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2018年03月27日

今日もどこかで

 怒涛の70年代を通過した後の83年、永井豪は「バイオレンスジャック」の掲載誌を青年誌「週刊漫画ゴラク」に移し、再開させた。
 読者の間口の広さと引き換えに表現に制約の多い少年誌を離脱し、性と暴力の描写を存分に叩き込める場を得て、作品世界はビッグバンのような膨張を遂げた。
 永井豪の作品世界の80年代時点での集大成、最長編の大河ドラマとして、90年まで描き続けられることになった。
 それは、バイオレンスアクションであり、SFであり、神話であり、作者の内宇宙を反映したメタフィクションであり、破滅に終わった「デビルマン」への、長大な鎮魂歌でもあったのだ。


●「バイオレンスジャック完全版」

 バイオレンスジャックの世界には、「終末後」というテーマでは避けて通れない、注目すべきいくつかの「暗示」があった。

・世界が破壊されても、それで全てが終るわけではない。
・カタストロフの後も、なお人は生き延びる。
・壊れた世界には、虚飾を排した解放感はある。
・しかしそこは、むき出しの本能、むき出しの暴力が支配する修羅の世界である。
・それでも人は、その世界で強く生き抜かなければならない。

 そして95年、局地的なカタストロフに直面した私は、永井豪をはじめとする何人かの表現者の作品に、強く支えられることになった。
 その顛末は、カテゴリ90年代にて、長く語ってきた。


 永井豪は不世出の天才マンガ家である。
 しかしその永井豪ですら、真にクリエイティブで在れたのは、ぎりぎり80年代あたりまでだったとは思う。
 これは批判でも何でもなく、商業マンガの制作ペースで、二十年近く鋭敏な才気を保てたこと自体が凄いと評価すべきなのだ。
 ピークを過ぎて以降の永井豪も、セルフリバイバルを繰り返しながら、まだまだ独自の存在感を放っており、ファンとしては作品を追わざるを得なかった。
 90年代の作品の内、特筆すべきは、70年代初頭の二大代表作である「マジンガーZ」「デビルマン」のリバイバルだった。
 搭乗型兵器としてのスーパーロボット、「神と悪魔」や「終末」といったテーマを導入した両作品は、多くのフォロワーを生んだ不朽のパイオニアだった。
 しかし80年代以降、飛躍的に作画密度を増していった日本マンガの世界にあって、内容はともかくビジュアル面では粗さが否めなくなってきていた。
 自身の切り開いた不朽のテーマに、ビジュアル面の最新技術を導入して再生されたのが、先の記事で紹介した90年代初頭の「マジンサーガ」であり、正真正銘の世紀末に執筆された「デビルマンレディー」だったのだ。


●「デビルマンレディー」(97〜00年、週刊モーニング連載)

 作画密度に限って言えば、永井豪のピークはこの時期、90年代にあったと見て良いだろう。
 70年代全盛期の鬼気迫る緊迫感には及ばないものの、現実の世紀末に豪華絢爛のビジュアルと圧倒的なボリュームで終末を描き切った手腕は、やはり凄まじいのである。

 そして世紀末を通過した2000年代、CGをはじめたばかりの頃の私は、ペンタブレットの練習に、中高生の頃から描き慣れたデビルマンの絵を何枚も描いた。
 中々思い通りに動いてくれないカーソルを、リハビリのようなつもりでのたくらせながら、ひたすら描いた。
 絵描きとしてもう一度生まれなおすつもりで、ただ黙々と懐かしい「デビルマン」のキャラクター達を描き続けるうちに、思春期の頃、明確な意志をもって絵を描き始めた時の熱が、私の中に蘇ってきた。

 同じ時期、悪評高い実写版映画「デビルマン」が公開された。
 いい年こいて大人げないとは思いながらも黙っていることができなくて、当時全盛期だった某巨大ネット掲示板の当該スレッドで、固定HNで実写版批判の急先鋒に立ったこともあった(苦笑)
(当時の熱気は「映画デビルマンを徹底的に叩く」で検索すると……)
 映画自体は本当にどうしようもない「伝説の駄作」だったが、古参のファンがデビルマン軍団の如く結集するきっかけにはなった。
 スレッドで、私と同じように思春期をデビルマンで過ごした「同志」の皆さんと交流しながら、ネットでのやりとりについて多くのことを学んだ。
 大人になってからも、私は「デビルマン」に支えてもらったのだ。

 2010年代に入って久しい今現在も、永井豪のデビルマン物語は続いている。
 70年代の執筆当時の制作秘話を綴った作品は、熱心なファンにとっては既知の話題が多いものの、やはり興味深く読み込めるものであった。


●「激マン!デビルマン編」全六巻

 永井豪自身によるデビルマン物語の、おそらく最終長編になるかもしれない作品も、現在連載中である。


●「デビルマンサーガ」
 現在7巻まで刊行、以下続刊。

 思春期にもっともハマった作品について、今でも考え続けることができるのは本当に素晴らしいことだ。
 永井豪がこれからも生涯現役で描き続けてくれることを、強く強く祈念する。

(「サブカルカイザー永井豪」の章、了)
posted by 九郎 at 00:00| Comment(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする