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2017年12月17日

青春ハルマゲドン5

 90年代半ばの、カルト教団による無差別テロ。
 事件後しばらく経ってから、私の高校の先輩にあたる人の名が、報道で流れるようになった。
 学年が離れているので直接の面識は無かったが、確かに見覚えのある名だった。
 中堅とは言え受験校、むしろ中堅であるからこそ進学実績にはこだわりが強かった我が母校では、毎年の大学進学結果は校内にデカデカと貼り出されており、上位者ともなると、その名を学校内で知らない者はなかった。
 件の先輩は、その中でもトップ中のトップだったのだ。
 もっと後になると、卒業生でかの教団に入信した人が他にもいることが分かってくるのだが、当時は「事件に関与した高学歴の若者」の中の一人として、その先輩の名がよく報道されていた。
 そのニュースに接し、私が反射的に感じたのは、何とも言えぬ「痛ましさ」だった。
 ああ、この人は、与えられた修行をひたすらに「やり抜いてしまった」のではないか?
 無理に言葉にするなら、そんな思いだった。
 しかし、これだけでは言葉が全く足りない。
 より適切に当時の私が感じた「痛ましさ」を伝えるためには、今しばらく中高生の頃のことを振り返る必要がある。

 そもそも私が私立の中高一貫校を受験したことには、さしたる理由はなかった。
 中学受験をパスすれば高校受験がなくなるそうだと聞き、小学生の判断として「そっちの方が楽そう!」と安易に考えた覚えがある。
 それまでの私は、日々遊び暮らしていたプラモ少年で、勉強は決して苦手ではなかったが、飛び抜けて優秀というほどでもなかった。
 小五の最後あたりから約一年間の受験勉強だったので、期間としては短く済ませた方だったと思う。

 中学受験対策にもっと長く何年もかける家庭は多いが、個人的には小学生時代からあまり長く詰め込むと、その後の伸びしろが無くなりやすいと思う。
 小学生だと発達段階にかなりバラつきがあるので、受験勉強の学習効果は、本人のタイプによるところが大きい。
 中学受験に向かなくても、その後大きく伸びる子供はいっぱいいる。
 一応合格したものの、その後伸び悩んで脱落という子もまた多いので、「中学受験合格=優秀」というわけでは全くない。
 それぞれのタイプや発達段階により、大雑把に「私立向き」「公立向き」という傾向があるに過ぎず、両者の間に優劣はない。
 これは、自分が中高生の頃や、その後、塾講師や家庭教師の経験をかなり積んできた上での実感である。

 のんびりした動機で、たまたま中学受験の適性があり、一年間集中して勉強したら合格してしまった――
 私のケースはそんな感じで、案の定、入学後に苦労することになった(苦笑)
 私が迷い込んでしまった学校は、自然環境が非常に豊かで、古式ゆかしきバンカラ気風が残っており、中学入学組は浮世離れした環境で思春期の六年間を過ごせる良さがあった。
 その反面、前回記事でも紹介し通り、80年代当時ですら時代錯誤の、体罰上等の超スパルタ指導という「暗黒面」もあった。
 私はその美点と欠点のどちらも、存分に浴びながら中高生時代を過ごした。

 厳しい受験校に入って以降も、私には一向に「がんばって勉強していい大学に入ろう」などという意欲は持てなかった。
 空前のガンプラブームを小学生時代に経験し、筋金入りのプラモ少年だった私は、中学生になっても相変わらずマンガや小説やリアルロボットアニメやプラモやオカルト等のサブカルチャーにうつつを抜かしていた。
 その合間合間に片手間で勉強するような体たらくでは、成績が低迷するのは当たり前だった。
 熱心に読書したり絵を描いたりものを作ったりするばかりでは、毎日大量に出される宿題をする時間などとれるはずもなかった。
 宿題が出来ていない状態で学校に行けば、そこには厳しい体罰が待っている。
 それを回避するためにできることはただ一つしかない。
 友人に宿題を書き写させてもらうのだ。
(良い子は決してマネしないように!)
 さすがに受験校なので、クラスに何人かはびっくりするほど優秀で、しかも慈悲深い生徒がいた。
 毎日大量に出される宿題をきちんとこなし、友人に見せてやることまで想定して早めに登校したりする、まさに「菩薩」のような生徒である。
 そういう生徒のノートがまた素晴らしい。
 整った字で読み易く、内容も完璧だったりするのだ。
 当時はコンビニの10円コピーが出始めの頃で、定期試験前にはそうした生徒の名を冠した「○○ノート」の類が飛び交っていたものだ。
(人伝ての情報では、後にテロ事件で名前の挙がることになる先輩も、そうした優秀で慈悲深い「菩薩タイプ」の人であったらしい)

 私はと言えば、恥を忍んで有態に書くと、そんな素晴らしい友人のノートを、毎日同じように早めに登校して、必死こいて写しまくっているアホ丸出しの生徒であった。
 写すと言っても半端な量ではないので、一行残らず筆写していたのでは間に合わない。
 とくに数学の宿題などは、計算の途中経過をほど良く抜粋する必要があった。
 ただ、授業中に当てられた時にちゃんと答えられず、不正が発覚すると、文字通り「地獄」を見ることになる。
 抜粋しながらも要点は外さないようにしなければならないし、授業中は当てられそうな問題を必死で理解しなければならなかった。
(今から考えると、それはそれで集中して頭を高速回転させる、中身の濃い勉強になっていたのかもしれない……)

 そしてこれは中学生になってから自覚したのだが、私には受験勉強するうえで重大な欠点があった。
 いわゆる「丸暗記」ということが全くできなかったのだ。
 中学高校の受験勉強というものは、大きくは「論理」と「記憶」に分けられる。
 各教科によってその割合は様々だが、短期間の丸暗記ができない私は、とくに出題範囲の決まった定期テストで苦戦した。
 受験勉強は「論理」で骨格をつくり、「記憶」で肉付けするのが理想で、「丸暗記」だけに頼った詰め込みでは早晩行き詰る。
 私の場合、かなり読書はしていて現代文は得意だったし、数学も嫌いではなかった。
 骨格にあたる「論理」方面ではそれなりに力を付けていたと思うのだが、そこから先の「記憶による肉付け」が続かず、学業は低迷した。
 とくに高等部に入ってからは毎年留年の危機を繰り返すようになってしまった。
(続く)
posted by 九郎 at 16:30| Comment(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする