私が子どもの頃読んでいたのと、様変わりした面も多々あるけれども、骨格部分では全く変わっていないと感じた。
相変わらずの「読む駄菓子」として、小学生たちを楽しませ続けているのだろう。
私がリアルタイムの子ども読者としてコロコロを熱心に読んでいたのは、1980年前後の数年間だったはずだ。
今調べると創刊が77年なので、初期の代表作が出そろって最初の盛り上がりを見せていた時期と重なっているようだ。
私がマンガを読み始めたのが就学とほぼ同時で、学習雑誌「小学一年生」を買ってもらったのが最初だったと記憶している。
藤子不二雄「ドラえもん」のあまりの面白さに魅了され、自分でもマンガ絵を描き始めた経緯は以前記事にしたことがある。
SFへの扉 藤子F不二雄先生のこと
80年代直前のジャンプやマガジン、サンデー、チャンピオン等の週刊少年誌は読者の年齢層がかなり上になっていて、小学校高学年くらいにならないとなかなか読みこなせなかった。
大人気だった「ドラえもん」を主軸に、あらためて低学年でも読めるマンガ誌として創刊されたのが「月刊コロコロコミック」だった。
同じ小学館の「小学〇年生」でも大々的に宣伝されていて、みんな最初は「ドラえもん」目当てに読み始めた。
私の場合は学年が進むとともに小学館の学年誌は卒業し、学習雑誌は付録の充実した学研の「科学と学習」に移行、マンガ誌はコロコロに移行していった。
周りもそんな感じの子が多かったと思う。
当時からコロコロはメディアミックスだった。
マンガのアニメ化、アニメのコミカライズ、ホビーなど、およそ子どもの興味の対象は全部ぶち込んであり、それは現在も全く変わっていない。
コンピューターゲームの勃興期で、家庭用携帯ゲーム機が大流行した時流に乗って登場したのが「ゲームセンターあらし」だった。
●「ゲームセンターあらし」すがやみつる(78〜83)
アニメ化され、ホビーバトルものの嚆矢になり、現在のゲーム大国ニッポンの基礎を築いたような、サブカルチャーの名作である。
流行り物のオモチャや遊びの類はとりあえず作品化されていて、「チョロQ」をテーマにしたバトルものなども記憶に残っている。
●「ゼロヨンQ太」池田淳一(82〜85)
当時は「釣りキチ三平」の影響もあって、ルアー釣りがブームになっていたので、釣りバトルマンガもあった。
●「釣りバカ大将」桜田吾作(80〜83)
変わり種としては「受験」をテーマにしたバトルというのも人気だった。
●「とどろけ!一番」のむらしんぼ(80〜83)
子どもが多く、受験戦争の過熱していた世相を反映しての作品だと思うが、さすがに「お勉強」だけで連載をもたせるのは困難だったのか、後半いきなりボクシングものに路線変更したのにはひっくり返った。
主軸の「ドラえもん」、バトルものと並んで、忘れてはならないジャンルがもう一つある。
低年齢向け「駄菓子マンガ」の、ある意味王道中の王道、「下ネタギャグ」である。
時代と共に読み捨てられ、評価されることが少ないジャンルだが、読者の記憶にはけっこう刻まれていたりする。
私が覚えているのは、たとえば以下の作品。
●「ロボッ太くん」とりいかずよし(80〜84)
主人公は少年ロボットで、「スペアチンポ」という秘密道具を色々「付け替えて」活躍する!
●「超人キンタマン」立石圭太(81〜87)
ウルトラマンを模した三頭身キャラを主人公に、「お面ライダーマン」や「オガンダム」等のパチモンキャラがドタバタをくり広げる!
こうして思い返してみると、当時はパロディや下ネタに関する規制が、今よりはるかにユルユルグダグダだったのだなと再認識する(笑)
この路線のコロコロにおける最大ヒット作が「おぼっちゃまくん」になるはずだが、残念ながら私は年代がずれていて、その盛り上がりは体験していない。
●「おぼっちゃまくん」小林よしのり(86〜94)
コロコロには他にも、たまに子どもが本気で怖がるようなトラウマ恐怖マンガなども載っていて、こちらも記憶に刻み込まれている。
興味のある人、私と同年代で憶えのある人は、以下のキーワードで検索してみてほしい。
●「蛙少年ガマのたたり」よしかわ進
●「地獄の招待状」槇村ただし
小学校高学年になるとそろそろ週刊少年マンガ誌が読めるようになってきて、コロコロも卒業していくことになる。
ただ、私がその移行期を体感した「80年前後」という時代はちょっと特殊で、戦後ニッポンサブカルチャーに多大なインパクトをもたらした「事件」があった。
空前の「ガンプラブーム」である。
プラモが子ども向けホビーの王様にのし上がったその特異点に、低年齢向け雑誌の一番人気「コロコロ」を猛追した競合誌があった。
81年創刊の「コミックボンボン」である。
(続く)