2018年05月30日

分岐点1983(80年代リアルロボットブーム覚書)その4

 前回記事で紹介した「ガンプラジェネレーション」収録の読み切りマンガ「プラモ狂四郎1999」作中で、登場人物が往年のブームを振り返りつつ言ったセリフがあった。

「なんだか連邦MSVよりジオン軍MSVの方が人気があったみたいだったネ」

 このセリフ、往年のコアなMSVファン(たとえば1999年時点で上掲本を手に取ってしまう私のようなファン)にとっては、一種の「定説」として素直に受け入れられた。
 実際、83〜84年にかけて全34種発売されたMSVプラモのうち、連邦系は9種にとどまり、後は全てジオン系、とりわけザクの派生デザインはそれだけで半数近くを占めていた。
 シリーズ内でいくつも買い集めるようなファンが「ジオンの方が人気」と受け止めるのも無理はなく、とくに高校生から大学生あたりのミリタリー趣味から入ったファンや、雑誌に作例を発表するような人気モデラーの多くは、本質的には「ジオン贔屓」「ザク好き」だったはずだ。
 当時子供だった私たちは、なんだかんだ言っても「主役」のガンダムが好きだったのだが、尊敬するモデラーの皆さんのそうした「気分」はなんとなく察し、ちょっと背伸びして受け入れていた。
 99年時点でのマンガのセリフは、素朴に「往年のファンの気分」を反映したもので、とくに他意は無かったに違いない。

 ところがつい先頃、そうした「気分」を真っ向から否定する本が刊行された。


●「MSVジェネレーション ぼくたちのぼくたちによるぼくたちのための『ガンプラ革命』」あさのまさひこ(太田出版)
 ガンプラブームの期間を含む80〜84年の顛末を、送り手側の主要な関係者の事跡を軸に、主な消費者たる小中学生、高校生の視点と対照しながら時系列で追ったドキュメント。
 カラーページでは当時の主要な雑誌記事や、MSVガンプラ全34種の箱絵と商品写真もラインナップ。

 著者あさのまさひこは65年生まれ。
 MSVブームの時期を高校生として過ごし、その直後にモデラー、編集者として活躍することになる。
 私の記憶の中では、85年あたりにモデルグラフィックス誌で発表していたゼータガンダム関連のセンスのいい作例や、当時流行していたアイドルとからめたお遊び設定が印象に残っている。
 創刊当時のモデルグラフィックス誌の異様な面白さについては、また機会を改めて語ってみたいが、今思うとあさのまさひこは、高校生の頃身に付けた「MSV的な楽しみ方」を、自分なりに作例や記事の中で再現していたのかもしれない。
 熱心な高校生ファンから直接「送り手側」にまわったという経歴は、MSVブームを「気分」として語るだけでなく、客観的な事実関係として調べ、記述できる点で、たぶんこの人しかいないという著者である。

 読んでみると当時の様々な記憶がよみがえり、疑問が解消される一冊だった。

・なぜ小田雅弘を始めとするストリームベースの面々は、老舗模型誌HJから、「たかが低年齢向けマンガ誌」ボンボンに主戦場を移したのか?
・なぜMSVプラモ第一作1/14406Rは、小田作例によく似ていたのか?
・なぜMSVプラモは、ザクで始まりガンダムで終わったのか?

 子供の頃、なんとなく不思議に思っていたことが、まさか三十五年の時を経てすっきり納得できるとは思わなかった。
 初代ガンダムザクのプラモを担当した設計者のインタビューには、ちょっと感動してしまった。
 この人こそが、現在のガンプラ文化の「生みの親」ではないだろうか!
 旧キットのザクが、足首固定にも関わらず「一歩踏み出しポーズ」がけっこうきまるのは、計算の上でのことだったとは!

 様々な驚きと感動のあるドキュメントだったが、その中の一つに「ジオン系人気の否定」があった。
 確かにジオン系(特にザクの派生)MSVプラモは点数が多く、年長のファン層の受けは良かったのだが、一点ごとの売り上げでは圧倒的に連邦系、とくにガンダムのバリエーションが上回っていたという事実確認である。
 一年戦争の設定上、MS開発に遅れを取った連邦側には、派生型を試行錯誤する時間はなかったはずで、論理的に考えればバリエーションは出せない。
 しかし、プラモの主たる顧客である低年齢ファン層(小中学生)の人気は、やはりガンダムだったのだ。
 ブームを加速させたマンガ「プラモ狂四郎」の主人公・狂四郎が作るのも、ほとんどガンダムばかりで、それは作中でネタにされるほどだった。
 シリーズ継続のためにはそうした当時の小学生ファンのニーズにじわじわ合さざるを得ず、MSVにおける「主役機」であるフルアーマーガンダムを生み出す必要があったのだ。
 こうしてMSVシリーズは、年長ファンを唸らせる緻密な考証と造形の06RザクUから始まり、最後はシリーズを買い支えてくれた年少ファンへのサプライズギフトのような「狂四郎ガンダム」で幕を閉じたのだった。

 広く一般人気のガンダム、ファンの中での一番人気のザクが両輪となって、ブームを加速する――

 考えてみればこれは、アニメの初代ガンダムの人気の構図と相似形である。

(続く)
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2018年05月31日

分岐点1983(80年代リアルロボットブーム覚書)その5

 この「分岐点1983」の章、書きはじめたきっかけは、実は前回記事で紹介した一冊の本を読んだことだった。


●「MSVジェネレーション ぼくたちのぼくたちによるぼくたちのための『ガンプラ革命』」あさのまさひこ(太田出版)

 本書には、以下のような重要な指摘があった。

 81〜84年のガンプラ〜MSVブーム当時、圧倒的に売れていたのはジオンではなく連邦、ザクではなくガンダムだった――

 往年のファンの間で長らく共有されてきた「ジオン系MSの方が人気」という定説を、180度ひっくり返す「史実」の指摘は、たしか本書が初出ではないはずだ。
 あとがきでもふれてある、同じ著者による2008年のモデルグラフィックス誌の記事「ザ・コンプリート・ワークス・オブMSV」が最初であったと記憶している。
 当時の私は模型誌から完全に離れていたが、なぜかその記事だけは目にとまって(失礼ながら立ち読みで済ませたけれども)、目を見開かされた覚えがある。
 その記事が今回、大幅にボリュームを増し、一冊の読み応えのある書籍の形で残ったのは、本当に価値のあることだと思う。

 表題「MSVジェネレーション」は、たぶん問題の「偽史」を端的に表現したセリフを含む「プラモ狂四郎1999」、またそれを収録した「ガンプラ・ジェネレーション」へのアンサーの意も含んでいるのではないだろうか。


●「ガンプラジェネレーション」五十嵐浩司・編(講談社)

 ブーム当時高校生だったという著者の感性は、どちらかと言えば年長ファン層に属していたのではないかと思う。
 年長ファンにとってのMSVは、様々な意味での「革新」だっただろう。
 バックボーンにアニメ作品を持たないプラモ主導、ユーザー主導のシリーズであり、MSの「リアル」をもう一段階押し進めるシリーズとして捉えていたはずで、それはサブタイトル「ぼくたちのぼくたちによるぼくたちのためのガンプラ革命」にも表れている。
 そうした路線の象徴、シリーズ第一作である「1/144 MS-06R ザクU」誕生前後の記述には、さすがに力がこもっている。
(そもそも本書、極太の帯は1/14406Rの伝説の箱絵だし、表紙カバーは素組み状態の06Rの写真だ!)

 私はと言えば、ブーム当時はまだ「子供」だったので、もう少し無邪気に、「ガンダムの続き」としてMSVを楽しんでいた。
 私を含む年少者のファン層は、どちらかと言えば保守的な需要傾向を持っていた。
 ジオン系MSVはカッコよくてもちろん好きだったが、やっぱりフルアーマーガンダムやパーフェクトガンダムに熱狂していた。
 そしてそうした好みが、尊敬するモデラーや年長ファンの皆さんの「革命の志」とは、少々ズレていることも認識していて、ちょっと「恥ずかしさ」も感じていた。
 ガンダム好きは子供っぽい趣味だと、自分自身で思っていた。
 しかし、年少者はそれで良かったのだ。
 年長者の「革命の志」はそれはそれとして、素朴な保守たる「やっぱりガンダムが好き」という年少者の層こそが、そのムーブメントを「買い支えて」いたのだ。

 アニメ「機動戦士ガンダム」の物語は、スペースノイド(宇宙移民)とアースノイド(旧来の地球人)の対立を基本構造に持っていた。

・搾取からの解放と、母星たる地球環境の保全を掲げる宇宙移民。
・地球を汚染し、資源を使い果たしながらも、なお地球に固執する旧来の人類。

・独立戦争を仕掛けたジオン側の戦力の象徴たるザク。
・急進的な改革(を表看板とした軍事独裁政権)に「待った」をかける戦力の象徴たるガンダム。

・ミリタリー感覚を導入した、純然たるリアルロボットのザク。
・旧来のスーパーロボット、ヒーロー要素を残したガンダム。

・アニメやプラモデルに「革新」を求めた年長ファン
・意外と「保守」的な需要傾向を持つ年少ファン

・作品自体やプラモデルの「質」を担保していたザク。
・ただし、ビジネスを成立させていたのは、あくまで主役機ガンダム。
 
 様々な要素の対立が、危ういバランスでリンクし、シンクロしながら、81〜82年のガンプラブーム、83〜84年のMSVブームを駆動していったのであって、どちらか一つの要素だけではあのブームは成立しなかったのではないか。

 今回「史実」を確認して、様々な疑問と共に、子供時代の自分が感じていた恥ずかしさが解消されたことを、当時の年少ファン層からのアンサーとして書き留めておきたい。

*     *     *
 
 思い返してみればMSVブームの終焉は、私の子ども時代の終焉と重なっていたように思う。
 ガンプラに浸り切った小学生時代は、本当に楽しい日々だった。
 その後、特に深い考えもなく進学した私立中高一貫の超スパルタ受験校では、周りにプラモファンなど一人もいなかった。
 作品鑑賞中心のアニメファンならそれなりにいたが、制作にスキルと時間が必要なプラモ趣味と、詰め込みスパルタ教育の相性は、決定的に悪かったのだろう。
 まず小学校高学年段階でプラモにうつつを抜かしているような子供は、中学受験には不向きである(笑)

 MSVの発売が終った頃の私の感情を今あらためて表現するなら、こんな感じになる。
 
 あんなにみんなで楽しく遊んでいたのに、いつの間にか日が暮れて、気が付いたら周りに誰もいなくなっていた――

 MSVの後を受けた「ゼータ」の頃には、私は二歳下の弟だけをプラモ仲間に、迷走気味(当時の私たちにはそう見えた)のMSデザインやストーリーに葛藤しながら、「後の祭り」を楽しんだ。
 その後はなんとなくアニメやプラモは一旦卒業した。
 プラモにハマりすぎていたせいで、ファミコンブームに乗り遅れ、結局その後の人生で一度もゲーム機を所持しなかった。
 小説やマンガを読み耽り、絵や文章を自分でも描いてみたくなった。
 4年間、子供なりに腕を磨き、考え続けた「プラモ修行」の日々は、その後私が生きていく上での基礎体力、教養になってくれたのだと思う。

(「分岐点1983」の章、了)

追記:「MSVジェネレーション」読んだら、猛烈に06R作りたくなってきた!


●1/144 MSV MS-06Rザク2

 現在制作中!!!

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posted by 九郎 at 18:03| Comment(2) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする