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2018年02月01日

啓発マンガ「脱腸騒動記」

 一年半ほど前、鼠経ヘルニア(いわゆる脱腸)をこじらせ、死ぬかと思った体験記をマンガにしました。
 12ページ。

 このヘルニア騒ぎの詳細は過去にも記事にしてきました。

 鼠径ヘルニア(脱腸)まとめ

 今回はその内容をダイジェストし、エッセイマンガ風にまとめています。
 作品自体は編集家・竹熊健太郎さんが管理するサイト、投稿マヴォに掲載していただいておりますので、そちらでお楽しみください。
 見開きとスクロールに対応しており、非常に読み易いです。

 啓発マンガ「脱腸騒動記」:投稿マヴォ

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posted by 九郎 at 18:10| Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする

2018年02月02日

なんてったって

 高校生の頃から、小泉今日子のことが気になっていた。
 はっきり「ファン」というほどではない。
 この三十年ほどの間の購入歴は、CD数枚、本数冊、カレンダー何度かと言ったところ。
 この二十年ほどは、ほとんど曲も出演番組もチェックしていない。
 これでファンを名乗ったら、ファンに対して失礼だ。
 それでも「小泉今日子」という名前は、意識の隅っこにずっとアイコンとして存在している。
 たまたま流れたCM、たまたま目にした記事に登場していれば、「ああ今でも活躍なさっているんだなあ」という嬉しさを感じる。
 ずっとそんな追いかけ方をしている。

 このような追い方になったきっかけは、80年代半ば、たまたま聴いたオールナイトニッポンだった。
 彼女が何曜日かを担当していて、あまりに面白くてハマってしまったのだ。
 それまでにももちろん、当時バリバリのアイドルとして活躍していた小泉今日子のことは知っていた。
 その頃はラジオの深夜放送の全盛期で、中高生はけっこうみんな聴いていた。
 ネットやスマホが存在しない世の中というものを、今の若い人は想像しにくいと思うが、サブカルの最前線をラジオで知るという時代もあったのだ。
 小泉今日子のヒット曲は、アイドルの楽曲としては「ちょっと変」な感じのものが多くて面白かったのだが、ラジオで話すのを聴いて「本人」の方がさらに面白いことに気付いた。
 それ以来、ずっと小泉今日子という活動を、意識の隅っこで追い続けている。

 高校生の頃好きになったアイドルが、今でも「懐かしアイドル」にならずに「現役」でいてくれるのは、本当に幸運なことだ。
 小泉今日子は時代と共に、そして年齢と共にアップデートを繰り返しながら、それでも芯の部分では変わらず存在してくれている。
 昔の自分の目利きを褒めてやりたい(笑)

 昔聴き込んで、今でもたまに手に取るCDは、以下の二枚。


●Best of Kyong King
●TRAVEL ROCK
 どちらも錆びることのない名盤。

 ぼんやりネットニュースのヘッドラインを眺めながら、ちょっと最近のエッセイ集なんかも読んでみようかなと思っている。
posted by 九郎 at 23:59| Comment(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする

2018年02月10日

しゅうりりえんえん

 本日、作家の石牟礼道子さんがお亡くなりになったという。90歳。
 ご高齢であり、もうずっと長く闘病なさっていることは書籍などで読んでいたのだが、訃報を聞くとやはりショックはある。
 石牟礼道子の名は子供の頃から知っていて、ずっと気になる語り手だった。
 しかし、テーマの重さから中々手が出せず、結局これまでに読んだのは、数冊の作品と、数冊の関連書だけだった。
 逆に言えば、これから読むべき本がまだまだ残されていることになる。
 今後少しずつ、手に取っていきたい。

 当ブログ内を検索してみると、石牟礼道子関連では、過去に何度か記事を書いてきている。
 内容を振り返りながら、今日この日の覚書にしておきたい。

     *     *     *

 石牟礼道子と言えば、やはり水俣病の惨禍の語り部としての活動が浮かぶ。


●「苦海浄土」石牟礼道子

 私は70年代初頭の生まれなので、子供の頃、公害問題は既に社会科の教科書にも掲載されていた。
 学校教材以外にも、様々な場面で公害を扱った文章や写真、映像に触れる機会があった。
 その中で、子供心にとても印象的だった写真の記憶がある。
 白っぽい着物の人たちが、黒い旗を林立させている。
 白黒写真なので、もしかしたら本当は違う色なのかもしれなかったが、見慣れない装束の白と、幟旗の黒の対比が強烈だ。
 そして黒旗には異様な漢字一文字が白く染め抜かれている。
 「怨」
 子供の私はまだその漢字の読みと意味を知らない。
 後にマンガ「はだしのゲン」で、被爆者の白骨死体の額部分に同じ文字が描きこまれるシーンを読み、ようやく私は「怨」という文字の読みと意味を知った。
 いつ、どこでその写真を目にしたのか、はっきりとは覚えていない。
 もしかしたら、同じような写真を見た複数回の記憶をごっちゃにしている可能性もある。
 ずっと後になって、私はその写真が水俣病患者の皆さんを写したものだということを知った。
 1970年、水俣病の加害企業であるチッソが大阪で株主総会を開いた時、はるばる水俣から株主としての患者の皆さんが乗りこんできたワンシーンだったのだ。
 お遍路に使用する白装束に「怨」の黒旗、そして総会の場で死者を鎮魂するための御詠歌を朗々と合唱する姿。
 それは一方的に虐殺され、何の武器も持たされないままに闘わざるを得なかった庶民が、国と巨大企業に向けて突き刺した精一杯の哀しい刃だっただろう。
 経済の最先端の場で、被害者のやり場のない感情を、祖先より伝来された習俗に乗せて真正面から叩きつける。
 物質次元においてはまったく無力な抵抗だったかもしれないが、心の次元においては凄まじい威力を発揮したに違いない。
 この「怨」の幟旗による抗議を発案したのが石牟礼道子であったらしいことを、さらにずっと後になってから知った。
 私はごく幼い頃から、この作家の「言魂」に影響を受けてきたことになる。

 70年代から80年代にかけて子供時代を過ごした私は、社会科教育や様々なメディアを通して、公害や環境の問題について、自然と関心を持ち、学んできた。
 その関心の持ち方にはたぶん、弱視児童であった私自身の生い立ちも関係している。
 
 水俣病の経緯を、おおよそ20年ごとに、ごく簡単に(本来はあまり簡単にまとめてしまってはいけないのだが)概観すると以下のようになると思う。

 1950年代、地元企業による汚染で「水俣病」が発生。
 1970年代近くになって、ようやくその企業が汚染源であると断定。
 1990年代、水俣湾は美しさを回復しつつも、公害病認定をめぐる訴訟はいまだ継続。
 2012年7月31日、水俣病被害者救済特別措置法に基づく救済策の申請が、国により一方的に締め切られる。

 凄惨な公害の、被害者の多くが、数十年の単位で救済されないまま切り捨てられ、分断され、差別され、いまだにそれが継続している現実がある。

 ついでながら、「とある政治家にして作家」の言動も、並行した20年刻みでまとめてみる。
 
 1977年の環境庁長官当時、陳情に来た水俣病患者の団体を門前払いにしてテニスに興じる。直訴文を「IQの低い人が書いたような字だ」と発言。さらに「補償金目当てのニセ患者もいる」と発言し、問題化。後に患者に対して土下座。
 1990年代末、知事就任。重度障害者施設を視察後、「ああいう人ってのは人格あるのかね」と発言。
 2011年3月14日、東日本大震災について、「日本人のアイデンティティーは我欲、物欲、金銭欲。この津波をうまく利用して我欲を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と発言。

 このような人物が、長らく政治家として影響力を行使し、作家として活動を続けることができること自体、奇異に感じられる。
 少なくとも私の思う「作家」は、このような粗雑な精神の持ち主ではない。

 こうした原因企業及び国による、被害者切り捨ての在り様は、今後ますます周知され、記録と記憶に刻み込まれなければならない。
 なぜなら3.11以降の日本は、電力会社と国による、低線量被曝の人体実験の場と化してしまった感があるからだ。
 高度成長期に生み出された公害という地獄を経験し、日本は環境汚染に対して、それなりの規制は行うようになってきていた。
 放射線被曝に関しては、年間1ミリシーベルトのラインが設定され、まだよくわかっていない健康被害に対して予防的にきびしめの法規制が敷かれてきた。
 そうした過去に学ぶ姿勢が、3.11をきっかけに、国と一私企業が振りかざす偽りの「経済性」により、いとも簡単に投げ捨てられてしまい、放射能に関する様々な違法状態が、平然と放置される蛮行がまかり通っている。
 これからの20年後、40年後、60年後に何が起こるのか?
 それは祖型として既に示されているかもしれない。

 2010年と2011年、縁あって私は水俣の地に招いていただき、海を望む機会があった。

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 怖いくらいに美しい海を前にして、言葉が出てこなかった。
 そして二度目の水俣から帰ってきた直後、3.11を迎えてしまった。

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 水俣を語り継ぐ本は数あれど、まずは以下の一冊を開いてみてほしい。
 本物の作家、本物の絵師による、美しい絵本である。


●「みなまた海のこえ」石牟礼道子 丸木俊 丸木位里(小峰書店)


 2015年9月、書店でタイトルを見た瞬間に衝撃を受けた本があった。
 著者名を見て即買いし、読み耽った。


●「ふたり 皇后美智子と石牟礼道子」高山文彦(講談社)

 メインタイトル「ふたり」に表されている通り、様々な「ふたり」の関係がルポされている。
 中でも主軸になるのが、二人のミチコ、サブタイトルの「皇后美智子と石牟礼道子」である。
 皇后と、水俣の語り部にして「苦海浄土」の著者・石牟礼道子。
 立場も含め、全てが遠く隔たった二人に、いかなる関係が存在するのか?
 私は水俣と天皇家の「つながり」については多少の知識があったので、息を殺しながら、時間をかけて丁寧に読み進めた。
 結果、確かに二人のミチコの間には強い絆が存在すると納得した。
 それも、簡単にお互いへの敬意とか友情とか表現できるような絆ではない。
 そうした感情はもちろん含まれているだろうけれども、それはもっと激しく鋭利なものなのではないかと感じた。
 孤独な二人の幼女が、泣き叫びながら白刃を突き付け合って、それでもお互いから目を離せないでいる。
 あくまで私の勝手な想像だが、そんなイメージが浮かんでくる。
 読後からかなり時間の経った今でもこんな感想の断片しか書けないのだが、これからも折に触れ、読み返したい一冊である。
 これまでに読んだ本の中から、(ごく私的な捉え方として)深く関連すると考えるものを挙げておきたい。


●「なみだふるはな」石牟礼道子 藤原新也(河出書房新社)
●「黄泉の犬」藤原新也(文春文庫)


 そして昨年、映画「この世界の片隅に」を観たときのこと。
 原爆投下に至るまでの広島の庶民の暮らしを、丁寧に丁寧に、情感をこめて絵にしていく描写が、破壊の闇を一層深く抉り出す様を観ながら、なんとなく石牟礼道子の著作のことを思い出していた。
 水俣の語り部であるかの作家も、公害の惨禍だけでなく、それ以前の美しく懐かしい水俣の海山、民俗の在り様を、作品として結晶させ続けてきた。
 作品に少し「異界」とか「幻視」の要素が含まれていることも、共通しているように感じる。
 理不尽な暴虐に対する時、失われたものの美しさを描き残すことこそが、もっとも強い力を発揮することもあるのだ。
 そう言えば3.11後の反原発デモでも、幾多の力のこもった演説にもまして多くの人の心を打ったのは、唱歌「ふるさと」の合唱だった。


【唱歌 故郷(ふるさと)】(3分20秒/mp3ファイル/6MB)

 主著「苦海浄土」ほどには知られていないけれども、石牟礼道子の作品には、美しく懐かしい「異界」を描いたものがいくつもある。
 私が何度か読み返したのは、以下の一冊。


●「水はみどろの宮」(平凡社)

 言葉ということ、物語ということを、これからもう一度味わいなおしてみたい。
posted by 九郎 at 23:53| Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

マンガ療法

 マンガの中の一ジャンルとして、自分の心身と向き合う内容をエッセイ風に描く一連の作品がある。
 闘病記の類もこれに含まれ、近年話題になったものには、たとえば以下のような作品がある。


●「うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち」田中圭一(KADOKAWA)
●「がんまんが 私たちは大病している」内田春菊(ぶんか社コミックス)

 こうしたメジャー作品でなくとも、自分の心身と対話するマンガ作品の世界には広がりがある。
 このところお世話になっているマンガ投稿サイト投稿マヴォにも、ときおりそうした作品がアップされている。
 最近読ませていただいたのは、朝来おかゆさんの作品。
 他人との会食に不調がでるご自身の体験を紹介したエッセイだ。
 
 会食恐怖症 前編
 会食恐怖症 後編

 人の数だけ心身の状態には差があるのだなと、あらためて感じる。
 標準の鋳型があまりに強い世の中は、実は誰にとっても生きにくいのだ。

 私自身も一年半ほど前の入院記を投稿させていただいたところだ。

 啓発マンガ「脱腸騒動記」:投稿マヴォ

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 拙いながら綴ってみて感じたのは、マンガ形式で描くことの効用だった。
 マンガとして表現を成立させるためには、文章以上に「読み手に対して分かりやすく」というベクトルが働く。
 作品を描く過程で、自分の実体験に対し否応なく「客観性」を持たされるのだ。
 描くことで全てが解決されるわけではないにしろ、様々な気付きがあり、それは読み手にも共有され得る。

 みんな、描けそうならマンガで描いてみるといいと思う。
 絵はごくごくシンプルで良いのだ。
 色んな人の心身との対話を読んでみたい。
posted by 九郎 at 13:55| Comment(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2018年02月19日

5回転!?

 フィギュアスケート解説者の村主章枝さんの、バラエティ番組での以下のコメントが話題になっている。

「スケートシューズは進化していて、羽生くんが履いているのは私の頃より1kg以上軽い。羽生くんのシューズを当時の伊藤みどりさんが履いたら5回転ジャンプできます!」

 村主さんのキャラクターもあって、おバカ発言扱いにする向きもあるようだが、ある程度以上の年齢層には、普通に納得してしまった人も多いのではないだろうか。
 すなわち、現役時代の伊藤みどりさんの活躍を、リアルタイムで目の当たりにした世代である。

 私もそうだ。
 とくにあのトリプルアクセルの衝撃は、今でも鮮明に心に焼き付いている。
 今でこそ、あの大技を繰り出せる女子選手は何人も出てきたが、パイオニアの迫力はやっぱり凄かったのだ。
 女子のトリプルアクセルと言えば、近年では浅田真央さんのものが印象的だったが、伊藤みどりさんのそれとは、また「別物」だった。
(念のために書いておくと、技の優劣を述べているのではなく、技から受ける「印象」のことを述べている)
 浅田真央さんの技からは、ディズニー映画「ファンタジア」のワンシーンみたいな、重力から解放された軽やかさを感じた。
 もちろん浅田さんご自身にとっては、血の滲むような練習の果てに体得した難度の高い技だったはずだが、演技から主に感じるのは、夢の中の出来事のような美しさだった。

 往年の伊藤みどりさんのトリプルアクセルは、全く違っていた。
 まず、長い助走から繰り出されるジャンプが信じられないくらい高く、そして長い滞空時間の中での回転の迫力が凄まじかった。
 その回転エネルギーを薙ぎ払うように着氷し、技の決まった瞬間は、もう本当に「凄い!」の一言だった。
 未見の人は、ぜひ動画サイトででも検索してみてほしい。

 似ているものと言えば、私の場合は真っ先に「波動砲」が浮かぶ。
 エネルギー充填に時間を要するが、その分の「溜め」と一撃必殺の破壊力が、観る者にカタルシスを感じさせるのだ。
 と、ここまで書いて気付いたが、伊藤みどりさんの現役時代を知らない世代にあの衝撃を説明するのに、「波動砲」では分かりやすい喩えになっていない(苦笑)

 よろしい、では若者向けに「ドラゴンボール」の喩えで書き直してみよう。
 今と比べてずっとずっと重いシューズで、同時代の男子選手まで驚愕するようなジャンプを跳んでいた伊藤みどりさんは、修行用の重りを付けたままで強敵と闘っている悟空のような状態だったのだ。
 横で見ていたクリリンとかが「あいつ、こんな時まで!」とビビる、あの状態である。
 女子で世界最初にトリプルアクセルを跳んだ点でも、最初にスーパーサイヤ人の壁をぶち破った悟空に似ている。

 ……少しは伊藤みどりさんの凄さが伝わっただろうか?
 村主さんのコメントも、ウケ狙いというより、ご本人は半ば以上本気で言ったのではないかと思ってしまう。

 フィギュアの選手は歴代、キャラクターが立っていて本当に面白い。
 心と身体の関係について、「表現」ということについて、いつも考えさせてくれるのである。
posted by 九郎 at 23:37| Comment(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

30年越しの、感傷

 今では珍しくなった「名画座」が、近所にある。
 二本立てで入れ替え無し、途中入場可で、大人1500円。
 新作映画の一般劇場公開が終了して数か月経ち、ソフト化される前後のタイミングで上映されることが多い。
 一週間ごとに上映プログラムは切り替わり、大抵はメインの人気映画と、それに傾向の似たややマイナーな作品がカップリングされる。
 ごく近所なので、仕事のシフト変更でぽっかり時間が空いた時など、好みの作品が上映されていれば利用している。

 たまに、ものすごい「当り」のプログラムに出くわすことがある。
 何年か前、バットマンの「ダークナイト三部作」を三週連続で上映してくれた時は驚喜した。
 しばらく前にも大サービスの週があり、「ブレードランナー ファイナル・カット」と「ブレードランナー2049」の二本立てがあった。
 新作の方は映画館で観逃がしていたので、このチャンスは逃せない。
 時間の関係でメインの一本だけ観ることも多いのだが、その日ばかりは二本とも続けて鑑賞。
 ものすごく贅沢で濃密な時間を過ごすことができた。

 82年の「ブレードランナー」第一作公開時、私はまだガンプラ少年で、この大人びた作品は興味の対象外だった。
 その後の中高生の頃、同じリドリー・スコット監督の「エイリアン」には強烈な印象を受けていたが、「ブレードランナー」の方は「噂で聞いている」という程度だったはずだ。
 もしかしたらTV放映等で一度くらいは観ていたかもしれないが、はっきりした記憶はない。
 確実に印象に残っているのは、さらに年月の経った92年の「ディレクターズ・カット版(最終版)」で、こちらは何度も繰り返しビデオで観た。
 年齢的に、私はその頃ようやく「ブレードランナー」鑑賞の「適齢期」になっていたのだろう。
 自分の人格とか記憶と言ったものが、さほど確固としたものではなく、もしかしたらフェイクかもしれない――
 ふとそんな感覚を抱き、そうした疑念をテーマにした作品にどっぷりハマるには、それぞれが相応の発達段階になっていることが前提になる。
 そうしたタイプの作品については、以前にも一度記事で触れたことがある。

 フェイクがどうした!

 この「ブレードランナー」は、初公開時興行的にはふるわなかったものの、80年代における「その種の作品」の本家本元みたいなカルト映画だった。
 作中の設定年代に、そろそろ現実が追い付こうとしているが、それでも時代を超えて古びない映像と、観る者の想像に任せる「余白部分」の多さが、繰り返しの鑑賞を可能にしているのだと思う。
 静けさと沈鬱と優しさ、感傷。
 映像が極めて重要な作品ではあるけれども、それに留まらない多様な「読み方」ができる、陳腐な表現になるが、やはり「文学的」という他ない映画なのだ。

 新作の「ブレードランナー2049」は、三十年以上の時を経て制作され、作中でも三十年が経過した正統な「続編」にあたる。
 長い時を経て、監督が交代した続編と言うことで、ちょっと不安を抱いていたけれども、観て本当に良かったと思う。
 それも、同じ映画館の中で第一作と続けて観られたことは、理想的な鑑賞体験だった。
 ネタバレを避けて端的に紹介するなら、あの第一作に耽溺した日々の思いを、再び鮮烈にプレイバックするための続編だったのではないだろうか。
 間もなくソフト化されるようなので、公開時に観逃がした第一作のファンは、是非とも手に取ってみて欲しい。
 私はさほどコアな映画ファンではないので、映像ソフトを手元に置くほどハマった作品は数少ない。
 そんな私が、劇場での鑑賞に続いてDVDを予約注文してしまったのだ(笑)



 映像が手元に届き、何度か観返したら、がっつりネタバレ入りの感想を書いてみたいと思う。
posted by 九郎 at 23:31| Comment(2) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする

2018年02月28日

石川淳「至福千年」

 古書店のワゴンセールなどで目にとまり、さほど緊急性はないけれども、安いので一応確保していた類の本がある。
 いずれ読もうという気はあるのだが、日々の雑事や優先度の高い読書に阻まれて、なかなか手が出せないうちに十年二十年と経ってしまったりする。
 しかし、そろそろ「いずれ読もう」という言葉の頭の、「いずれ」の部分が、残り少なくなってきた年齢である(笑)
 二年ほど前から、なるべくそうした本に手を伸ばすよう心がけ、このカテゴリ積ん読崩しでも覚書にしてきた。
 今回は以下の本。


●「至福千年」石川淳(岩波文庫)

【表紙紹介文の引用】
内外騒然たる幕末の江戸、千年会の首魁・加茂内記は非人乞食をあやつって一挙に世直しをと狙っていた。手段選ばぬ内記に敵対するのはマリヤ信仰の弘布者・松太夫。これら隠れキリシタンたちの秘術をつくした暗闘のうちに、さて地上楽園の夢のゆくえは――。不思議なエネルギーをはらむ長篇伝奇小説。(解説=澁澤龍彦)

 上記紹介文にもある通り、聖と賎、隠れ信仰、世直し、神懸り等の私好みのテーマを扱っているが、語り口はあくまでアクション中心の通俗伝奇小説である。
 奥付によると初出は昭和42年なので、アクション等のエンタメ要素だけを今の目で見ると、かなり簡素な印象を受ける。
 この50年、エンタメ作品はアクション描写をひたすら進化、肥大化させ続けてきたのだなと感じる。
 今同じ内容をメジャーな媒体で作品化しようとすれば、もっと長大な尺が必要になるはずだが、その分、アクションで装飾されたテーマの核心部分は散漫になってしまうかもしれない。
 マンガや小説のエンタメ作品の長大化がそろそろ限界を迎えている現在、ほど良い描写密度を考えるのに良い作品だと思った。
posted by 九郎 at 21:42| Comment(0) | 積ん読崩し | 更新情報をチェックする