2018年03月29日

「ふるさと」をうたえるか?

 先日、財務省の元高級官僚の証人喚問があった。
 洗いざらい「ありのままの事実」を明らかにするという選択もあったはずだが、彼の選んだのは「人事権を握った権力者を守り切る」という道だった。
 本来の意味での「公の僕」の立場を、最後の最後で投げ捨てたのだ。
 人は生きるために色んなものを背負わなければならない。
 綺麗事ばかりでは済まないことは、よくわかる。
 一概に彼個人を攻めることはできない。
 しかし自己責任で選択したからには、それが傍からどのように見えるかということも、全て受け入れなければならない。

 貧しくはあるが、しがらみのない素浪人たる私からは、彼の人生は「悲惨」そのものに見える。

 彼は福島県の出身。
 中学生の頃父を亡くし、三人の兄弟に助けられながら二浪で東大に入ったという。
 その後、大蔵省へ入り、官僚として階梯を昇り詰めていく。
 不遇を乗り越え、故郷に錦を飾った立身出世譚の見本のような人物になるはずだった。
 しかしそのキャリアの最終段階に立場上仕えた政治家が、最悪であった。

 その政治家、総理も財務大臣も、貧しさの中から努力で這い上がった彼とは正反対の生い立ちを持っていた。
 特権階級に生まれたが、実業では使い物にならないので、血筋だけを材料に早々に政治の世界に送り込まれた二人である。
 とくに総理は、2006年の第一次内閣の際、福島原発の「全電源喪失」の危険性を問われ、そのような事態は「起こり得ない」と答弁し、3.11の惨禍の遠因を作った当人である。
 故郷の山河を汚染した責任者の立場を守るために公文書改竄という重大犯罪に手を染めさせられ、それが発覚して以降、組織内から自殺者まで出しながら、なおひたすら隷従させられ続けている。
 彼も馬鹿ではないだろうから、様々な損得勘定、自分と家族の利害を検討しつくした上での選択であろうけれども、明らかに先の見えた政権に這いつくばる様は少々異様だ。
 カルト宗教の洗脳にも似て見えるし、そうでなければ先の文科省官僚の造反劇のように、何らかの弱みを握られているのかもしれない。
 現在東大で学ぶ学生は、こうした事態を冷めた目で観察していることだろう。
 果たして今後も、官僚の世界に真に優秀な人材が集まるだろうか。

 やはり私には「悲惨」の二文字以外、浮かばない。
 彼は今、唱歌「ふるさと」を、心の痛みなしにうたえるのだろうか?



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posted by 九郎 at 18:15| Comment(0) | | 更新情報をチェックする