことを求める志ある中高生諸君は、自分の人生は自分で考えるのが良い。
大人の言うことは、まあ半分くらい耳を貸しておけば、それで十分過ぎるのである。
(続く)